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監督業とはどんな仕事をするのか?記事が好評。続きを掲載 [映画業界物語]

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こんな声が届いた。「驚いた。監督ってこんな仕事するんだ」「意外だった」「大変だな〜」ということで、もう少し書いてみる。

世間では映画監督というと「撮影現場で偉そうにして、怒鳴っている人」という印象が強いようだ。それは黒澤明監督のイメージ。まあ、そんなタイプの監督は少なくなって来たが井筒和幸監督はその種のタイプと聞く。が、今時の監督は結構おとなしい。

よく言われるのは「映画監督は金持ち」これは明らかにハズレ。ハリウッドの映画監督をイメージしているのだろう。考えてほしい。日本人は年に1本しか映画を見ない国民。おまけに映画が大ヒットして10億円稼いでも監督には1円も入らない。アメリカとはシステムが違う。日本は監督が儲からないようなシステム。だから、ほとんどの監督は貧しい。

例えば監督料を200万円もらっても1年がかりだと、1ヶ月20万円弱となる。大卒サラリーマンよりも安い。その上、毎年映画を撮れる監督はごくわずか!副業をやらないと生活ができないのが映画監督。ちなみに日本映画で監督だけで食えるのは5人ほどと言われる。あの人と、あの人と。。。映画ファンなら名前は分かるだろう。

さて、今回はスタッフ集めの話を書く。監督にとって最も大切な仕事のひとつだ。仕事依頼が監督に来るとスタッフ集めをする。優秀なスタッフを集めないといい映画は撮れない。監督がいくらがんばってもスタッフが優秀でないと、素晴らしい作品は撮れない。ただ、映画界は黒澤組とか、大林組とかいって監督を長とした気心が知れた常連スタッフがいることが多い。初めてのスタッフだと意思疎通がなかなかできず、いい作品を作る以前にコミニュケーションに労力を使う。

ずっと以前、仕事をしたカメラマン。本当にダメだった。センスがないくせに、自分で全てを決めようとして、こちらの意図を聞こうとしない。「カメラはここなんだ!」とカメラポジションを自分で決め、何を言ってもそこから動かない。理由を聞いても意味不明。議論している時間がもったいなく、多くの監督は彼の言う通りにさせるが、大した絵は撮れていない。結果「二度と仕事しない!」と多くの監督は決意する。

撮影前はとてもいい人なのだが、現場に入ると性格が変わる。もう、トランプでいうとババを引いたようなもの。そんな人とでは素晴らしい作品は絶対にできない。だから、何度も仕事をして気心しれた優秀なスタッフを集める。が、これもむずかしい。**組と言ってもヤクザのようにいつも一緒にいる訳ではない。社員でもない。皆、それぞれがフリーでそれぞれが別の現場で仕事をしている。だから、監督は依頼を受けるとまず、彼らに連絡。スケジュールを確認する。

スタッフにはいろんなパートがある。撮影部、照明部、演出部、制作部、録音部、衣裳部、美術部。一番上を技師と呼ぶ。技師さんを決めれば、それぞれが助手を集めてくれる。だが、上記の7パート7人のスケジュールを合わせるのは至難の業だ。優秀な人は依頼が多く忙しい。撮影部は夏OKだが、演出部は秋OKということもある。さらに撮影スケジュールもなかなか決まらないものだ。夏撮影予定が秋になることも多い。

そうなると撮影部に「夏撮影」で御願いしても、秋にズレると先約が入っていて、いつもの撮影部には来てもらえない。撮影部がダメになり、別の撮影部を呼ぶと「いつも一緒にやっている照明部とやりたい」といわれ、すでに決まっている照明部に頼めなくなる。撮影&照明は相性が大事。アメリカでは同じパートである。だから、先に決まっていた照明部に御願いすることはできない。

いつものメンバーが集れば確実にいいものができるのに、そんなことで、全員が集らないことがある。また、こちらが夏から撮影と決まっていても、スタッフがその前に入っている仕事が伸び伸びになると、こちらに来てもらえないこともある。今、やっている仕事を「次があるので〜」と辞める訳にもいかない。そんなこともありえる。

が、一般の人の多くは「監督が1本電話すればスタッフがすぐに集る」と思っている。「AさんがダメならBさんを呼んでくれる」と考える。が、そんなふうにはいかない。撮影が夏なのが、秋にズレた。「ごめんね。秋でよろしく〜」という一般のスポンサーがよくいるが、こちらはてんやわんやの大事件となる。また1からスタッフを探さねばならない上に、夏に予定を開けていたスタッフは夏1ヶ月の収入がなくなるということ。しかし、スポンサーはキャンセル料を払わないと言い出すことがある。

例えば7月撮影と決めたらスタッフは、7月のスケジュールを空けて待つ。なのに9月に延期となると、7月は仕事がなくなる。そして9月は別の仕事が入っているとなると、そのスタッフの生活は大変。スタッフを押さえたあとにスポンサーの都合で撮影期間を変えると多くが迷惑する。死活問題となる。スタッフは生活を賭けて待っている。が、それも理解されずらく「延期になりました!」と平気でいうスポンサーが時々いる。

