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嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?=日本が復活するために必要なこと。 [my opinion]

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嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?
=日本が復活するために必要なこと。

「嫌われてもいい」という記事。予想外に好評だった。やはり、多くの日本人が「嫌われたらどうしよう?」と考えてあれこれ我慢したり、自分を殺して窮屈な生き方しているので共感してくれたのだろう。日本人は子供の頃から

「みんなと仲良くしなさい」「誰もに好かれる子に育ってほしい」

と親に言われる。それは間違いではないのだけど、その背景にあるのが「ムラ社会ルール」のような気がする。狭い村だから、揉め事を起こすと村八分にされるから

「みんなと仲良くしなさい」=イジメられたりしないように

「好かれる子になる」=嫌なことを我慢せねばならない。

ワガママを言わない。自分の思いを抑えて生きることにも繋がる。つまり、みんな一緒。勝手なことはしない。反対意見を持たない。人を批判しない。ムラ社会ルールを遵守する日本人の典型になってしまう。

それは原発ムラでも実践されている。原発利権を守るためにみんなが仲良く、マスコミに圧力をかけ、利益を上げる。仲間から嫌われないように、問題が起きても守り合う。事故の責任があるのに東電を倒産せずに国が支え、当時の重役たちは膨大な退職金をもらい勇退した。その反面。国民が食い物にされ、被災者に十分な保証をせず、

「事故はすでに収束」

という嘘八百を並べる。被害は今も続いている。つまり、仲良くする。嫌われないを突き詰めると、腐敗し多くの犠牲の上に成立するしかなくなるのではないか?

これは映画の世界でも同じ。

撮影スタッフに1人バカがいると、トラブルが起こる。そのバカとは仲良くしてはいけない。そのバカに嫌われるからと迎合してはダメ。そのバカは排除して、問題を起こさない人間を補充するべき。

バカの行動を阻止する、

嫌われることを恐れてはいけない。彼らに好かれる、仲良くするということはトラブルを我慢し、作品クオリティを下げることになる。だが、その強硬な対応ができないのが、会社や役所だ。

簡単にはクビにできない。だから、ムラ社会ルールを実践してしまう。見て見ぬ振りをする。トラブルに気づかぬ振りをする。嫌われないように、誰とでも仲良くする。だが、そのことで日本の企業や政治はどんどんダメになり、アジアの三流国に落ちぶれたのだ。

嫌われることを恐れ、皆で仲良くしててダメになったのではないか? これからの時代。大事なことは嫌われることを恐れない。嫌われてもやるべきことはやる。皆と仲良くする必要はない。ということではないか?



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人の忠告を聞いてはいけない。耳を塞いでこそ、夢は叶う? [映画業界物語]

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人の忠告を聞いてはいけない。耳を塞いでこそ、夢は叶う?

昔から僕は「変わってるなあ」と言われる。以前にも書いたが、このところ書いている「ムラ社会ルール」のことを考えると、その謎が解けるような気がした。小学生時代から話を始める。当時、僕は4年生くらいから長髪で

「ヒッピーだ!」

と同級生に言われていた。時代を感じさせる。高校時代は規則がうるさく、短い髪をしていたが、その後は現在に到るまで長髪。1990年代にキムタク人気でロン毛(これも時代を感じさせる言葉)が流行って、ブームの後追いと思われたかもしれないが、こちとら年季が入っている。小学生からだ! 関東にある映画学校に通った頃は

「関西人はやっぱ変だよな〜」

と言われたが、大阪の高校時代も「お前は変わってるで〜」と言われていた。関西は関係ない。LA留学時は「日本人は変わっている」と言われることもあったが、これも外れだ。

アメリカ映画、ドラマ、音楽にはかなり詳しいので、よく驚かれ、英語学校の先生には「You are a American boy!」と言われたりもした。といって英語力は大したことない。帰国してしばらくして映画の仕事を始めた。業界は変人が多い。特に監督と呼ばれる人は本当に変わっている。個性的を超えて変人。奇人。あるいは狂人。変態?という人種だ。その中では僕なんて真面目な方なのだ。昔から酒癖が悪いとか、金使いが荒い、女癖が悪いということはなく、約束を破ったり、時間に遅れたりということはない。

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映画界で仕事をするようになっても、一般からは「変わっている」と言われ続けた。一つには「高校卒業」=>「大学」=>「就職」=>「会社員」というコースに乗らなかったことがある。人からすれば、それだけで十分に変わっていると思うだろう。あるいは

「よほど成績が悪かったのだろう.....」

と考える。ただ、変人が集まった映画学校でも「変わっている」と言われ、映画の世界でも異端児扱いされることになる。

「製作費を集めて映画を撮る!」

と言い出したからだ。「監督になりたい!」という人たちは多いが「どこの会社も撮らせてくれないなら、自分で製作費を集める」という奴は少ない。それはプロデュサーの仕事だということもある。先輩たちが忠告しに来る。

