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日本人をダメにしている習慣、思い。これではないか? [嫌われる大切さ]

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日本人をダメにしている習慣、思い。これらではないか?

①ムラ社会ルール

②「嫌われたくない」「みんなと仲良くしなければならない」

③みんなと一緒が安心!

この3つが大きいんじゃないかな? 

3つとも多くの日本人が抱えていて、心に染み付いている。これらが日本人を時代遅れにして、新しい時代に乗り遅れ、いろんなことを阻害しているように思える。

これらダメ発想を植え付けているのが地域社会、政治、そして教育ではないか? 

詳しくはいずれ記事で掲載。


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映画監督は嫌われ役。困ったちゃんに好かれても意味はない?=本当に大事なことは何か?考える。 [嫌われる大切さ]

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映画監督は嫌われ役。困ったちゃんに好かれても意味はない?=本当に大事なことは何か?考える。

映画製作でキャスト、スタッフを決めるのは監督だ。テレビの場合はPだが、映画は伝統的に監督である。気の合うスタッフ(仲がいいということではない。センスがある、技術がある。意図を理解するという意味で合うだ)同じ意味でキャスト。もちろん知名度もあるが、スタッフと同じ条件だ。

このところスタッフはほぼ同じメンバーだ。皆、優秀な上に協調性があり、何より「いい作品を作ろう!」という思いを持っている。そもそも映画人はそういうタイプが多いのだが、そうでもない人もいる。「今回の撮影は早めに終えて欲しい。家が遠いので」なんて最初に行ってきたスタッフがいた。その段階でもういい!という感じだ。

古い価値観を押し付けるベテランもいる。「お前は映画がわかってない」と説教するが、デジタル時代にフィルム時代の方法論は通用しない。反論を許さないというのではない。意見は聞くが、それに納得できないものは却下する。なのに、それをいつまでも繰り返したり、不貞腐れたりする者もいる。

スタッフィングのときはいつも「七人の侍」を思い出す。毎日、飯が腹いつぱい食えるというだけの報酬で村を守る侍を探す前半。腕はよくてもプライドが高いとダメ。腕は中の下でも辛い時に役に立つとか「そーだよなー」と思う。僕の映画はいつも低予算であり、それでも「やる!」と言ってくれることが必要なのだ。

そうなると太田組スタッフは腕が悪いか、新人ばかりになるか?と思いきや映画テレビの第1線で活躍する人たちが数多く参加してくれている。「太田組は楽しいからね」「監督は絶対に手抜きしないし、必ず泣けるいい映画を撮るから」と言ってくれる。ありがたい。

僕は現場では怒鳴ったり、必要以上に粘ったりはしない。が、細かいことにうるさい。技術部には監督の指示に従わず勝手にカメラ位置を決めたり、照明を作ったりする人がいる。が、それは絶対にアウト。全て計算して演出をしている。パートごとに判断してはいい作品はできない。また、当然のことだが、他のパートにあれこれ文句や指示を出すのもアウト。照明部が撮影部に、録音部が演出部に口出すするのはダメ。

また、男の子に多いが、若い女優たちと仲良くなりたくて仕事をしている連中がいる。必死に携帯番号やメールを聞き出そうとしたり。隠れて夜のドライブをしたり。僕はそれを見抜くのが得意。厳重注意する。大学のサークルではない。彼女探しの場ではない。そのことで俳優たちのストレスにもなる。振られて仕事に力が入らなくなる奴もいる。何れにしてもアウト。

撮影中は仲良くやるべきだが、仲良くを優先して、わがままを許してはいけない。やってはいけないことを許すことはできない。大事なのは素晴らしい作品を作ること。だから、嫌われても何しても、やってはいけないことは止める。

止める余裕がない場合は二度と、その人をチームに呼ばない。それで批判されても構わない。たいてい、そんなスタッフは他でも事件を起こし仕事がなくなる。

大事なのは問題起こす人と仲良くやることではない。トラブルを見て見ぬ振りをすることでもない。困ったちゃんは排除して、本当に真剣な人たちと仲良く力を合わせること。それが素晴らしい作品ができることに繋がる。僕の映画が毎回、高い評価を受けるのは、そんな素敵なスタッフが毎回参加してくれるからなのだ。