それは監督の責任でもある。スタッフに声をかけるのは彼らの生活を背負うのと同じ。もし、理不尽な形で撮影中止や延期が行なわれれば、スポンサーに掛け合い、保証をさせる義務が監督にもある。スタッフは監督を信じてスケジュールを空け、他の仕事を断り待っていてくれるのだ。スタッフは社員ではなく、職人。それぞれの分野のエキスパート。技術だけでなく、思いややる気も大事。安いギャラでも全力でやってくれることもあるが、いい加減な仕事だと高いギャラでも真剣にはならない。

とても気難しく、頑な人たち。だからこそ、素敵な作品を作るアーティストなのだ。そんな彼らに仕事を頼むときは1本の電話では済ませない。実際に会ってシナリオを渡し、なぜ、今回の映画を作るか?を詳しく説明し、納得してもらった上で引き受けてもらう。もし、納得できない作品なら受けてもらえないし、安いギャラでは引き受けてもらえないだろう。彼らが参加してくれるということは大変なことなのだ。僕の映画が毎回高い評価を受けるのは彼らが参加してくれるからである。

その辺も一般には理解されずらい。電話1本ー業者に電話すれば飛んで来るくらいに思っている。工事現場の日雇いに近い印象しかなかったりする。分かりやすく言えば、「七人の侍」だろう。腕はいいだけでなく、思いもある侍。名誉や金のためでなくても闘いに参加してくれる侍。そんな侍を探すのがスタッフィングなのである。それが監督にとって、最も大切な仕事のひとつである。


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映画作りは難しい。素人発想で作品をねじ曲げてはいけない?! [映画業界物語]

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僕が地方で映画を撮る方法を真似て、後輩監督のA君も地方で支援を集めて映画を撮っている。というのも、彼は以前、企業映画を撮っていたのだが、会社からあれこれ押し付けられて映画が歪められて、うんざりしていたからだ。

そんな後輩は「映画の内容は任せてください。必ず素晴らしい作品にします。町の魅力を発信する映画にします!」と宣言。キャスティングも役に相応しい俳優を優先する。若いのになかなかがんばっている。
ある町の市民グループから頼まれた映画。主演俳優は決定。以前に後輩と仕事をした若い人に人気のBさん。準備が進む。その後、ロケ地の役場が後援を表明、参加。その役場からこう言われた。

「うちの町出身のCさんを主演にしてください。その方が寄付を集めやすいので!」

後輩は驚愕する。すでに俳優のBさんを主演に依頼。承諾をもらい、彼に合わせてシナリオを書いた。多忙なスケジュールを割き出演してくれる。今さら断る訳にはいかない。それ以前になぜ、あとから参加した役場が主演を指示するのか? Cさんはその町の出身なので地元で人気がある。でも、物語の主人公とはイメージが違う。だが、役場の職員はいう。

「cさんでもこの役は出来ますよ!」

後輩は苛立つ。「映画製作をしたこともない職員に何が分かる? シナリオを読んだこともない。撮影に参加したこともない? 分かる訳ないだろう」と思ったが押さえて後輩は聞いた。

「cさんの映画で何が一番お好きですか?」

「は?彼の映画は見たことはありません。でも、本人はよく知っています」

後輩はあきれ果てた。彼らはCさんの芝居を見たこともないのに「この役は出来ますよ」「主演で!」という。単に支援を集めやすいというだけのことなのだ。シナリオを読むとき、この役は誰がいいか?想像するとき、100人が読めば100通りの俳優がイメージできる。でも、その中で誰が一番相応しいか?決めるのは本当に大変な作業。


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間違えば撮影現場でどんなに努力しても、ダメ映画しか作れない。的確なイメージを持つことは難しい。それにはまず、多くの役者を知っていること。その人たちの芝居を見ていること。演技力、キャラ、存在感等を把握し、その役を演じたらこうなる!という鋭い想像力が必要。それと長年の経験だ。

僕もよく映画が完成したあとにスタッフに言われる「あの俳優がこんな演技するなんて、想像しませんでした」まして、プロでない人たちが最終形をイメージすることは至難の業。映画ファンならまだしも、映画以外の分野で仕事をする方々がシナリオを読んでキャスティングするのは困難。そもそも、素人であり映画製作に関わったこともない彼らが、キャスティングに口を出し、俳優を指定すること自体がおかしいのだが...。

Cさんの芝居を見たこともない。リアリティを持って「出来る」と言っているのではなく「できんじゃないのー」という安易な想像をしているに過ぎない。料理をしたことない人がシェフに対して素材を指摘するようなものだ。と役場は「支援集めがやりやすくなる」ということしか考えていないようだ。

さらに考えてみる。もし、Cさんが出演ー完成した映画を市民が見たときにどう思うだろう? 地元出身の俳優が出てくれることで喜ぶ人もいるだろう。でも「何か違うな?」と感じる人は多いはず。物語にフィットしていなければ感動できない。作品クオリティが落ちてしまう。その街以外での反応は厳しいこと、覚悟せねばならない。素人発想で映画を作るとそうなってしまう。


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つまり、後輩が嫌う企業映画と同じ価値観に陥っていたのだ。「有名俳優が出れば出資が集るー客が来る」という安易な論理で、キャスティング。シナリオを無視して、俳優最優先で映画作りをしようとしたのだ。後輩は怒った。

「観客が感動する素敵な作品を作りたい。この町の人たちが感動。町の魅力が全国に広がる映画にしたい!」

なのに役場が邪魔する。ちなみに役場は一切出資はしていない。後援(要はがんばれーという姿勢のみ)するだけ。なのに、あれこれ口出し。主演俳優まで入れ替えようとしていた。そんな役場スタッフはこういう

