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なぜ、「明日にかける橋」の舞台は1989年なのか? [映画製作あれこれ]

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前作「向日葵の丘」は1983年が舞台。バブル前夜ともいう時代を見つめることで、大切なことが分かって来ると思えたからだ。あの時代はまだバブル以前で裕福だったが、希望が感じられ、これから新しい何かがスタートできる気がする時代だった。そこに今の日本が失ったものがあるーと感じていたことがきっかけだった。

前作でバブル前夜を見直したのなら、今回はバブル最盛期を見つめてみようと思った。日本の企業がアメリカのビルや映画会社を買収。世界1の金持ち国だったころ。ただ、その時代を見つめるだけでは「あーあの頃はよかったなあ」で終わってしまう。そう、そのあとに訪れるバブル崩壊を一緒に見つめないと意味がない。

札束が乱れ飛んでいたバブル時代。それが崩壊することで日本は激震した。絶対に潰れないと思っていた銀行や証券会社。そして大企業が次々に倒産。仕事をなくす人たち。同時に就職難。不況の波。日本は転げ落ちるように厳しい時代に突入。それは今も続いている。

「バブル最盛期」と「バブル崩壊」その2つの時期を見つめることで見えて来るものがある。単に不況になり大変だなあーではない。崩壊直後は「また、バブルが来て景気がよくなればいいのになあ」という人もいた。でも、それから20年以上が過ぎても景気は回復しない。

つまり、ひとつの時代が終わったのである。イギリスやアメリカを見れば分かるが、経済発展が進み、国が裕福になる。そして大国に。でも、頂点を過ぎるとあとは下り坂。隆盛を二度掴むことはできない。人は成長して大人になり、その後は歳を取り老人になり死んで行く。国も同じ。その意味で日本はもう繁栄の時代を終えたのだと思える。

同時に、新しい時代を迎えたとも言える。その時代に必要な方法論や価値観。考え方が見つからないので、不況から脱出できない。古い方法論で足掻いているから足踏み状態が続くのではないか?と思えて来る。そこでいつものテーマを考える。では、そんな困難な時代に大人は、親は子供たちに何を伝えればいいのか?

これまでと同じ教育をし、古い価値観にしがみついては新しい時代を乗り切れないだろう。だから、まず、バブル時代とその崩壊を見つめてみたい。バブルはなぜ崩壊したのか? 不況時代にやるべきことは何なのか? 生きる意味をどう考えるのか? そんなことを物語通じて考えてみたくて1989年という時代を選んだ。

背景になるのは静岡県西部。袋井市、磐田市、森町。緑が溢れる美しい町。バブル絶頂期にもまだ大いなる恩恵が届いていなかった時代。青春ものであり、家族ものとも言える物語。それらを通じて子供たちに伝える大切なことを考えるのが「明日にかける橋」という物語である。 



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「明日にかける橋」編集日記(11日目)ーこんなシーンを作業中 [編集]

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さあ、次第に内容が見えて来た。単なる家族ドラマではなく、大きな時代に翻弄される家族の物語。なぜ、幸せになれないのか? なぜ、不幸は続くのか?そんな時代に親たちは何をすべきか? 子供たちに何を伝えるべきなのか?「明日にかける橋」ー僕が書いた以上の物語に膨らんで行くこと感じる。 



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「向日葵の丘」DVDレンタルーTSUTAYAで終了。取り寄せは可能かも? [My Movies]

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 僕が監督した映画「向日葵の丘」DVDが発売から1年が経ち、

 TSUTAYAの棚からは消えることになりました。

 店舗によっては取り寄せがまだ可能なところもあります。

 この機会にぜひご覧下さい。

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「明日にかける橋」編集日記ー背中に激痛。作業が出来ない。 [編集]

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編集は進み。技術的にむずかしい交通事故のシーンまで来た。その日の撮影は大変な日で時間なく、バタバタの撮影。案の定、撮り忘れのカットもあって、心が折れそうになる。だが、編集するとなかなかの感じに仕上がる。この日、初登場の俳優・栩野 幸知さんがとてもいい感じ。感謝。

