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「明日にかける橋」未公開スチール紹介 板尾創路さんの場面 [ロビーカード紹介]

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「明日にかける橋」未公開スチール紹介 板尾創路さんの場面=撮影風景

撮影初日。この場面がクランクイン。袋井市の自動車修理工場ロケ。本物です。この日も本当に暑かった。今はもう思い出。さて、ららぽーと磐田の上映。8週目を迎え、たぶん、明日からの土日が最後の週末上映と思える。

まだ観てない方。もう一度、観たい方はぜひ、この機会に。「DVD出たら見よう!」という方。出るかどうかは分かりません。僕の監督作「青い青い空」の場合は5年もかかったし、DVDが出ない映画もたくさんある。なので映画館上映。お見逃しなく。5.1chステレオ音響。大スクリーン。

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「明日にかける橋 1989年の思い出」予告編ー市民俳優編 [再掲載]



「明日にかける橋 1989年の思い出」予告編ー市民俳優編





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時代は変わるーなぜ、尊敬すべき先輩たちが時代からズレていったのか?その理由 [my opinion]

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時代は変わるーなぜ、尊敬すべき先輩たちが時代からズレていったのか?その理由

今回は少し変わったことを書く。映画監督って、やっぱヘンだね?と思って読んでくれると助かる。

最近、強く感じるのは、同世代の人たちの大きな変化だ。いや、それ以上の世代も含まれる。そして最近ではない。ここ10年? 20年くらい感じ続けていることだ。ただ、人が同じであり続けることの方が特殊。成長し、老化し、進歩するのが人だ。学生時代、就職してサラリーマン、結婚して夫になり、子供ができて父となり、子供が独立して、また夫婦2人になる。会社での立場も、新人から、課長になり、部長になりと、昇進しているはずだ。

そんな環境に人が順応して行けば、変わるのは当たり前だろう。逆に僕の場合は、就職もせず、結婚もせず、子供もおらず、10代のときと環境に大きな変化がない。10代は学生映画。今は商業映画を監督している。当時は大学生の友達と撮影していたが、今はプロの人たちと撮影している。そんな違いだけ。友人たちは成長し、僕は精神年齢17歳のままということなのかもしれない。

でも、同世代。特に先輩たち、以前は尊敬すべき存在で、いろんなことを教えてもらった人たちの変化を強く感じる。ストレートにいうと、その人たちの判断力が極めて鈍くなっている気がする。とても失礼な話だが、「え? どうして?」「なぜ?」と思うことをいう。1人2人ではない。何人もいる。

昔は「あーなるほど。そうですね…」と納得する意見を言ってくれたのに、今は「え? 違うでしょう」と感じることが多い。多少の意見の差ではない。根本的に間違っている。「そんな結論になるはずがないでしょう?」ということが多い。長年、お世話になった人なので、反論して揉めたくないし、といって従える意見ではなく、スルーするしかない。

説明がとても難しいが、同世代に分かる例えをするなら、お父さんと再会したアムロ(?)のような気持ちだ。モビルスーツを開発した優秀な科学者の父が酸素欠乏症で脳をやられ、古臭いパーツを持ち出して「これをガンダムにつければパワーアップするぞ」というシーン。アムロは呟く

「父さん。そんな古いものを今更….」

それで敵のジオン軍に勝てる訳がない。と、父を見つめ、アムロが悲しむのだが、何かそれを彷彿とする経験というのが近い。あの場面。そう、「機動戦士ガンダム」の1シーン、10代に見たが強い印象を受けた。今、考えても机の上で考えたエピソードとは思えない。

監督の富野由悠季さんの実体験ではないか? アニメ業界の先輩、先駆者、そんな人が若き日の富野さんにものすごく古臭いアイディアや技法を提案する。

「昔は凄い人だったのに、どうしちゃったの?」

と複雑な思いをした。あるいは太平洋戦争中のエピソード(彼はよく当時のエピソードをもち入る)に似たような逸話がある。アメリカと対戦するのに、当時の日本軍は日露戦争時の戦法を踏襲。その方法論で戦争を進めていた。という時代錯誤な事実とか。そんなことをモデルにした場面だと思える。

それに似たこと。この10年ほど、よくある。昔からバカな先輩もいる。「古いんだよ! バカ」と思えた人はたくさんいた。が、「この人、凄いなあ。鋭いな〜」と思えた先輩たちが、あまりにも古臭い発想で「これしかない」というふうに力説する。

悲しい。どーしてしまったの?と言いたくなる。反論したくなるけど、先輩を全否定することになる。そう思いながらも、ある人に反論すると、怒り出し「だったらいい!」という形で話を打ち切られた。そんな態度を取る人じゃなかったのに…。

