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2015年11月19日 に書いた記事 [思い出]

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2015年11月19日 に書いた記事

【ふと、この10年のことを思い出してみたら、さらに15年の思い出が!?】

1980年代は年代ごとにしっかりと覚えている。高校を卒業して本当の人生を歩み出した年でもあるからだ。その意味で「向日葵」の1983年というのは明確に覚えている年だ。が、1990年代に入ると不明確だ。そんなことを考えながら歩いた。

1990年 アメリカ留学から帰国。29歳。秋に戻ったので、本格的なスタートは91年から。その年の2月に東京のアパートを契約。新たな生活が始まる。目標は映画監督になること。アルバイトをしながら、シナリオを書き続けた。この辺のことは以前書いたが、昼はレンタルビデオ店で働き、夜は居酒屋で皿洗い。映画会社や製作プロダクションに何度も持ち込みしたが、「面白い。映画にしよう!」といってくれたところは1軒もなかった...。

92年、93年、94年と、新たにライター業をスタート。雑誌や週刊誌に記事を書く仕事をしていた。仕事をもらうだけでなく、自分で取材、それを出版社に売り込んだり。「週刊プレイボーイ」「ペントハウス」「コスモポリタン」等で書かせてもらった。が、それだけでは食えず、ビデオ屋やベビーシッターのアルバイトもしていた。あと、映画学校や演劇学校の講師もあちこちでした。

95年に日米合作ドラマ「Gaijinー開国」にスタッフ参加。同年、シナリオライターデビュー「アルティメット・クライシス」「女子高生コンクリート詰め殺人事件」96年、Vシネマ「82分署R」「ゼロウーマン」を担当。97年映画のメイキングで演出。98年「太陽娘と海」スタッフ。同年、ドラマ「風の娘たち」監督デビュー。99年、映画「死びとの恋わずらい」メイキング担当。Vシネマ「真・恐怖体験 投稿編」を監督。

00年、Vシネマ「真・恐怖体験 ドラマ編」担当。01年ー02年 映画「ストロベリーフィールズ」営業。03年、ドラマ「怪談・新耳袋」監督。大林宣彦監督「理由」メイキング担当。04年 新作準備。05年「ストロベリーフィールズ」監督。

こんな感じか? この先は明確に覚えている。「ストロベリーフィールズ」「青い青い空」「朝日のあたる家」そして「向日葵の丘 1983年夏」。だが、これ以前は毎年、過酷な戦いの連続だったので、どれが何年で、何が何年でと覚えていない。しかし、今、振り返ってみると、「何でも来い!」という感じで、一進一退している。製作会社とは何度も喧嘩しているし、理不尽な仕事も大かった。ギャラの不払いも何度もあり。仕事を依頼して来ておいて、別の人にまわされて、それを知らずに待ち続けていたこともある。

けど、そんなこんなで15年。15年だ。これをどう捉えればいいのか? どう、解釈すればいいのか? 考えてしまう。このあとの2005年から映画「ストロベリーフィールズ」を監督。そこから怒濤の戦いが続き、現在に至る。それでさらに10年。その最初の段階で、総括をする余裕がなく、その前の15年が曖昧なのだろう。帰国して15年。映画監督デビューして10年。ひとつの節目だと思えている。


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2年前に撮ってもらった写真。辛い思いが込み上げる。 [思い出]

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下の写真を撮ってくれたのはニュー八王子シネマの支配人だった中島さん。2年前の今日、「向日葵の丘」舞台挨拶後に撮影した写真。その中島さんが先日亡くなっていたことを知りショックを受けた。

彼との出会いは「朝日のあたる家」だ。原発事故を題材とした映画だったので上映拒否する映画館が多かった。とはいえ、そのことが反発を呼び「だったらウチで上映しよう!」という心ある映画館の支配人たちが手を上げて全国23館で上映されたのだが、その内の1館が中島さんが当時支配人をしていた沼津のジョイランドシネマだった。