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「嫌われること」の大切さ。映画界と会社を比較してみる。 [嫌われる大切さ]

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「嫌われること」の大切さ。映画界と会社を比較してみる。

映画の撮影は、スタッフ&キャストが流動的だ。トラブルを起こす奴。ごまかしをする奴。金に汚い奴。仕事ができない奴。プライベートを持ち込む奴。そんな輩がいれば次回は排除する。仕事ができて、気の合う人間とは次回も仕事を続ける。次第に良い環境となり、仕事を楽しくできる。いいものが作れる。

これが会社だと、部署に1人は嫌な奴がいる。面倒な奴がいる。手抜きをする奴がいる。何より上司がバカだったりする。でも、移動シーズンまで、その中で仕事をせねばならない。仕事には全力を出さず、それなりにしか仕事をしない者も多い。特に役所では1時間でできる仕事を何日もかけてやる習慣がある。

頑張って仕事をしたり、新しい提案をすると疎まれ嫌がられる風潮がある。日頃は努力しないくせに、そんな時には協力し合って、新しいプロジェクトを潰しにかかる職員たちもいる。役所や会社と関わると、そんな側面を目にすることが何度もあった。そんな中にいると「やる気」をなくし、適当にやろうと思えるのも当然だろう。

なるべく嫌われないこと。そのためには頑張らないこと。新しい提案をしないこと。過去を踏襲すること。そのために会社の業績が上がらなくても、市民のためにならなくてオーケー。それが組織の一面であるように思える。

だが、映画製作は違う。仕事を真剣にしないと次から声をかけてもらえない。新しい技術を取り入れず、古い機材や方法論をいつまでも振り回していたら仕事が来なくなる。つまり、一部の公務員のような仕事をしていると排除されるということだ。嫌われないためには、いい仕事をせねばならない。

目の前に問題があっても役所等では「見て見ぬ振り」をせねばならないことも多い。問題点を指摘したり、責任を追及してはいけない。これは映画の世界にも少しある。ベテランで問題のある人を批判しにくい。プロデュサーが誤魔化しをしても仕事が欲しいから指摘できない。だから、それを解決するのも、太田組では僕の役割だと考える。

誤魔化しをする者は二度と呼ばない。問題を感じたスタッフは事前にブロック。スタートしてから問題が起こった場合は徹底的に調べる。その原因は何か?誰か?なぜか? よく「終わったことを言っても仕方ない」と言いがちだが違う! 同じ問題を起こさないためにも徹底して考える。どうすべきだったか?

そして真相が分かり、責任が誰にあるか分かれば改善。本人に否があれば次から呼ばない。長年の付き合いでも許さない。会社でクビにするのはいろいろ大変だが、映画製作では簡単だ。そのことでチームが健全になる。

ただ、排除した人たちからは嫌われる。手抜きをしたくせに「あんなに頑張ったのにクビにされた!」と言って回る奴もいる。古い方法論を押し付けてきたのに「親切にアドバイスしてやったのに」という者もいる。だが、誰とでも仲良くやることが大事ではない。問題ある人には抜けてもらわねばならない。いい仕事をすることが一番大事なのだ。

その意味では監督業は「嫌われること」を受け入れなければならない。みんなと仲良くはできないのだ。これも別の記事で詳しく書くが、監督業、映画界だけではないだろう。「嫌われること」を避けることで、腐敗や停滞が組織内で起こるように思える。


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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を? [my opinion]

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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を?

