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喋りが下手な政治家、評論家、文化人。関西人は耐えられない?! [my opinion]

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喋りが下手な政治家、評論家、文化人。関西人は耐えられない?!

記事を書きながら「オプエド」を見ている。僕はシルバー会員なので、月3本まで過去のアーカイブを見られる。興味あるゲストを探しクリック。テレビ番組では決して報道されない事実や隠された事情も、この番組では発信される。フェイク・ニュースだらけの日本のマスコミではとても貴重な存在なのだ。

が、今回はその話ではない。あるゲストの回を見ていた。面白くない。話している内容は興味深いのだが、話が下手。下手過ぎる。実は僕もこの番組には2度出して頂いたので、それを見た方から

「お前がいうか!」

と叱られそうな気もするが、そのゲストは本当にイライラして途中で見るのをやめた。もちろん、スタジでライトを浴び、カメラを向けられ、制限時間ある中の生放送は超緊張する。司会進行の人もいるし、隣にあの上杉隆さんが座ることもある。緊張しない方がおかしい。でも、だからといって、話がクダクダになってもいい訳ではない。

流暢に喋れなくてもいい。ちょっとした努力で大きく変わる。同じトーンとリズムで喋る。これでは退屈。ときどきトーンやスピード、リズムを変えるだけでも、メリハリがつく。聞く人を惹きつける。が、誰もやらない。進行役にも問題ある人がいる。もし、ゲストが同じトーンでダラダラ喋ったら、うまく誘導し、転調させる質問をする。急に大きな声をあげたり、大げさなリアクションを取るだけも番組の流れが違ってくる。それに気づき盛り上げようとするのは上杉さんであることが多い。

僕は関西出身なので思うが、真面目な話でも、時はジョークを入れたり、シャレを入れて、笑いを取るべきだと考える。なのに、ずっと真面目に一本調子で話すゲストが多い。学校の授業のようで頭に入らない。もう少し言葉に感情を込めるだけでも聴きやすくなる。が、アナウンサーのように感情を配して喋ることが大事と思っているゲストもいるようだ。

「お前はNHKの解説委員か!」

と言いたくなる。そんな中、本日のゲスト・ぜんじろうさんはお笑い芸人ということもあるが、やはり話がうまい。そして世界各国でトークの仕事をしていることもあり、それぞれの国事情を興味深く話してくれる。つまり、話す技術があり、内容も興味深い。そうなると、情報はあるのに話が詰まらない人とか、もっと勉強すべきだと思えてしまう。

セミレギュラーの古賀茂明さんも決して話上手というのではないが、分かりやすく、聴きやすい。政治家でも小泉純一郎はうまい。共産党の志位さんも上手。問題はあるが蓮舫もうまい。まあ、元タレントだからね。その意味で太郎さんも抜群にうまい。それはとても大切なことだ。話上手な人はたいてい人気がある。

書かれた文章を読むような演説しかできない政治家も多い。最後まで聞く気にならない。だが、考えてみよう。俳優の太郎さんやお笑いのおしどりマコさんら「話す技術」のある人たちが「政治」や「社会」を勉強して発信している。なのに、それの専門家である政治家や評論家はなぜ「話す技術」を勉強しないのか? 

ケネディだって、マーティンルーサーキングだって、マルコムXだって海外にも参考になる人はいっぱいいる。今は映像の時代。論文を雑誌に掲載するより多くが知る事になる。その手の仕事をする人。もう少し、しゃべりを勉強すべきではないか? スピーチでせめて1回は笑いを取ってほしい。関西人なので、そんなことを考えてしまう。



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「監督は優しい人だから、メールすれば多忙でもきっと返事をくれる」と過剰な期待をする一度しか会ったことない人? [my opinion]

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「監督は優しい人だから、メールすればきっと上映時間も教えてくれる」
と過剰な期待をする一度しか会ったことない人?

