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東野圭吾作品。あと3冊持っている! 「白夜行」17年前に買ったものだった〜。17年も読まずに持っていたのか〜。アホだ〜。私は。 [読書]

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東野圭吾作品。あと3冊持っている!

「白夜行」17年前に買ったものだった〜。

17年も読まずに持っていたのか〜。

アホだ〜。私は。


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いよいよ来週土曜日! 北海道・稚内の映画祭で「明日にかける橋」招待上映。 [2019]

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いよいよ来週土曜日!

北海道・稚内の映画祭で「明日にかける橋」招待上映。

僕も俳優の栩野 幸知さんと共にゲストでお邪魔します。



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「祈りの幕が下りる時」涙なしで読めないミステリー小説。 [読書]

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「祈りの幕が下りる時」涙なしで読めないミステリー小説。

3日間で一気に読み終えた。映画ですでに観ており、ストーリーもしていたが、興味深くガンガン読んでしまう。東野圭吾、おそるべし。泣けるミステリー。クライマックスの謎解きは涙なしでは読めない。

悲劇の親子(父娘)の会話。「明日にかける橋」の板尾さんと杏ちゃんの場面を彷彿とさせる。東野作品。他にも数冊持っている(もう5年以上前に買ったものも)続けて読んでみよう。



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劇団キャラメルボックス倒産。34年の歳月を走り続けるということ? [舞台感想]

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劇団キャラメルボックス倒産。34年の歳月を走り続けるということの凄さ!

僕の大好きな劇団の一つ。芝居はいつも笑って、ハラハラして、感動できる。若い女性に人気があり、1年に3公演。劇団というと皆がバイトしながら1〜2年に1度公演なのに、こちらは劇団だけで食っていける、ちゃんと利益を上げる団体。年間10億円の売り上げもあったと聞く。それがなぜ?

「太田が書きそうな物語を舞台でやっている劇団があるんだよ!」

90年代に舞台好きの友人からそう言われて見に行った。タイムスリップしたり、死ねない人の悲しみを描いたり、ダメな役者たちが芝居を立ち上げる話だったり、僕が好きなスタイル。俳優たちも高校野球のような一生懸命さで、応援したいなる。あの上川隆也さんも、この劇団で長らく活躍していた。

ビジネスもうまい。リピーターが来るような仕掛け。パンフレットを無料で配る(豪華版は有料)サポーターズクラブ。DVD。台本は高校演劇部が使うなら格安(通常の劇団は使用料馬鹿高い)。1年に3回、スプリングツアー、サマーツアー、クリスマスツアーと、若い女性がメインで毎回、満員御礼だった。場所は主にサンシャイン劇場。クライマックスは会場が涙涙となる。

「それがなぜ?」

と思うのだが、いい台本を書き続ける苦労を他人事ではない。もともと、早稲田の演劇サークルからスタート。成井豊が作・演出をすることで劇団は1985年に発足したと聞く。それから34年。物凄い年月だ。それをロングランし続けたというのは神業。だが、どうしても毎回ホームランは打てない。

続けて見に行くと、2本に1本はそれほど感動できないで終わることがある。また、女性客が中心。20歳でファンになっても、30歳で結婚して、子供ができれば、なかなか劇場には行けない。世代代わりをしても、またそこから10年。34年ということは3つの世代を超えてきた訳だ。また、時代の推移で趣味思考の変化もある。テレビでも90年代は「東京ラブストーリー」だったが、その種のトレンディドラマはもう死滅している。

そんな中でキャラメル・スピリッツを持った作品を成井豊さんは多くをオリジナルで書き続けた。馴れ合いにならないために劇団員とは飲みに行かないという話も聞いた。それでも34年。いや、34年も続いたということ。多くの劇団は数年で潰れていく。それ以前に黒字になるところはほとんどない。内容的にも、興行的にも満足行く結果を出すこと。その重圧の中で、書き続ける作家の苦悩は想像を超えているだろう。僕らが20歳くらいの頃。映画監督を夢見る友人と話した。

「プロデビューできたとして、いくつまで作品を作れるか?」

作るチャンスを掴み続けること。そして観客が喜んでくれる内容であること。そしてヒットさせること。友人はこういった。

「才能があればできるんじゃないかな? 俺は俺に才能があると信じている」

でも、彼はプロデビューすることもなく故郷に帰った。同じ頃にキャラメルボックスはスタート。今日まで走り続けて来たのだ。並の努力ではできないことを実現して来たのだ。そんなことを感じている。


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唐組。公演。「ジャガーの眼」 1年振り拝見。 [舞台感想]

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唐組。公演。「ジャガーの眼」

昨年の春公演「吸血姫」以来、1年振り。

今回は二時間越えの上演時間。

雨の中、大入り満員。

やはり、最後は心が震える。

どうすれば、そんな演出が出来るんだ!