もしかしたら、僕が頑固で固くになったのか? いや、それは昔から。それでも先輩たちの意見には納得した。では、やはり先輩や友人が変わったと考えてみよう。業界だけでなく、お世話になった方々。いろいろだが、僕より皆、年上だから50代以上だ。すでに60代の人もいる。

その年齢に原因あるのかも? 僕の中では10年、20年とお世話になっている、尊敬すべき人。でも、今、60代だとしても20年前なら40代だ。でも、今は60代。それより上の世代もいる。

老化かもしれない? 歳を取ると経験値は増えるが、若い頃の体験や価値観を元に考えるので、新しい時代にそぐわなくなってくる。それは10代の頃に痛感した。親や教師たちがいうこと。間違っているしか思えなかった。当時の日本映画も時代錯誤甚だしいものが多かった。観たいと思うものがない。

それは僕だけの意見ではなく、同世代の映画ファン共通の思い。当時のオヤジ監督たちが作りたいとものと、若い観客が観たいものが大きくかけ離れていたのだ。古い価値観を振り回し、若い観客が望んでいない作品を作り続けていた。

僕は19歳で映画業界の仕事をスタートさせた(その後、留学で中断したが)当時のベテラン・スタッフたちはこういっていた。「最近の若いやつは***なんだ」とかいうが、まるで当たっていない。今、何が人気か? 誰の歌が流行っているか? も分からない。「昔はよかった」を連発する。あーこんな人たちが作る映画だから、若い人には受けないんだ…と生意気に思ったものだ。

それが少しずつ古株の監督たちが死んで行き、映画界も世代交代が行われた。作品の出来不出来は別にして、この20年で日本映画は大きく変わった。先輩たちも同じだろう。以前は若く、鋭い感覚を持っていたが、歳を取り、新しい時代から少しずつズレて行き、当時の映画人と同じように古い価値観を振り回しているのではないか? 

両者に共通するのは、状況把握ができていないということ。だから、間違った結論を導きだし、納得できない意見をいうことになる。感性のアンテナが錆びている。新しいものを吸収できない。

どうすればいいのか? しかし、これが人のさだめなのかもしれない。歳を取ると誰しも頭が固くなり、新しい時代を感じることができなくなる。古い価値観を捨てられない。結果、間違った意見をいってしまう。もちろん、個人差はある。30代からズレてしまった友人もいる。70代でも鋭い人がいる。仕事にもよる。安定した仕事をしている人はズレやすい。マスコミ関係、情報に常にさらされている人は老化しにくいだろう。地方と都会も違う。

だとしても、いずれズレて来る。感性のアンテナが錆びてくる。商売を見ていても、あまり年寄りの社長がいつまでも、その座に居座っているところは業績が悪い。その会社を興し、業績を上げ、大企業に育て上げた人だとしても、歳を取り、時代についていけなくなる。古い価値観でしか対応できない。でも「俺は間違っていない。ここまで来れたのは自分の判断が正しかったからだ」と思う。が、それは昔の話。新しい時代に乗れていない。

スーパーのダイエーがそうだった。他のスーパーが当時、消費税3%(そんな時代の話)還元セールというのがウケて、業績を上げた。当時の消費者は3%安い。消費税を払わなくもいい!ということに飛びつき、大好評だった。が、ダイエーは「うちはもともと安い! そんな必要はない」と、やらなかった。一般市民の発想=つまり世情をダイエーは読めなかったのである。小売ナンバー1企業だったダイエーもその辺から転落。消えて行った。

ソニーも同じ。ウオークマン、ラジカセ、テレビ、ラジオ。世界を席巻した日本企業。ニューヨークのタイムズ・スクエアにデカイ看板を出していた。が、今はそれもない。世界で一番売れているのは韓国の電気メーカー。僕の部屋も80年代はソニー製品だらけだった。ウォークマンは歴代ソニー。でも、今はアップル。

探したが今はソニー製品はひとつもなかった。盛田昭夫の死後。何人か社長は変わったが、起死回生は出来ていない。これは企業自体が老化しているのだ。社員の奢りはあちこちで聞く。

そう考えると、尊敬すべき先輩たちも同じなのかもしれない。一時は業界で、あるいは一般社会で大活躍。いろんなことを教えてくれた。が、年齢的にやはり、時代に追いつけなくなったのだろう。50代というとさほど年寄りという印象はないが、僕自身が50代になってしまったからそう思うだけであり、10代のとき50歳というと「ジジイ」だと感じたことを思い出す。60代の先輩。それ以上の世代は余計にそうなる。

しかし、他人事ではない。僕自身も急速に老化しているはず。実際、朝早く目が覚める。長時間寝れない。新しいものを受け入れにくい。10代のときに見ていた業界の先輩たちのように、今、誰が人気あり、何が流行っているか?も分からない。