Facebook友達のトラブルで思い出したが、仕事柄いろんな会に呼ばれる。お世話になっている人たちの会もある。そんな時、業界の先輩なり、別業界の友人が連れて来たカタギの人。そんな人たちとは名刺交換する。後日、メールでお礼をくれたりする。Facebookではないのでお礼を返信する。それが業界関係の人であれば、あまり問題は起きないが、カタギの方の時はトラブルになることがある。

というのはFacebookと同じで、あれこれ質問をしてくる。まあ、先方にとっては映画監督と知り合えた。いろいろ話を聞きたい。女優の裏話を知りたい! それをメールで聞いてくるのだ。Facebook友達は会ったこともない人たち一線を引く。が、この場合は一度お会いしているし、友人や先輩の知り合い、女性であれば彼らの彼女である可能性もある。あまり無茶な対応もできない。

「その後、映画準備は進んでいますか?」

とか聞いてくる。そんなこと関係者でもないのに1人1人に説明してられるか?と思う。それ以前に僕のブログを読め!そのために克明に進展を毎回、記録している。その話も会った時にしている。でも、まだ、そのレベルは理解できる。酷かったのはこれ。先輩が連れて来たカタギの若い女性。超多忙な時にこんなメール。

「明日、監督の映画を見ようと思ってますが、新宿でもやってますか?上映は何時からですか?」

そんなことはネットで調べられるだろ? 映画館でも教えてくれる。こちら猫の手も借りたいほど忙しいのに、そんなことを聞いてくるか? 先輩の彼女かも?と思ったが、そう素直に返事してした。流石にショックだったのか、それ以降メールは来なくなった。あとで聞くと

「監督は優しい人だから、きっと上映時間も教えてくれると思ったのに...酷い...」

と先輩に不満を訴えていたらしい。が、そもそも僕はGoogleではない。質問を書き込めば答えが返ってくるものではない。おまけに上映中はあれこれ関係者への連絡で追われている。自分でできることを、わざわざ聞いてくる神経が分からない。そんなある時、あるPの話を聞いた。

「撮影現場でもそうだけど、あまりに皆に親切にし、愛想良くすると、どうでもいい問題まで頼ってくるですよ。それはお前の仕事だろ?というのを『どうしましょう?』って言ってくる。だから、現場ではなるべく愛想良くしないで、皆と距離を置くようにしてるんですよ」

それは大事かもしれない。僕は「いい人だ」「親切だ」「優しい」と言われることがあるが、それで勘違いして、あれこれ頼ってくる人が出てしまうのかもしれない。以前にも書いたが、「感謝の気持ちを伝えね」ばと撮影後に自宅に挨拶に行ったら、その後、

「最近は挨拶に来ない。失礼だ!」

と言われたことがある。あれは撮影で借りた物があったからお礼に行っただけであり、なんでその後も、挨拶に行かねばならないか?と思うのだが、

「監督は礼儀正しい。だから機会があれば挨拶に来る人だ。なのに最近は来ない!裏切られた。失望した」

ということなのだ。先のPの発想は正しい。これは先日書いた「嫌われることを恐れていはいけない」の話にも近い。先輩が連れて来た人だから、失礼のないようにしようとしたことで、映画館の時間まで問い合わせて来られる。感謝を伝えに行ったことで「裏切られた」と失望される。どちらも最初から距離を置いておけば、彼らも勘違いせず嫌な思いをすることもなかったのだ。

悲しい話だが、映画の仕事は本当に多くの人たちと出会うので、実は大切なことかもしれない。それとも出来る限り人に会うことを避けて生きるか? ウッディ・アレンやデビッド・ボウイの逸話を思い出すとそう思える。



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親は子供たちに何を伝えればいいのか?=好きなものを探せ、夢中になれることを見つけろ!それが子供を育てる。 [my opinion]

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親は子供たちに何を伝えればいいのか?
=好きなものを探せ、夢中になれることを見つけろ!それが子供を育てる。

日本の教育がもう機能していないこと。ここまでの記事でお分りいただけたと思う。近々、幾つのか教育改革が行われること関係者から聞いているが、根本的に直さなければ効果は期待できない。そんな時代に大人は何を子供たちに伝えればいいのか? 将来生きていくために何が必要だと教えればいいのか?

小学校の算数や国語は必要だろう。でも、そのあとの教育で学んだもののほとんどは役に立たない。それなら、そのあとの10年間、何か役立つスキルを学ぶとか、身に付けることが大事だと思える。それが何なのか? 具体的には分からない。これをすれば生涯安泰というものはない。ただ、僕が思うのは「好きなこと」を見つけること大事だ。

与えられたことをするだけの教育だと、与えられないと何もできない。だが、好きなことをする。カメラが好きだ。写真を撮るのが好きだ。そうなれば、「どうすればより良い写真が撮れるようになるか?」を考える。

望遠レンズか? シャッター速度か? 焼き具合か? 