次のシーンは葬式。これは気が重い、カット数はさほどないのに心が暗くなる。物語でいうとここから「愛と悲しみの山河」の章に突入する。なのに、なのに、背中が痛い。朝から晩まで同じ姿勢でモニターに向かい編集しているので、肩や背中にもの凄い負担がかかっている。それがもう何週間も続いているので、肩こりとかを超えて堪え難い痛み、激痛になって来る。

ちょっと体操したくらいでは直らず、デスクに向かっていられない。横になり、休息をするが、ちょっとやそっとで痛みは消えず、こんなときはもう指圧に行くしかない。が、その時間がもったいない。近所にある店は本当に下手で、体を触られるだけ。あるとき店のスタッフに言われたが「お客さんほど酷いコリの人は珍しい」どうやら僕は難しい患者のようだ。

なのでかなり離れた駅にある名人のいる店に行くのだが、それには電車で1時間以上。往復2時間。治療に1時間。その時間がないし、外出すると編集モードが切れてしまう可能性がある。しかし、苦痛。早く次のシーンを編集したいのに。。。その葬式シーンが終われば、そこから怒濤の「愛と悲しみ山河」の章が始まる。ここはもの凄い気力が必要だ。とにかく、少し休息する。


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「明日にかける橋」編集日記ー映画の要はセンスだ? [編集]

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ある業界の人がこんなことを言ってくれた。

「太田監督の映画。魅力はどこかというと間が素晴らしいんだ。あのセンスは他の日本映画ではない。自分の世代で言えば漫画の『タッチ』あれは単なる野球漫画ではなく、会話の間の取り方が素晴らしい。そこで無言になるか? そこで会話を終わらせるか?という間の取り方が魅力だった。それと同じものを感じる」

「タッチ」かあ。一応読んではいたが、あだち充とか高橋留美子(めぞん一刻)はそれまでの漫画と違うセンスがあった。あの時代大人気で僕のまわりでも誰もが読んでいた漫画。ただ、好きか?と言われると、それほどでもなかったのだが、確かに「間」や「センス」は大事だ。編集時にも一番考える部分である。

どうしても男性は派手なアクションが好きで無骨な人が多い、センスにこだわる人が少ない。そんな中、先の人はかなり鋭い感性を持っている人だと思える。逆に女性はセンスに敏感。だからファッションにこだわる。家具や食器。アクセサリーや小物にも注意を払う。男なら暖かければいいというコートでも、女性はそのデザインや生地にもこだわりを見せる。

国で考えても違いがある。アメリカ映画。特にハリウッドは男性的。これでもかーという金のかけたアクションものが多いが、センスはあまりよくない。その点、ヨーロッパ映画を見ると、抜群にいいセンスの監督が多くいる。ただ、ハリウッドでもヨーロツパ系、イタリア系の監督はこだわりを感じる。フランシス・コッポラの「ゴッドファーザー」シリーズは単なるギャングものでなく、そのセンスも素晴らしかった。

「PARTⅡ」のエンディング。兄フレドーが湖畔に浮かぶ小舟で撃たれるシーン。それを豪邸で銃声だけを聞くマイケル。そして回想。エンディング。ニーノ・ロータのテーマミュージックと、絵画を見るような美しさとセンスある場面だった。

M・ナイト・シャマラン監督もホラー的な存在と思われがちだが、鋭いセンスを感じる。特に「サイン」のこれもラストシーンは素晴らしい。事件が終わって、それを建物の2階から主人公たちを写している。そのままパーンして隣の部屋へ。そこで着替えをしている主人公のメル・ギブソン。その服で全てを観客は理解する。この説明だけでは分からないと思うが、本当にーーー凄い!打ちのめされた。彼もアメリカ人ではなくインド人。

日本でいうと、あまり言われないが一時期の北野武作品のセンスはもの凄かった。彼もまた暴力的な映画が多く、センスがあるとは思われにくい作家だが、「ソナチネ」「キッズリターン」「HANA-BI」「Brother」とセンス全開の作品群。特に「HANA-BI」のエンディングなど本当に素晴らしい。「参りましたー」という感じだった。ベネチア映画祭の受賞も納得。ヨーロッパ映画のセンスだ。

