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俳優になるにはまず、プライドをズタズタにされて打ちのめされること=そこからが本当のスタートだ。 [映画業界物語]

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俳優になるにはまず、プライドをズタズタにされて打ちのめされること=そこからが本当のスタートだ。

俳優になるには「鋭い感受性」が必要という話。いろんな角度から書いた。例えば「鋭い感受性」=怖がりというのは当てはまる。夜怖くてトイレに行けない子供。これは想像力が豊か。「お化けが出るんじゃないかな?」というイマジネーションが働く。でも、大人になるにつれ現実的になり想像力を失う。なのに怖がりというのは、表現の仕事に向いている。

センスがいいというのも大事。おしゃれというのも感受性の成せる技。ただ、一流ブランドが好きというのは違う。そのセンスに惹かれるのではなく、一流ブランドだから好きという人も多いからだ。

就職希望がマスコミとか外資系とか大手銀行という人たちと同じで、そこでしたい仕事があるというよりブランドとして憧れているだけのことが多い。それと同じで高級ブランドを持つことで「自分が一流になった」と思いたい種の人々。決して「感受性」がある訳ではない。

ついでにいうと「俳優ブランド」に憧れている人もダメ。俳優だけでなく、作家でも、歌手でも、「私は特別。人とは違う」というプライドを満足させるために、その種の仕事をしたがる人も多い。

芝居が好きなのではなく、テレビに出て、キャーキャー言われ、大金を稼ぎ、有名になる。そこに憧れているだけの人がとても多いのだ。要は注目を浴びて、虚栄心を満たしたい。強い自己確認をしたいという人たち。

もちろん、それが動機でスタートして成功する人もいる。しかし、多くは芝居がしたい。歌が歌いたいーではなく、有名になりたい。チヤホヤされたいが目的なので、辛い稽古をしたり、下積み生活に耐えたりというのを嫌がる。手軽にデビューしたい。

だから、大手プロダクションに入りたいとかいう。その手はまず成功しない。高級ブランドが好きな人たちと同じ。高級品を身にまとうことで自分も高級になったと思い込む。楽していい気分に浸りたい。そんなタイプなのである。表現の仕事は無理。

別の角度からも説明しよう。かなり昔になるが、ある俳優事務所=小さなところ=の社長が会ってほしい新人がいると言われ、訪ねたことがある。その新人は木村拓哉風のイケメン。社長はいう。

「どうです? かっこいいでしょう? キムタクに似ているし!」

確かにかっこいい。その上、腰が低く好感の持てる青年。社長は嬉しそういう。

「売れると思うんですよ。ドラマに歌。今、踊りのレッスンもさせています」

でも、ダメだと思った。木村拓哉に似ているということだけで、もうアウトだ。この世界。オリジナリティや個性が重要視される。すでに売れている人と似ているようではダメ。「そっくりショー」に出るのならいい。コンパに行けば、女の子たちが「わー似ている〜」と騒いでくれるだろう。

でも、仕事に繋がらない。彼がドラマに出て、どんな反響があるか?「あの人、木村拓哉に似ているね?」で終わり。テレビ局が「キムタクに似ているからゴールデンのドラマに出演してほしい」とは言わない。紛らわしいだけだ。しかし、社長はこう考えた。

「キムタクに似ている」=>キムタクは人気がある=>彼もカッコイイ=>だから、彼も人気者になる。

それは間違い。似ていることは全てにおいてマイナスなのだ。かつて、日本の芸能史上で似たような俳優がブレイクしたことがあるか? 高倉健に似た有名俳優がいるか? 勝新太郎に似た役者がいたか? 松田聖子に似た歌手がブレイクしたか? 山口百恵にそっくりのタレントが活躍したか? NOだ。この世界は個性。似ているだけでは認められない。

いかにして自分の個性を探し、それを磨き、打ち出すか? それが多くの人に支持されたときにブレイクする。例えば、勝新太郎さん。最初は二枚目で売り出した。が、同期に市川雷蔵がいた。とても敵わない。勝の映画はヒットせず、雷蔵ばかりがもてはやされた。彼は考えた。