「朝日」は静岡県湖西市で撮影されながら、静岡県で上映された映画館は中島さんの沼津のみ。静岡市内の映画館は皆拒否という中、勇気ある決断。公開に踏み切ってくれた。地元の応援もあり大ヒット。その年1番の興行成績を上げ、お正月をまたいで3週間のロングランとなった。

その後、中島さんはニュー八王子シネマに移り、「向日葵の丘」はなんとゼロ号試写に来てくれた。映画を見た彼は大感動「必ず、ウチでやります!」といってくれた。その約束通り2年前の今日。八王子公開。舞台挨拶にも呼んでくれた。そのときの写真が上。

「向日葵」も3週間上映してくれた。八王子で3週はきつい。大ヒットする映画でも2週間程度。聞くとこう答えてくれた。「この映画館にくればいい映画をやっている。それをアピールしたい。そのために『向日葵の丘』は最適の映画ですよ」

嬉しかった。映画愛を感じた。その中島さんが亡くなった。彼は背が高く、禿げているので、恰幅もよく、いい歳に見えるが僕よりもずっと若い。「インディジョーンズ最後の聖戦」を見たのが高校生と聞いて驚いた。そんな方が亡くなるなんて....。

今回の「明日にかける橋」も中島さんに見てほしかった。きっと喜んでくれたに違いない。何だか「向日葵の丘」の梶原支配人のようだ...。そんな中島さんが天国から見れるように「明日にかける」完成させ多くの人に見てもらいたい。


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「明日にかける橋」の物語を思いついたのは11年前のサウナ?② その町の美しさが物語を花開かせる。 [思い出]

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名古屋のサウナで考えついた物語。「かなり行ける!」と思っていたが、早10年が経つ。その間に日本はさらに酷い状態となり、当時「お父さんを応援しないと!」と思っていたが、お父さんだけでなく日本人の誰もが大変な時代になってしまった。バブル経済を知らない子供たちが大人になり。日本はもう経済大国ではなく不況が20年も続く国に落ちぶれてしまった。

そんな時代に「お父さん。がんばれ!」では意味がない。しかし、過去にタイムスリップする物語は昔から好きで一度挑戦したいと思っていた。そして過去を旅する訳ではないが前作「向日葵の丘」はバブル前夜と言える1983年ー日本人が将来に希望を感じていた時代を舞台に映画を作った。その時代と現代を対比することでいろんなものが見えて来た。だったら、次はバブル前夜ではなく、バブル全盛期を見つめるとどうか?そう考えた。

思い出したのは名古屋のサウナで考えた物語。今回は回想の物語ではなく、実際に過去に行くことで何かを見つける話にしよう。そうだ。バブル全盛期である1989年にタイムスリップする物語はどうか? 先の企画は昭和40年代を考えていたが、それを1989年。つまり平成元年にする。そして先に物語ではお父さんが中学時代に好きだった初恋の女性を助けに行くという設定だったが、それをヒロインが過去に事故で死んだ弟を助けに行くという話にするとどうか?

物語の骨格は同じで行ける。そして、1989年という時代。バブル時代を見つめ直すことができる。あの時代何を間違ったのか? 日本はなぜ、こんなになってしまったのか? を弟の事故にダブらせることができる。もし、こうしていれば? ああしていれば? あのことを理解していれば? きっと今の日本は違っただろうということを家族の物語として描ける。かなりいい話になりそうなので、いい加減な形ではやりたいくない。「ここぞ!」というときに撮りたい。そう思いながらまた月日は流れた...。

昨年の今頃。静岡からの映画制作の話が来た。その町で映画撮影するのにいい企画はないか?ということになる。監督という人種は日頃からいろいろと企画を持っている。僕も暇さえあれば、れこれ考えているのだが、得意の涙と感動の青春もの以外にも、ミステリーものも何本か企画がある。精神病をモチーフにしたかなり危ないもの。女探偵が活躍する本格ものといくつかある。が、やはり美しい緑に囲まれたその町を舞台にするなら、相応しいものにしたい。