「結局、監督は自分がよく知る俳優を使いたいだけだよ。Cさんで行くようにプロデュサーにも圧力かけておこう」

その話をあとで聞き、後輩は落胆した。彼はその町が大好きだった。なのに行政がそんなふうに汚い手を使って邪魔をする。だが、東京から連れて来たプロデュサーは役場側に付く。

「監督。Cさんで行った方がいいです。彼らの意向を受け入れた方が得。この町で映画作りがしやすくなります」

作品を無難に上げたいようだ。 映画界でもよくある話、何も知らないスポンサーがあれこれ言い出すのを製作会社はもみ手で応じてしまう。何でもいい。金を出してくれればいいという発想。多くの映画会社は素晴らしい作品を作ろうという思いは少ない。


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だが、餅屋は餅屋。他業種が口を出してよくなる訳がない。何より役場側が指摘する「監督がよく知っている俳優だから使いたい」は批判にならない。知っている俳優を使うことは、いい映画を作る上でとても大事なのだ。後輩は役場に対してこう宣言した。

「Cさんは役に合っていない。すでに決めた役者を降ろせというもおかしい。どうしても役者を変えというなら、監督を降りる。Cさんでは素晴らし作品はできない。ダメになるのが分かっていて続けることはできない。それは市民に対する裏切りだから」

そして、なぜ俳優のBさんがなぜいいのか?を延々と説明した。それを聞いた市民の多くが賛同。「監督の思う俳優で行くべきだ!」と声を上げてくれた。役場は何も言えなくなり、当初のBさんで撮影はスタート。映画は大ヒットした。多くの人が「感動した。泣けた!」と感想をくれた。何年かが経ち、当時を知る市民の1人はこういう。

「そういえば主演をCさんで!という話もあったけど、絶対にダメだったよね〜。今ではBさん以外考えられない〜」

役場のスタッフも悪い人たちではない。でも、キャスティング=シナリオを読んで俳優をイメージすることがどれだけ大変なことか?が分からず、安易に「**さんでも行けるよ」と判断。ゴリ押ししたのだ。映画作りの方法論は本当に分かり辛いが、一般の人はそれが分からなくても、あれこれ言い、映画を歪めることがある。

後輩監督のA君はそんな中でよくがんばった。僕なら大暴れしているだろう。だが、それを説明し、作品を守るのは監督の仕事。映画製作はなかなか理解されない。誤解。先入観で見る人も多い。後輩の話でそれを再確認した。

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監督業だけやっていては、映画を乗っ取られる? ん、どういうこと? [映画業界物語]

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プロデュサーの仕事というのは大きく分けて3つある。

1、企画を立てる。

2、原作者や監督を口説き、人気俳優と交渉。実質的に映画を進める。

3、製作費を集める(これが一番大事)。

そう考えると、これまで作った映画は僕自身が企画し、製作費を調達。スタッフを集め、ときには直接キャストも口説いてきた。誰かプロデュサーがいて、全製作費を集めてくれて「さ、監督しろ!」というラッキーな展開は一度もない。その意味では映画監督のスタート時点から僕はプロデュサーでもあった。

が、初期の頃はこう考えた。企画し、製作費のほとんどを集め、脚本、監督、編集まで全部1人でやっているので、さらにプロデュサーという肩書きまで着けるのはどうか? スピルバーグがプロデュサーを兼ねているのは皆知っているが、新人監督がPというのは気が引けて、その肩書きはクレジットしなかった。

それが失敗。あるとき、仕事を頼んだPがこっそりと関係者にこんなことをアピールしていた。「監督は若くて経験もないので、私が何とかしますよ。任せてください。私がプロデュサーですから!」さらに自分が製作費を集めて、太田を監督として起用したかのような言動を繰り返し。シナリオや編集にあれこれ口を出し、自分の趣味を押しつけ、僕の意図とは違う方向に進めようとしたのだ(それが多くのPの手法であることをのちに知った......)

僕は雇われ監督と思われ、関係者の一部は「Pのいうことを聞くのが、監督の仕事だ!」と言い出す始末、(例え雇われ監督であっても、映画の中身の責任者は監督である。Pがあれこれ決めるのは本来間違ったことなのだ)Pは暴走。作品を徹底的にねじ曲げられそうになった。おまけに経緯を知らない友人は「太田は映画を撮らせてもらってラッキー。Pに感謝しろ!」と言い出すし。ま、通常はPが企画し、製作費を集めて、監督を雇う。僕のように監督が製作費を集めてPを雇うなんてことはないので、勘違いするのも当然なのだが....