毎回、思い知る。




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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(下)= 監督業は脚本に自分の思いを加え、作品を歪める? [映画業界物語]

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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(下)
= 監督業は脚本に自分の思いを加え、作品を歪める?

日本映画を長らく観てきて、周りの友人監督たちを観て感じたこと。日本の映画監督はノリと感覚タイプが多いのではないか? 理屈ではない。良く言えば芸術家だが、悪く言えば観客置き去りの独りよがりに陥りやすい。だから、面白い映画が少ない。もちろん、昔は名作がたくさんあった。が、70年代後半から80年代。多くがエンタテイメントになっていないのは、日本ではやはり映画は芸術という思いが強かったのだろう。

それは悪いことではない。ただ、徹底して突き詰めて言葉や理屈で説明できないことを映像化するのであればいい。が、安易な思いつきやノリだけで演出して、芸術という隠れ蓑で逃げようとする作品が多い。それを許してしまう業界の体質がある。学生時代はそこまで考えなかったが、僕は断然ハリウッド映画派であり、日本映画をバカにしていた。

僕はエンタテイメントでありたいと考える。ハラハラ、ドキドキ、笑って、泣いて感動できる。そんな映画を撮りたい。時々

「太田監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだよ!」

と批判されるが、僕が撮りたい映画は観客が喜んでくれる作品だ。先に挙げた人たちのように自分の趣味で、感覚で、ノリで、観客置き去りの映画ではない。

違うのは自身でシナリオを書くということ。彼らは書かれたシナリオを読んで、そこからイメージすることを映像化する。だから、脚本家が込めた意図とかメッセージを無視することもある。そこから脱線が始まる。彼らに撮って脚本は起爆剤でしかなく、そこからどうイメージするか?が主題。だから、物語に整合性がなくなったり、話が逸れたりするのは当然なのだ。

僕の場合。観客が喜んでくれる物語を作りたい。そんなストーリーを考えて、予算内で撮影できるものを書く。各段階でもうカメラアングル、ロケ地、編集はあらかた決めている。キャストも想定して書くことが多い。だから、撮影現場で

「さて、どうしようか?」

ということはない。あとは撮影するだけだ。そこで暴走するのは、俳優の芝居があまりにもいいので、長めに撮ったりということだけ。

全てのシーンに意味がある。ここは登場人物紹介。ここは事件の発端。ここは伏線。ここは時間経過と、無意味なシーンや本筋から外れたりしない。これでお分かり頂いたと思うが、多くの監督はシナリオをもらったところから始まり、撮影でそれを膨らませる(暴走させる?)僕はシナリオを書き上げた段階でほぼ完成。それを映像にするのが撮影なのだ。暴走する余地はない。自分が望むものは全て脚本の中にある。

対して他の監督は自分の趣味思考がシナリオ内にないことが多い。だから、自分らしさを追加して世界を作る。そのために脚本家が書いたテーマが疎かになったり、意味ある場面を軽くしたりする。観客からすると無意味な展開、必要な部分がない、ダラダラしている。脇道に逸れる!それが一昔前のつまらない日本映画の背景なのだろう。昔、「地獄の黙示録」の監督フランシス・コッポラはこういった。

「私は監督であるより、演出できるシナリオライターでありたい」

いい言葉だと思った。僕もそれでいきたいと考えた。当時は深く考えなかったが、無駄のない、ダラダラしない、観客が喜んでくれる映画を作るにはそれが最適だと気づいた。

先に挙げた監督たちも決して手抜きをしているわけではない。だからシナリオと自分の方向がピタリと合ったときに素晴らしいものができる。そんな機会はなかなかない。だから自分が共感できる部分のないシナリオは少し曲げてでも、自分の思いや趣味を込めようとするのだろう。



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日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。 [映画業界物語]

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日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)
=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。

日本の映画監督に大島渚監督のように理路整然と語る人は少なく、感覚とノリで演出するタイプが多いこと、あるときに気づいた。僕が出会った監督たちをタイプ分けしてみた。

①深く考えず、感覚や趣味で演出する人芸術家タイプ

②理屈ではなく、ノリ、勢いで演出する武闘派ジャイアン・タイプ

この2つが多いような気がする。口下手で説明されても意味の分からない監督もいるが、口達者で話を聞いていると「それもあるかなあ」と思えるが、現実的な説明にならず煙に巻かれるだけという人もいる。何れにしても、理屈や論理ではなく、感覚、趣味、ノリで演出している。70ー80年代の映画は特に無意味な場面が延々と続いたり、するものがよくあったのは、そのせいではないか?