そう考えていくとセンスある映画に好きなものが多い、「太陽がいっぱい」「愛の嵐」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「冒険者たち」「大人は判ってくれない」「わが青春のフローレンス」「アデルの恋の物語」ーみんなヨーロッパ映画だけど。その辺はハリウッドも敵わない。そんな映画を見て育ったせいか? センスには拘っているのかもしれない。

ただ、センスは言葉で説明できない。ここで5秒の間を取ってから次の台詞ーーーとかいうと「さっさとしゃべった方がいいんじゃない?」と言い出す人が必ずいるー往々にしてその種の人は無神経な人が多いのだがーまた5秒の意味を言葉で伝えることはできない。多数決でも決められない。それがセンスというもの。だから、初期の北野映画は日本ではヒットせず、なかなか評価されなかった。

そして鋭いセンスの映画を見た観客は「センスいいなあー」とは思わず「何か凄かったなあ」と感じるので、その作品のセンスの良さに気付かないことが多い。とても難しいのだが、そのセンスというのは編集に寄るところが大きい。だから、会話と会話の間。そして、どこで風景ショットを入れるか?その辺が大きな鍵となる。「え?風景がセンス」と思う人もいると思うが、その辺はまた別の機会に! 編集に戻る。


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明日にかける橋ー編集日記(10日目) 作業の進行を説明。 [編集]

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作業が続いている。昨日は家族の夕飯シーン(一昨日の続き)からスタート。みゆきの家出準備。父の外出。弟のコロッケ。バス停。父の帰宅。酒屋のオヤジとみゆき。朝の家族。通学路の事件の途中までを粗編集。次第に1日の作業量が増えて行く。これは調子が出て来たからだ。

といっても、それぞれのシーンの編集が終わった訳ではない。あくまでも粗編集。作業をもう一度説明する。

①NG抜きー同じショットで何度も撮影しているのでOK分を残してあとを抜いて行く。

②粗編集ー同じ芝居もいろんなショットで撮影されているので、その中からベストのもの。そして物語展開に相応しいものを選び切り出してタイムラインに並べる。このときは長さや音は大まか、流れを見るためのもの

③詰編集ー各カットを短くしてダブりや無駄な間を詰める。逆に撮影時以上に会話の間を取ることもある。音の処理もして台詞がダブって入っている部分も修正する。

④特殊映像効果ーテレビで放送されている番組映像をはめ込む。看板を書き込む。花火を夜空に合成するなどの特殊な処理をする。

⑤カラコレー各カットの明るさ色合いを揃える。全体のトーンを考えて、色彩も調整。

こうして作業は終了。次に音、音楽を制作。加えて行くのだが、それはまだまだ先。現在は②粗編集。これが一番時間がかかり大変。誰かに手伝ってもらえるものではなく、1人切りの作業。シナリオと同じで、2人で文章を同時に書くことはできない。編集も機械に向かって1人で作業する。

作業というと機械を組み立てたりする印象があるが、むしろ文章を書く、絵を描くという行為に近い。技術よりセンスや創造性が大事。すでに撮影済みの映像ではあるが、編集により全く別ものになるからだ。



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NHKの大河ドラマ「直虎」に「明日にかける橋」の冨田君出演! [再掲載]

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NHKの大河ドラマ「直虎」に「明日にかける橋」の冨田君出演!今夜!

ぜひ、見てあげてください!(写真左)


僕の「青い青い空」(浜松ロケ)にも出てくれました。

何か遠州と縁のある奴! あー始まった〜




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古里映画を作ると、なぜ大きな宣伝効果があるのか? [再掲載]

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僕の映画は都会でロケをしない。これまでの作品は全て地方。それも有名な観光地ではない。しかし、それぞれの町には知られざる美しい風景があり、心を癒す素晴らしい景色がある。それを背景に物語を撮りたくて、地方で映画を撮り続けている。それらの映画は有名俳優が出演。日本全国の映画館で公開。必ずアメリカ等の世界の映画祭で上映される。

そのため、いろんな地方、自治体等から相談を受ける。というのも、多くの地方は赤字続きで苦戦している。新しい産業を起こすのも大変。一番、効率的なのは観光。でも、古い遺跡や歴史的な建物もないので、観光では勝負できない。ただ、映画の撮影があれば、そのロケ地としてアピールできる。NHKの大河ドラマの舞台に選ばれれ、大挙して観光客が押し寄せる(が、大河の場合。放送終了と共に観光局は激減。結果、地元が投じた費用が回収できず赤字ということが多い)

