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俳優と脚本家は似たような仕事? =シナリオを書くとき、ライターは何を考えているのか? [映画業界物語]

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俳優と脚本家は似たような仕事? =シナリオを書くとき、ライターは何を考えているのか?

鋭い感受性がないと表現の仕事はできないーという話を書いた。俳優、歌手、作家、映画監督。表現の仕事をするなら皆、それが必要だ。が、先に書いたように日常生活を送れなくなるほど、鋭すぎる感受性を持っていると、業界では物凄い武器になるが、日常生活ではかなり苦労する。

そこまでの感受性を持ってないと表現の仕事はできないか?というと、そうでもない。あまりに無神経だとダメだが、そこそこでも、運がいい、身内に業界人がいる。2世である、性格がいい、ということでも、どうにかやっていけることもある。

映画監督の場合は繊細すぎると撮影現場を仕切ったり、スタッフをまとめたりがむずかしくなることもあるので、武闘派の監督も多い。ある監督は本当に感性の欠片もなく、ろくでもない作品しか撮らないが、仕切りができるのと、会社の人間に取り入るのがうまいので監督業を続けている。しかし、素晴らしい作品を撮る監督たちのほとんどは、繊細な感受性を持ったアーティストであることが多い。

今回は先の話の補足をする。監督の話より、脚本家の話をした方がわかりやすいだろう。監督業は荒くれ者のスタッフ(でないタイプももちろんいる)をまとめ、率いて行くという仕事があるので、繊細なばかりではいけないが、脚本家というのは1人で執筆。クリエイティブな作業なので、俳優業に近いところが多い。あるベテラン俳優にこう言われたことがある。

「太田監督は俳優の生理をよく理解している。どこで本番に行けばいいか? いや、この俳優はもう少しリハした方がいいとかよく分かっている」

嬉しい話だが、僕は俳優をやっていたわけでもないし、役者とは親しく付き合わないようにしているので理解がある訳がない。が、実は脚本を書く作業が、俳優業の感覚が近いのだ。例えば脚本を書くとき、机の上で

「主人公は高校生...。ある日。クラスに転校生がやってくる...。可愛い女子高生...。いや、可愛くない方がいいか?」

とか考えながら書くと思われがちだが、そうではない。それでは思いの伝わる物語にはならない。過去に見たドラマを切り取り、組み立てているだけだ。物語を作るというのは、その世界に入り込み。主人公の気持ちになり、あるときは神の視点になり、事件と対峙して、その世界で人生を送るのに近い。想像を超えて、妄想の世界といえる。

頭で考えていてはいけない。それと「俳優が演じる」ということ。とても似ている。演じるのではなく、その役自身に成りきる。それには豊かな感受性が必要。他人の悲しみを自分のこととして涙するような資質が大事なのだ。それがないと、

「へー大変だったね〜。でも、がんばってよ!」

てな励ましをする。他人事としか捉えられない人では俳優業のみならず、表現の仕事は難しい。が、僕の場合。そんな豊かな感受性があるとは思えないので、シナリオを書くときは苦労する。いつも言うように脚本の霊が降りてくるのを待つ。携帯を止め、ネットもオフ。メールは見ないようにする。極力、外出しない。友達と会わない。スタッフとも話さない。コンビニの店員とも言葉を交わさない。執筆する作品に近い映画のDVDを何枚も観る。新作のイメージに合う音楽を流しながら、シナリオを書く。

最初の数日は全く筆が進まない(パソコンなのでキーが進まない?)が、脳の能力を総動員して物語を構築していく。「明日にかける橋」のときは12年前に名古屋のサウナで思いついたアイディアが元だった。妻にも娘にも嫌われている親父がタイムスリップして、昭和40年代へ。その年に交通事故で死んでしまった中学時代の同級生ー初恋の人ーと再会。事故から救うために奔走するという物語だった。

これを最近得意のパターンに当てはめてみる。主人公を女子高生にして、交通事故は弟にする。ここ何年も考えていた平成という時代。そして教育問題。親子の絆。そんなことを思いながら、考えていると、僕自身が物語を進めるのではなく、主人公たちが勝手に動きだす。