そもそも機材か? センスか? 経験か?

それを試す、ダメなら違う方法を考える。そこで「考える」という訓練ができる。学校の授業のように方法を与えられて、それに従い作業する場合は、「考える」が抜ける。むしろ「考えてはいけない」のだ。与えられたこと方法以外ではいけない。そこから独創性も生まれない。

ただ、カメラに夢中になったからと、カメラで食っていけるかどうかは分からない。言えるのは、他の仕事を選んでも、カメラを学び、挑戦する過程でいろんなことを学ぶということ。問題があるとき、トラブルがあった時に、どう解決するか?経験になる。その方法は誰も教えてくれない。そこで考えることこそが身に着く。

カメラでなくても、楽器でも、料理でも、運転でも、機械を作る。野菜を育てる。動物を飼育する。なんでもいい。自分が好きになれること。夢中になれることを探すことが大事。それを親たちは勉強の邪魔になるからと、子供の頃からそんな機会や時間を与えない。我が子の将来を狭めているのと同じ。まず、それに気づくこと。スタートではないか?



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日本人は幸せになったのか? 戦後の選択を間違ったのではないか? =子供たちに何を伝えるべきなのか? [my opinion]

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日本人は幸せになったのか? 戦後の選択を間違ったのではないか?
=子供たちに何を伝えるべきなのか?

日本の教育が国策で経済大国を目指すための「優秀なサラリーマン」育成であったこと何度も書いた。そんな中で親は、大人は子供たちに何を伝えればいいのか? 僕の映画のテーマは毎回それなので、以前からずっと考えている。もちろん、こうすればハッピーと言う道はない。そしてハッピーとは何か? 幸せとは何か?から考えることが大事だと思える。

戦後の教育が目指したもの。「安定した経済と生活」だろう。食うに困らず、毎日仕事ができる。家族が安心して生活できる。それは戦時中の貧しかった日本の反省から来ているだろう。そして大物量作戦で日本を負かしたアメリカへの憧れ。物があると言うこと。つまり、お金があり、何でも買える。洗濯機、冷蔵庫、テレビ、車、マイホーム。そんなものが手に入る生活こそが幸せであると考えた。

戦後は二股の道、分岐点だった。日本人はその内の一つ「物があることが幸せ」を選び、突き進んだ。そのためにもう一方の「あること」を捨ててしまった。「物の幸せ」はバブル時代を頂点して達成された。誰もが全てが手に入る。ローンだったりはするが、車も家も買えた。しかし、何かが足りない。心が満たされないことに日本人は気づく。

何が足りないのか? それは「絆」。戦後の分岐点でその道を選ばなかった。昔の日本は貧しかったが絆があった。家族は同じ部屋で寝起きし、近所付き合いがあり、友達がたくさんいた。でも、裕福になった日本人は二階建ての家を建て、子供部屋を作った。お父さんは夜遅くまで働き、家族との交流がなくなる。

ビデオが普及して、テレビの前に家族が集まることがなくなる。携帯が手に入り、親は子供が誰と話しているのか?分からなくなる。電子レンジがあるので、家族揃わなくても暖かいご飯が食べられる。

豊かさが家族をバラバラにした。でも、日本人は無意識に「絆」を求めた。プリクラ、メール、カラオケ。みんな仲間であることを確認するツールだ。着信したら10分以内に返事。若者たちのそれも絆を確認する行為。そうやって日本人は昔は身近にいくらでもあった絆を探して、電化製品で絆を確認する。

戦後、日本人が選んだ道の結果だ。実は選ばなかった、もう一つの道が大事だったと言うこと。でも、後戻りはできない。物では幸せになれない。そして20年も続く不況はその物質的な幸せさえも奪おうとしている。幸せとは何か? 子供たちに何を伝えるべきか? まず、そこから考えたい。



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「俺には追いかける夢がないんだよ」 =自分を殺して10年勉強して来た若者の悲痛の叫び。あまりにも悲しい...。 [my opinion]

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「俺には追いかける夢がないんだよ」
=自分を殺して10年勉強して来た若者の悲痛の叫び。あまりにも悲しい...。

「夢は掴める! 諦めてはいけない」

と言う記事を書いたら「その夢が見つからないんだよ!」というコメントが若い人から来た。感じるところがある。僕らが若かった頃は「映画監督になりたい」「カメラマンになりたい」「俳優になる」「ロックバンドをやりたい」といろんな夢を持ってはいたが「世の中、甘くない...」とほとんどが諦めた。