当時は「バカじゃないの?」と思ったが、今、僕がまさにそのバカである。ただ、80年と違い「解りやすい人気」というのが今はない。あの頃は人気者といえば松田聖子でオーケーだったが、今は国民的人気アイドルや歌手というのはいないし、ジャンル別に細分化されている。より把握しづらい時代ではある。

あと、僕自身の感じ方でしかないのかもしれないが、今の時代。物凄く大きな転換期に差し掛かっている気がする。80年代、90年代の変化程度ではなく、戦後最大のというか、戦後以来の大変革の時代を迎えようとしているように思える。トランプ大統領の登場。南北朝鮮問題。落ちるところまで落ちた日本政府。孫正義の計画。プーチンの存在。ネットの躍進。テレビの衰退。この数年で大きく世界が変わるような予感がする。

それを具体的に説明する材料はまだないが、だからこそ、鋭い先輩たちでさえ時代を把握しきれなくなって来たのかもしれない。まあ、もしかしたら、僕自身が一番、老化し、時代に置いていかれるだけかもしれないが…? ただ、言えるのは「時代は変わる」ということだ。ボブ・ディランは正しい。


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映画宣伝の極意。SNSで拡散。やるとやらないで大違い! [地方映画の力!]

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映画宣伝の極意。SNSで拡散。やるとやらないで大違い!

映画の宣伝というとテレビのスポットや新聞広告を思うかもしれない。が、それらは莫大な費用がかかる。インディペンデント映画ではとて出来ない。が、Facebook、Twitterを使えば無料で宣伝ができる。

例えば独立系で大ヒットした映画「野火」(塚本晋也監督)は公開前だけではなく、上映中も毎日、何度もツイートを発信していた。そのことで今、どこで上映しているか伝わる。「今時の客はHPを観て時間調べる人は少数派。上映時間や場所までツイートして上げないと映画館に来てくれない」と「野火」の宣伝担当の方から教えてもらった。

だが、これがなかなか出来ない。無料で発信できても、1日に何度もとなると手間がかかる。その手間を惜しむ人が多い。宣伝会社でも公開前日に1通くらい。社員なので他にも宣伝する作品を数多く抱えているからだ。地方映画の場合も地元実行委員会の人たちは堅気なので朝から晩まで仕事。無料で宣伝できるのにSNS発信をしないことが多い。忙しいだけでなく、宣伝の重要性を理解していないケースもあるからだ。

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だから、毎回、僕自身が率先して毎日、10回以上のFacebook記事とTwitterを発信している。下手な宣伝会社のアカウントより僕の「友達」や「フォロワー」の方が多いので効果あり。でも、地元にはあまり浸透しない。地元市民で「友達」「フォロワー」は製作委員会メンバーが中心。その人たちはすでに情報を知っている。それ以外の人に伝えることができない。

が、今回は地元メンバーの多くが僕の記事をシェア、リツイートしてくれる。これなら地元でも情報拡散。3倍4倍の効果がある。さらに、地元メンバー自身も記事を書きツイートをしてくれる。それも毎日だ。その繰り返しが今回の「明日」大ヒットに繋がっていると思える。

これがなかなかできない。先日紹介した後輩監督の地元でも、委員会メンバーがなかなかそれをしてくれないと嘆いていた。Facebookの「シェア」なんてボタンをクリックするだけなのに関係者は「いいね」ばかり押すという。それで応援しているつもりになるのだが、ほとんど意味がない。

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「いいね」は「陰ながら応援しています。いつも記事読んでますよ」というのと同じ。何かそこに日本人の体質も見えてたりする。「消費税値上げは嫌だ!」「戦争法案ダメだ!」と思いながらも口には出さず、デモにも参加しない。具体的なアクションは起こさない日本人。行動するのは一部の人だけ。

デモに行けというのではない。自分たちが作った映画。自分が感動した映画。多くの人に伝えたいという気持ちがあるなら「いいね」ではなく「シェア」をしてほしい。でも、今回の「明日」地元メンバーはそれをしてくれている。とても大きい。それは単に地元市民に上映情報を伝えるだけではない。

上映していない街。すでに上映が終了した街の人たちにも「明日にかける橋」は「まだ上映していますよ」「8週間のロングランですよ〜」と伝えることができる。もちろん、その人たちは近所で「明日」を見られる訳ではなく「へーー凄いなあ」と思うだけだが、のちのち、DVDが発売されたとして、衛星放送で放映されたとき「あ、あの映画だ。観てみよう」と思ってくれる。

また、そこから興味を持ち、検索する。「へーー明日にかける橋って市民が作った映画なんだ。それもおばちゃんたちが中心。静岡県かあ、ふ、く、ろい...って街が舞台? あと、磐田、森町?へー初めて聞く地名だなあ」ということで、街もアピールできる。単に映画情報を発信する以上の効果があるのだ

だから、Facebook、Twitterで情報発信は、とても意味がある。関係者の皆さん。ガンガンお願いします。これは地元で「明日」を上映している間が有効。その間に全国に映画とわが町を伝えよう。おーー。



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和歌山県からもお祝いが届きました。 明日にかける橋 祝[黒ハート]?上映、第8週 目に突入! [10月ー2018]

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和歌山県からもお祝いが届きました。

明日にかける橋 祝[黒ハート]?上映、第8週 目に突入!

