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地元映画は映画館公開前から、故郷アピールがスタートする! [映画製作あれこれ]

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近年、「映画による町おこし」がブームだ。「明日にかける橋」もそんな1本。まだ、全国公開はされていないが、すでにその効果は発揮しつつある。まず、昨年の春に制作発表が行われた。多くの映画サイトが記事にしてくれた。「静岡県の袋井市、磐田市、森町が舞台となる太田監督の新作」と全国に配信。それを日本中にいる映画ファンが読む。製作発表するだけでも、街の名前がネットで発信されるのだ。

実際、東京の知人からも「新作映画を撮るんだって? ロケは静岡県の袋・・袋井だっけ?」と言われ驚いた。やはりネットの力はすごい。次に市民オーディションを行った。静岡県内から多くの応募があったが、県外からもかなりな応募。その全員がオーディションのために、地元を訪れた。同じ静岡県人でも、かつて袋井にも、磐田にも、森にも行ったことがない!という人もいた。オーディションがあったことで、町を初体験!

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他県からの応募者はこういう。「行ったことがないどころか、袋井なんて街の名前はかつて聞いたことがない。映画のオーディションがなければ一生行くことはなかった」でも、その人は市内に素敵なお寺があると知り、帰りに観光をし、団子を食べて帰ったという。さらに撮影が始まると、ボランティア・スタッフの人たちが全国からやって来た。僕が映画を撮ると毎回、泊りがけで応援に来てくれる方々だ。

彼らは自腹で宿泊、撮影のお手伝い。袋井や磐田、そして森という街を体験した。地元の人と交流。「街の人たちはとても親切だった。素敵な神社もあって今度は観光で来たい!」と言ってくれ、それぞれのブログに撮影日記を書いてくれた。それをまた多くの人が読む。映画がなければ町の存在さえ知らなかった人たちが、映画完成前から数多くやって来たのである。応援団ばかりではない。出演した俳優たちも何週間も街に滞在、地元の食材を食べ、地元の人たちと触れ合い、休みの日には買い物や街の散策にでかける。

俳優の1人は地元で食べたある果実に感動。それを多くの人に伝えたという。俳優たちはテレビ番組やラジオ番組に出る。トーク番組で地元体験の話をする。ブログやインスタグラムに投稿。地元で体験した出来事や食べたものを紹介する。それは物凄く大きな宣伝。何万人、何十万人という人に伝わる。同じ効果を通常の宣伝でやろうとすると、何百万。数千万円が必要。つまりそれだけの対費用効果がすでにあったわけだ。


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映画がまだ公開されていない段階でも、こんなふうに街のアピールが進んでいる。これが映画が公開されたたら?もっと大きな展開が起きてくるのである。ただ、勘違いしてはいけないのは、NHKの大河ドラマではないので、公開即に大反響ということではない。テレビは放送されれば視聴率が低くても多くの人が見る。が、映画は大ヒットしなければ、つまり多くの人が見てくれなければアピールはできない。

以前に「町おこし映画を作ったけど何の効果もなかった....」と悔しそうに言う人と会っことがあるが、聞くと中身は物語そっちのけの地元PR映画。地元以外の上映は東京でひっそりとレイトショーのみ。全国では見た人はいないという作品だった。地元映画は作っただけではダメ。ちゃんと全国で、それも宣伝した上で上映しなければ、見に来るのは地元関係者だけになってしまう。

しっかりと映画をアピールすれば、雑誌、新聞、ネットの映画紹介コーナーも情報を伝える。「静岡県の袋井、磐田、森という街で撮られた映画があること」そして映画館に足を運び、観た人たちは街の魅力を感じてくれる。「クライマックスの舞台になるあの寺。いつか行ってみたい!」「あの花火大会。今年行ってみよう」「ロケ地巡り。したいなあ〜」と思ってくれるのだ。

そんなふうに思ってもらうこと。新聞広告や駅貼りのポスターではできない。新聞だって全面広告を何度か出せば、低予算の映画が1本できる巨額になる。なのに新聞はスチール写真しか掲載できない。対して映画は物語があり、美しい映像と音楽で街を伝えるから「この街に行ってみたい〜」となるのだ。映画の力は大きい。こうなると次のステップは宣伝。その話は別の機会に詳しく書かせてもらう。


