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映画の宣伝は大変じゃあ〜という話。 [映画業界物語]

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日本人は情報の海の中で生きている。情報のほとんどは宣伝。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ネットと多くのメディが朝から晩まで発信している。テレビを付ければコマーシャル。雑誌を開けば広告。当然、宣伝に関して人は詳しくなると思うのだが、そうではないことが多い。

地方映画が完成したとき、多くの市民が「わーい、完成だー。あとは映画館で見るだけ〜」と日常に帰ってしまうことが多い話は以前にした。なぜか?自分たちの作った映画を宣伝するという発想が抜け落ちてしまう。聞くと「誰かが宣伝してくれるんじゃない?」「映画館が宣伝するんでしょう?」「テレビが紹介してくれるよ」と言われる。

宣伝の洪水に生きていることでの弊害なのだ。広告というのは全てお金を払ってやってもらうものであり、テレビやラジオが好意で宣伝しているわけではない。広告料を払わないで宣伝してくれるのは発信側。テレビや新聞にメリットがある場合なのだ。まして映画館が宣伝をしてくれない。もちろん、ポスターを貼ったり、チラシは置いてくれるが、テレビスポットや雑誌、ネットの広告は全て配給会社がお金を使って宣伝をお願いする。

でも、世に宣伝が溢れているので当然、自分たちが作った映画も誰かが宣伝、告知してくれると勘違いしてしまうのだ。だから、僕が担当した映画はスタート時から地元の方に理解してもらい、完成がゴールではなく、そこがスタートという話をさせてもらう。なので今回も街のみなさんも、凄く頑張ってくれている。

映画だけでなく商品というのは、どんなに素晴らしいものでも、知られなければ「ない」も同じ。つまらない作品でもテレビでバンバン宣伝すれば知名度は上がり、映画館に客が集まる。が、宣伝は本当に金がかかる。だから低予算作品はネットを利用する。Facebookやツイッターで告知。これは無料だ。けれど手間がかかる。1回発信すればいいというものではなく、何度も何度も発信しないと伝わらない。あるとき、応援してくれている方から「監督。『野火』のように1日1回ツイートしろとは言わないけど、3日に1度発信しないと客なんて来ないわよ」と言われた。

実は1日10回はツイートしていた。毎日、朝昼晩と発信。それでも、僕を応援してくれている人でさえ、それらのツイートを目にしていないということなのだ。公開の何ヶ月も前から発信。1ヶ月前からは毎日。ただ、ツイートを見て映画館に来てくれる人は少ない。それでもやらないより、やった方がいい。テレビで毎日宣伝すれば多くの人に伝わる。でも、莫大な宣伝費がいる。ツイッターはただだが、毎日発信しても、なかなか広がらない。それでもタダ!これは使わないと!

舞台挨拶の前は1ヶ月ほど、余裕さえあればツイート。電車の中。風呂の中。トイレで。待ち合わせの間。飯食いながら。人と会わないときは常にツイート。「ネット依存症だねー」と言われたこともあるが、依存ではない。宣伝。仕事なのだ。しかし、この1ヶ月。メイキング編集で膨大な時間が取られ、宣伝の時間も奪われている。下手な宣伝会社より僕のフォロワーの方が多い。会社が10回発信するより、僕が1回ツイートした方が多くに伝わる。なら、僕が100回発信すればもっと伝わる。

でも、その時間がなかなか取れない。そもそも、監督がいくら宣伝しても業界的にノーギャラ。俳優も同じ。だから、宣伝期間中は別の仕事をして生活を立てねばならないのに、僕はいつも全力でやってしまうので、いつも終わると借金の山となるのだ。だが、やはり、いちばん大事なのはみんなで作った映画を見てもらうこと。映画製作と宣伝のときは、全てを犠牲にしてもそれをやらねば、ここまでの苦労が全て水の泡。だから、踏ん張らねばならない。

そんなときにトラブルや事件が起きるのはさらに辛い。今回のメイキングはかつてない無念さを痛感した。が、本日中に仕上げる。明日からはLA行きの準備だ。


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映画監督はつらいよ。問題あれば全て監督のせい? [映画業界物語]