でも、世の中が甘くないのではない。本人の認識に問題がある。「甘くない」という人のほとんどが何ら努力をしていない。行動すれば夢は掴めると言う話を書いたのだが、それ以前、夢が見つからないと言うのだ。意外だったが、これも先に書いた記事と関連する。

日本の教育が国策で経済大国を目指すための「優秀なサラリーマン」育成。僕らの時代はまだ、その管理教育が完成していなかったが、次第に完成されて、子供達のロボット化教育は完全なものになった。意見を言わない。持たない。言われたことを疑わない子供達だらけになった。

与えられないと何もできない若者に成長した。家畜と同じ。自分で餌を取る能力が失われ、餌を与えらるのを待つだけ。僕の時代にもこんな友人がいた。映画見るのが好き。高じて毎月、映画雑誌「ロードショー」を買った。テレビ洋画劇場も事前に調べて見る。そんな友人、成績が悪化。親に言われて雑誌の購入を止め、映画も見ないようにした。成績はまた上がった。

親も、教師もそれを喜んだ。が、喜ぶべきことか? 友人は映画が好きと言う趣味を封印。好きーと言う行動を抑えてしまった。コメントをくれた若い人は多分、友人よりも早い段階で「勉強の邪魔になるから」と自分が興味あるものを遠ざけた。

「夢中になったら勉強の邪魔になるから...」

それを一貫させ、夢中になるものと出会わなかった。大学になり時間ができた。でも、やりたいことがない。コンパにバイト、旅行。それだけで4年間が終わる。そんな時、有名ではない映画監督がブログにこう書いてあった。

「夢は掴める! 諦めてはいけない」

きっと彼は、何かしたかったんだ。夢中になれるものが欲しかった。若い人ならきっとそうだ。でも、勉強の邪魔になる!と避けてきた。だから夢がない......。

勉強してきたのは国策に乗せられて「優秀なサラリーマン」になるためだ。でも、そのシステムがもう崩壊しかけている。今、社会が求めるのは「言われたことをする人材」ではなく

「自分で考えて行動する」

人材だ。また、言われたことをするだけでは生き延びることができない。例えれば彼は野球選手になる教育を10年も受けてきて、社会に出ると

「もう、野球は人気ないので選手はいりません」

と言われたようなもの。それに薄々気づいていた彼は、僕の記事を読み感銘を受けた。でも、夢がない......だから

「その夢がないんだよ!」

とコメントしたと言うことなのだ。悲しい話だ。


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日本の教育に欠けるもの=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している? [my opinion]

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日本の教育に欠けるもの
=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している?

日本は三流後進国になった今でも「優秀なサラリーマン育成教育」を続けている。そんな人材で日本再生は不可能なのだが、育てる側も「考える教育」を受けてこなかった人たちなので無理と言えば無理。ロボットがロボットを作っている状態。

幕末に上級武士が役に立たなことが分かり、下級武士からも人材を募ったことで勝海舟が登場。軍艦奉行になり、最終的には薩摩の西郷隆盛と対決。無血開城に導いたように、今は一流大学を出た人材より、はみ出しもの、オタク、芸術家、とメインストリートから外れた人たちの知恵を借りて再生するしかないと思うのだが、そんな動きもまだない。

あるいはアメリカの教育に学ぶ。ディベート、ペーパー(小論文)という自分の考えを告げる(書く)授業がある。ディベートは議論。2手に分かれて1つのテーマを論じ合う。自分なりの意見を持つことが苦手な日本人。それを人前で言うことがさらに苦手。でも、ディベートではそれを論理的に、説得力も持って相手に伝える。

その能力は実社会でとても大事。だが、それを日本では教育の場で教えない。だから、ネット右翼みたいにイチャモンをつけるだけ、揚げ足を取るだけと言う程度の低い反論しかできない大人が多くなってしまった。

さらにペーパー。小論文。これは自分の意見を文章で主張する。形式があり、まず結論。それを3つの角度から訴えて弁証し、最後に結論つける。僕も留学中に何度も書かされたが、面白かった。いわゆる推理小説のクライマックスで

「なぜ、彼が犯人であるか?」

を探偵が説明するのと同じ構図。論理性が大事。思い込みや感情的、飛躍があってはいけない。アメリカでは日本と同じ詰め込み教育も存在するが、自分の意見を持ち、主張する教育も行われている。ただ、それを導入するだけでも10年後に日本は大きく変わるだろう。ただ、年寄りからは

「最近の若い奴は文句が多い。黙って目上の言うことを聞くべきだ。非常に失礼だ!」

と言う不満は出るだろう。が、それは日本がよくなったと言うこと。何でも黙って受け入れるのではなく、意見を持ち、伝えることはたいせつなことだ。



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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!=教育に取り入れることはできないか? [my opinion]

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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!
=教育に取り入れることはできないか?