ムラ社会ルール5か条は以下の通り

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

②「問題を起こした責任者を追求しない」

③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

これらは全て江戸時代あたりからの地域社会でいかに平穏に暮らして行くか?揉め事を避けられるか?という思いから生まれて来た習慣だと思える。それが明治、大正、昭和、平成。そして令和時代にも引き継がれて行こうとしている。

不思議なのは、昔々なら田舎町から出ることは難しかった。交通も通信も不便。その村の中で交流するしかない。だが、今は交通の便も良くなり、通信手段も多様化。ネット時代でもある。隣町には車やバスで簡単に行ける。関所なんてないし。都会にも電車やバスで出られる。地元との交流がないからと生きて行けない訳ではない。

ただ、仕事が地元なら同僚。得意先としがらみができる。商売なら街の人たちが顧客だ。狭い世界で生きて行かねばならない。だが、そんなしがらみがなければ、トラブルを見て見ぬ振りをしなくても済むのではないか?と思える。なのに小さな田舎町ならいざ知らず。政令指定都市でも同じようなことを経験した。

時代が変わっているのに、江戸時代から(もっと前?)習慣から逃れられないでいるのはなぜか? 一つには長年に渡り、代々引き継がれたものはなかなか止めることができないということがあるだろう。ただ、都会では、その衛星都市では、その種の習慣はないとは言わないが、あまり見聞きしない。つまり、長年に渡って顔を合わせて生活している地区でその習慣が続いているということだ。

地方が活性化されないという問題がよく言われるが、その背後にムラ社会ルールが今も根付いていることで、新しい試みができない。あれこれ否定する人が出ても、誰も説得しないということがあるのではないか? それを多くの人は「ムラ社会ルール」に縛れているのではなく、「みんなと仲良くやらないといけない」「嫌われたくない」という思いにすり替えてはいないか?

役所も会社でもそうだが、狭い世界に長くいると、そんなルールに縛られてしまい、何もできなくなる。中から腐って行く。令和時代はその結末が見られるのではないか?と思える。では、どう考えればいいか? 別の機会に書かせてもらう。


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「嫌われることを恐れてはいけない」それが現代人に必要なこと? [嫌われる大切さ]

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「嫌われることを恐れてはいけない」それが現代人に必要なこと?

「みんなに好かれる子になって欲しい」

子供が産まれる時、親はよくそういう。そして子供たちには親はこういう。

「みんなと仲良くして欲しい」

親としての願いだろう。そして人は大人になっても、その言葉を胸に生きて行く。誰もが正しいと思うことだ。だが、今、それは違うのではないか? それが日本人を縛り不自由にしているのでは?と思える。

それらの言葉は会社や役所のような閉鎖された世界では有効かもしれないが、その他ではもう通用しないことではないか?あるいは会社等の組織内でも、もう通用しない時代に突入しているように思えている。

それらの言葉はここしばらく書いた「ムラ社会ルール」に則ったものではないか?と思えるのだ。そのルールこそが日本人を縛り、ダメにしていること。何度も記事にした。そのルールから来た言葉なら通用しないのも当然だと思える。さらに言うなら、こう言える。

「嫌われることを恐れてはいけない」

「みんなと仲良くする必要はない」

これだけ聞くと不良の発想に思えるが、今の時代、それこそが正解だと思えている。詰まらぬしがらみ。役に立たない習慣。意味のないルール。そこから脱しようとすると、あれこれ批判される。嫌われる。

だから従う。おとなしくする。だから、新しいことができない。何もできない。何かをやってはいけない。だったら新しい挑戦をして嫌われる方が意味があるのではないか?

何もせずに踏ん反り返る奴がいる。何かにつけ批判して来る奴がいる。古い価値観を押し付けて来る奴がいる。自分だけ得をしようとする奴がいる。そんな奴らと仲良くする必要があるだろうか? そんな人たちのグループから排除されてこそ、やるべきことができる。

本当の悪人はいない。というが、詰まらない価値観にこだわり、そこから離れられない人たちも多い。無意味な価値観を振り回すことに意義を感じている人たちもいる。その人たちと理解し合うために時間を割くより、嫌われても自身が正しいと思う道を進むことに意味があるのではないか?

乱暴に書いたが「嫌われてもいい」「皆と仲良くする必要はない」そのことが、これからのテーマになるのではないか?と思えている。いずれ詳しく解説する。



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