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俳優の演技がよかったーそれは俳優の力。俳優が下手だったーそれは監督のせい。と、この業界では言われる。「そんな理不尽な〜」と思うが、それは正しい。俳優が下手なのは、それを見抜けなかったかった監督が悪い。そんな俳優をキャスティングした監督のせいなのだ。だが、それがわかっていない輩も多い。

後輩監督たちの映画を見て「へ? なんでこうなるの?」「なんで、この俳優使ったの?」「これちょっとひどくない?」と思うことがよくある。本人たちに聞いてみると、こういう。

「製作費がなかったんです......だから、あのシーンはああなって....」

「時間がなかったんです。陽が暮れてしまい、取り残しが出て、翌日も時間なくて..... 」

「僕は嫌だと言ったんです。Pがどうしてもというので、あの女優を選びました.....」

 事情はよく分かる。金がない。時間がない。Pが横暴。でも、そのことで映画のクオリティが落ちたら監督せいなのだ。

「そんな酷い。お金がなければ自腹切ってやれっていうんですか? そんなのおかしいですよ....」

 という人もいるだろう。でも、それらも違う。まず、P問題。僕も極悪Pとは何人も仕事をし、騙され、誤魔化され、ピンハネされ、ギャラを払わなかった奴までいる。必殺!仕事人に恨みを晴らしてと、依頼しようと思ったことさえある。いやいや、それは嘘だが、裁判直前まで行ったことも何度かある。

 そんな経験を踏まえて、今は自分でPをしている。スピルバーグだって、ルーカスだってそう。2作3作と撮るとPの権限を持つことで自分の作品を守り、より自由な映画作りをしている。そうすればキャスティングもあれこれ無理を言われることもない。もちろん、2倍どころか2倍仕事をすることにはなるが、作品を守るためだ。

では、お金と時間はどうするか? 確かにこれをいう人は多い。そして一番大きな問題でもある。といって「お金がなかったからセットを建てられなくて、空き地で撮影しました...」というのは違う。というのも、最初から1億円かかるものは1億かかるのだ。

それを1000万ではできない。どうも、若い監督の話を聞いていると、1億かかるシナリオを1000万で撮って「製作費が足りないのでこうなりました」ということが多い。また、4週間かかる内容を10日で撮影して「時間が足りなかった.....」という。そんなことは当たり前だ。

「****という映画は200万円で製作して、大ヒットしたから僕もできると思った」とか、その200万の映画が見えないところでどれだけ犠牲を払い製作しているのか? それを知った上でやるのか? 何だかそんなことをいう人たちがよくいる。

製作費が足りないから、クオリティが下がったではダメ。時間がなかったので、盛り上がらなかったもダメ。もちろん、撮影中に台風が来て1週間撮影中止ならまだ同情するが、最初から1週間と分かっていれば、そのシナリオをどんな速度で撮影せねばならないか?は分かるはず。時間がなければ粘ることはできない。じっくりと撮影もできない。「もう一度、本番行きたい!」と思っても撤収して次のロケ地へ行かねばならない。

それは最初の段階で想像が着く、それならばその時間でできる最大限の演出法で行くしかない。また、早撮りの方法論を考えるべきである。あのスピルバーグが「レイダース」を撮影したとき。あのスピルバーグでも予定通りに撮影せねばならず。カイロの撮影でHフォードが下痢でアクション場面を撮れなくなった。翌日には別の国へ移動だ。

そこで考えたのが拳銃を使ったあのシーン。場内大爆笑。時間がないことで生まれた傑作場面だった。毎回、そううまくは行かないが、考えて、考えて、行動すれば、時間やお金がなくても問題を解決することはできる。それを監督自身が「製作費がなかったので、ああなった...」「時間がなかったので、そのシーンが撮れていない」というのは、監督辞めます宣言にも等しい。

黒澤明のように全てを完璧主義で貫ける監督は今の時代にはいない。スピルバーグだって努力している(まあ、キャメロンはそれをやっているかもしれないが、彼は自分で製作費を集めているし)そんな中で日本の若い監督たちが「金」や「時間」をエクスキューズにしてはいけない。戦って克服し、少しでもクオリティの高い作品を作ることで、次の作品をより自由に撮れる環境ができるはずなのだ。



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ドキュメンタリー編集は愛がないと出来ない?! [映画業界物語]