映画を作った実行委員会ー堅気のおばちゃんたちー

の努力と奮闘の成果。。


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「明日にかける橋」未公開スチール紹介 久米宏さん?? [ロビーカード紹介]

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「明日にかける橋」未公開スチール紹介 久米宏さん??

これこそ未公開中の未公開。劇中で何度も流れるニュース番組のキャスターさん。どこかで見たことのあるようなこの方。演じるは俳優の遠藤かおるさん。以前に勉強のために喜劇の舞台に何度も立ったことがあるとか。そのとき芸としてやったのが久米宏さんのモノマネ。

それを今回、全面的にやって頂いたのがこの役。撮影はなんと本物のテレビ局の、本物の報道スタジオ! お隣にいるのは本物の局アナさん。その辺のリアリティが強く出ていた。撮影を見ていたテレビ局職員の方々。「カット!」の声と共に大爆笑!本物の報道のみんさんが笑うというのは、遠藤さん。真に迫っていたんですね。

ロケ地にあるーららぽーと磐田での上映。たぶん今週末が最後の週末。お見逃しなく!


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多くのトラブルの背景にあるのは、自身の価値観を押し付けようとすること?=捕鯨問題と同じ? [映画業界物語]

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多くのトラブルの背景にあるのは、自身の価値観を押し付けようとすること?=捕鯨問題と同じ?

アメリカ人の友人がこんな話をしたのを思い出した。

「日本人は何を考えているか分からない。本当に嬉しいのか? 悲しいのか? 顔に出さない。ロボットのように無表情、信用できない…」

よく言われることだが、ビジネスで日本人と接してそう感じることが多いという。が、別のアメリカ人はこういう。

「私たちは人と会ったら、笑顔で握手をしてフレンドリーに接する。それが我々の礼儀。でも、日本人は違う。頭を下げて礼。一歩引いて丁寧に相手と接する。それが日本の礼儀。どちらが正しいんじゃない。それぞれの習慣なのよ」
そう言われて、なるほどと思った。ちなみにその人はいろんな国籍の人に英語を教えるUCLAの女性教師だ。彼女のいうことが正解。だが、多くのアメリカ人は1人目の友人と同じ発想の人が多い。

「日本人には感情がない。喜びも、悲しみも表現しない。だから、神風アタックができたんだ。朝から晩まで働いて、小さな家に住んでいる。まるでアリのようだ」

日本人は人前で泣いたり、大笑いしたりすることは恥ずかしいという習慣がある。以前に書いた「鋭い感受性」の話でも触れたが、感性豊かな人は暮らしにくい社会。アメリカ人は頻繁に、笑い、怒り、ときには涙する。日本人から見ると幼く見えるくらいだ。

ただ、僕も6年アメリカで生活して、日本人とアメリカ人、どちらが人間らしいのかと考えた。感情を見せないことが、大人として大切なのだろうか? それより悲しいときに泣き、面白ければ大声で笑うアメリカ人の方が人間的かも?と思えたりする。でも、それは習慣や価値観から来るもの。その延長線上で考える。

映画業界と一般社会もかなり違う。映画の世界では夜会っても「おはようございます」と挨拶。「え、夜だよ?」と思うが、朝でも、昼でも、深夜でも挨拶は「おはようございます」なのだ。賃金の考え方も違う。アルバイトは時間いくらで働く。サラリーマンは月給+残業手当。どちらも働いた時間、日数に対して報酬をもらう。

が、映画人は基本(映画)1本いくらだ。撮影期間が1ヶ月でも、2ヶ月でも1本いくら。撮影が2−3日延びても額は変わらない。そしてスケジュールがタイトになってくると、早朝から夜明け(?)まで撮影する。1日20時間労働ということもある。でも、残業代は付かない。時給で換算すると100円なんてこともある。

それでもスタッフのほとんどは、基本1時間ある昼飯タイムでもロケ弁を掻き込むように、5分ほどで食べて撮影現場に戻る。飯くらいゆっくり食べればいいのに〜と、僕さえ思うのだが、スタッフは早々に現場に戻る。本当に凄い。