「お前なあ。Pの経験もないのに、金なんて集められる訳がないだろう?」

高校時代も「将来、映画監督になる!」と言ったら、同じように大人たちが入れ替わり立ち代り来て、説教された。「監督になるなんて簡単じゃないぞ」ーそんなことは分かっている。でも、一流大学を目指すというと大人たちはいう

「いいぞ!頑張れよ〜」

ーそれも簡単なことじゃない。なぜ、大学は応援して、映画監督だと「簡単じゃないぞ!」になるのか? 映画界でも「監督したい!」という人はごまんといるのに、製作費を集める!」というと、あれこれ言われた。どちらの時も、同世代からも多くの批判を受けた。

「できる訳がない!」「無理!」

「甘い!」「現実は厳しい!」

どちらの時も、経験がある人は1人もいない。「映画監督を目指そうとして失敗した。製作費を集めようとしてうまくいかなかった。だから忠告する」なら分かる。挑戦したこともない連中が「世の中甘くない!」という意味が分からない。


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ここまでは以前にも記事にした。そして最近「ムラ社会ルール」の記事を続けて何本も書いた。詳しくはバックナンバーを読んでほしいが、僕はこの歳になるまで、そんな習慣が今も日本に根強く残っていることに気付かなかった。

詳しくはこちら=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08-2

というのも、同じ地方で長年暮らしたことがない。会社員をやったことがない。限られた場所で周りと協調して生活、仕事する機会がなかったからだ。それが地方で映画を撮るようになり、事件が起きる。なのに地元の人たちは見て見ぬ振り。責任が誰にあるか気づいているのに、何も言わない。それどころか問題ある人と笑顔で接する。

何度もそんなことがあった。その背景にあるものこそが「ムラ社会ルール」=問題を見て見ぬ振りをし、トラブルはなかったことにする。責任者を責めない。同じ地区で生活しているので、あとあと揉めたくないからだ。問題を解決するのではなく、トラブルをなかったことにする。被害者は泣き寝入り、責任を追及したら、その被害者をみんなで叩く。そんな習慣が日本には根強く残っている。

原発事故の対応もまさにそれ。「ムラ社会」だけでなく政府や企業も同じなのだ。揉めない。トラブルを起こさない。そのために日本人はなるべく目立たないことを心がける。人と同じ行動をし、自己主張をしない。周りと協調する。新しいこと。これまでになかったことを始めると、みんなで止める。過去の例に従い、あちこちから批判されないように振る舞う。

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それが日本という国なのだ。役所も同様。会社でも同じ。学校でもそうだ。目立つことをするとイジメという形で粛清される。会社員は皆、紺のスーツ。似たような髪型。大学=>就職=>会社員というコースを皆が進む。さあ、それに対して困ったちゃん(私です!)は子供の頃からヒッピー。大学には行かず(結局、アメリカで行ったけど)就職もしない。会社員にもならない。

人がやらないことをする。当然、周りは困惑し、止めにかかる。僕には意味が分からなかったが、要は「人がしないことをすると止める!」のが日本人なのだ。個性派、変わり者が多い映画界でさえ、あれこれ言われた。

結局、高校時代に「映画監督になる!」と宣言。年月はかかったが、実現した。「製作費を集めて映画を撮る!」それも、3回やり遂げた。両方ともに「世の中甘くない!」「不可能だ!」と何人からも言われたが、実現できた。僕が特別な才能があるからではない。「新しいこと。例のないことをやるのは危険。不安。怖い!」と言う無意識があり、潰すことで安心したい。その圧力に屈するか?屈せずに進みかどうかなのだ。

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もう一つ。付け加えるならば、僕はわがままだ。自分の思いを抑えて我慢して暮らすことができない。世間は

「それを我慢するのが大人ですよ〜」

という。もちろん、何の努力もせずに「金持ちになりたい!」というのは違うがもし、自分が願うことがあるなら、どうすれば実現できるか?を考えて足掻いてみる。それで可能になればオーケーではないか?なのに日本人の多くは、世間体を気にし、新しいことを不安がり、よってたかって潰そうとする。賢い人たちはそんな周りの空気を読んで、大人しくしている。

でも、日本人も捨てたものではなく、時々、そんな習慣に縛られず、空気を読まないで大暴れする人たちが出て来る。織田信長とか、本田宗一郎とか、黒澤明とか、円谷英二とかは、それを実践したのではないだろうか?アメリカ人にはそういうタイプは多いが、日本にあるあのルールが人を縛り、押さえつけてしまうのだ。

ただ、これからの時代は自分にわがままでいいのではないか? 真面目に大学に行き、会社員になり、周りを気にして自分を殺して生きていても、リストラされたり、倒産したりする時代。それなら、習慣に縛られず、本当にしたいことをするべきではないか? 