前にも書いたが、母親は田中美里さんイメージ。先生は藤田朋子さんイメージ。主人公みゆき=高校時代は少しキツめのロック少女。前回の「向日葵の丘」の多香子(芳根京子)のような明るさや大らかさはない。そして大人のみゆきは全てを受け入れ、希望を失った女性。お父さんは関西人。そんな家族がどんな生活をし、どんな会話を交わすのか? 作るのではなく、推理していくと物語ができていく。

そんな作業ができるのは、僕も多少の感受性があるのだろうとは思うのだが、気をつけてないと、その感覚がすぐに去ってしまう。電話で話しただけで現実世界に引き戻される。コンビニで言葉を発しただけでアウト。「食パンありますか?」だけでダメ。みゆきたちの住む1989年の世界から現代の東京に戻ってしまう。だから、朝起きてから寝るまで、ずっとドラマの世界を想像し続ける。作るのではない、推理するのだ。

「みゆきはどの科目が好きだったのかな? 音楽は何を聞いていたのかな?」
「ローリングストーンズよりTHE WHOだよな? どの曲が好きなんだろう?」 
「やっぱマイゼネレーションかな?」
「四重人格も好きそうだよな」
「徹夜で2枚組聴いてそうだし」
「日本の歌だと誰かな?」
「斉藤由貴や南野陽子じゃないよね」
「んー尾崎豊かな? じゃあ、好きな曲は? Forget-me-not?」

そんなことを風呂に入りながら、顔を洗いながら、飯を食いながら考え続ける。その辺は直接シナリオには出て来ない部分だが、考える。この作業。実は俳優の役作りと同じ。俳優はシナリオをもらうと、ストーリーを把握し、セリフを覚える。そして同じような過程で演じる役の趣味や志向を考える。そうやって、その人物に近づいていく。THE WHOが好きな役なら実際にCDを聴いてみる。歌詞を読み、どこに共感したか?考える。

今回、高校時代のみゆきを演じる越後はる香にはTHE WHOと尾崎豊のCDを渡し、毎日聴くように伝えた。前回の「向日葵の丘」のときは芳根京子らメインの高校生3人には1983年に流行った歌をCDにして宿題とした。もちろん、シナリオを書くときに僕自身も当時のヒット曲を聴く。自分を1983年に戻すーまさにタイムマシーンーそこからがスタートだった。当時の風や空気を思い出すことが大事。その頃、住んでいたのは横浜の白楽。実際に行ってみる。記憶を手繰りよせるために当時の映画やドラマも観る。

そんなことをしながら、いつも「力石徹みたいだなあ〜」と思う。「あしたのジョー」の有名キャラ。自分を追い詰めるために倉庫に閉じこもりボクシングの練習をした。それを思い出す。同じことをした有名俳優がいる。勝新太郎。「座頭市」の原点となる「不知火検校」で盲目の主人公を演じるために、彼は目隠しをしたまま一軒家に長期間住み。生活をしたという。目が不自由な生活を体得するためだ。その意味でもやはり脚本家と俳優は似たところが多い。

しかし、そんなことをしていると、やはり日常生活がおかしくなり、社会からズレていく。今では僕のそんなやり方を多くが理解してくれているが以前、まさに過去の世界に戻っている(?)ときに、プロデュサーが電話をしてきたことがある。当時から電話には出ないようにしていたのだが、携帯ではなく、家電の時代。当時の留守番電話はメッセージを録音すると、音が出て部屋にいると聞こえる。

「えーーー***社の***です。どーですかね〜。とりあえず、出来たとこまで読ませてほしいんですけど〜」

構築した過去の世界が音を立てて崩れていく。現実に引き戻され、また何日もシナリオを書けない。全て最初から。霊を呼び出すところからやり直し。まあ、「電話するな!」と当時は言ってなかったのだけど、許せなくて、メッセージ途中で受話器を取り

「てめーー電話しやがってーーー。このバカ。何考えてるー」

と怒鳴ってしまった。深夜の電話でもなく、そのPにとっては仕事。先方から見ると

「この監督。異常だなあ。電話するの当たり前だよ。仕事だから.....」

と思うのだが、脚本を書くとはどういうことか? 製作会社の社員である彼には分からない。いや、ほとんどの人がそうだが、創作するということが分からない。

俳優も同じ苦労がある。もし、アルバイトで生活を立てながら俳優をしている人ならどうするのか? コンビニで働きながら、役作りをしていて、上の空になる。お客が「すみません。これください」と言っても「うるせー」と僕のように答えたら大変なことになる。「だったら、バイトが終わってから考えればいい」と言われそうだが、起きている限りずっと考える。考え続ける。役作りも、シナリオも同じ。