「肩書き」とか「ブランド」とか、昔から嫌いで、こだわらないようにしていたのだが、多くの人はそれにこだわり「社長」だから偉い「部長」だから凄い!という捉え方をすることを痛感。「P」だから「製作費を集めた人」「監督を雇った人」と思い込む。つまり、何もしなくても肩書きを持てば、多くの人が信用し、言うことを聞くのである。

いや、Pだけではない。映画というと、いろんな人が集まって来て、自分に決定権があるかのように振る舞い。利益に繋げようとする。そんなことで映画を歪められては困る。だからこそ、スピルバーグは「監督」だけでなく「プロデュサー」としてもクレジットするのだ。以降、僕も「プロデュサー」という肩書きを必ずクレジットするようにした。

今では「P」とクレジットされるのは僕だけにしている。Pという肩書きを着けるとなぜか?勘違いして「自分は偉い」「決定権がある」と暴走する人が多いからだ。だから、作品における最高責任者が誰であるか? 知ってもらうため僕1人にしたのだ。作品が不出来でも、赤字になっても、全て責任は僕にあるということなのだ。その責任を負わない者を「P」と呼ぶことはできない。

にも関わらず、今回の現場でも「太田は監督。Pは***さん」と思っていた人たちがいて、苦情をその人にぶつけていたらしい。確かに「プロデュサー」は1人だが「アソシエイト・プロデュサー」や「アシスタント・プロデュサー」という人はいる。が、業界を知っていれば「アソシエイト」というのは、会社間で使う「友達」という意味で、協力プロデュサーという意味。実質的な決定権はない。という立場。「アシスタント」はその意味の通りプロデュサーをアシスタントする役目だ。

シナリオにもしっかりと役職はクレジットされている。なのに、それを理解出来なかった人たちがいた。そのことを映画界に詳しい友人に話すと「え、太田さんはプロデュサーなんですか?」と言われた。彼が間違うのなら、カタギの人が勘違いするのは当然だろう。今回は大きな事件にはならなかったが、アソシエイト・プロデュサーには申し訳なかったし、その辺のことをしっかりと周知させることは大切だと感じた。

過去には「太田は監督」と思われ、僕の知らないところで宣伝会議が行われていて、そんな方向にしたら宣伝戦略はぶち壊し!みたいなこともあった。関係者は「監督は編集で忙しいから、こちらで進めよう」みたいな気遣いだったらしい。

が、監督として、Pとして宣伝戦略会議に参加するのは当然のことなのだ。映画作りは宣伝も含めて映画作りだ。そこに監督の思いが入ってなければ伝わらない。以前は立場を利用する人がいて困惑したが、今は別の意味でむずかしい問題も出て来ている。あまり肩書きをたくさん並べるのは好きではないが、それは大事なことなのかもしれないと最近は思えている。



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映画監督はどんな仕事をするのか?僕はなぜ毎回過労で倒れるのか? [映画業界物語]

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映画監督はどんな仕事をするのか?僕はなぜ毎回過労で倒れるのか?

映画監督というと一般的には撮影現場で怒っている人。偉そうにしている人という印象が強いだろう。それ以外の仕事というと何をしているのか?想像できる人は少ないかもしれない。そこで今回は実録・監督の仕事。そして太田組作品がなぜ低予算で商業映画並みの作品ができるか?を紹介。厳しい部分もあるが紹介する。

監督の多くはシナリオを自分では書かない。脚本家が書いたものに、あれこれ注文をつけて直してもらう。そしてキャスティング。シナリオを読み、どの役を誰に頼むか?決めて行く。連絡するのは演技事務かプロデュサー。自身で依頼はしない。次に演出プラン。それぞれのシーンをどう撮影するか?考える。これがもっとも大事。撮影まで何ヶ月も考え続ける。

それからロケハン。製作費部が探して来たロケ地候補を観に行き「ここはOK」「ここはダメ」と判断する。あとは撮影。ここまで監督がロケ地に行くのは挨拶、ロケハン、撮影の3回くらいだ。

そして編集だが、多くの場合は編集者が編集。繋がったところで監督が見て「このシーンはいらない」「ここは別テイク」とか言って直しを要求。そのあとが音入れ、音楽入れ。これも監督が指示する。こうして映画は完成する。


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さて、太田組の場合ーつまり僕の場合は少し違う。まず、シナリオ。脚本家が書くのではなく、僕自身が書く。もともと脚本家だからOKだ。次にキャスティング。実は書いているときから、ある程度実際の俳優をイメージして書く。「向日葵の丘」でいえば、常盤貴子さんや藤田朋子さんは本人をイメージして書いた。今回の「明日にかける橋」でも何人かは当て書きで本人の魅力が出るように書いてある。

といって、その俳優が出てくれるとは限らない。その場合。そしてイメージする俳優がない場合はキャスティング。希望する俳優を上げて、担当者が事務所に連絡。交渉してもらう。そしてロケハン。通常は制作部が探して来たものを監督は見るだけだが、僕は自分で探す。ロケ地を何ヶ月も歩きまわり、選ぶ。

製作部が探してくれると本当に楽なのに、なぜ監督自身で探すのか?理由のひとつは、そのことで製作部を雇う時期を遅くできる。早く雇うとそれだけ多くのギャラを払わなければならない。僕は制作部としてのギャラはもららわないので、人権費を削減できる。

それと、製作部は優秀なのでシナリオにピッタリのロケ地を見つける。が、ピッタリでなくてもいいのだ。より絵的な或はそこを舞台にすれば別の展開ができるロケ地があれば、それに決めてシナリオを直す。それは制作部にはできない作業。僕が脚本と監督とロケハンを兼ねているからできることなのだ。

そして演出プラン。これもロケ地を自分で探すからいち早く現場での演出を考えることができる。通常だとロケ地を監督が見られるのは撮影1ヶ月前。そこから俳優の動き等を考える。僕の場合は何ヶ月も前から考えることができる。これも大きなメリット。そんなことでロケ地には1年近く数十回通う。そのことで地元を知り、好きになる。だから、映画で地元の魅力を伝えることできる。

