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ボランティアで働いたから見返りをくれという人々。はあ? [地方映画の力!]

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地方映画の現場。市民が一生懸命に働いている。ほとんどがボランティア。映画によって故郷が全国にアピールされるのを願って、様々な形でプロのお手伝いをする。市民スタッフは交通費も食費も自腹。ギャラは当然なし。なのに朝から晩までお手伝い。仕事を休んで参加する人もいる。僕の映画もそんな方々が多いので、その熱い思いに、いつも頭が下がる。

だが、完成してから問題が起こることがある。後輩が監督した市民映画ではこんなことがあった。エキストラとして参加した人たちがこういう。

「俺たちはボランティアで映画出演したのだから、映画の招待券くらい配るべきだ!」

ギャラなしだから、せめて映画を無料で見せてくれというのだ。ある意味で、そのくらいのお礼をしてもいいかな?と思う人もいるだろう。だが、考えてほしい。映画館で映画を見ると1800円。つまり、その人たちは「1800円くれ!」と言っているのと同じ。ボランティアというのはギャラをもらわない。金品をもらわないという奉仕だ。それなのに1800円ほしいというのはおかしい。

ただ、彼らの意識としては現金ではなく、招待券という紙をくれと言っているだけだから、ボランティアだと思っている。が、現金だけでなく、一切のお礼をもらわないのがボランティア。最初に「ギャラはないけど、招待券をプレゼント」という約束があるなら別だが、ボランティアで!と言って参加しておいて、あとになって何かを要求するのは筋違いだ。また、撮影を手伝って招待券は出せない理由もある。

別の形で説明しよう。農家の手伝いで田植えをボランティアで手伝った。それを米が出来たとき「手伝ったんだからスーパーで売っている米をタダでくれ!」というのと同じ。入場券=米。物を要求するのもボランティアではない。そもそも、映画を作るのは制作会社=米を作るのが農家と同じ立ち位置。映画を上映するのは映画館=米を売るのはスーパー。作る側と売る側は別組織なのだ。

先のボランティの方は制作会社仕切りの現場でボランティアのお手伝いしながら、別会社である映画館の招待券をくれといっているのだ。米でいえばスーパーで売る米をタダでくれというのと同じ。流通は複雑。その辺の構図。一般の方に分かりにくく、撮影を手伝ったから映画館でタダで見せろという流通を超えた要求をすることがある。ま、そもそも、最初に約束がないのに、そんなことを言い出すこと自体が非常識である。


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また、映画の場合は故郷をアピールするためであり、市民であればすでに恩恵を受けている。言い換えれば自身が労働した賃金を町のアピールのために寄付するのと同じ。その上で「何か、くれ!」はやはりおかしい。赤十字に募金して、「何かくれ!寄付しただろう?」という人はいない。なぜ、そんな勘違いをする人が出て来るのだろう?

これはまず、アルバイトと混同している場合が多い。アルバイトをすればバイト料がもらえる。「それがもらえないなら何か別のもものを寄越せ」と。現金がもらえないのがボランティアだと思い込んでいる場合。物も現金ももらわないのがボランティアだ。でも、中にはこんな人もいる。

「以前にエキストラ参加した映画ではボランティアだけどTシャツをくれたよー。なぜ、今回は何もくれないのー!酷いー」

シャツは制作サイドのご好意。企業映画なので製作費に余裕がありシャツがもらえた。というより、本来はギャラをはらえる余裕があるにシャツで済ませたということが多い。でも、その人が次に参加した映画は市民映画。だから本来の意味でボランティア。企業映画と市民映画を一緒にして「酷い!」「ずるい!」「利用された!」と騒いでいたのである。

最初にエキストラを募集するときに、ボランティアであることは明示されていても「前の映画でシャツもらったのによ」と言い出す人が必ずいる。その背景にも何かすれば何かもらえるというバイト感覚があるのだと思える。市民映画は祭りに近い。祭りに参加したからとギャラ寄越せとは言わない。それは町の様々なことを祝う行事だからだ。神輿を担いだからとバイト料はもらえない。市民映画も同じ。町を全国にアピールするために、神輿の一端を担ぐのがボランティアなのだ。バイト感覚と、それに加えてこんな発想を持つ人が多い。


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「町をアピールするのは役所の仕事だろー! 俺たちは税金払っているんだからさあ」

そんな思いが背景にある。「何で市民の俺たちが?」という発想が町をアピールする市民映画というのが理解できないのだ。この発想は多くの日本人に根付いていて、何かあると「国がやるべき」「県に頼もう」「市が解決すべき」と自分たちは何もしない。

原発立地地区も同じ。町の過疎化が問題なのに自分たちで解決せず、「原発を誘致すれば莫大な交付金が出る!」と飛びつくことが多い。何でも政府頼み、県頼み。しかし、自治体も限界があり、税収も減っている。大きな組織は小回りが聞かない。企画して、実行するまでに何年もかかる。その間に時代や価値観が変わる。また、市民が陳情しても「出来ない理由」を探すことに、もの凄い労力を費やす職員も多い。その時間を解決に使えばいいのにと思うが、どこの自治体にもいる。

政府を見ても、役所を見ても、市民のためにスペシャルな何かできるというところは少ない。ただ、彼らを批判するだけでは何も変わらない。市民が自らの手で故郷のために出来る何か?をすることが早道であり、有効なのだ。そんなひとつが市民映画作り。その一端を担いボランティアでお手伝いして「金をくれ」「招待券をくれ」というのが、どういう意識なのか? もう分かってもらえたと思う。視野が狭く、自分のことで精一杯。何をやってもバイト感覚。故郷のことを顧みる余裕をなくしている人たちなのだ。

そんな方々にも「いかに意味ある活動であるか?」を理解してもらうことも、市民映画作りでは重要となる。ある意味で日本人の「お上頼み」の意識を変えること。自分たちの力で変えて行く活動でもある。どの町の市民メンバーもそんな問題と対峙しながらがんばっている。ただ、声を上げ変えようとする市民がいる町は、大きな希望がある。大きな翼を持つ街だ。がんばってほしい。


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