特に太田組に参加してくれるスタッフは本当に申し訳ないが毎回ギャラが安い。なのに全力で仕事をしてくれる。だが、他の組ではギャラが安いから「それなりに仕事する」というスタッフも多い。だとしても、映画スタッフというのは本当によく働く。それに対して、カタギの友人から聞いた話。

「とにかく100%の力は出さない。いつもは60%かな? 納期前には80%くらいの力でやるけど、めったにない。100%は絶対にない。大事なのは家庭。家に帰って子供と遊ぶエネルギーがないほどに、仕事をしても意味ないしね」

ある役所で働く人の話もしよう。

「大きな声では言えないけど、忙しく仕事している風に見せることが大事。張り切ってバンバン片付けると、上から『じゃあ、次、これやって』と言われる。がんばっても仕事が増えるだけ。その気になれば1時間で出来る仕事を、何日かけてやるか?が大事なんだ。がんばっても給料上がらないしね」

まあ、そんな人ばかりではないだろうが、そういうタイプもいるだろう。

「なるべくゆっくり仕事して、残業時間に持ち込めば残業手当がもらえる」

友人たちでもそうだが、とにかく苦労せずに、全力出さずに仕事をして、時給、月給はしっかりもらう。給料以上の仕事はしない!ということが大事なようだ。そんな時代を反映したように、映画の専門学校で講師をすると、必ず訊かれるのはこれ。

「監督って1ヶ月にいくらもらえるんですか?」「映画監督って食えますか?」

本当のことをいうと、その生徒は確実に監督志望をやめると思える。食えるのは業界で5人ほどだ。あとは皆、副業をしている。それ以前に1本の映画を監督するということは、ものすごく大変なこと。食える食えない以前に映画を監督すること自体が難しい。その生徒はいう。

「食えないのは嫌だなあ。生活が安定しないのも嫌だ。でも、映画監督になりたいんですよ…」

公務員になれ!といつもいうのだが、今時の学生は安定を求める。同時に夢や希望を求める。それはどちらかにしないと!でも、若い人がそういうの根性がなく、甘えているのではなく、教育や社会の反映なのだ。

撮影現場にはインターンという制度がある。そんな呼び方をするのは最近で、本来は「見習い」という。ノーギャラでスタッフとして参加。助手として学びながら仕事をする。現場は学校で学ぶ何倍もの勉強になる。実習の何十倍もの経験になる。プロの俳優とも接するし、プロの現場を体験できる。なのだが、そのことをブログに書くとこんなコメントが入った。

「ギャラも払わずに若者を働かせるなんて酷い。搾取だ。利用しているだけだ。そんなことをしているから映画界は衰退し、誰も映画を見なくなったんだ。そんな業界は潰れた方がいい!」

これ書いた人。たぶん、若い人だろう。バイト感覚なのだ。1時間働くと900円もらう。バイはそんなシステム。それがインターンは無給。「若い人を利用している。俺たちは奴隷じゃないんだ。働いたらなりの賃金を払うのが当然だ!」という憤りなのだろう。

だが、彼に抜け落ちている発想がある。アルバイトというのはちょっと教えられれば誰でもできる作業しか与えられない。だから、最初から1時間いくらという賃金が出る。それに対して映画は技能職だ。技術を持っていない人は現場にいても何の役にも立たない。むしろ邪魔になる。カメラをまわせる。照明機材を扱える。俳優の出し入れが出来る。メイクができる。衣裳を担当できる。そんな知識と技術のある人たちを集めて、映画を作る。

その技術を持たない人は現場に呼ばれない。しかし、新人を育てるためにインターンを置くことがある。当然、スタッフの足でまといになる。失敗することもある。トラブルを起こせば撮影が遅れ、何十万円も失うことになる。1日撮影が中止になれば少なくても100万円の赤字。そんなリスクを背負いながら、若い人に学ぶ機会を作っているのだ。

そしてインターン には撮影中の食事が出る。ロケバスにも乗せる。インターンだけ現地集合なんてことなない。地方ロケなら宿舎に泊まれる。が、まだ技術がないのでギャラは出ない。最近は5万とか、安くてもギャラが出ることもある。そんなことを知らずに先の若い人(推定)は「ギャラも払わずに若者を働かせるなんて酷い。搾取だ。利用しているだけだ!」と批判するのだ。彼の中では「バイト=「インターン」と考えている。

しかし、考えてみよう。もし、映画撮影を体験、学ぶなら、本来は映画学校に通う。授業料は安くない。大学と変わらない額だ。何百万もする。なのに、その授業料を払わずに、学校よりもプラスになる体験が出来て、現役のプロが指導してくれる。その上、飯が出て、宿舎にも泊まれる。これはノーギャラというより参加料を払ってもいいだけの経験だ。タダで学校以上の勉強になる。なのに「酷い。搾取だ。利用しているだけだ」と批判している訳だ。