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Facebookの活用法ー宣伝等で利用すれば効果あり! [映画製作あれこれ]

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先日、こんな話を聞いた。「監督、最近はFacebookやってないんですか? 全然、記事が流れて来ないですよ」んーーーーそういうことね? この記事を読んでいる方はもうご理解頂いたと思うが、僕は毎日「明日にかける橋」関係の記事を2−3書き、過去の記事のシェアを4−5している。それを毎日くり返しているので、1週間毎日Facebookを見ていればどこかで僕の記事を見かけるはずだ。

にも関わらず見かけない?なぜか? それはFacebookの機能によるもの。例えば僕は「友達」が3163人いる。ということは僕が記事をアップすれば、その3163人が読んでくれるのか?ーNo。そうではない。読んでもらう以前に「友達」の何割にしか僕の記事は届かない。逆にいうともし、その全て「「友達」の記事が僕のタイムラインに流れて来たら、大変なことになる。そこでFacebook側はある設定をしている。自分が読んだ記事に「いいね」を押す。「シェア」する。コメントを書き込んだ人の記事は、次から優先的にタイムラインに流れる。

逆に何もしないと、その「友達」の記事は次第にタイムラインに流れなくなってくる。そうして大量の記事が流れて混乱するのを抑制。そして「いいね」を押す。コメントを書くと、その記事がタイムラインの上の方に上がる。また多くの人の目に触れる。つまり、Facebookというのは努力を強いるメディアなのだ。

「いいね」「シェア」「コメント」をもらえば、より多くの人が読む機会を持てる。多くの人が読んでくれれば「友達」申請も増える。そうやって友達獲得競争を煽る設定がなされている。その先にいろいろ問題があり、以前にそれは指摘したが、今回は別の話だ。では、そんな設定であるFacebookをどう活用すればいいか? 僕の記事を読みたいのに流れて来ないという人の多くは、記事は読むが「いいね」を押さない場合が多い。だから、Facebook側が「興味なし」と判断。記事をその人のタイムラインに流さないようにする。

つまり、読みたい人の記事にはなるべく「いいね」を押すと流れて来るということだ。でもまた「いいね」を押さないと、流れて来なくなる。この設定はうまく活用できる。例えば僕は今「明日にかける橋」完成披露試写会のキャンペーン中。多くの人に見てほしくて告知を毎日している。上映会の日時場所。いろんなことを伝える。が、それだけではダメ。こんなこともしている。

地元実行委員会の皆さんの記事で「明日に」のことを書いている人がいれば、必ず「いいね」を押す。シェアをする。そうすれば僕のタイムラインで、その人の記事が頻繁に流れて来る。次もシェアする機会が持てる。同時に、その人の記事がタイムラインで少し上がり、他の人にも読んでもらえるチャンスが増える。一挙両得だ。コメントをするのも効果的で、タイムラインで「いいね」を押すより上に上がる。どうも「いいね」はあまり効果がないと思えるのだが「いいね」を毎回押すとその人の記事が頻繁に自分のタイムラインに流れて来るようになる。

そんなふうにFacebookの設定、機能を知ると告知や宣伝に非常に有効となる。Facebookに使われている人が多いが、ぜひ、活用してビジネス等に生かしてほしい。


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映画上映を成功させる方法?! ネットでは客は呼べない? [映画製作あれこれ]

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映画上映会。よくポスターを街角に貼るが、ただ貼っただけでは意味がない。なぜなら、多くの人はそれが映画のポスターであることを気付かないから。「演劇? イベント? 商品の宣伝」と思う。テレビでCMが流れるのを見た上で、ポスターを見れば「あーあの映画。この町でも上映するんだ」とそこで初めて感じてくれる。

もし、その映画を知っている人でも「ああ、上映会が近いんだな」と思って、すぐに忘れてしまう。なのに関係者は「ポスターを貼ったからもう大丈夫!」と安心する。その手のポスターには上映会場がどこで、いつ上映か?書かれていない。なのに「ポスター貼った。はい。終わり!」と思ってしまう。自身が会場も日時も知っているので、他の人たちも分かっていると勘違いするのだ。