「雷蔵にあって、俺にないもの。俺にあって雷蔵にないもの...」

やがて彼は一冊の小説を見つめる。この主人公。腹黒く、やり方の汚い。酷い男。それでいて、どんどん成功し偉くなる。悪の魅力。「これは俺にしか演じられない」と、所属する映画会社に直談判。映画化を実現する。

それが「不知火検校」だ。「座頭市」のルーツとも言える作品。そこから人気爆発。3つのヒットシリーズを持つ超人気俳優へと進んでいく。他にはいない自分しかない個性を見つけ、それを発揮したのである。そもそもスターというのは代わりが効かない。唯一無二の存在。誰かに似ているというだけでアウトなのだ。でも、その社長と同じような勘違いをする人は多い。

「この女優より私の方が可愛い。この子が売れるなら私は俳優になれる」

社長と同じだ。可愛いだけで俳優業には繋がらない。その子が売れているのは別の理由があるのだ。こんな勘違いもよくある。テレビで有名俳優の演技を見ている。欠点をいくつも見つけた。こんなことにも気付いていない。これで仕事来るなら私も女優で行けるわーこれも大きな間違い。

何度も説明したが、インプット作業ばかり(たくさん見ることで見る力が育つ)で、欠点を見つけることができても、アウトプット作業(自身で表現すること)も磨かれていないと、表現の仕事はできない。「欠点を見つける」=「私ならできる」にはならない。

インプット作業の勉強をしっかりしている人ほど、そこに陥ってしまう。人のことはいえない。僕も経験がある。監督デビュー前、生活のために居酒屋でアルバイトをしていた。親方からホタルイカの骨抜きという作業を頼まれた。骨を抜かないと生で食べられない。目の前で実際にやって見せてくれた。

親方はいとも簡単に骨を抜く。「わかりました!」と、皿ごとホタルイカを受け取り作業。が、全くできない。骨が抜けない。親方が楽々とやることができない。様子を見ていた親方が「もういいよ!イカが緩くなっちまう」と取り上げられた。

見ていると簡単そうでも、自分でやるとできない。「表現」の仕事も同じだ。親方は若い頃から見習いとして働き。20年以上も板前として仕事をしてきた。そこにイカを食べたことしかない僕が、見よう見まねで作業をしても簡単にはできないということだ。演劇も同じ。

そして自分で演じたことがない人ほど「あの女優下手ねえ〜」「全然ダメだね。才能ないね!」とか上から目線でいう。それが素人ならいい。だが、もし、俳優を目指そうという人なら、その言葉を吐いただけで失格。そして、ろくに演技をしたことがないこともバレるだろう。経験があればそんなことは言えない。シナリオの世界でも同じだ。プロデューサーという人たちはよくいう。

「この脚本をほんと酷いよね。才能ないんじゃない? 俺が書いた方がまだマシだよ。直してやるか?」

そのシナリオを直し、ライターに見せる。

「ほら、良くなっただろう? お前もっと努力しろよー」

しかし、ベテランの脚本家はいう。

「Pは勘違いをしている。ゼロから作品を作り出すことは本当に大変なことだ。どんな駄作でも、表現者なら踏みつけるような言い方はできない。形になったものの欠点を探し、直すことなんて簡単。それができたから、俺の方ができるというのは完全な勘違い。それこそ誰でもできること。ゼロから生み出すことは本当に大変で、尊いことなんだよ」

本当にその通りだと思う。ほとんどのプロデューサーは自分で書いた経験がない。だから偉そうにいえる。直すことなんて簡単だ。つまり、そのPも勘違いしているのは

「酷いシナリオだ」=>「俺が直してやろう」=>「ホラ、良くなった」=>「俺の方が書く力があるんだ」=>大きな勘違い。直すのは簡単。ゼロか物語を生み出すことが一番大変。
芝居をしたことがない奴がプロを批判する。「私の方ができる?」と勘違いする。それは芝居経験がないから言えることだ。

これも僕自身経験がある。10代には日本映画の巨匠をバカにしていた。が、学生映画を撮ってみて、どんなクソみたいな映画より、自分の作品がダメなこと。映画にすらなってないことを痛感した。そこから

「では、どうすればプロのような画面が撮れる?」

と考え、勉強を始めた。後輩にも大口を叩く奴が何人もいた。シャアが聞いたら、あの名セリフを連発するだろう。=ガンダムを知らない人。毎度、すみません=そんな後輩が何人かいた。