映画業界だけではない。板前の世界も、最初は見習いから。技術の世界はそんな昔ながらの修行からスタートするところは多い。最近は板前さんでも専門学校に行き習うが、授業料を払って学ぶか? 賃金なしで見習いをするか? 映画も同じ。ただ、専門学校に通っても、仕事には繋がらないが、現場でインターンをすれば、スタッフと知り合えて仕事に繋がる。もちろん、認められればだが。

つまり、批判する若い人は映画業界や職人のあり方を知らず、大学=>バイト=>就職=>サラリーマンという、一般的な社会のあり方。価値観で知らない業界を批判しているのだ。知らない世界のことを「そんな業界潰れてしまえ」と攻撃的に否定する。

また、そんな彼が撮影現場を見れば、どれだけスタッフが真剣に、熱く、仕事をしているか?に驚くだろう。残業手当もなく、ボーナスもない、時給1000円以下になることもある。なのに手を抜かない(太田組ではみなさんそうです)。

「少しでもいい仕事をしたい。素晴らしい作品にしたい」

と努力する姿を見ればカルチャーショックを受けるのではないか? それとも「時給1000円でもそこまでやらねえよ」と言うのだろうか? さらに後輩の監督。僕と同じように地方映画をよく撮る彼からも近い話を聞いた。

「その町の委員会が寄付を集め、僕が監督する。そんなスタイルで何本か映画を作りました。地元の方はよくやってくれます。でも、次第にいろんなことを言い出すようになりました。前作に出た若い女優さん。いい子だったので次も出して上げようよ。とか。失敗続きだった助監督のサード君。何度も叱られていたけど、次はがんばると思うから呼んであげてよ…でもねえ….」

なるほど。町の人たちは後輩にとってスポンサーだ。依頼人でもある。ただ、素人だ。俳優の選定とかスタッフのことまで、あれこれいうのはどうか? それは監督に任せるべきだ。後輩は頷く。

「そうなんですよ。この役者を出してほしいなら分かります。が、いい子だからまた呼んでほしいとか、そんなことでリクエストされても叶わないんです。助監督にしてもサード君は本当にダメな奴で、先輩たちからボロクソに言われて、あいつのためにどれだけ撮影が遅れたか……悪い奴じゃないけど、映画の仕事に向いてないんですよ。なのに可哀想だから次も呼んでほしいって…」

もちろん、地元の方々は希望を述べているだけだとは思う。が、彼らの意見の背景が問題だ。映画作りは素晴らしい作品を作るためにすること。そのためには優秀なスタッフ、キャストを集め撮影する。後輩がいうように、仕事ができない。ミスが多い。そんな者たちを呼ぶことはマイナス。なぜ=次も呼んであげて=になるのか? それはサークル活動の発想。あるいは仲良しクラブ的な考え方だ。

僕が学生映画をしていた頃も同じことがあった。撮影の集合時間に遅れる大学生の友人がいる。30分経っても来ない。置いて行こうとすると必ず「待って上げようよ」という奴がいる。撮影時間が短くなるから行こうとすると「酷い!」「かわいそうだ!」と批判する。それに同調するものも出てくる。結局1時間遅れで来た。

そのために撮影時間が足りなくなり、翌日も撮影しなければならなくなる。また全員が交通費を払い、その場所に集まり、撮影をせねばならない。1人の遅刻が全員の負担になる。でも、彼らはいう「日が沈んだんだから仕方ないよ」—違う。遅刻した奴がいたので撮り切れなかったのだ。仕方ないことではない。

でも、大学生の友達にはそれが理解できない。映画撮影より友達付き合いが大事なのだ。友情であり、優しさだと考える。全体を見つめることなく、目の前の事実だけで「可哀想」とか言って、大局を見逃してしまう。そのマイナスが全員に降りかかる。

後輩の支援者も同じ。映画の出来とか、完成度ではなく、現場で毎日叱られていたサード君が可哀想。応援したい。だから次の呼んであげてという。目の前の事実しか見ていない。若い女優さんいい子だったから呼んであげて。いずれも近所付き合いの論理。サークル活動の考え方。大学生の友人たちと同じだ。優しさと言えるかもしれないが、後輩の使命は素晴らしい映画を作ることで、サークル活動ではない。プロの現場であり、ダメなものは置いて行かれるのだ。

「そうなんです。その若い女優も期待はずれで芝居できなくて。次の撮影ではサード君も女優も呼びませんでした。そうしたら支援者の人から批判されて、酷い。なぜ呼ばないの?失望したと言われたんです」

後輩の決断は正しい。でも、そんなことで揉めたり、信頼を失うのもおかしな話だ。その話を先輩にしてみた。映画業界のベテランだ。こう説明してくれた。

「シビアにいうけど、監督って、お前の後輩。俺も知っているけど、まあ問題ある。が、それでも監督だ。撮影隊の責任者であり、リーダーだ。会社で言えば社長だよ。その人にいくらスポンサーかもしれないが、あれこれ人選について言うのがおかしい。素人なんだから。可哀想とか、いい子だからとか、何だそれ。撮影は仕事なんだよ。自動車会社の社長に、あの従業員クビにしないで可哀想だからなんて進言するか?