僕の映画のテーマは毎回「子供たちに伝える大切なこと」だ。教育で必要なもの何か考えてみたい。何よりも自分で考えること。鍛える場が必要だ。僕自身がプラスになったことを思い出してみる。尾崎豊の歌ではないが

♫「いろんな意味が分かりかけてるけど、決して学校の授業で教わったことなんかじゃない」

というのがある。B・スプリングスティーンの歌にも同じように

「クラスではなく、1枚のレコードからいろんなことを学んだ」

というのがある。実際、僕もその通りで学校帰りに隠れて行った名画座で観た映画とか、友達から借りて聞いたレコードからいろんなことを学んだ。アメリカの歴史、差別問題、戦争、原発事故、結婚離婚、親子、教育、子育て、いろんな映画がそんなテーマを扱っていた。そこからそれら社会問題を知った。

授業で習った日本史や現代国語はあとあと思い出すこともなかったのも思い出す?知識以外も大事だ。ある鋭い人に言われたことがある。

「監督はいつもユニークな考え方をしますよね。それはどこから来ているのかしら?」

考えたこともなかったが、あれこれ思い起こすと小学生時代から読んでいた推理小説ではないか?と思える。江戸川乱歩、コナン・ドイル、モーリス・ルブラン、アガサ・クリスティ。小説ではないが、「刑事コロンボ」も大好きだった。

その後は、島田荘司、綾辻行人、我孫子武丸らも読み漁った。ミステリーのいいところは論理性である。最後、犯人は悪霊だった!なんてオチはない。偶然もない。ちゃんと論理的に犯人であることが証明される。本来、そんな論理性を鍛えるのが数学の「証明」ではないか?

「これが二等辺三角形であることの証明」

とかいうアレだ。あの授業は意外に好きだったのだが、詰まらないのは公式があること。つまり、連立方程式や因数分解と同じで、決められたものに当てはめて作業するというもの。対してミステリーは提示された状況や証拠を駆使して、誰が犯人であるか?を考える。どちらが面白いか?ということ。

多分、僕があれこれ現実を疑い、追求してしまうのは、ミステリーの影響だと思える。論理の飛躍、思い込みの強さ、個人的な感情、ずさんな計算、そんなことを交えてしまうと真相を突き止めることはできない。

現実も同じで、政府が強行採決したがる法案。素晴らしい理由があるなら、強行採決する必要はない。そうするのは何かバレるとマズイことがあるからだ。これはミステリーの基本。では、どんなマズイことがあるのか? つまり、国民にとっての不利益であり、犯人(政府)にとっての利益があることのはず。それを考えれば裏側が見えてくる。

なんか、そんな風にミステリーを教育に取り入れると「考える力」が育ちはしないか? 国語の授業で森村誠一や松本清張を取り上げるとか? 社会科の勉強にもなるし! そんなことを考えたりしている。

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日本人は意見を言わない? =控えめな国民性?いえいえ、意見を言う教育を受けてないのですよ! [my opinion]

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日本人は意見を言わない?
=控えめな国民性?いえいえ、意見を言う教育を受けてないのですよ!