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そんなことで大惨敗した上映会がいくつもある。そこでいい方法をお伝えする。簡単で安くできる方法。映画の上映日、会場が書かれた紙をポスターの下に貼るのだ。パソコン印刷でもいいが、手書きが目を引く。ただ、これだけのことで多くの人が「おー来週上映会か〜」「*月*日だな」「チケット買わないと」と思ってくれる。

今回の「明日にかける橋」も先日の秋撮影で地元を訪れて、いくつかポスターを見かけたが、いずれも会場、日時の記載はないものだった。ロケで協力してもらったお店にはポスターもなく、上映されることもご存知なかった。心配になり、実行委員会の方々にそのことをお伝えしたので、今は対応してくれているはずだ。

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「今はネットの時代」と言われ、ネットでHPを作った方が効果的と思うかもしれない。が、それは違う。ネットは映画の存在を知っている人がアクセスするもの。知らない人はHPを見ない。でも、アナログな壁貼りポスターはその前を通る人の目に入る。映画の存在を伝える。HPはそのあとでしか見ない。

そんなふうにポスター+張り紙はとても有効。この方法で湖西市で撮影した「朝日のあたる家」の地元完成披露試写会は大盛況。2日で3000人が来てくれた。「明日にかける橋」完成披露試写会も盛り上げて行きたい。

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無名監督ではいけない「有名になることは大事」という有名女優さんの言葉? [映画製作あれこれ]

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俳優になりたい! 歌手になりたい! 映画監督になりたい!という多くの若者は同時に「有名になりたい!」という思いを抱いている。若い頃に僕のまわりにいた友人たちも皆そうだった。が、僕はなぜか?そんな思いがほとんどなかった。映画監督にはなりたいーというより映画を作りたい。でも、有名になりたいとか、テレビに出たいとかほとんど考えていなかった。

「有名になりたい!」というのは、通常、自分をバカにして来た奴を見返してやる!とか、俺の本当に力を見せつけてやる!とか、リベンジ的な意味合いを持つ。親から認められないとか、友達がいない、バカにされる。そんな環境にいる若者がそんな思いを抱く。或は有名になれば、チヤホヤされるとか、注目される「モテるようになる♡」という思いもあるだろう。人には金がほしい、物がほしいというのと同じように、認知されたい欲求もあるので、それの強い人は有名になりたいという思いも強い。

どうも、僕はその辺の欲求に欠けているのか? 舞台裏の仕事が合っていて、ステージに立って拍手を受けたい、有名になりたいという思いがほとんどなかった。が、映画監督業というのは裏方でありながら、ある意味で俳優と同じように表舞台にも立たなければならない仕事。嫌でも人前に出るし、マスコミの取材も受ける。テレビにはあまり出たことはないが、多少は知られた存在になる。

それは仕事柄なので、それ以上のことは必要ないと考えていた。そんなあるとき、仕事でご一緒した国民的俳優にお会いした。彼女はとても有名でどの町に行っても、たいていの人は知っている。NHKの朝ドラマ、ゴールデンの超寿命番組と、国民的な番組にも出ており、顔を見たら多くの人が「あーー」という女優さんだ。

彼女は僕より若いがときどき説教される。「太田さん。それは違いますよ」と姉のように諭される。文句が多い僕だが、いつも納得する説教なのでおとなしく聞く。あるとき、僕が「有名になんてならなくてもいい。映画がヒットしてくれれば、それでいい」という話をしたら、言われた!

「太田さん。それは違いますよ。有名になれば、いろんな仕事依頼が来ます。自分がやりたい仕事を選べるようになるんです。有名になることは大切ですよ」

それから、いろいろ考えて、痛感することがあった。例えば映画の宣伝。僕の作品は何億円もかけてCMをバンバン流す映画ではない。が、宣伝することで多くの人に見てほしい。そんなとき自分に知名度があればいろんな宣伝ができる。有名ならテレビ番組で番宣。でも、無名の監督は余程のことがないと呼ばれない。