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ようやく編集作業を再開。本当に小さなことだけど、きっかけが掴めると作業がスタートする。最終的な長さは30分ほどになるが、そのために2時間分ほどの素材を選び出し、そこから少しずつ詰めて行き、最終的に30分にする。映画と同じ手法だ。ただ、ドキュメンタリーの場合は、やろうと思えば楽できる方法がある。

例えば10日分の素材があったとき、ディレクターは撮影時を思い返し、うまく行った日の撮影を3−4日分見て、その中から使えそうなものを順に抜き出し、30分になったところで編集開始。ちょこちょこっと仕上げるという手だ。他の日の素材は見ない。使わない。と、3−4日で編集できてしまう。

映画のメイキングでもその手を使ったものがときどきある。え? 他の日は? 見ている方は思うのだが、全く出て来ない。つまり全ての日から抜き出すと、もの凄く時間がかかるから。素材が増えるごとに作業時間も長くなる。それを3−4日に絞り編集すると時間的に半分、3分の1でできてしまう。

その種の作り方をしたドキュメンタリーやメイキングはクオリティが低く、退屈なものが多い。見る人がどう思うか?より、編集する人が楽をしているからだ。ただ、異常に安いギャラで、或はタダで編集を頼まれることがある。そのときは、そんな手を使いちょこちょこと繋いでしまう人がいる。頼む方も期待はしていないので文句は言わない。

ただ、その映画が好きでメイキングを楽しみにしている人たちが失望する。特にメイキングはスタッフやキャストの横顔が描かれるので、関係者は楽しみにする。それを裏切ることにもなる。その手の編集者はたいてい映画製作には関わっていない作品愛がない人が多い。だから、見る人や関係者のことより、自分が楽することを考える。

が、以前、メイキングを撮影した本人に編集させたことがあったが、楽して編集したのが見え見え。最終日の盛り上がる現場だけで半分以上の尺を使っている。本人に訊くと「あの日の撮影が面白いから」というが、単に、時間かけずに出来るから(素材を繋ぐだけなので)そうしたことは明らか。直しを要求したら、連絡が取れなくなった。

もう編集をしたくないという意思表示。彼の撮った素材を見ると一応、主要なものを押さえてはいたが、撮影がかなり酷い。編集するのはもの凄い労力が必要。それが嫌で最終日の映像を多量に使ったのだ。いずれにしても面倒なことは嫌なのだろう。ま、今回のメイキング担当も似たようなもので、他のスタッフに叱られないように、邪魔にならないところから撮影。そのために使える絵がほとんどない。

そんな素材とこの数週間、格闘している。「ダメな素材をどうすれば見れるようになるの?」と思っている人もいるだろう。確かにピンボケは直せないし、ブレブレの映像も綺麗な絵にはならない。映ってない俳優を見せることもできない。が、3分のカットで、10秒ブレずに写っていれば、それを抜き出し。広過ぎる絵ならブローアップ。ブレが酷ければスチールにして静止画として使う。

見るにたえない部分は本編の映像と差し替える。スチール写真をインサートする。スローをかける。似たような別のカットと差し替える。と、もう、ありとあらゆる手を使って撮影現場の映像を再生するのだ。もうホント、恐竜の骨格復元と同じ。石膏や鉄を使い、補強、継ぎ足して、無い部分を作り、チラノザウルスの巨大な骨格を再現する。あれに近い。

とうぜん、通常の3−5倍の時間がかかり、エネルギーも何倍も必要。最初、3時間分くらいを抜き出し(もちろん、そのままでは使えないものがほとんどだが)加工し、再生し、2時間まで来た。抜き出しては見たが、再生不可能なシーンもあり、大きな画面で見るとブレが激し過ぎて船酔いするのでアウトというのもある。

次に、2時間の中で面白いエピソードを選び、それに補強映像を繋いで行く。そうして数日。現在はついに1時間だ。もちろん、撮影があった全ての日からOKカット抜き出しをしている。それを編集、リズムや流れを大切にして、どーしてもクオリティが高くならないシーンをボツにする。その後もあーだこーだで言葉で説明できない作業を経て、最終的に30分にする。が、補強のために本編映像でも足りないものがあるのが分かって来る。どーしよう?と考えていて僕が撮影中に片手間で撮った写真に使えるものがあったのを思い出す。