どうにか食って行ければ、自分が好きな仕事をする方が楽しい。世の中、厳しいばかりではない。やれば何とかなる。「変わり者」がチャンスを掴む時代なのだ。そんな風に思えている。

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「アベンジャーズ」シリーズ入門講座=日本で言えば仮面ライダー、キカイダー、イナズマン、ロボット刑事が大集合のヒーロー映画。 [アベンジャーズ]

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「アベンジャーズ」シリーズ入門講座
=日本で言えば仮面ライダー、キカイダー、イナズマン、ロボット刑事が大集合のヒーロー映画。

昨日の「エンドゲーム」いろんな意味で感動して、今日も映画館に行こうか?と調べたが、どこもネット予約だけで満席!できればドルビーシアターかIMAXで観たい。それは連休が終わるまで無理そうなので、本日は部屋でAmazonプライム。「アベンジャーズ」シリーズの復讐、ではなく復習をして、後日に改めて映画館に行くことにする。

最初はやはり1作目「アベンジャーズ」ーでも、このシリーズに詳しくない人もいると思うのでまず解説。日本でも特撮ヒーロー系の大手というと東映系が制作した「仮面ライダー」「キカイダー」「宇宙刑事シリーズ」「戦隊(ゴレンジャーとか)シリーズ」と、東宝系(というより円谷系)の「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ジャンボーグA」「ミラーマン」という二つの流れがあるように、アメリカのアメコミ界もDCコミックとマーベルという2つのグループがある。

DCは「バットマン」「スーパーマン」「ワンダーウーマン」等で、マーベルが「スパイダーマン」「超人ハルク」「キャンプテン・アメリカ」(それぞれが主人公で映画になっている)等。そのマーベル側のオールスターキャスト作品が「アベンジャーズだ」日本で言えば、仮面ライダー、キカイダー、ロボット刑事、ゴレンジャーらヒーローが勢ぞろいして巨悪と戦うような感じ。

ただ、日本では特撮ヒーローというと子供向けという認識が今もある。が、アメリカでは昔からヒーローものを含めて、SFは子供から大人までのエンタテイメント!であり市民権を持つ。「スターレック」も1960年代のシリーズだが、毎週テレビで放送。大人が楽しんでいた。対して日本はゴールデンタイムに大人向け作品が登場したのは最近、そして今もキワモノ扱いだ。

そんなアメリカでアメコミのヒーローたちを実写化して、オールスターで活躍させたのが「アベンジャー」。けど、DCに比べて日本での知名度が低いキャラも多い。僕はかなりアメリカン・カルチャーに詳しいが(留学中も先生たちより、僕の方がアメリカの古いテレビドラマに詳しかった!)が、知っているのは「ハルク」と「スパイダーマン」だけ。

DCの「バットマン」「ワンダーウーマン」「スーパーマン」はテレビドラマ化され子供の頃に観ていたが、マーベルはテレビ化が「ハルク」と「スパイダーマン」は日本で池上遼一が漫画として執筆した版があるくらい。アイアンマンはまるで知らなかった。

ただ、キャプテン・アメリカは映画「イージーライダー」の主人公(ピーターフォンダ)の名前がそれで知っていた。変な名前だと思っていたら、大人になってからアメコミの主人公の名前から取ったと知った。だから、彼の乗るチョッパーのオートバイのガソリンタンクはキャプテンの盾と同じ星条旗模様なのだ。

そんな訳で僕らの世代には「アベンジャーズ」は理解しやすい。アメリカ版「仮面ライダー集合」であり、石森章太郎キャラ集合とも理解できる。最近でいうと「ジャイアントロボ 地球が静止する日」のBF団VS国際警察機構(これが「ア」のシールズと同じ存在)の実写版映画と思えば容易に理解できる。

前置きが長くなった。1作目を久々に見直すと、この頃はキャプテン、アイアンマン、アイホーク、ブラック・ウイドウ、ハルク、ソーとメンバーも少ないが、「エンドゲーム」に至る伏線が張ってあることを感じた。アイホークとブラックウイドウが争うシーンもあり「エンドゲーム」を観たあとなので泣きそうになる。そのブラック・ウイドウが最初にハルクをスカウトに行っているのも悲しい。

そしてエンドロール前に何と、サノスがちょっぴり出演している。完全に忘れていた。さて、この後に来るのが「エイジ・オブ・ウルトロン」だが、その前に僕が唯一見逃していた「キャプテン・アメリカ ファースト・アドベンチャー」を見る。でも、「エンドゲーム」を観たあとだといろいろ辛いかもなあ。こんな感じで全部見たら再び映画館で「エンドゲーム」だ。


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