有名なら多額の宣伝費を使わなくても「あの有名監督の新作」というだけで観客にアピールする。知名度があるとは、そういうことなのだ。京都の町は知名度が高い。だから、宣伝しなくても観光客が殺到する。名もなき町は宣伝しても客が来ない。だから、観光収入を期待する多くの町は四苦八苦している。同じだ。無名監督が新作を撮ってもマスコミは大々的に取り上げない。スタンリー・キューブリックは新作を撮ると「ニュース番組」で紹介された。

そんな有名効果をうまく使っていたのが伊丹十三監督だ。もともと俳優だし。ヒッチコックもそうだ。監督の名前で客を呼ぶ。そのために彼が予告篇にも登場する。伊丹監督はそれを学んでいた。そう考えたとき、姉さん(?)のいうことは正しいと思えた。が、まあ、簡単に有名にはなれないので、難しいのだが、ここでも「知ってもらうこと」「知名度」の大切さが分かってもらえるはず。

知ってもらう大切さ。3回続けて書いてみた。ビジネス、観光、販売に関わらず全ての基本であるにも関わらず、意外と深く考える機会がないことなので分かりやすく説明しようと記事にしてみた。



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「映画なんて宣伝効果はないんだよ!」と言うある地方の人。その言葉の裏から見えて来るもの?ー情報を鵜呑みにしては現実は見えない? [映画製作あれこれ]

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何年か前、ある町から映画による町興しについて相談されたことがある。現地を訪ね、映画によるPR効果や意義を説明させてもらった。ら、ある人がこんなことを言い出した。「映画でPRしようとした町のいくつかに連絡して聞いてみたんだけど、観光客は全く増えなかったってさー。映画なんて効果ないんだよあな」

んーーーその言葉だけで、彼はいくつもの誤解と思い違いをしていることが分かる。まず、映画のPR効果は大きい。最近の例でいえば、昨年の映画「君の名は」はアニメ映画にも関わらずモデルとなった町に聖地巡礼といって、映画を見た多くの人が訪れた。また「シンゴジラ」の劇中でゴジラが壊す東京駅内のホテル。予約がいっぱいという状態が続いた。ホテルに聞いてみると「ゴジラが壊した棟に泊まりたいというお客さんが多くて」とのことだった。

これは実際に効果があったということ。その当時もすでに大林宣彦監督作で尾道以外の町もアピールしていたし、山田洋次監督の時代劇ロケ地も観光地として盛況。その種の話はあれこれあったし、何より「聖地巡礼」なんて言葉が生まれたくらい。それが全てを物語っている。先の方はその辺の事情もご存知なく「効果なし」という話を信じてしまったようだ。

では「観光客が来ないと言われた」という彼の聞いた情報は間違いか? いや、間違いではない。検証してみる。情報というのは情報そのものを安易に信じてはいけない。誰が、いつ、どのような立場で発言したか? また、発言者の背景、考え方、職業によって情報は歪められたり、誇張されたりもする。友人であっても、安易に情報を鵜呑みにするのは危険。先の情報を精査してみよう。

今、全国各地で町興し映画は作られている。しかし、その多くは東京で上映されることなく、地元上映だけで終わる。というのも、かなりな低予算で製作。僕が何度もくり返し記事で書いているが、故郷の自画自賛物語であることが多い。そのために東京の映画館が上映してくれない。客が入らないと判断されるからだ。有名俳優が出ていればまだ興味を持つがそれもない。だから、上映されてもレイトショー。1週間。1日1回上映程度。都内の地元関係者が来るだけ。これでは宣伝効果がないのも当然。その映画を見た人がロケ地を訪れる以前に、映画館に来てくれないのだ。

おまけに地元の人たちは映画が完成すると「おー出来た!出来た!」と散開してしまう。東京で上映が決まっても宣伝をしない。宣伝費をどうするか?も考えてないことが多い。あとは映画館が上映して宣伝してくれると思い込む。そんな訳がなく、それ以前に映画館が上映を嫌がり、関係者が頼み込んで都内の小さな映画館で上映してもらうことになる。

でも、宣伝費はない。映画が上映されることを多くの人に伝えられない。結局、都内の地元関係者しか見に来ないー惨敗。東京以外はまず上映されない。全国の人が見る機会がない。当然、観光客が来る訳がない。そんな映画の関係者が「映画にPR効果がない」と言った可能性もある。それは映画が問題ではなく、その人たちのやり方が間違っていたということ。