それを探すのに、また1時間。メイキングにはロケ弁の映像が1カットもない(担当者も皆と一緒に弁当を食べて休憩していたから、本来メイキングに休息は無い)そこでまた、ロケ弁を撮影したスチールを探す。全日分だ。これで3時間!先に書いたように楽したければ、いくらでもメイキング編集は手を抜ける。クオリティが低くなっても「素材が悪いから」と言い訳できる。

が、それでは意味がない。メイキングは関係者全ての思い出。唯一の映像アルバムなのだ。それを適当に、あるいは楽して編集するなんて、できない。そもそも作品に愛のない奴は映画人として無理。編集作業をしながら、いろんなことを考えてしまう。


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メイキング編集は続く(9)教育に歪められた子供たちの叫びなのか? [映画業界物語]

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一番の注目点は学生君の映像が前半と後半でかなり違うことだ。前半は映像科の学生とは思えないブレブレ、ボケボケの映像。後半は落ち着いた映像だが、引き絵がほとんどで防犯カメラのようなものばかり。いずれにしてもメイキング映像として最悪なものだ。とても作品にならない。が、ここに彼の心理が反映されている。

まず、前半。彼の心理はこうだ。初めての撮影現場に戸惑い、緊張し、カメラを巧みに操り、落ち着いた映像を撮ることができなかった。カメラ以前に、どこから撮ればいいか?も分からない。変な場所に立っていたらスタッフから怒られる「邪魔だよ」逃げ回りながら撮る。だから、ピントもボケる。画面もブレブレ。その上、貴重なチャンスを逃したり、撮らなければならない俳優が見えない位置にいたり、それが前半の映像が酷い理由だ。

では、後半はどうか? なぜ、引き絵ばかりとっているのか?説明する。撮影現場は俳優がいて、その前に本編カメラ。その後ろに照明部や演出部。さまざまなパートがおり本番に臨む。学生君はさらにその後ろからメイキングカメラをまわす。だから、俳優は豆粒のようにしか写っておらず、犯罪を街角の監視カメラが捉えたような絵になっている。俳優がどんな表情で芝居をしたか? 本前は緊張していたか?本番後は笑顔だったか?は全く分からない。その辺を見せるのがメイキングの役割なのだが、それが分からない映像になっている。

なぜ、学生君はそんな絵ばかり撮ったのか?「メイキングを知らない?」いや、何本もDVDで見ていると答えている。それに前半はカメラの横にいて、俳優の表情の分かる映像も撮影している。画面はブレブレだが撮っている。では、なぜ、後半は引き絵ばかりを撮っていたのか?

ここまで書くと答えは簡単。学生君は前半の撮影で感じた。「本編カメラのそばにいると、メイキング的ないい絵は撮れる。けど、いろんなスタッフに注意され、叱られる」彼に聞くと「勉強になります」とは言っていたが、内心はショックだった。邪魔者扱いされ、自分が気が回らないことを痛感、経験値が低いことを感ずる。本来はそうやって学ぶ。大学では教えてくれないことばかり。彼も「勉強になります」と言っていたが、本音は後半戦に現れている。

他のスタッフから注意を受けないように、誰もいない撮影隊の背後に立ち、そこからメイキング撮影をしたのだ。後ろにいれば邪魔にならない。ただ、そのために引き絵が多くなる。俳優は豆粒。そんなものは数秒あればいい映像。なのに、彼はそれを延々と、1日中。最終日まで撮り続けた。ほとんど使うことができない映像を延々と撮ったのである。

彼の使命はメイキング用の映像を撮ること。メイキングは撮影中&撮影前後の俳優の様子を記録するのが中心。表情や発言。動きを撮影する。学生君は撮影前半、ボケボケ&ブレブレの映像ながら、それをやっていた。が、後半で本来やるべきことはやめて、撮影隊の一番後ろから引き絵のみを撮っている。先に書いたように注意されない。叱られない。でも、メイキング本来の映像が撮れない。つまり本来の仕事をすることより、注意されないことを優先したのだ。