よく地方映画では、自分たちの町を誉め称え。観光地や名産品を劇中で紹介するものがある。PR映画か?劇映画か?分からないものがよく作られる。以前にも書いたが、それは自画自賛。他県の人が見ればうんざりするだけ。PR映画ではなく1本の映画として、感動物語を作るからこそ、他県でも、日本中でも、世界ででも観てもらうことが可能になり、その町の美しさが観客の心に残る。それを取り違えて映画を作る町が多い。だから、まず感動物語。そしてその町の美しさが前面に出る設定が大事。

それをふまえた上で、あれこれ考えていて、ロケハンし町の美しさを実感。実は以前にあるきっかけで、この町をロケハンしたことがあり、そのときから素敵なところだと思っていた。さらに町のことをあれこれ知るにつれ、感じるものがある。が、やってはいけないこと。地方映画を撮る監督には「この町のために書いた物語です!」とかいって、地元の名産品にまつわる美談のようなことを、サラサラと数週間でシナリオにする人がいる。が、それは最悪。手抜きの仕事!

町の人には受けるかもしれないが、他県では通用しない。それこそ先に上げたPR映画だ。そうではなく時間をかけて考え抜いたストーリーを骨格にして、その町に合わせて物語を紡ぐことが大事。安易なものを作りたくない。そう考えていたら、先のタイムスリップものが相応しいのではないか?と思えて来た。ロケ地の1つ袋井市は花火大会で有名。クライマックスを花火の夜にしよう。本当に素敵な魅力的な橋も見つけた。タイムスリップするのに橋を渡るのはどうか? 

そんなことから想像が膨らみ、10年前の物語が相応しいと思えて来た。その町を舞台に最初から物語を紡いでみた。花火や橋。古い町並みや伝統あるお寺の数々。それらが背景となり10年前の企画は奥行きのある、素敵な物語として形になって来た。花火大会がなければならないストーリーだと気付く。この町のために、物語が存在したかのような見事な融合。運命とは往々にしてこういうもの。「ここぞ!というときに撮ろう」そう思って大切にしていた企画、どうしようか?とも思ったが、とっておきの物語はこの町を舞台にすることで花開く.....そう感じた。

「ここぞ」というのは今! こうして10年前に考えた物語の「種」が静岡県の町ー袋井、磐田、森町に降り立ち、そこで根を降ろし、地面から町の魅力を吸い上げ、大きな花を開いたのである。これらの町だからこ、その美しさで咲いたのである。それはまるで夜空に上がる花火のようにも思える。こうしてタイトルは「明日にかける橋」となり、翌年に撮影がスタートすることになるのである。



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「明日にかける橋」の物語を思いついたのは11年前のサウナ?① [思い出]


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映画のシナリオ。多くは原作ものである。だが、僕の場合はこれまでの5本全てオリジナル脚本。つまり、原作がなく、僕自身が物語を考えて書いている。なのでよく「監督はどんな風にして物語を作るんですか?」と聞かれる。今回の「明日にかける橋」はどうだったかな?と思い出してみた。

なんと11年前。僕のデビュー作「ストロベリーフィールズ」の名古屋公開のため前日から名古屋入り、翌日は舞台挨拶という夜。交通費&宿泊費は自腹だったので、駅近くのサウナに泊まった。客は皆、疲れた中年男性ばかり。店内には食堂もあり生ビールを飲めるのに、ロビーの自動販売機で安い缶ビールを買って飲む人の方が多い。

この手の店に泊まる客は中小の会社員が多い。出張費が少なく、ホテルに泊まれない。サウナに泊まるが生ビールを飲むのも節約。疲れ果てて缶ビールを握ったまま眠っている人もいる。その光景を呑気に僕は見つめていた。皆、40代以上。妻も子供もいる人たちだ。当時から不況の風は日本中に吹き捲くっていて、皆、疲れ果てるまで家族のために働いているのだ。