「午後5時だから終了! あとはプライベートです」

それで出来る仕事ではない。会社やアルバイトでのルールや価値観は通用しない。1時間働いたから時給900円とか「勤務時間、もう終わったので」ということではない。つまり、まともな世界から見ると、俳優も脚本家も(作家や漫画家も)「おかしいんじゃないか〜」と思われてしまうのだ。1時間いくら。9時から5時。そんなことではない世界。

最近でこそ、5本も監督作を撮ったので「まあ、監督する人は変わっているよなあ」と思ってもらえるが、以前は本当に大変だった。僕の場合。特に地方映画が多いので、地方で働くカタギの方々と接することが多い。あれこれ批判を受けたものだ。

「常識がない」「感謝が足りない」「意味が分からない」「わがままだ」「失礼だ」

この辺は先の創作過程での問題ではなく、映画界と一般との価値観、慣習の違いからくるもの。9時5時で仕事をする、例えば公務員の方から見ると、映画撮影は本当に信じられないことの連続。それ以外にも、先のように電話に出ない。メールの返事が来ないということもあって、いろんなお叱りを受けたものだ。

そもそも、東京の生活と地方の生活からして違うのに、一般社会と映画界。さらには創作作業というもの。理解してもらうのはかなり難しい。多くの人は

「才能があるから脚本が書ける」

と思っている。まさか妄想の世界に漂いながら物語を作っているとは考えない。ただ、「監督や脚本家は変人!」と思われがちなので、多少は許される部分がある。だが、俳優はそうはいかない。ドラマや映画で正義感の強い、真面目な役を演じたり、良き妻の役が多かったりすると、一般の人は本当にそんな人だと思い込んでしまう。

また、俳優というのは大変な仕事で、あらゆる人に気を使わねばならない。スタッフ、ロケ地の方々。先輩俳優。撮影中は神経がすり減るほど気を使う。その上で、芝居をするのだ。役作りのために集中していても、地元の人が「見ましたよ!この間のドラマ」と声をかけてきたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えなければならない。

無視したら、いろいろ揉める。Twitterで悪口を書かれるかもしれない。気分を害した人が撮影の邪魔をするかもしれない。でも、本音は「ほっといてくれよ〜芝居してんだ」なのだ。集中できないというレベルではない。僕自身でいえば執筆中。そして編集中に同じことがある。こんなことがあった。メッセンジャーで連絡して来た友人がいる。

「監督。おひさしぶり。今度、飲み会します。来ませんか〜」

メッセンジャーというのは、開いてなくても、パソコン画面に表示される。それ見てブチ切れて、「うるせーーーーーーー。今、いいところなんだよーー!!!!許せねーー」と、その友人をFacebookから「友達」削除したことがある。彼は何も悪くない。僕がネットを止めておけばよかったのだ。でも、想像の世界に入っているともう普通ではない。下手したら、パソコン自体を投げつけ壊したかもしれなかった。

そんな状態が俳優にとっては撮影現場なのだ。もちろん、いろんなタイプがいて、本番直前まで冗談をいう人もいる。が、そうではない人も多い。だから、監督の仕事はいかに俳優に集中させて、芝居をやりやすくするか?を考えることだと思っている。

だから先のベテラン俳優さんは「太田監督は俳優の生理をよく分かっている」といってくれたのだろう。いずれにしても、表現の仕事とはそういうもの。だから、理解されにくい。でも、そんなビビットな感受性を持つから俳優たちは素晴らしい演技ができる。

ただ、鋭過ぎる感受性があると、本当に日常生活が生き辛い。有名人やアーティストに気難しい人が多いのは、感じ過ぎる感性を持っているので、一般の人が何でもないことで耐えられなくなるからだ。でも、まわりは理解できない。「芸能人って変わってるよな?」「我がままだ」「よく分からない」と思われる名の通った人なら「だから芸能人」と解釈されるが、無名だと「あいつ、頭おかしいんじゃないか? 異常だよ」ということになる。難しいでしょう?



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