本当なら本編カメラのそばにいながら、注意されないように振る舞うことが大事。だが、学生君はそうではなく、絶対に注意されない撮影隊の一番後ろに行って、撮影を始めた。そんな絵は10秒あれば十分なのに、前へ行くことはなく、延々と撮影を続けた。彼はそれで仕事をしていることにしたのだ。

たぶん「寄り絵はないが、撮影風景は撮っている。仕事はしている。何度も注意されたり、叱られるのはもう嫌だ」そう考えたのだろう。俳優のアップやオフショットを撮るのがメイキング。彼はそれを分かっている。なのに、叱られるのを避けるために、嫌な思いをしないように、仕事をしているように見せかけながら、楽にやれる方法を選んだのだ。

「でも、彼は映画のカメラマンを目指しているんでしょう? 映画監督にもなりたいんだよね? だったら、せっかくのチャンス。なんでがんばらないの?」

そう思う人がいるはずだ。が、そこに今時の若者の姿が彼に重なる。僕はよく演劇学校や映画学校で講師をする。若い人たちと接する機会がよくある。そして彼ら彼女らと話していて驚かされることがある。ある映画学校。講義終了後に質問に来た生徒。やる気を感じる。彼はいう

「監督。映画監督って食えますか?」
「監督で食える人なんて日本で5人くらい。もし、安定を求めるなら映画の仕事を選んではダメだ」
「そうですか、食えないのは嫌だなあ。でも、映画やりたいんだけどなあ」
「もし、食うのが大事なら公務員になった方がいい。大企業だって倒産して失業する時代だからね?」
「んーー映画。やりたいんだけど食えないんならなあ...」

彼は暗い顔をしてお礼も言わずに去っていった。その子が特別ではない。映画学校にいる多くの生徒が似たような発想を持っている。卒業しても監督になれるわけではない。にもかかわらず、休まず授業に出る。実習をする。卒業式まで学校に通う。学校は就職の世話をしてくれるわけではない。なのに、毎日、授業に出る。

では、やる気があるか?というと、そうでもない。クラスで居眠りをしている生徒もいる。ノートに落書き、スマホでメールしている奴もいる。高校や大学と同じ光景。そんな生徒を見ていて思い出すのは、高校時代の同級生。勉強は嫌だ。でも、いい大学には行きたい。誰も知らない三流大学は嫌だ。できれば、「へー**大学!!」と言われるところに行きたい。が、勉強は好きではない。

そこそこ勉強はする。親や教師にも成績のことを言われる。「努力しろ!」と言われる。努力する振りをする。深夜遅くまで起きているが勉強ではなく、深夜ラジオを聞く。先生に「成績悪いな!」と言われれば「次はがんばります...」とやる気を伝える。でも、死に物狂いで勉強をする生徒はほんの一部。あとは、勉強する振り。そのくせいに有名大学に行きたい。これと映画学校や俳優スクールの生徒は同じなのだ。

「監督になりたい!」「俳優になりたい!」そういいながら努力しない。学校には真面目に通う。が、あとはバイトにコンパ。大学生と同じ。講師に言われれば「がんばります...」というが、何もしない。シナリオの提出といっても、締め切りを過ぎても出さない。実習といっても現場にいるだけ。その他、自主的に何もしない。自分から手を上げない。そのくせ「映画監督になりたい!」「俳優になりたい!」という。「有名大学に行きたい!」=>「監督&俳優になりたい」と変わっただけ。

今回の学生君も同じだ。「映画監督になりたい!」現場に出るチャンスを掴む。が、注意されたくない。だから、背後で撮影する。受験生が「有名大学に行きたい!」でも、勉強は嫌だ。親に注意される。勉強する振りをして深夜ラジオを聞く。学校に通う俳優志望も監督志望も多くはそういうタイプなのだ。夢は大きく、努力は少々。人に注意されると、やる気がある振り。結果、目的は達成できない。

「彼らは怠け者なのか?」というと、そうではない。ではなぜ、そんな若者が増えてしまったのか? 大学を拒否して俳優や監督になりたいという連中が、結局、ダメな受験生と変わらないことをするのはなぜか? そこが今回の記事の肝となるところである。それは最近の若者だけではない。僕が若い頃からその風潮は始まっていた。