でも、一般って映画はお祭りとか趣味の延長とか、そんなものだと思っている。仕事って感覚がないんだよ。だから、そんなことを言い出す。一般の人なら、そんな意見無視すればいいんだけど、スポンサーだからそうもいかない。つまり、お前の後輩が悪い。素人にスタッフやキャストの起用についてあれこれ言わせる環境を作ったからだ。だから、その人たちは自分が知らない世界のことをあれこれ、自分たちの価値観で批判するようなったんだ」

その通りかもしれない。後輩は監督らしくなく謙虚で、真面目で、おとなしい。頼りないところもあり、応援したくなることがある。そんなところが支持されて、その町で映画を撮ることになった。だから、町の人たち。皆、彼より年上の、それなりの立場の人たち。彼を応援し、親しく話をする。そのために、あれこれ言う環境ができてしまったのだ。

そして先に例をあげたアメリカ人と日本人。インターン問題と同じ。自分がいる世界の価値観で、自分の知らない世界のあり方を批判してしまう。自分たが正しい、優しさがあると思って批判。相手が酷い事をしていると思い込む。

言い換えればクジラ問題と同じ。アメリカは「クジラは哺乳類。賢い動物。それを捕獲して殺し食べるのは野蛮。可哀想」と日本の食文化であるクジラ漁を批判する。圧力をかけ制限する。そのくせ自分たちは牛や豚を食べている。自分たちの文化にないものは「可哀想」「許せない」「酷い」と否定する。それと同じではないか?

撮影現場で失敗の多いサード君も、地元から見ると、一生懸命、毎日怒鳴られて可哀想。応援したい存在。芝居のできない女優も、いい子だった。がんばってほしい。次も呼んでほしいと感じるのだ。人として考えるなら、ダメな子でも応援する。同情する。それはいいことだ。

が、映画製作からすると、マイナスでしかない。それぞれに正しい。しかし、監督にそれを要求する地元の人の言動は間違っている。彼の使命は「ダメな子を育てること」「下手な俳優を鍛えること」ではなく「素敵な映画を作ること」なのだ。

こうして見ていくと、いろんなトラブルは互いの価値観。それぞれの世界の習慣、ルール。それを尊重せず、批判したり、否定したりすることで起きていることが分かる。しかし、多くの人はそれに気づかず、自分たちが絶対に正しいと信じ、自分の世界の価値観で別の世界を批判してしまう。後輩にそんな話をすると、彼はこう答えた。

「最近、思うんですけど、違う世界の人同士って理解し合えないじゃないかって? 僕はあの街の人に支援されて何本か映画撮った。感謝しています。だから、要望もなるべく聞くようにしているんですけど。最近は細かなことまで、あれこれ言われて作品が歪んでくるし…もちろん、みんないい人たちなんですよ。けど、一線を引いて付き合うことも大事かなって、映画人と一般の人は、分かり合えない…..そう思えています…太田さんの現場。全然、そんな話聞かないし、羨ましいですよ」

その理由は簡単だ。地元の人たちが映画製作を事前に勉強。撮影現場で俳優に話かけない。写真を撮らない。サインを求めない。演出やシナリオにあれこれ言わない。プロに任せるとか、いろんなルールを決めて、スタッフ&キャストを尊重してくれたからだ。

他にも様々な部分で映画製作のあり方を理解してくれた。だから、うまく行った。それに対して後輩の街は映画の方法論を知ろうとせず、自分たちの日常にある価値観を映画製作に押し付けようとした。それではうまく行くはずがない。大事なのは、その世界を自分たちの価値観で批判しないこと。その業界の価値観やルール尊重すること。何事もクジラ問題と共通するものがあるように思える。


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「明日にかける橋 1989年の想い出」大阪初日舞台挨拶 [動画]