あと、通常の監督がしないこと。まず、シナリオ。初期段階では自分でプリントアウトして、製本屋に持ち込む。印刷屋に出せば1000円。自分で作れば500円ほど。500円安い。といっても僕が自宅のプリンターで印刷するので、かなり時間がかかる。50冊とか作るには3日ほどかかる。その後は印刷屋に出すが、毎回、100冊ほど手製のシナリオを作る。時間も労力も取られ大変だが、製作費削減になる。


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そしてスタッフへの連絡。通常はプロデュサーがやるが、毎回、僕はプロデュサーも兼ねる。だから自分で連絡。ロケハンをするたびに写真をスタッフに送る。撮影部、照明部、美術部、演出部と何人にも送る。そして途中経過報告をメール。1日がかりになることもある。本来ならプロデュサーかアシスタントの仕事。だが、僕自身がやることで、その種のスタッフを早い段階から雇わずに済み、人件費を払わずに済む。これも製作費削減に繋がる。

あと、地元との打ち合わせ。これも僕自身。本来はプロデュサーがやり、監督は東京で演出プランに専念するのだが、そうも行かない。通常、初期段階では地元にプロデュサー、脚本家、制作部、監督が行く。4人で行けば、4人分の交通費、宿泊費、食費が必要となる。が、全部僕がやっているので、経費は全て1人分しかかからない。ここでまた製作費削減。あと、市民俳優オーディション。これも通常の映画ではやらない。が、地元で映画への関心が高まるので毎回行なう。



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こんなふうに監督が4人分、5人分の仕事をすることで経費削減ができる。その上、ロケハンでいい場所が見つかればシナリオを書き直すこともできる。キャストをイメージして書くこともできる。仕事量は増えても便利なことも多い。ただ、4人分5人分働いてもギャラは1人分プラスaしかもらわない。

そんなふうに撮影直前まで僕が1人5役やることで、スタッフを雇うのは撮影1ヶ月前からで済む。その分、人件費が下がる。まともな形で映画を作ると最低でも1億円。それをより安く、それでいてクオリティを下げない作品を作るには、こんなやり方をするしかない。だから、映画が完成すると過労で倒れる。それ以前から医者には「休まないと過労死するよ!」と忠告される。でも毎回、遺作のつもり。でないと素敵な作品にはならない。


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そして映画にはトラブルがつきもの。雨が続いたり台風が来れば製作費は超過する。赤字を埋めるのは監督料。そのために完成したとき残るのは借金だけであることが多い。にも関わらず、毎回こう言う人がいる。

「監督は好きで映画を作っているんでしょう? だったら、ギャラはいらないよね?」

趣味で映画作りをしている訳ではない。だが、ロケした町の、地元の人にそう言われることがある。監督の仕事がどんなものなのか?理解してもらえないからだろう。

けど、地元の人が懸命に集めた寄付で作られる映画。その製作費を最大限に有効に使い、最高の作品を作るために、経費を徹底して節約することが大事。だから、僕は撮影までに5人分。撮影後は4人分(監督、編集、プロデュサー、宣伝)の仕事をする。監督が身を切って映画を作るからこそ、スタッフも通常以下のギャラでもがんばってくれる。さらに町の人たちの力を得て映画作りをすることで、低予算でも素晴らしい作品ができる。それが太田組のやり方なのだ。


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【明日にかける橋ースタッフィングとは何か?】 [映画業界物語]

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【明日にかける橋ースタッフィング! シナリオを送付】

キャスト集めのことをキャスティング。スタッフ集めをスタッフィングという。キャストも大事だが、スタッフも重要だ。カメラが回されば誰でもいい!ということではない。ピンぼけを出さないのは当然、技術だけでなくセンスが大事。撮影部と照明部は相性が大事。それぞれが別の主張をすると現場で大混乱になる。

演出部は全体の仕切りをするパート。監督にとって一番の味方となる立場(でも、一番の敵になることも!)僕のやり方を理解してくれる、ふところの広い存在でないと、揉める(僕と)制作部は皆が気持ちよく仕事が出来る環境を作る大切なパート。美術部は映画内の世界観を作ってくれる。あと様々なパートがある。

太田組では常連メンバーがいる。皆、本当に凄い連中で、業界の第1線で活躍している。毎回、僕の映画はは低予算だが、声をかけると喜んで来てくれる。僕の作品が毎回、評価されるのは彼ら彼女らのお陰だ。ただ、売れっ子なので、同じ時期に彼らのスケジュールが合うとは限らない。Aさんは夏OK。でも、Bさんは夏NGで、秋OKーとなると困る。

もし、常連のAさんが参加できなくなり、初めてのスタッフが来ると、いろいろ揉める。僕のやり方が理解できない。あれこれ古い価値観を振り回す。例え、いい奴でも慣れるまでに時間がかかる。太田組のやり方は独特だ。頻繁にトラブルが起こると作品クオリティが下がる。この辺は本当に難しい。

或はスタッフから「太田組でやりたいですけど、すでに依頼が....」といわれることがある。僕も辛い。が、彼らも辛い。本当に悔しいが、これは誰が悪い訳ではない。1年前から依頼はなかできない。そして気が合うスタッフはなかなかいない。気が合わないといい作品はできない。映画作りはむずかしい。そんな感じで、今回もどうにかスタッフは決まりつつある。残るはあと数人。ま、その数人がむずかしいのだが、、、