しかし、そんなお父さんたちの苦労も知らず、子供たちは毛嫌いし、若い娘は「お父さんの服と一緒に洗濯機に入れないで!」という話や「亭主は粗大ゴミ」という話も当時よくされた。そんな話を思い出し、あー父親って何だろう? そんなお父さんたちを元気つける映画を作れないか?と考えた。思いついたのが40代男性がタイムスリップ。昭和の時代に戻ってしまうという話だった。

これはいい!いつか映画化したいと考えた。が、結局、2作目は書道を題材とした青春映画「青い青い空」となる。その後、311があり原発事故が起こり、そこから「朝日のあたる家」を撮ることになり、なかなかチャンスがなかった....。(つづく)



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2年前の今日。書いた記事。一度会いたかった芸能人・コロッケさん! [思い出]

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【才能ではない。考え続ける努力するから、トップランナーになれる】

2015年9月

長年、お会いしたいと思っていたお笑いタレントのコロッケさん。その彼がパーソナリティを担当するFM番組にゲストで出してもらうこととなった。「向日葵の丘」の宣伝をさせてもらうためだ。スタジオに入ると、ナマ・コロッケさんがお出迎え。果たしてどんな人なんだろう? モノマネ芸人さんの世界ではトップ。帝王的な存在。デビューからほぼ30年。テレビや舞台で活躍している。お茶の間にいると、当たり前の存在に思えるが、それはスゴイことなのだ。

多くのタレントや歌手。そして俳優たちがこの30年に登場しては消えて行った。一世風靡したタレントでも、今はその名前さえ思い出されない人もいる。そんな中で30年間トップを走り続けるというのは、毎年宝くじで1億円当てるようなものなのだ。が、視聴者からすると「おもしろいオジさん」「楽しい芸人さん」という認知のされ方しかしていない。

もちろん「才能あるお笑いタレント」と評価する人も多いが、プライベートでどれだけの努力をしているか? 想像する人は少ないだろう。彼はいつも楽しそうにモノマネをするが、その目は絶対に笑っていない。そして、いつもタレント・コロッケを演じている。僕はそう感じるようになってから、テレビに映らないコロッケさんとはどんな人か?を考えていた。

そして、打ち合わせでディレクターさんが話してくれたが、僕の「向日葵の丘」監督ブログをかなりの量、読んでくれているという。プリントアウトしたコピーを見せてもらったが、スゴイ量だ。1回きりのゲストのために、テレビや舞台で多忙なコロッケさんが、それを全て読んでくれたという。そして、その中のひとつについて番組内で話をしたいという。

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僕の記事を読んでくれている人なら分かるだろう。僕のブログ、Facebookはほぼ毎日更新。1日に数度アップすることもある。毎回、長ーーい記事を書いている。書くよりも読む方が大変!という量。それを事前に読んでくれている。

それだけで、コロッケさんという芸人さんが分かる。ラジオ番組に出る無名監督とトークをするために、相手を知らなければ!と読んでくれたのだ。さあ、そのコロッケさん。ご挨拶をして、テーブルを挟んで向かい合って着席。ヘッドフォンを被り準備。その間も彼は気を使い、いろいろと話をしてくれる。

「『向日葵の丘』は見せてもらいましたよー。ほんといい映画ですねー。僕もどこかのシーンで出たかったなあ。もう、映画館のロビーで上映を待っているだけの客でいい。でたかったなあ。分かるんですよ。あの時代感。僕と監督は同世代ですし、自分が1つ上だけど、映画で描かれた時代はとても懐かしいし......」

と、ゲストを和ませるために、あれこれと話をしてくれるのだ。モノマネ界の帝王とは思えない気遣いと、腰の低さ。僕も仕事がらいろんな人に会うけど、本当に凄い人は決して上から目線で話さない。さて、番組が始まる。オープニングはコロッケさんのモノマネから。18番のトシちゃん。そして、ゲスト紹介があり。トークが始まる。ここから先はラジオで聞いてくれた人もいるだろう。