子供の頃はいろんな夢がある。「パイロットになりたい」「野球選手になりたい」「総理大臣になりたい」だが、中学生になり、高校生になると、夢を実現するのは大変なことに気づく。また、日本のいう国は「夢はしょせん夢」という風潮がある。大人たちは「何、子供みたいなこと言ってるの?」と批判する。「世の中あまくない」という。それに感化され、子供達も次第に夢を語る友達を「甘い」「現実を知らない」と言い出す。

「そう。夢を追いかけるのは子供。世間知らずなんだ...」と考えるようになる。高校になれば受験。大学で人生が決まる。本当なら様々な人生があるべきなのに「大学にくらい行かないと恥ずかしい...」と思える。「有名大学を出ていないとアホだ...」と思われる。世間からそんな声が聞こえて来る。大学のブランド=人間の価値のように思う人がたくさんいる。そんな中で子供たちも、その価値観に染まり、違うと思っても無意識に寄り添い、迎合していく。

だから、勉強嫌いな同級生も「有名大学に行きたい!」という。大学は勉強するところ。嫌なら行かなければいいのに、「大学も出ていないのは恥ずかしい...」という。これは何かというと、戦時中と同じ。「戦争に行くのは日本男子の本分。お国のために死ぬのが日本人!」という教育を行った。それを批判すると「非国民!」と言われた。国策だ。だが、僕らの若かった頃も似たようなもの。戦争が受験戦争に変わっただけ。勉強しない者は「非国民」ではなく「落ちこぼれ」と言われた。

国策として優秀なサラリーマンを育てるための教育。それに賛同しようがしまいが、多くの日本人が巻き込まれ、いつしか、自らその道を歩んでしまう。国が指導するというより、国民が互いに道から外れないように統制していく。「大学にも行ってないの?はずかしい...」「***大学?三流ね...」と人を学歴で判断する。「勉強できないから、大学なんて無意味なんていうのね?負け犬の遠吠えね....」戦時中は「戦争にいくのが怖いから、戦争は無意味だなんていうのよ」というのと同じ。

つまり、当時は戦争が絶対。その後は大学が絶対。それを否定するものは、人にあらず的な風潮が日本を覆ったのである。そんな中で育った僕らの世代は「落ちこぼれ」と言われ劣等感を持っても、我慢して生きて来た。そこから外れて夢を追うなんていうとバカだと言われた。が、そんな時代が長く続くと、若い人たちは気づいてくる。意味ないんじゃない? 受験戦争を勝ち抜いて大手銀行に就職しても倒産するじゃん。

日本はすでに金持ちの国じゃない。電化製品も韓国、台湾に抜かれた。なんで勉強しなきゃいけないんだ? 理屈ではなく、感覚としてそう思う。が、親の世代(つまり僕の世代)は時代は変わっているのに、自分たちが若かった頃の価値観を振り回し、大学に行けという。そんな子供たちの反乱が、「本当に自分探し」「夢を追いかける」「就職しない」という選択なのだろう。

フリーターとか、ビル街でダンスするとか、いろんな生き方を模索する若者が増えたのは、そんな背景を感じる。だが、彼らは10年近く、与えられる教育をしてきた。「考える」という教育を受けていない。だから、夢を追いかけているといいながら、映画学校や演劇スクールで、高校時代と同じように居眠りをする。落書きをしている。

まじめに授業に出るが、学ぼうとしない。注意されると「やる気」ある振りをする。楽な方を選ぶ。手を抜く。夢を掴むのにプラスになることより、注意されないこと。叱られない選択をする。そもそも「表現の仕事」は学校で学べないのに、学校へ行くこと自体がおかしい。でも、彼らは何かをするには学校で...という発想から離れられないのだ。

なぜ?そうなるのか。10年の教育で、皆、与えられたことを適度する反抗しないサラリーマン予備軍に育っていたのである。先の学生君もまさにそれ。映画監督になる!という夢があるのなら、素晴らしいメイキング映像を取れば次の仕事につながるのに、叱られないことを優先する。自分で考えようとしない。言われたことを適度する。指摘すると「がんばります」という。やる気のない受験生と同じ。彼もまた長年の教育によるサラリーマン予備軍として、その価値観で育ってしまったのだろう。