本来は会ってシナリオを渡すのだが、ギリギリまで別の仕事がある人もいるので、そのときは送付する。本日も4冊郵送。皆、夏の撮影を控え、すでに準備をスタート、町を知り、好きなるところが始めてくれている。夏期間に他の仕事を入れないようにして、僕が出した宿題DVDを見ている。メンバーは30人近い。この全員の生活と運命を監督は1ヶ月間。背負うことになる。




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[新月]出演してくれる俳優を探す=キャスティングとはどんな仕事なのか?[新月] [映画業界物語]

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[新月]出演してくれる俳優を探す=キャスティングとはどんな仕事なのか?[新月]

キャスティングを続けている。どんなことをするのか?説明したい。有名俳優の場合は事務所に依頼して、先方のスケジュールを聞き、OKならシナリオを読んでもらう。気に入ってくれれば、ギャラの相談。クリアーなら出演決定だ。そんな作業をキャスティングのスタッフが対応してくれる。監督は直で事務所と交渉しない。ギャラの額もなるべく聞かない。知っていると撮影現場で「この役者。高いギャラ取っているのによー!」とか思ってしまうからだ。

俳優事務所はよりいい仕事を選ぶために、他の依頼と比較する。より大きな企業の作品。よりギャラが高い作品を優先する。だが、ベテラン俳優になるとギャラより、やりたい役を選ぶ人もいる。事務所が反対しても「出たい!」と言ってくれる。そのやり取りもあるので、また時間がかかる。「来週、返事します」と言っていてもなかなか連絡がないことが多い。それが出演交渉である。

有名でない俳優の場合。僕がよく知る人なら「***役は***さんがいいなあ」と考えて、その俳優の事務所に連絡する。でも、以前にも書いたが、順番があり、A子の役が決まらないとB子役を依頼できないということもある。或はA子役。イメージとかなり違う人を起用した場合。B子のイメージも変える必要も出て来る。当初、僕が「B子は***だ!」と思っていても、A子役俳優と似ているなら、B子役は残念だが別の俳優にせねばならない。或は予算の関係。大物俳優が決まり高額のギャラを払うので、B子役を依頼する余裕がなくなることもある。

だから、A子より先にB子役を依頼するとマズいことになる可能性がある。依頼しておいて「役がなくなりました」「イメージが変わったので降りてほしい」では済まない。そんなことで、ひとつの役が決まらないことで、他のキャスティングも全て止まってしまう。今回はまさにそれ! 参っている。

また、先方がシナリオを気に入り「出たい!」と言ってくれても、スケジュールが合わず、出演してもらえない場合もある。では、先方のスケジュールに合わせるとどうなるか? その場合はスタッフで都合が合わない人が出て来たりする。あと、物語の季節感が変わってしまうとか。延期できないことが多い。さらに、他のキャストで出演できない人たちが出て来る。もう、ルービックキューブの6面を同時に合わせるような作業。ひとつの面を合わせると他が壊れる.....それが映画のキャスティングなのだ。

本当に出てほしい俳優に出てもらえなくて、セカンドベストの俳優を起用せねばならないこともある。いや、サードベスト。フォーズベストということもある。だが、それでも「この俳優いいなあー。当初予定していた人よりうまいかも?」ということもある。そんなことが何度かあった。予定していた俳優が直前に断って来てパニックになったことがあるが、慌てて選んだ俳優が抜群によくて、あとで「あの人、辞めてくれてよかったー」ということもあった。ベストがベストとは限らない。

キャスティングは知名度やキャリアだけではない。キャラや演技力だけでもない。俳優と監督の相性もある。監督が好きになれない俳優とはうまく行かない「でも、仲良く仕事することも大事」と言われそうだが、監督は観客の代表的な存在。監督が好き慣れない俳優は観客も魅力を感じない。また、魅力ある俳優は男でも女でも、撮影中にスタッフは皆、その人のファンになり、大好きな俳優となる。最後まで嫌われている人は世間で一時的に人気が出ても、すぐに消えて行く。

キャスティングは出会い。運命の人とのめぐり逢いのようなものだ。時間も忍耐も必要で、神経をすり減らすが「えーい、この人でいいや!」と妥協せず、戦い続けることが大事。でも、撮影期間が近づくとやはり焦る。時間が経つほどに選択肢は減る。胃がキリキリ痛む。吐き気が止まらなくなることもある。それに耐えて向かい合う戦いである。




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【地方映画なのになぜ、方言が使われないことが多いのか?ーその疑問を解説】 [映画業界物語]

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「監督、映画の中で主人公が駅前の道をまっすぐ歩いて市役所に行きますが、あの道じゃ行けませんよ。嘘を描いちゃダメですよ」

この意見にはビックリ。こう説明した。映画の中の位置関係は実際とは違う。実際に市役所に行く道を撮影すると絵的に美しくない。だから、別の道で撮影。また「あんな早く駅には着きませんよ」と言う方もいるが、実際に30分かかるからと、30分かけて描いていては大変だし、わざわざ30分かかったという表現をすることが物語に意味がなければ描かない。そんな部分が多いほどに映画は退屈になるからだ。

観客にすれば映画を観て「この道を行けば市役所に行けるんだ」というふうには考えないし、実際の道より、物語に相応しい絵になる道の方が映画に入り込むことができる。このことは多くの方がすでにご存知かと思うが、実際に自分の町で撮影された映画を観て初めて気付くことも多い。同じことが「言葉=方言」にも言える。ロケ地の方からこう言われることがある。

「私たちは**弁を使っているから、映画でも当然、俳優さんは**弁で台詞を話すんですよね?」

これも自分の町で撮影がないと気付かないこと。でも、テレビドラマでも、地方が舞台でも登場人物は方言ではなく標準語で話すことが多い。もちろん、その地方の言葉が使われる作品もあるが、何が違うのだろうか?