そして「情報」は聞いた相手は誰か?が重要だ。自画自賛映画を作った関係者が自らの間違いに気付かず「何で観光客が来ないんだよ!」と反省も分析もない人であれば意味がない。或は、映画に関係していない人が「観光PRになるから映画撮ろうと言っていた奴らがいるけど、相変わらず客来ねえよなー」という傍観者の無責任な発言かも。そんな人たちからの情報をもとに、ものごとを判断していては現実は見えて来ない。

別の例を上げれば「100円ショップがブームだ。儲かると聞いたから始めたが全然ダメ。100円ショップは儲からない!」というのと同じ。店を出した場所。宣伝の仕方。店員の対応等、いろんな失敗要素があるはずなのに反省せずに「100円ショップはダメ」と結論付けるのと同じ。

つまり「君の名は」「シンゴジラ」が大きな宣伝効果を発揮したのは全国公開で多くの観客が見たから、映画自体が素晴らしかったからこそ、映画を見たあと現地に行ってみたくなったのである。自画自賛の「うちの町はこんなに素晴らしいんだぜ!」とPRする映画を作っても、観客が内容に感動できない。さらに全国の映画館で上映されない。宣伝もしない。だから「効果がなかった」と思い込んだのが、たぶん真相だろう。

では、本当に素敵な映画を作ればアピールするのか? というとそんな簡単なものではない。先にも説明したが宣伝費も大事。「シンゴジラ」等は当然、莫大な額の宣伝費を費やしている。それがあるので全国の映画館で上映されるという現実もある。つまり、映画を作るだけでなく、ある程度の宣伝をせねば映画自体を見てもらえないということ。企業映画レベルの宣伝費でなくても、効果は上がる。それらを無視して単に映画だけ作って「映画にPR効果がない!」という人たちの話を鵜呑みにしたのが、先の方だと思える。

小さな映画でもさまざまな効果がある。映画を作れば多くのメディアが取り上げ、全国に紹介してくれる。テレビ、新聞、雑誌、ネット。皆、タダで紹介してくれる。宣伝費払えなんて言われない。「***県ロケのこの映画は」と記事になる。俳優が番組やブログで地元のことを話してくれる。その対費用効果ー「本来は払うべき広告費を支払った場合はいくらか?」を試算したものだが、僕の映画レベルでも試算すると毎回1億円近くなる。

例えば5千万円で映画を作ったとして、その2倍の1億円分の宣伝効果があったことになる。もし、地元がその5千万円を新聞広告に投じていたら、都内版に数回大きな広告を掲載しておしまいという額。それが映画なら長期に渡り2倍以上の金額となり効果を上げる。

それだけではない。僕が一番大事にしている点だが、地元の人たちが地元の素晴らしさを再発見する機会にもなる。お金に換算できないメリットがたくさんある。今回のまとめはこれ。聞きかじった不正確な情報で、ものごとを判断してはいけない。やり方を考えれば僅かな予算でも、かなり大きな効果。思いがけない成果を上げることはできる。まずは正確な状況把握。その中で自分たちの出来ることを考えることが大切ではないか?



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映画作りと料理は似ている?② 映画制作とカレーライス作り? [映画製作あれこれ]

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昨日の記事が好評だったので、映画作りと料理の共通点を具体的に上げてみる。まず、料理は何を作るか?決める。例えばカレーライス。それもインド風ではなく和風カレー。映画も同じ最初は何を作るか?決める。青春もの。それも女子高生の部活ドラマ。

次に料理ならレシピが必要。お料理ガイドを参考にするか、或は自己流でやる。映画はシナリオ。原作ものを探し脚色するか?自分でシナリオを書く。その次は材料選び。カレーライスなら人参、タマネギ、ジャガイモ、肉。豚肉か牛肉か?鳥もありだな。いや、肉なしも可能。隠し味でリンゴも入れるか? 映画ならキャスティング。主演は誰? 共演者は? ライバルの生徒は? 先生役は?