居酒屋で友人と飲んでいると、隣のテーブルの中年サラリーマンの会話が聞こえてくる。聞いていると「会社の話」「政治の話」「最近の若者の話」がトピックに上がる。注意して聞いていると、まず、事実を話す。会社でどんなことがあった。「上司のバカな行動」***党の***が「迷惑だ」と発言した。「若い連中は本当にダメだ」と嘆く。全て実際に会ったことだ。聞いていると、ほとんどが事実の伝達。聞く方も

「笑っちゃうな」や「そんなものだよ」

と言う非常に安易な感想というより簡単な印象のみ。そして何より「分析」「追求」がない。「なぜ、その上司はそんなバカなことを言うのか?」「なぜ、その政治家は迷惑なんて発言したのか?」「若い連中はなぜダメなのか?」と言う追求、分析がない。聞いていると、もともとその事実に共感、同情して欲しいだけであることが分かる。

「俺はこんなバカな上司と仕事してんだよ〜」

それに共感して欲しい。解決法を求めてはいない。また、相手も「俺も似たようなことあるある。分かるよ〜」とこちらも共感して、心癒されると言う感じ。

これは大学生でも、OLでも基本同じ。もしかしたら日本人の会話って、ほとんどがこの公式なのかもしれない。言えるのは辛い事実、笑える出来事を伝えているだけで、「僕は***だと思う」「私は***が問題。なぜならば」と言う個人の意見が出て来ない。分析も、推測も、想像もない。ここにも日本の教育が反映されている。自分なりの意見を持つ。物事を分析する。推理する。意見を伝える。議論する。そんな授業がないからだ。つまり「考える」と言う訓練がされていない。だから、

「酷い」「笑った」「嬉しい」「ムカつく」

のような単純な感情表現しか出来ない。小学校の頃は作文を書かされる。が、中学、高校はほとんどない。「意見を書く」「言葉で伝える」「スピーチする」と言う練習がない。現代国語の授業では文学の感想文はあったが、先生の意図するものに近いと点数がよく、個性的なものはダメ。アメリカの大学ではペーパーと言う小論文を頻繁に書かされる。大事なのは自分なりの意見。論理性も必要。当たり前のことを書いたら評価されない。

また、日本人は人と違うことを恐れる。

批判を恐れて意見を言わない。支持政党を公言しない。宗教にも触れない。そんな習慣も加わり、意見を言わず、初対面ではニコニコするだけ。あ、まさに外国人の見た日本人像の典型ではないか? 政治家も同じ。国際会議に出ても意見が言えない。それでは世界に通用しない。そう、日本の教育と習慣はそんな人材を育て来たのだ。


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自分が「できること」を見つけられない日本の教育システム? [my opinion]

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自分が「できること」を見つけられない日本の教育システム?

高校卒業後、社会に出て感じたこと。学校の授業で教わったことは全く役に立たなかった。国語、数学、化学、歴史。役に立ったのは勉強せずに見に行った映画であり、隠れて聞いたレコード、好きで読んだ本。授業中に読んだ映画雑誌、受験勉強をせずに書いたイラスト。

英語はアメリカの大学で学んだ。

それは役に立っている。外国人と会話ができる。ハりウッド映画を字幕なしで観れる。なぜ、そんな英語教育を日本はしないのか? 

同級生は大学に行き、反動で遊んで回っていた。バイトとコンパ。旅行。そして就職。そこから仕事を覚え始める。要は高校時代に「与えられることを確実にできる能力」を鍛えられ、大学受験で測られ、その後4年間の猶予があり、優秀なサラリーマンとなる優秀な者を大手企業や国家公務員1種がまず採用していく。そのための教育制度なのだ。

でも、勉強が好きでもない生徒も、その方針に従い、それなりの高校に行き、それなりの大学に行く。「大学くらい出てないと恥ずかしい」というだけの理由。そして、それなりの会社に入る。
それを本人が望むならいいが、決して「与えられたことを確実にする能力」が優れていない人たち。要は優秀でないサラリーマンなのだ。

上司に叱られ、成績を上げられず、

給料も安く。誰でもできる仕事を延々とやる。終われば居酒屋で羽目を外し上司の悪口。それが日本の日常となったのだろう。しかし、もっと別の可能性があったのではないか? 

役に立たない授業を受けている年月に、別の意味あることを学べば? 技術を習得すれば違う未来が開けたのではないか? 昔ながらの形なら見習いで板前になるとか、技術者の助手をするとか? 大量の本を読む。絵を描く。踊りを習う。スポーツをする。それを極める仕事だって存在する。

なぜ、誰もが「能力を測る」ためだけの勉強をせねばならないのか? まるで野球選手養成教育。野球以外はダメ!というのと同じ。サッカーをすれば、バレーボールなら、マラソンなら、力があるという存在もいるはず。同じように、いろんな選択肢があり、いろんな学科があって、自分に向いたものを探せる教育はできないのか? 中学時代の友人はいう。

「太田は高校時代にやりたいことを見つけた。映画を作りたいと思った。羨ましかった。でも、俺は見つからなかった。何かそんなものが見つかれば大学に行かずに、夢中でやったかもしれない。でも、見つからなかった...」

その友人は京大に合格した。まわりは「凄い」と言ったが、本人はそれほどでもなかったようだ。経済大国になるための国策。全ての国民を決めた尺度で測り、優秀な者を選別。総サラリーマン化を推進。戦争時は「男は皆、兵士になる!」と思い込ませた教育と同じ。国の都合で若者が振り回される。

人の幸せとは何か? 