ドラマでなく、映画でも効果は大きい。観光客がいきなり倍増するということはないが、巨額を投じた宣伝とう同等の効果がある。全国の映画館で地元の風景が映し出される。映画自体の宣伝がテレビや新聞で流れる。映画雑誌、情報誌で作品が紹介。ネットでも拡散。多くの人が映画を見る。

さらに、DVDになり、衛生やケーブルテレビ、地上波でも流れる。テレビと違って映画は息が長い。テレビドラマは1年も経つとタイトルさえ忘れてしまうが、映画は何十年経っても覚えていることがある。30年前の映画をもう一度DVDで見ようと思うこともある。そんな意味で映画のロケ地に選ばれれば、その町がもの凄くアピールされる。対費用効果を考えれば数千万円から数億円になる。

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これが自前で古里の宣伝キャンペーンをすると、もの凄い費用が必要。CMを作りテレビで放送するなら億単位。駅にポスターを貼るだけでも何百万。新聞広告だって、大手新聞、一面広告なら1000万円! それも続けなければ効果は薄い。

だが、映画が来てくれれば、地元は撮影に協力するだけで、何千万円もの宣伝効果を上げることができる。だから、多くの町が映画のロケを求めている。実際、長野のある町はそれで大成功。観光客が増え、50億もの宣伝効果を上げた。また、収入だけでなく、町の知名度が上がる。町の名前や魅力、産業、特産品を全国に伝える等の大きなメリットもある。

そこで多くの自治体がフィルムコミッションを設立。ボランティアとして映画撮影に協力。わが町で映画を撮ってもらおうと努力を続けている。或は、製作費を一部出資。さらには製作費を全額集めて町が中心となって映画製作を行なっているところもある。

そんなひとつ。主婦の皆さんが「古里の魅力を発信する映画を作ろう!」とスタートしたのが静岡県西部を舞台にした映画、この夏に撮影が行なわれた「明日にかける橋」である。「映画作るのそんな簡単じゃないでしょう?」と思うかもしれないが、それを主婦の皆さんは見事やり遂げようとしている。有名俳優が多数出演。撮影は終了。「え?そんなことが可能なの?」はい。おばさんたちが大奮闘。地元テレビでも紹介された、その映画撮影日記を毎日、お伝えしている。ぜひ、お読みください。

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明日にかける橋ー編集日記(9日目)孤独との戦い。作業中は普通じゃない? [編集]

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編集にはスタイルがある。友人のディレクターは同僚と世間話をしながら会社の隅にある機械で編集する。が、多くの映画監督は編集室に籠って作業。「編集しているときは、声をかけたら殺される!」と言われる巨匠もいる。普通の状態ではなくなる。それくらいに集中して作業する。

僕は作業の前からなるべく人に会わないようにして、編集モードに入って行く。以前にも書いたが、ボクサーがタイトルマッチの前になると、他の仕事をせず、ジムに籠もり、ひたすら練習に打ち込む。闘志をかき立てて試合まで、マスコミ取材も拒否するというが、それに近い。

いつも編集開始になるとFacebook等で告知。関係者に連絡しないようにお願いする。最近は皆、理解してくれていて、関係者からはピタリと連絡が止む。本当にありがたい。現在の連絡はプロデュサーが受け付けてくれている。問題があるときは彼からメールで連絡が来て、こちらもメールで返信。電話は厳禁。しゃべると編集モードからトーキングモードに切り替わり、何日も作業が止まるからだ。

ボクサーが試合前になると家族と離れてジムに泊まり込んだり、マスコミ取材も受けず、友達と遊ぶのも止めるというのも、同じ発想のような気がする。「必ずタイトルを取ってやる!ぶちのめしてやる」という闘志が人と会うと失われるからだろう。その意味で編集もボクサーも、きっと他のスポーツ選手も、さらには作家や画家、音楽家も同じかもしれない。

自分を追い込み、孤独の中で戦う。気持ちを盛り上げて集中する。これも以前に書いたが「あしたのジョー」の力石徹がジョーと対戦する前にジムに籠るエピソードがあるが、それを思い出す。