この材料選びとキャスティングは大きい。どんな名シェフでも、巨匠の監督でもダメなものを良くはできない。腐った魚をおいしく料理はできない。下手な役者は演技派としては使えない。まずいジャガイモを多少は美味しくすることは出来ても、超美味しいは無理。映画も料理もそこが大事。そして映画も料理もおいしい素材ばかりを集めてもダメ。イチゴが好きーと思ってもカレーには合わない。でも、同じ果物でもリンゴならOK。キャストも同じ。Aさん名優。Bさんベテラン。でも、2人が共演するとダメということがある。

そして料理。材料を切り、鍋にいれる。火の加減を気にしながらカレーの具を炊き込む。映画は撮影。俳優たちが演じてくれるのをカメラで撮る。最後は盛りつけ。カレーライスもトンカツを乗せてカツカレーとか、生卵の黄身を乗せる手もあり。お皿やごはんとの比率も大事。映画は編集。映像をつなぎ、音楽を入れる。どちらも良い素材をよりよくする作業。似ることで美味しくなる野菜。アクションをさせることで輝く俳優。それぞれに合った演出、料理が必要なのだ。

こうしていずれも長い時間をかけて調理、製作し完成。しかし、料理を食べるのも、映画を見るのも一瞬。あれだけ時間かけて作ったのに、お客は一瞬で平らげてしまう。そして「あーーーうまかった〜」「あーー感動したーー」という、その一言にシェフも映画人も生き甲斐を感じるのだ。その一言のために、もの凄い時間を費やして、身を削り、心を裂くような思いをしてでも完成までがんばってしまう。

そして、おいしい料理も素敵な映画も、日常に心疲れ切った人たちを感激させ、「よーし、明日からまたがんばるぞー」という元気も与えてくれる。そんな美味しい料理や感動できる映画を作るにはどうするか? それが昨日書いた記事「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」である。

1人のシェフが監督が拘った食材、キャスト。全身全霊で挑む調理、撮影。そして仕上げ。料理に映画に愛を持つ人が人生賭けて挑むから感動する。愛も経験もないいろんな人があれこれ口を出してはどちらも、いいものはできない。料理も映画も、感動というのは愛と思いがもたらすもの。多くの意見の最大公約数ではなし得ないのである。どう、映画と料理は似ているでしょう? 



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ヒット曲作りと映画作りの意外な共通点?! ー歌謡曲が廃れた理由? [映画製作あれこれ]


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昨日掲載した「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」ー意外にも好評だった。最近で一番の「いいね」を頂いた。むしろ批判が多いかも?とさえ思って書いた。ちょうど1年前、別のブログでにたような記事が書いたので、そちらも紹介する。なぜ、いろんな人の意見を取り入れてはいいものができないか? それを音楽作りを例に上げた記事である。

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 その昔、映画は作りはこうだった。シナリオは脚本家が書き、監督は現場で撮影に臨み、編集はエディターがする。それぞれのエキスパートが行う。それぞれに違った資質が必要。シナリオは繊細でクリエイティブ。そして物語を作る力。監督はスタッフを束ね、俳優とコミニュケーションをして、演技を引き出す力。編集は映像のセンスを駆使して、見せる力。でも、僕の場合は3つとも担当する。

 3つもできることを自慢したいのではなく、今の時代はそれが大切なのだ。歌の世界と同じ。昔の歌は作詞家の先生が作詞。作曲家の先生が作曲。それを歌手が歌い。バックでバンドが演奏する。そんなふうに歌謡曲は作られた。でも、今は、ローリングストーンズやビートルズと同じ。アーティストが作詞作曲して、自分で演奏して自分で歌う。日本の歌手も今は ほとんどが、そのパターン。何が違うのか?