自分が持つ能力を見つけ出し、それを発揮し、誰かの役に立つことでないか? 自分しか出来ない何かを見つけ、真剣になることではないか? それができる環境が日本には備わっていない。戦前も、戦後も、同じなのだ。


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歳を取っていいこと。意外にある⑤ =子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない? [my opinion]

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歳を取っていいこと。意外にある⑤
=子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない?

子供の頃はあれこれ親や大人から言われて、説教されて、意見されて、

「本当にそれが正しいんだろうか?」

と思えたが、反論するだけの知識も経験もない。大人たちは長い人生を生きており、いろんな経験があるので、きっと現実に即したことを言っているに違いない。と考えた。

それでも納得できない。理解できない。きっと違う。大人たちこそが間違っている。と思えることが多かった。60年近く生きて来て分かったこと。やはり大人たちは間違っていたと言うこと。知りもしないことを偉そうに言っている。世間で言われていることを代弁していることがほとんどだった。

自分の体験談ではない。自分が考え抜いた答えでもない。よく言われること。古い常識。古い価値観を振り回しているだけだったことが、大人になり、年をとることで確証を持てた。

当時、説教したおじさんを、よくよく考えてみると、普通に大学を出て、小さな会社に就職し、見合いで結婚し、子供ができて、家のローンに追われて、生活しているだけの中年男だった。海外に行ったこともない。夢を追いかけたこともない。会社で与えられた仕事をするだけ。

自分から何かを始めたこともない。起業したこともない。趣味に夢中になったこともない。ヒッチハイクの旅をしたわけでもない。大恋愛して駆け落ちしたこともない。本当に何もドラマティックのない人生を40年ほど送って来ただけ。

それがいけないのではない。安定した人生だ。ある意味で幸せ。そんなオジさんに言われた。

「世の中甘くないんだ! 夢なんて所詮、夢なんだよ。現実を見ろ」

でも、大人になって考えた。「夢は所詮、夢」と言いながら、それを実現するための戦いをしたことがあるのか? それで敗れたのなら経験談として分かる。

「世の中が甘くない」と言うが、実は「世の中」が問題ではなく、その人の「努力」が足りなかったのではないか?とも考えられる。それを世の中のせいにしているだけではないか? だとしたら責任転嫁するような大人に若者を説教する資格はない。

当時、似たようなことを言っていた大人のほとんどは、世の中と戦ったことがないのに、現実は厳しいといい、自分の努力は棚に上げて若者を説教していただけなのだ。彼らは今の僕から見れば若者の延長のような年齢。そんな大人たちの無責任な言葉に、若かった僕らは振り回され、

「俺はやっぱり甘いのか?」

「世間の厳しさを知らないから、映画監督になりたいなんて言っているのか?」

と自問自答していた。同世代の多くは大人たちの言葉に従い、夢を諦め、好きでもない仕事に耐えて、生きることが現実と思い、就職した。大人たちの罪は重い。何ら自分の利益にもなる訳でもない無責任な意見を、子供たちに強要していただけだ。

この歳になると、そんな愚かな人に振り回されることはもうない。何を言われても、借り物の意見だと分かれば聞く必要はない。悩んだりすることもない。これも歳をとって良かったことの一つだ。愚かな人を見抜く力が育った。

でも、逆にこんな時代になっているのに、今も受験勉強を強いる親たち。子供たちは僕らより哀れだ。もう、大学に行ったからと安泰な時代ではない。10年間の年月を無駄に過ごすだけだ。それより、もっと大切なこと。生きるための何か?をその時間に学ぶべきなのだが、大人たちは愛する我が子の首を絞めるようなことを今も教え続けている。

若い人たちに伝えたい。大人の言葉を聞いてはいけない。君たちが感じていることの方が正しい。言葉にできなくても、若い人の方が正しい。



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