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町のための故郷映画を、批判し邪魔する人。 =不勉強なオヤジたちが老害になる? [地方映画の力!]

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町のための故郷映画を、批判し邪魔する人。
=不勉強なオヤジたちが老害になる?

地方で映画を作るとこんなことを言う人が必ずいる。大抵は年配以上の親父だ。

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだよ。だから、最近できた港公園もロケしない、わが町の名産物の野菜も映画で紹介してくれないんだ。俺たちを利用しているんだよ。協力なんてしない!」

本当に悲しい話だが、作品を作ること。アピールすることに対して不勉強なので出てくる言葉だ。解説しよう。まず、

「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけ!」

では、撮りたくない映画を嫌々撮ることが大事なのか? おかしな話だ。ここに誤解がある。多くの人は本当に好きな仕事ができずにいる。嫌でも生活のため家族のために働く。だから、仕事というのは「好きでないことをする」という思いを持っている。

「好きなことをする」

というと趣味とか、甘えていると考える。だって「仕事は嫌なことをするものだから」という発想。その意味で「監督は好きな映画を撮る」=「自分たちの願いを無視して勝手な映画を作る」という批判なのだ。が、地方映画を作る上で大切なのは、町のアピールになること。それを勝手に街と関係のない「芸術映画」にしたり、「ホラー」にするのはアウト。

だが、僕はそれをしたことはない。映画でも、音楽でも、小説でも、作家が本当に関心があり、これをやりたい!と思う作品を作るときに傑作が生まれる。嫌々作ったものが観客の心を打つことはない。

では、監督である僕が作りたい作品とは何か? 

それが先の「芸術映画」や「ホラー」を地方映画でやるのはいけないが、究極は観客が、笑い、泣き、感動する映画こそが「作りたい映画」だ。そんな感動作になることこそが、観客が喜び、映画館に人が詰めかけ、大ヒットする。そうすれば舞台になったロケ地は注目を浴び、アピールする。それこそが僕が「作りたい映画」だ。

つまり、監督が作りたいものを作ることこそが、レベルの高い、街をアピールする映画になる。「自分が作りたい映画を作りたいだけ」と批判するのは当て外れ。そんなことをいうのは「映画作は嫌々作っても良いものはできない。

野菜を使わないのも、それをクローズアップして「この大根美味しいなあ。**市が最高だなあ」という台詞を入れて欲しいとか、意味のないシーンで野菜が出てくることは避けたいということ。また、タイアップでもないのに、無理やり「***を使え」というのはダメ。いくら市役所のイチ押し公園でも、あまりにダサければ町のイメージダウンだ。それが分からずに「ロケしてほしい」という。町のためにも使ってはいけない。

結局、映画とは何か? 

アピールとは何か? どうすれば街の魅力を伝えられるか?を深く考えず、映画とCMを混同=画面に出せば宣伝になると勘違い。勉強不足が招いた問題なのだ。町のためにプラスになる作品を撮っているのに、「利用している」「身勝手!」と当て外れの批判をする。本当に悲しい。ただ、完成した作品を見ると、その手の人は何も言わなくなる。当て外れな批判だったと分かってくれるのだ。

同じことは別の世界でも言える。国民のためにがんばる若手議員を批判し、国民から搾取するための法律を通そうとする老害議員を応援。騙されていることに気づかない。「集団的自衛権」の意味も知らず、「戦争とは関係ない。批判する奴は馬鹿だ!」という人。「馬鹿はお前だ」と言いたくなる人がよくいる。何事も本質を知るところからスタートするべきなのだ。


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