「今、シナリオを書いています。できたら太田さんにも見せてあげますよ」

30年以上前の話だが、未だに彼はシナリオを見せてくれない。書きあがったという話も聞かない。こんなのもいた。

「俺が作る映画は10億くらいが妥当だなあ〜」

でも、彼は結局、映画監督デビューさえしていない。若い頃は皆、インプット作業ばかりして、勘違いが加速。

「俺は凄い。プロの連中なんてダメだ…」

と気持ちばかり膨れていく。でも、一度、失敗すれば現実を知る。己を知る。そこからスタートすればいい。ただ、友人たちもそうだが、こんなことをい出だす。

「10億出してくれたら、いつでも映画を撮ってやるよ」

「主役以外はやらないよ」

何だかんだと言い訳をして行動せず、先の友人もシナリオを書き上げることもできず、歳だけとっていく奴がたくさんいた。彼らのほとんどは

「俺は外の連中と違う。才能がある。やれば大ブレイク間違いなしだ」

という何の根拠もない高いプライドを持っていた。が、なぜ、行動しないのか? 内心。あるいは無意識に不安も感じているからだ。

「もし、ダメだったらどうしよう? シナリオを書いて認められなかったらどうしよう?」

日ごろから偉そうなことを言っている。プロを否定し、友達にも上から目線。なのにシナリオが認められなかったら、あるいは舞台に立ち、芝居を見た友達が「意外に大したことないなあ」と言われたらどうしよう。

そんな恐怖も感じる。だから、行動に移さない。作品を作らなければ、批判も否定もされない。いつまでも高いところにいられる。そうやって歳を取り、仕事をするチャンスを失うのである。

そんな人たちを本当にたくさん見てきた。でも、「表現」というのは、否定されようと、批判されようと、形にせねばならない。そこからがスタートなのだ。シナリオを書く。映画を作る。舞台に立つ。そして批判を浴びる。正しい批判と間違った批判を区別する。自分が本当に正しいと思う声だけ聞いて、考え、反省して、次に備える。その繰り返しだ。

なのに作家志望の友人。執筆しようとせず、「まず出版社にコネを作る。次に資料を集める。編集者と仲良くなる」そんなことばかり言っていた。「2流の**書店は嫌だ。大手の**社なら出してもいい」そんなことは作品が出来てからいえ。結局、彼は小説を書かなかった。こんな女優の卵もいた。

「大手***事務所に所属してCMの仕事をしたい。写真集を出して、月9に出て、ハリウッド映画にも出ようかな〜」

妄想の前にまず芝居しろと叱ったことがある。その子がいうのは、中学生の夢と大差ない。

「将来、東大を受験して、卒業て、テレビ局に就職して、俳優と結婚して、田園調布の大きな家に住んで、1年に何回か海外旅行するの!」

 それと同じだ。その子はこうもいう。

「でも、最初に深夜ドラマとか出てしまうと、二流だと思われるので、ゴールデンのドラマでデビューしたいんです...」

もう、無理! バカな主婦の発想だ。我が子を有名幼稚園に入れて、名門のエスカレーター学校に入れて、大学まで….それと同じ発想。そんなことで役者にはなれない。

先の大手**社から本を出したいというのと同じ。要は芝居がしたいのではなく、ブランドにこだわっているだけ。「私は他の人と違う」という勘違いなプライドを捨てられないのだ。「表現がしたいのか?」「プライドに見合う立場になりたいのか?」まず、そこを考えた方がいい。

大事なことは、一度酷い目に遭うこと。プライドをズタズタにされること。地面に叩き落とされて、自身の力を思い知ること。そこから考えて、どうすれば見返せるか? 認められるか? 必死に考えて、技を磨くこと。そこからが本当のスタートになるはずだ。

「詰まらないプライドは捨てろ。プロとして素晴らしい演技をするというプライドを持て」

せっかく、素質があるのに、詰まらないプライドで全てを失う人たちもいる。だから、しのごの言わずにまずは、カメラの前で芝居する。舞台に立つ。ゴールデンのドラマでなくていい。自主映画でいい。帝国劇場でなく、下北沢の小劇場でいい。実際に芝居をすることだ。そこから全てが始まる。


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