いろんな人が作品作りに関わると「思い」が薄くなるのだ。作詞家の先生が素晴らしい歌詞を書いても、それを理解しない作曲家が曲を作るとメッセージが弱まる。それを歌手が理解しないと、さらに駄目になる。理解しても、50%60%では弱くなる。それをそもそも作ったクリエーターが全てを担当すれば、そのメッセージはダイレクトにリスナーに届き、感動を伝える。間に人が入ることで、弱くなるのだ。

だから、歌謡曲形式が衰退。バンドスタイルが人気を博している。映画も同じ。昔は脚本家の先生が書いたものを、現場の仕切りのうまい現場監督が演出し、センスのあるエディターが映像を編集して映画が作られた。が、それでは「思い」は寸断され伝わらない。

 1人のクリエーターが全てを担当することで、「思い」がダイレクトに伝わる。バンドと同じ。ハリウッド監督のルーカスも、スピルバーグも、キャメロンも、皆、自分たちで企画した映画を、自分でシナリオにし、演出、編集。完成させる。「思い」がダイレクトに伝わる。だから、彼らの映画は世界中で人気となった。

 僕の映画も同じスタイル(予算は全然違うが!)、僕自身が企画。原作はなくオリジナル・シナリオとして 、僕自身が書き、僕自身が現場で演出。僕自身が編集し、仕上げる。1年近く休みなしの作業になるが、そうすることで「思い」をダイレクトに観客に届けることができるのだ。

 ま、残念ながら、バンドでいう「歌う」=「演じる」はできないが、それをやってしまったのが、チャップリンだ。彼の映画が時代を超え、感動を伝えるのは彼の思いがダイレクトに届くからだと思える。



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映画作りと料理はとても似ているという話①専門店がなぜウケるか? [映画製作あれこれ]

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昨日掲載した「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」ー好評だったのでもう少し書いてみる。映画表現の話だったので、大きな反響は期待していなかったのに、ここ最近で一番の「いいね」を頂いた。むしろ批判が多いかも?とさえ思って書いた記事なので意外だ。

というのも世間では「みんなで仲良く、いろんな人の意見を取り入れて進める」という考えこそが正しいという思いがある。政治ではそれが民主主義。会社でもワンマン社長より重役会を開き、みんなで意見を出して方針を決めるとか、学級会でも、みんなで話し合う。意見を出し合うというのが大事という考え方をする。

ワンマン社長は暴君と呼ばれたり、どこかの有名百貨店の社長のように放漫経営をして会社を潰したり、政治なら独裁政治と呼ばれたり、みんなが意見を出すことが大事というのが日本人の発想。以前に同じような記事を書いたときも、コメントで「松下電気は広く一般にアイディアを求め、大きな会社になったんですよ」と書き込んだ人がいた。

表現の世界はやはり理解し辛いのだと思ったが、今回は非常に好評。その理由を考えてみた。料理の話が分かりやすいというコメントを頂いたが、そこがキーだったのだろう。映画作りも料理作りも実はとても似ている。例えばレストランを作るとき、オーナーたちが集まり、何の料理にしようか?と話あっても、それぞれに趣味志向がありむずかしい。

「中華だ」「洋食だ」「和食だ」「トンカツ屋だ」「イタリアンだ」となかなか結論が出にくい。それをシェフが「じゃあ、それぞれの代表料理を出す店で...」とか説得してまわり、レストランを出す。結局それは1970年代にデパートの最上階にあった食堂と同じ。お子様ランチがあった店と同じで和食、洋食、中華。何でもあるレストラン。いろいろあるけど、それぞれはさほど美味しくない。そんな店は今、流行らない。それを映画界では今もやっているのだ。みんなの意見を取り入れるというのは、乱暴な言い方をすればそういうことになる。

今、人気のレストランというのは専門店。「洋食」「和食」というカテゴリーですらなく、例えばオムレツの専門店。そのシェフがオムレツ愛があり、徹底して研究し、卵やソースにこだわり調理する至福のオムレツ。そんな店が人気となる。料理をしたこともないオーナーたちが、あれこれいう意見をシェフがまとめて店の方針を決めるのではなく、シェフが愛してやまない料理を作る。そんな店を多くの人が支持する。

映画も同じ。企業があれこれ出してくる要望を監督がまとめて、どの企業からも文句が出ないようにして映画を作ると、デパートの食堂と同じような作品になる。観客は支持しない。先のオムレツのように監督自身が愛してやまない題材で作った作品に観客は心打たれるのである。つまり、今の時代はレストランも映画作りも出資者である企業やオーナーは自分たちの願望を押し付けるのではなく、監督やシェフの「思い」「愛」を応援してこそ、素敵な料理や映画ができる。映画と料理。とても似ているでしょう? 


