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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い③=才能は存在しないが、資質はある?それは大事? [映画業界物語]

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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い③
=才能は存在しないが、資質はある?それは大事?

若い頃に一番、考えたのは「俺には才能があるだろうか?」と言うこと。高校時代に映画監督になりたい!とい言うと「お前、才能あるのか?」とよく言われた。才能があるか?ないか?なんて自分で言えるものではない。黙っていると「お前に才能がある訳ないだろ?」と言われる。

だが、一般の、特に若い奴らが言う「才能がない」とは見た目だけのこと。自分と同じように制服を着て、短い髪をした10代に「才能ある訳がない」と思い込んでいるだけ。「才能あるよ!」と言っても「だったら証明してみろ」と言われてしまう。証明のためには巨額の制作費を使い映画を撮るしかない。そんなことはできない。

留学から帰国後、業界の人にシナリオを見てもらう。あれこれ批判される。反論すると、相手が答えに詰まり「あなた才能ないんじゃないですか?」と言われることがあった。業界の人にそう指摘されるとショックで

「やっぱり俺なんかダメか?」

とも考えたが、そんなことが続いた。ある種の人は新人に対して反論できないと、その言葉を投げかけて押さえ込もうとするところがある気がした。

ベテランの人に聞くと、当たり。

「彼らは反論されるのに慣れていない。アーティストの多くは論理的に自分の作品を語れない。だから反論しない。なのに反論され、おまけに言い返せない。業界人は「俺はできる」と思っていてプライドが高い。だから、反論できない否定をしてくるのさ」


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なるほど、だった。高校時代の同級生とあまり変わらないのだ。

「俺には才能があると信じたい」

そう言う友達がいた話は以前にも書いた。才能があれば特別な経験をしなくても、アイディアが湧き上がって来て、いろんな物語が作れる。映画を撮れば観客を魅了する作品になる。それが「才能」だと友人たちは信じていた。

が、才能なんてものは存在しない。本当は自分が経験したことをベースに、様々な技法を学び、応用し、表現していくこと。それが物語作りなのだ。脚本家、小説家、漫画、作詞家も同じ。何もしなくても「才能があれば」感動的な物語が作れるなんてことはないこと。今はよく分かる。

ただ、「資質」はある。「資質」は「才能」ではない。「センス」とか「向き不向き」のこと。例えれば運動神経が悪い人はスポーツ選手にはなれない。努力である程度はできても、人並み以上にはならない。それが資質だ。

絵画の美しさを感じるのはセンス。「それがいかに美しいか?」を論理的に説明することはできるが、それを感じ取るのはセンス。それは努力では得られない。先の運動神経と同じで、努力すれば多少はよくなるが、それでは人一倍にはならない。スポーツの運動神経と同じで芸術関係も同じ。ただ、センスがあるだけではダメ。それを磨くことが大事。

その意味でも「才能」=「センス」ではない。センスはあくまでも感じる力であり、表現はまた別の問題。その感じる力を磨く、いろんないいものを見て鍛えた上に、表現力や技法を学び、応用して、初めて作品作りができる。センス以外にも「資質」は向き不向きと言う部分がある。多くの人と共同するのが苦手な人がいる。もちろん、努力である程度は改善できるが、もともと人付き合いが好きと言う人には叶わない。

映画監督業は多くの人を率いる仕事。1人で机に向かう仕事が好きなタイプだと資質が違う。ただ、人を引っ張るタイプでも、物語作りが苦手な人もいる。監督にはなれないのか? いや、大丈夫。脚本家がいればいい。でも、脚本家は個人作業が基本。1人で仕事するタイプ。その意味で現場で多くの人と作業する監督業には向いていないことが多い。


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資質はそれぞれに違う。そして「資質」や「センス」がなくても監督や脚本家になれる。いいものは作れないが、絶対に条件ではない。実際、センスのない監督はいっぱいいる。その意味でも多くの人が思う「才能」は「資質」ではない。一番はやはり努力。
技術や表現力を磨くことだ。

そして、人はなぜ「才能」と言う言葉を使いたがるのか? これも今はよく分かる。物凄い感動の小説がある。胸を打つ歌がある。涙が止まらない映画を見る。そんな時

「こんな凄い作品。自分には絶対に作れない!」

と感じる。なぜ、それを作り得たのか? 理由が分からない。そんな時、こう考える。

「才能があるんだ!」

しかし、多くの表現者もアーティストもクリエーターも血を吐くような努力をして作品を作る。その行程を一般の人は知らない。想像も付かない。だから

「才能と言うものを持つ人たちだ。自分たちとは違うのだ」

と考えて納得する。努力で出来ることではないと感じるのだ。そんなことから才能があれば努力しなくても素晴らしい作品を作れると言う勘違いが生まれたのだろう。

そして「資質」を「才能」だと勘違いする人も、努力せずとも素晴らしい作品が作れると思いがち。

「俺は才能がある」

と思い込み。努力や経験の重要性に気づかず、結局は作品を作れずに終わる。友人にもそんなタイプがいた。資質はあったが、それはドラマ作りに向いている。センスがあると言うだけ。それを才能だと勘違いして努力を怠り、芽が出なかった。大事なのは「努力」さらに言うと

「技法を学ぶこと」「表現の可能性を追求すること」「応用すること」「先人に学ぶこと」

スピルバーグも物凄く勉強している。過去の巨匠たちの作品を研究している。そこで学んだ技法を自分のものとして、演出に生かす。そうして大ヒット作を連打した。ビデオが普及しない時代には配給会社に頼み込み、黒澤明の映画フィルムを借りて、ビュワー(編集機)で1コマ1コマを確認したと言う。

そんな努力を知らない人が彼の映画を見て「才能ある監督んだなあ」と思ってしまう

「才能があるから、こんな映画ができる」

と考える。でも、そうではなく、資質を持つ人が人一倍の努力をして、素晴らしい作品を作るのである。これは俳優でも、ミュージシャンでも、作家でも、表現者なら皆、同じ。

そんなことが分かるようになったのも、長年に渡って表現者を目指す人たちを数多く見つめ、その展開や末路も見届けたからだ。若い頃には確信を持てないこと。歳を取ることで分かることがある。


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