すでに人と話さない期間が数週間。買い物はスーパーやコンビニなので店員と会話を交わす必要はない。ランチは食べに出るが、僕のことを知らない店に入る。「あー監督。お久しぶり」とか言われると返答しなければならない。監督とは知らないまでも、顔を覚えてくれている店員さんもマズい。ファーストフードとか、アルバイト店員で、顔を知らない店を選ぶ。

飯を食ったらとっとと編集室に戻り、作業。朝から晩まで続く。ときどき、誰かと無性に話をしたくなることがあるが、「今話してはダメ」というときは絶対にしない。そのことで作業ができなくなることもあるから。

携帯は電源を切ってある。が、面倒なのはメッセンジャー。着信があると勝手に画面に表示される。なるべくネットも切って作業するのだが、メールでもあれこれ連絡があると、気になってしまう。大事件なら対処せねばならないが、友人からの近況報告とか、下らない噂話とかもある。

先日も今頼んで来るか?!というメールもあり、爆発しそうになった。本人に罪はないが、こちらは神経過敏、情緒不安定、編集という作業はそうでないと出来ない。感度が日頃の何倍にもなっている。普通の状態ではない。異常者に近いのだ。だからちょっとしたことで怒り爆発。でも、ここで怒ったら編集モードが切れてしまう。どうやって気持ちを整理して、作業を続けるか?で半日も葛藤した。

などと書いてもなかなか編集作業というのは分かり辛いものだと思う。だから、一番簡単に理解法は「監督業ってクレージーなのね?」ということかもしれない。作業を続ける。


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明日にかける橋ー編集日記 編集作業とはどんなものか? [編集]

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現在続けている編集というのは「粗編集」と呼ばれるもので、物語順に大まかにカットを繋いで行くものである。だから、芝居のダブりがあったり、カットが長かったり、音の調整もされていない状態。これで最後まで作業してから頭に戻り、今度は1秒、1コマの編集をする。それでまた最後まで行ったら、次は音の調整、カットによって台詞は音のタイミングは違う。それを1カットずつ直して行く。

そのあとに明るさの調整、色の調整、合成、修正、画面の嵌め込み、タイトル、クレジット入れ、音楽制作、効果音、MA、等の作業が続く。編集を含めたその種の作業をポストプロダクションと呼ぶ。よく市民の方に言われるのは「撮影が済んだのだから映画は完成ですね!」ということ。実は先に上げたような作業が延々続く、通常は3ヶ月から6ヶ月。今回はそれを12月上旬まで上げねばならないので大変。

じっくりと編集しているだけではダメ。映画は上映のタイミングがある。どうしても撮影のあと年を超してしまうと、全てが過去の思い出になってしまう。「そういえば映画撮ったよねえ?」てなことになってはマズい。湖西市で撮った「朝日のあたる家」は撮影終了後3ヶ月で完成披露上映会。3000人が詰めかけた。やはり時期は大切なのだ。

そんなプレッシャーを感じながら、作業は続いている。昨夜はこれまで編集したところまで、通して見た。1シーン1シーン編集していると気付かないことも、通して見ると気付くことが多い。また、そのシーンの編集はよくても前後の繋がりで見るとおかしいということもある。そしてリズム。スムーズに展開しているか?様々な視点で確認する。

ただ、編集をしていると反省点が次々に上がる。「この場面。もっと長めに撮っておけば良かった......このカットは芝居が始まる前の時間を空けるべきだった」等々。その日のことを思い出すと時間がない日。スケジュールがいっぱいで、移動ー撮影ー移動が続く日であることが多い。気持ちが焦るから余裕をなくしているのだ。

「あーこのカット。別アングルで撮っておけばよかった」というのもある。撮影のときも、もう一息だなあと思ったのだが、いいだろうと、やはり次の撮影に早く映らねばならないのでOKしたたもの。ただ、もし、それら反省するカットを粘って撮っていたら、その日の予定を全て消化できず、大変なことになっていたかもしれない。1日撮影が伸びると100万円の損出というのが映画の世界だ。

本日はこれから、みゆきの家出準備シーンを編集。さて、本日はどこまで進めるか? 11月中旬には編集作業を終わらせて、ポスプロの第2段階に入りたい。


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