芸術家なのかもしれない。ただ、青春映画と思って観に行ったら中年オヤジの恋物語だったり、アクション映画なのに途中から前衛舞台のような芝居になったり、脇道にそれたり、本筋が疎かなになる。計画的犯行?なのか、暴走した結果なのか? 観客置き去りで監督がやりたいことをやる作品が多かった。

でも、その種のものを評論家は評価。「キネマ旬報」等ではベスト10に入った。それが芸術だというかもしれないが、その多くは深く考えず、感覚とノリだけで作り、それを勘違いした映画評論家や映画マニアが喜んだだけではないか?と昔は思えていた。対してハリウッド映画はストレート。本筋から外れない。無意味なシーンをクドクド見せない。まあ、単純明快。分かりやすい。でも、観客を裏切らない。楽しませる。ハラハラさせる。感動させる。

乱暴に言うと日本映画は監督の趣味と感覚で撮った芸術映画。ハリウッドは単純明快エンタテイメント。評論家の多くはアメリカをバカにし、芸術を支持していた。が、観客は日本映画に愛想を尽かし、ハリウッドに拍手を送った。ただ、日本映画も70年代以前は娯楽映画が多く、特撮シリーズ、高倉健の任侠路線、若大将シリーズ、座頭市、悪名のカツ定食。ザッツエンタテイメントだ。

それが70年代に入ってから芸術映画=監督がノリで作る作品が増えて行ったように思える。それらは当然ヒットせず、90年代に入ってから漫画を原作した観客ウケするものが多く作られるようになって、その手のノリだけ映画はほとんどなくなった。が、そのタイプの映画を作る監督たちが今も存在。その影響を受けた次世代の監督がたちが育っているというのが現状なのだろう。

また、長くなってしまったので僕自身の話を書けなくなった。それは次回に!



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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(上)=監督たちを分析してみた。 [映画業界物語]

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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(上) 
=監督たちを分析してみた。

昔、ある製作会社で仕事をした時。Pでもある60代の社長に怒鳴られた。

「お前は監督じゃない。評論家だ!」

僕が編集意図を説明した時のことだ。当時は社長が理屈で反論できなくて逆上したのだと思っていた。が、それから年月が経ち、いろんな監督と接すると、理屈ではない人たちが多いと知る。そのシーンはなぜ、その演出になるか? そのシナリオはなぜ、そんな展開をするか?と聞いても明快な答えを言えない。

「そこは何か...そんな感じにしたくて...」

答えになってない。弁護すれば感覚的な問題で言葉では説明できない。が、その種のものを描きたいということだろう。中には口のうまい監督もいる。言っていることは分かるのだけど、よくよく考えると、何かはぐらされただけという気がする。その監督も感覚派だった。あとは武闘派でジャイアンのように強気なだけで現場を仕切る。このタイプも理屈ではなくノリで演出する。と書くと

「そうじゃないタイプもいるんだよ〜」

というコメントがよく来るが、今、書いているのは僕が出会った監督たちに多いタイプだ。思い出すのは80年代の邦画だ。当時、僕は20歳前後だったが、日本映画が嫌いだった。意味のないシーンが延々と続いたり、何か雰囲気だけで物語が展開したり、

「その場面いらないだろう!」

というものも多かった。アクション映画なのに無意味な台詞をダラダラ語るもの。そこから考えると日本映画の監督は理屈ではなく、感覚と趣味だけで演出する人が多いのではないか? 

対してシナリオライターと呼ばれる人と話すと、多くは理路整然と説明してくれる。各場面の意味。登場人物の理由。テーマ。メッセージ。監督とは違う。いろんな映画を観て、話題の小説も読んでいる。博学な人も多い。対して監督たちー僕が出会ったーは自分の趣味だけ、社会や政治に関心のない人が多い。口のうまい人は多いが、明快な主張やポリシーがないような?

そこから考えると、先の社長が言う「評論家」と言うより「脚本家」なのかもしれない。脚本家というのは書くだけでなく、物事を分析する力が問われる。政治が題材ならそれを分析し、物語に転換。再構築してドラマを作る。その意味では政治を解説する評論家というのも近い存在だ。だから社長はそんな発言をした。

その社長も理屈ではなくノリのタイプ。Pなので脚本家とは打ち合わせはするが、上がったシナリオが良ければ深く議論はしない。だが、監督とは細かな打ち合わせをせねばならない。彼と仕事をした監督たちも感覚派が多い。だから、理屈で意図を説明できない。社長はノリだけの人。議論にはなりづらい(双方共に理屈では話合えない)。そこに感覚派ではない理屈ぽく文句の多い僕が登場する。感覚派が相手であれば、社長は

「この場面はこうした方が!」

と自分の趣味を押し付けても、それで作品が歪む訳ではない。元々が感覚で撮っている「ああ、そうしましょう」と問題が起きない。が、僕の作品は全ての意味がある。部分的に趣味やノリを押し付けられては全体が壊れる。理屈で説明する。社長は戸惑う。反論できない。若いのに生意気だ。グダグダ理屈ばかり言いやがって.....

「お前は監督じゃない。評論家だ!」

となったのだろう。もし、理屈で整然と説明する監督が多ければそんな発言はでないはず。いつもは違うということだ。社長は20本近い映画を手がけている。やはり感覚とノリだけの監督が多いということだろう。長くなったので続きは次回に。



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