だが、僕がもっとも関心を持った部分は曲の間に解明する。生放送ではないが、音楽を流す部分は実際に音楽が流れ、その間、スタジオ内ではコロッケさんがいろいろ話をしてくれる。これは録音されない。そのとき、彼はこういった。

「監督のブログ読ませてもらったんですけど、スゴイ量ですよね?で、共感する記事が結構あって、その内のひとつのことをこのあと、お聞きしたいんですけど。一番、共感した、そーだよ、その通りだよな! と思った記事があるんです。僕もずっと考えたことで、若手にもよくいうんですよ」

一体、どの記事か? コロッケさんは言う。

「『才能なんてない』って記事ありますよね。あれ、本当にその通りだと思うんです」

あーーーーーそれかあ。なるほど。そうかーーーーーー。全てに納得がいった。その記事。読者の方も読んでくれた人は多いだろう。あとで、その記事のアドレスを記すが、簡単にいうとこんな話。若い頃、僕や映画監督を目指す友人がよく「俺って才能あるのかな?」と考えた。映画監督だけでない、歌手や俳優や小説家を目指すというと、大人たちはこういう。

「お前才能あるのか? 才能がないとやっていけない世界だぞ」

でも、自分に才能があるかどうか?なんて分からない。果たして自分が映画監督になれるのか? その才能があるのか? その後もプロデュサーや先輩に言われた。「お前は駄目だよ。才能ないよ」それでも考え続けて気づく「才能なんて存在しないんじゃないか?」今、振り返って断言する。「才能なんてない」そんな便利なものはない。夢を掴むのに必要なのは「才能」ではなく「努力」であること。そんなことを書いた記事だ。

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その記事が「一番共感した!」とコロッケさんはいうのだ。そこで全てが結びついた。起きてから寝るまで、食べるときも、テレビ見るときも、常にモノマネのことを考え続けるコロッケさん。その結果、モノマネ界のトップに駆け上がり30年も君臨している。友人はいう「才能ある人だからなあ」でも、ご本人に言わせば違うのだ。「才能ではなく、努力なんだ」コロッケさんは続ける。

「後輩たちにもいうんですよ。才能なんかじゃない。努力なんだ。こうすれば似るかな? こうすれば面白いかな? そんなことを考え続けることなんですよ....」

日本中の人を笑わせる、モノマネ界の帝王の言葉は重い。「才能ではない」「努力なんだ」と、彼はそれを実践し、トップを走り続けている。僕が10代から考え続けた「才能なんてない」論が証明された瞬間でもあった。たぶん、どの世界でもそうなのだ。映画界でも、お笑い界でも、歌の世界でも、いやいや、カタギの世界だって同じだろう。

営業でいい成績を上げる人も「才能」ではなく「努力」だ。まじめに、がんばるというだけではない。コロッケさんのように、朝起きてから寝るまで、考え続ける人だ。悩み続けるのではない。考える。彼が「どーすればあの歌手に似ることができるのか?」と考えるように、「どうすれば製品が売れるのだろう?」「どうすれより良い商品が開発できるのか?」と考え続けること。何事も同じだ。

9時5時で仕事をして「あー終わった。飲みに行きゾー!」というのも人生だ。でも、そこからも考え続ける人もいる。そんな人が成功する。トップに駆け上がる。才能ではない。才能があれば、何でもできると思いがちだが、そうではない。考え続けること。それが成功への道ということ。目の前でマイクに向かい楽しそうに話すコロッケさんを見つめながら、そう感じた。

この1点だけでも、番組に出してもらえてよかった。さて、番組終了後に、もうひとつ面白い話があるのだが、これはまた別の機会に紹介するが、これ以降、テレビでコロッケさんを見かけるたびに、彼の言葉を思い出す。タレントも、歌手も、俳優も、そして映画監督も同じ。いや、他の職業も同様。「才能」ではない。考え続ける努力こそが大事。そう思えている。(了)

コロッケさんが読んでくれた記事=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-17


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