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映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る? [映画製作あれこれ]

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先の記事を書いていたら、昔のことを思い出し、また怒りが込み上げて来た。編集に関しては本当に腹立たしい思い出がいっぱいある。二度と仕事をしないと決めた人たちが何人もいる。そんな経験を踏まえて、僕が監督する映画はシナリオ、キャスティング、演出、編集に関しては一切口出し無用という形を取らせてもらっている。意見は聞くが最終決定は僕がさせてもらう。

でも、考えたら作品を作るということは、作家の思いが前面に出てこそ、観客は感動する訳で、いろんな人がいろんなことを言ったのを監督がまとめて作品にして感想作が出来る訳がない。そんな例を紹介する。

よく「***製作委員会」というクレジットが入った映画があるが、いろんな会社が出資をして作られた映画。映像関係でない会社も多い。そんな各社があれこれ意見をいう。「主演は**がいい!」「音楽は今流行の***だね」「ロケ地はうちの会社のある**県」「共演にはうちのCMに出ている**」とか。それらを監督がとりまとめて、どこからも文句が出ない作品を作るのが制作委員会方式なのだ。だから、おもしろい映画は出来ない。

その種の映画をよく監督する友人がいるが、本当に我慢強い。みんなにいい顔せねばならない。自分がやりたいことを押さえて、ひたすら耐えて粘り強く仕事をする。ある意味で立派。でも、彼を知る友人がいうのは「自主映画時代の彼の作品は良かったんだけどなああ〜」という台詞。彼が監督したメジャー映画で評価されるものは1本もない。作家の思いが出ていない映画は観客の心を打つことはできない。

代わりに彼は高額のギャラをもらう。僕は製作費が赤字になり監督料を埋め合わせに使うことがあり、ノーギャラということによくなるが、一切、指示は受けず、好きにやらせてもらう。そして必ずそれなりのものを上げる。映画だけに関わらず、作品というのはそうしないと良質のものはできない。

分かりやすくいうと、料理をするとき。料理をしたこともない人たちが「私は人参が嫌いだ」「俺は豚肉が好きだ」「パクチーがマイブームだ」「中華であることがマストだ」「麺類はやめてくれ」「イタリアンがいいね」とかいう人たちの意見をまとめて料理を作って、おいしいものが出来る訳がない。映画は料理と似ている。作り手に強い愛があってこそ、感動が生まれるのだ。



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映画監督に求められる5つの能力とは何か? [映画製作あれこれ]

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突然だが、「映画監督に求められるもの」とは何か?と考えてみたので箇条書きしてみる。

①面白い物語とは何かを理解している。

②その物語に相応しい俳優を選ぶことができる

③その俳優を魅力的に、物語を面白く撮影する術を知る。

④撮影した映像をどう編集すれば面白くなるか?理解

⑤編集した映像にどんな音楽をつければ盛り上がるか理解

まあ、この5つか? 効果音の付け方とか、CGの使い方というのもあるし、上の5つ全てダメでも、プロデュサーに取り入る素質があれば映画自体は撮れたりするのだが、映画(物語ー作品)を作る能力としては、基本この5つだ。しかし、いろいろあるなあ。ただ、①は優秀な脚本家がいればいい③は優秀なカメラマンがいればいい④は優秀な編集スタッフがいればいい⑤は優秀な音楽家がいればいいーんだけど、

それぞれの優秀なスタッフを使いこなし、やはり監督がそれぞれのカテゴリーを全て理解し、自分なりのビジョンを持ってなければならないんだよなあ。それぞれのカテゴリーにはルールや理屈。論法があるからだ。それは教科書には載っていないし、映画学校では教えてくれない。

そして自分のスタイルというものもある。巨匠のスタイルを真似てもうまく行くとは限らない。また、優秀なスタッフがたくさんいれば5つの内、いくつが出来れば監督はできる。ジョン・フォードだって撮影知識はあまりなかったらしい。優秀なカメラマンがいて素敵な絵を撮ってくれ、撮影が終われば優秀な編集スタッフにフィルムを渡し、旅に出た。

だから、5つとも出来なくてもいいのだが、5つを全てクリアーするのは大変だろう。でも、それが映画監督の本来の仕事なんだなあ。と人ごとのように考える....。


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