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「祈りの幕が下りる時」映画=>原作=>映画比較 関西弁の謎? [映画業界物語]

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「祈りの幕が下りる時」映画=>原作=>映画比較 関西弁の謎?

最初、映画館で見た。前作はさほどではなかったが、この作品は感動的だった。映画版の「砂の器」をイメージしていると思える。同じ親子の悲しい運命の物語だ。で、原発ジプシーの話が出てくるので原作はそれが重要な意味を持つと思えた。映画版ではカットされているに違いない。ところが原作でも、それほど大きな比重はなく、原発の闇に切り込むことはなかった。

原作を読んだ後、今度はamazonプライムで映画を見た。やはり、ミステリーは映画で見ると分かりやすい。俳優が演じることで、誰が誰か?分かるし、殺人やトリックの状況も映像だと分かりやすい。細かな点での相違はあるが、ほぼ原作通りに映画化している。

一点だけ気づいたこと。ヒロイン(松嶋菜々子)が父親(小日向文代)と会うシーン。共に滋賀県の生まれ育ちの設定なのに標準語になっていた。原作では関西弁。そこが泣かせに貢献しているのに、なぜ? 全てを標準語にするならアリ。だが、松嶋が母親に会う時は関西弁で台詞。それがとても良かった。悲しさが溢れた。なのになぜ、父との会話が標準語か?

舞台裏を考えると松嶋は横浜出身だが、頑張って関西弁の台詞に挑戦した。小日向さんは北海道だが、演技派であるが、関西弁を避けたのだろうか? もちろん、関西弁は難しい。そして関西の人間はちょっとニアンスが違うだけで猛攻撃する。他の地方では見られないこだわり。でも関西に生まれそだ立つ関西弁の台詞がうまい役者は稀有。

その意味で小日向さんが「標準語でやりたい」とリクエストした可能性がある。が、彼ならできなくはないだろう。あの場面は絶対に関西弁でやるべき。僕の「明日にかける橋」でも、父と娘の涙の場面がある。鈴木杏ちゃんと板尾創路さんの場面。あそこも板尾さんが関西弁だから心に染みる。そのために関西出身の役にしてある。

「祈りも」同じような場面だ。原作も関西弁。それを松嶋は関西弁をこなすのに、なぜ、小日向さんは? それとも別に演出意図があるのか? そこだけがとても残念に思えている。



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