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①俳優が演じるというのはもの凄い神経を使う。表情。動き。姿勢。歩き方。手の動かし方。その全てを計算する。その上に方言で話せと言われると、演技か?方言か?どちらかが疎かになる。どんなベテラン俳優だって、そう簡単に方言はマスターできない。そのことにエネルギーを使うなら、より素晴らしい演技をしてもらう方がプラス。

②方言を使うことのメリットは何か?地元の人はいう。「だって、私たちは方言使ってるんだから映画でも使うのが当然だ」でも、俳優たちがどんなに練習しても地元の人には「イントネーションが違うのよね〜」と批判される。方言はそんな簡単なものじゃない。それに他県の人からは「方言だから何言ってるか分からないんだよね〜」と不満がでる。方言を使っても誰も喜ばない。むしろ、マイナスが多い。だから、多くのドラマはどの地方が舞台でも登場人物は標準語で話す。

③では、なぜ、方言を使う映画があるのか? これは地元に根ざした物語である場合だ。例えば「仁義なき戦い」は広島が舞台。そこに大阪の巨大暴力団が攻めて来る抗争ドラマ。これは実話であり、広島ヤクザは巨大組織を追い返している。その熱い戦いを描くのには広島弁が効果的だった。(それでも広島の友人は「あの広島弁はおかしい。ヘタ!」と批判していた)

或は「横山やすし物語」という映画が作られたとして、やすし役を標準語でやっては台無しだ。関西弁のキャラとして認知されている漫才師が標準語で話すのはあり得ない。当然、彼のまわりの登場人物も関西弁でなければならない。でも、これが琉球時代の沖縄が舞台だと違う。実在の人物だとしても、沖縄の、それも当時の言葉で話すと多くの人が理解できない。

だが、「仁義」と同じ広島を舞台にした大林宣彦監督の「尾道シリーズ」は全て標準語(1人だけ尾道弁を話すキャラはいたが、メインキャラは全員標準語)なぜ、尾道弁ではないか? 方言だと観客に台詞が伝わりにくいからだ。それにこのシリーズで重要なのは「尾道ではこんな方言で話していますよ」ということではなく、青春映画。その舞台が尾道。方言が重要なキーである映画ではない。さらにテーマがあるのだが、それはあとで説明する。

④「スターウォーズ」のダースベーダーは英語で話す。遥か銀河の彼方の地球とは関係のない星の住人がなぜ英語なのか? 「クレオパトラ」や「ベンハー」という古代ローマを舞台にした映画も英語だ。当時の言葉を使わない。これも同じ背景。わざわざ宇宙語を作ってダースベーダーに話させるのはリアルだが、観客がそれで喜ぶか? ラテン語でクレオパトラが話しても意味がない。俳優が大変。観客も字幕スーパーが必要。それと日本映画で標準語を多様するのも同じ背景なのだ。


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僕はよく「PR映画にしてはいけない」という「この町の大根は最高だ!」というような台詞は書かない。それを映画館で他県の観客が見ると自我自賛にしか見えない「あーPR映画ね?失敗したなあ〜」で終わり。でも、地元の方にとっては「せっかくの映画なのだから、地元大根を宣伝したい!」という思いが強い「観客が映画を観たらどう思うか?」という発想を失い、地元から外部への一方通行の視点になりがち。位置関係や方言も同じ。「市役所はこの道じゃない」「**弁でいつも話している」というのは当然のことなのだから、当然、映画でもその通り描かれると思ってしまう。

しかし、それらを描くことで映画館の観客が喜ぶかというと、むしろマイナス。映画の中で市役所に行く道をリアルで描くこと。俳優が苦労して方言を話しても、映画館に来た観客を困らすだけで、何らプラスはない。町の記録のためだけのドラマなら方言の方がいいが、日本中の人に見せるというのが目的なら、観客がより観やすい形をとることが大事だ。

僕は師匠でもある大林監督の方法論を使う。というのも彼の映画を観て気付いたことがあるからだ。「時をかける少女」でも「転校生」でも尾道が舞台なのに、映画を観ている内に「これは僕の古里の物語だ」と感じた。尾道の物語ではなく、僕の記憶の中にある古里のイメージ。原田知世演じるヒロインが自分の初恋の人とダブった。


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が、もし、これが尾道弁だったら、あくまでも尾道の物語であり、他人の他県の物語になっただろう。標準語だからこそ、共感できた。僕と同じように思った人は多いはず。だから多くの人がロケ地巡りに行きたくなった。尾道が「心の古里」になったからだ。

僕も同じ表現で町を描く。地元の方言を使わず。標準語で台詞を書く。ハリウッド映画が世界で見られるのは英語という国際語を使うからだ。日本で多くの人に観てもらうには標準語を使うことが大事。観客が求めるものはまず感動物語であり、聞き取りやすい台詞。「俺たちはこんな言葉を使ってる」と言うことが映画のテーマではない。「観てもらう」という姿勢が大事。そこにその町ならではの美しい風景が背景になる町の人たちが出演することで十分町らしさは伝わる。