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「明日にかける橋 1989年の想い出」初日舞台挨拶

(大阪・梅田)―登壇 太田隆文監督ほか 2018.8.11

記事公開日:2018.8.11取材地:大阪府 動画

 2018年8月11日(土・祝)、大阪市北区のテアトル梅田で映画「明日にかける橋 1989年の想い出」上映初日の舞台挨拶が初回上映後14時半頃より行われ、監督・太田隆文氏および俳優・嵯峨崇司氏が登壇した。静岡県遠州地域を舞台とする映画は、遠州地域の市民有志からなる製作委員会が企画した。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/429308 @iwakamiyasumiさんから





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明日にかける橋 祝上映、第8週 目に突入! ららぽーと磐田 映画を作った堅気のおばちゃんたちー奮闘の成果。 [9月ー2018]

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明日にかける橋 祝ー上映、第8週 目に突入! ららぽーと磐田

映画を作った実行委員会ー堅気のおばちゃんたちーの努力と奮闘の成果。

素晴らしい。

おめでとうございます!


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日常を報告 [10月ー2018]

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 さて、今週で「明日にかける橋」地元公開も終わると思ったので、来週からは宣伝はそこそこにして、生活のための仕事を再開せねば!と思っていたら、第8週目突入の知らせ凄すぎる。。。本当に地元のおばちゃんたちの奮闘の成果だ。客が来るということは映画が評価されているということ。ありがたい。
 
 さて、急に寒くなったせいか? 体調がよくない。とは言え、やるべきことはいろいろある。ここしばらくは、朝起きてからTwitter、Facebookで「明日」情報を発信。というのも、地元の人は「あの映画。その内に見に行こう!」と思いながら、忙しくて忘れてしまうことが多い。いざ、時間ができたときに「さて、今日はどうするかな?」と完全に忘れている。そんなときFacebookやTwitterで情報が流れてくれば「あーこれこれ、観たかったんだよな。今日、行くか?」ということになる。

そのためには公開前だでなく、毎日、朝昼晩と3回以上。情報発信が大事。どんなに記事をアップしても、友人から「映画いつ公開なの?」とか言ってくることがある。人はそれほど真剣に人のSNSを見てはいないのだ。しかし、今回、嬉しいのは、地元の方が多く、僕の記事をシェアしてくれること。なぜか、これまで関係者はシェアしないことが多かった。監督なので遠慮なのか? 宣伝する意味を分かっていないのか? せいぜい「いいね」を押すくらい。それが今回は何人もシェア。ありがたい。僕1人で発信するより人数が多い方が強いのだ。

さて、情報発信もただ、どこで上映しています。だけでは目を引かない。今まで映画の存在を知らない人たちも「へーそんな映画があるんだ」と興味を引く記事や写真。すでに観た人なら「もう一度、見てみようかな?」と思えるものをアップする。今は未公開スチールを毎日あげている。なかなかの評判。地元上映終了まで。と思っていたが、1週延びたのでこのシリーズももう1週続けねばならない。

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午後からは、生活のための仕事。現在は編集準備。膨大な素材を変換。ファイナルカットで使えるものにする。これがものすごく時間がかかる。それを整理。編集がスムーズにできるような体制を作る。本来これは7月からスタートせねばならなかったのだが、あの恐怖のメイキングに2ヶ月近くも奪われ、8月はLAだ。舞台挨拶ツアーだ。とバタバタ。9月は自宅入院状態。ようやく10月に入り動けるようになった。

とはいえ、今も体調不良に戻ることがあり注意せねば。以前は半年ほど寝込んだことがある。1ヶ月ほど寝込んで元気になるものではないだろう。その上、夏の終わりどころか、いきなり初冬のような気候。注意注意。それでも作業は続けている。考えてみると、ラスト舞台挨拶ツアーを終えて帰京してから、人に会っていない。話をしていない。作業していると、どうしてもそうなる。と電話もできない。人とうまくしゃべれない。

が、編集準備作業も単なる作業ではなく、作品の全体像を掴む。構成を考える大切な時期である。どんな音楽が流れるか? どんな編集にするか? その種の曲を流しながら作業するので「編集の霊」も降りてくる。そうなると本当に人と話せなくなる。この時間はとても大切で、それを構築しないと、作品は見えてこない。思った以上に壮大なスケールになりそう。ま、予算は少ないのだが、その予算。残り少ないが、その配分も考えねばならない。

本編集はどうするか? 音楽は? MAは? ナレーションは? スタジオは? 音効は? その費用も同時に考えていく。どこに金を使い、どこを安く済ますか? これはPの仕事だが、低予算でクロリティの高いものを作るには、Pと監督の仕事を同時にすることは大切。でも、考えていると、神経切れそうになり、心にゆとりがなくなる。

夜も変換作業をしながら、待ち時間にビデオをみる。先日手に入れたNHKのDVDはとても勉強になる。本日も体調が悪い。食事に出る元気もなく、部屋で仕事。無理せずに作業を進める。

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