そして、大林映画のような表現なら「これは僕の町だ。心の古里だ!」と感じてくれて、その町に行きたくなる。町を好きになる。これまで撮ったどの町も同じ思いで撮り「この町は僕の古里」と思って取り組んだ。結果、多くの観客が「素敵な町ですね!」と言ってくれた。最新作もそんな声を期待してがんばる。




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映画監督業って、やっぱり理解され辛いー。いろんな質問や連絡が来ても返事できない理由 [映画業界物語]

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夏撮影予定で準備を進めている。やることリストを上げてみる。

①キャスティング 
②スタッフィング 
③地元ロケハン 
④地元市民オーディション 
⑤地元説明会 
⑥シナリオ直し 
⑦予算組 
⑧撮影スケジュール作成 
⑨音楽打ち合わせ 
⑩生活のための仕事
⑪1989年の勉強 
⑫映画情報をTwitter、Facebook、ブログで発信 
⑫スタッフと打ち合わせ 
⑬スタッフ用資料作成 
⑭地元勉強 
⑮業界関係者にご挨拶 
⑯スタッフのスケジュール調整 
⑰映画の参考DVD視聴 
⑱キャスティングのためのDVD視聴 
⑲税理士依頼
⑳映画宣伝(ラジオ、ネット等)

これを全部同時に進めている。通常は7人分の仕事。それを1人でやっている。あと6人雇えば、僕は監督業だけをやれば済み、かなり楽になるのだが、そのために多くの人件費が必要。製作費もかなり高騰する。それを節約するために僕が7人分の仕事をしている。最終的にもらえるのはせいぜい1.5人分くらいだが...誰かがやらねば、低予算で感動を伝える映画は作れない。

朝起きてから寝るまで作業する。何日かけても終わらない。これらとは別に次々に問題が起こる。スタッフのスケジュールが合わなくなるとか、相談を受ける。調整する。文句が来る。注文が来る。誤解が起こる。勘違いが進む。それらを解決するために話合う、メールを出すためにまた時間を食う。

もう、本当に時間がなく世間の流れを知るためのニュース番組を見る余裕もない。あれほど毎日チェックしていた森友学園問題も次第に分からなくなる。家計学園問題はもう??? 食事も仕事をしながら、片手で食べられるもの。地元と東京を2週置きに往復。バスや電車での長時間移動はかなり疲れる。おまけに生活のための仕事をしている。家賃を払い、食事を取るための生活費を稼がねばならない。


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だからもう、この段階でオーバーロード状態。そこにFacebookやメールであれこれ質問や売り込みが来る。先にも書いたが「公開が楽しみです」とか!「公開ところか、撮影に入ることができるかどうか?!分からないで努力している状態なのでイライラ。「大阪では公開しますか?」と質問が来る。これも先と同じ。この段階で訊いてくれるな。俳優からの売り込みも来る。キャスティングは「依頼」と「オーディション」で対応。1人1人に返事はできない。

こんなのもある。「監督は静岡で4本目の映画ですが、静岡へのこだわりがあるのですか?」ーこれは忙しい忙しくないに関わらず、返答できない。かなり前にその説明を書き、ご理解頂き、その手の質問は来なくなったが、月日が経ち、その辺の事情を知らない方が増えて来たのだ。悪意はないのだが、映画監督という仕事が分からない、誤解してるからだ。

例えばFacebookをやっている医者に「なぜ、胃腸科の医師になったのですか?」とは訊かないだろう。公務員の人に「なぜ、市役所で働くのですか?」と聞くだろうか? それに答えるには時間も労力もかかる。それを会ったこともない方が訊いて来る理由が分からない。

映画監督も同じ。マスコミ・インタビューでその手のことを語るが、それは仕事だ。映画の宣伝のために話す。それをお1人お1人に時間を割いてお答えする余裕はない。だから、仕事に関しても、プライベートに関しても1人1人の質問には答えない姿勢を取らせてもらっている。


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そう書くと「失望した!」「監督はいい人だと思ったのに!」「もう応援しない!」そう批判された。或いは「答えるくらい5分でできるでしょう?」と言ってくる人もいたが、10人から質問が来たら50分取られてしまう。仕事以外に1時間。パソコンに向かうことになる。1人に答えると別の人からも質問が来る。ある時期は1日に何十人からもコメントが来た。1人に答えて他に応えないとあとの人たちが、

「不公平だ!」「差別だ!」「酷い」

といってくる。でも、それはおかしい。そもそもメール1本でコメント一行で、親しくない人に何かを頼むのは、違う。そしてFacebook友達はあくまでもFacebook友達。本当の友達とは違うことが認識できない人も多くいるということだろう。そして、映画製作中は実際の友達でも返事が返せないことが多い。多くのメールが来るので、連絡に気付かないこともある。けど、みんな、僕の状態を知っているので分かってくれる。

最近はFacebookでもその手の質問はなく、ありがたかったが、新作映画を発表。多くの人が関心を持ってくれているせいか?その手のコメントやメッセージがまた増えて来た。そこで改めて現状を説明させてもらった。ご理解頂きたい。僕の近況や映画の進展はこのFacebookで逐一紹介している。そちらを読んで頂きたい。


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