最近の若者を「やる気がない」と大人はいう。その前の世代ー僕らのときは「やる気はあったが、それを押させて受験勉強をした」今の子たちはそのやる気が最初から育っていない。それでも若い感性は「このままじゃいけない!」と感じている。にも関わらず、刷り込まれた教育の歪み、手抜き。見せかけだけの行動。叱られないことを優先。器用に生きようとしてチャンスをなくしている。悲しい話だ。

すでに優秀なサラリーマンを育てる教育は崩壊している。文科省も現在は「考える」教育を始めるべく、カリキュラムを準備している。孫正義はいう「考える教育をしなければ、日本は金輪際アジアで勝てない」その通りなのだ、でも、すでにそんな教育を受けて育った子たちは、考える力を持つことができない。せっかく、夢を掴む撮影現場にきているのに自らそれを放棄する。だが、本人はそれなりにがんばったつもり。

そんな子たちの多くが映画学校に行き、俳優スクールに通っている。どうすればいいのか? どうすれば彼ら彼女らを変え、大切なことを伝えることができるのか? そんなことを考えてしまう。


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メイキング編集中⑧ なぜ、若者は「本気出してない」になってしまったのか? [映画業界物語]

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いよいよ確信に迫ってきたので、もう少し書く。個人の批判をしているのではない。そこに日本社会が抱える問題や歪みがあるので長々と書いている。その辺を念頭に置き、読んで頂きたい。

映画学校の学生君が撮影したメイキング。素材が本当に酷い。高級なカメラを持ち、大学で映画作りを学んでいるのに、お年寄りが趣味で撮っているビデオ以下のクオリティ。映像を見ていると船酔いするほど、画面がブレブレ。撮影の後半戦でようやく映像が落ち着いてきたかと思うと、撮影風景を引き絵で延々と撮るだけ。

メイキングというのは撮影中に俳優がどんな表情を見せるか? 撮影前後はどんな風か? そのシーンはどんな感じで撮影されたのか?等を見せるもの。なのに学生君が撮った映像は防犯カメラのように広い絵で、撮影風景を広角で延々と撮るだけ。

映像科の学生なら、引き絵だけでなくクローズアップという技法を知らないはずがない。遠くにいても望遠レンズを使えば、撮影中の俳優の表情を捉えられる。それを学生君が知らないはずはない。素人でも今時望遠レンズは使っている。はっきり言って彼の撮った絵の90%は使えない。いくらギャラが安いとはいえ、あまりにも酷すぎる。

もう最初は怒り心頭で、今から呼び出して説教してやる!と、血が逆流する思いだった。メイキングは撮影のやり直しがきかない。予算がなく、そのギャラでやってくれるプロはいなかったということはあるが、映像科の学生がなぜ、あんな絵を撮るのか?信じられなかった。が、最後まで彼の撮った素材を見て、どんな思いで撮影に参加したか?理解できた。

そもそも彼は将来、映画のカメラマンになりたい。そのあとは監督もしたいという目標があり、映像科のある大学で学んでいる。年齢は20歳少々。今回の超安いギャラでも「勉強になります」と参加した。撮影前からプロデュサーに叱られ、今時の子はすぐやめるから....とPが心配したが、わざわざ事務所まで謝罪に来て「がんばります」と告げた。今時めずらしい、やる気のある男の子である。

それが撮影前半はブレブレのピンボケ映像を連発。後半戦は引き絵で防犯カメラの映像のようなものしか撮っていない。ときには全く撮影していないシーンもある。秋公開に合わせてネットで配信するメイキング作品の準備をしているが、これでは番組として見せるレベルではない。それは大問題なのだが、とりあえず置いておいて、なぜ、彼がそんな素人まがいの映像を撮ったか?推理してみた。

まず、前半はブレブレのピンボケ。だが、後半はそれほどではない。彼は自前の高級一眼レフ(動画撮影可能)を使っていた。ピン送りはマニュアルだ。これらの事実から彼はカメラを使えないのではく、初めての撮影で混乱し、緊張し、落ち着いて撮影ができなかったのだと思える。それにプラスして、メイキングというものは、どの位置からどんな風に撮影するか?理解していなかったようにも思える。

撮影前にメイキングの基本を教えた。DVDの特典メイキングとか見たことある?と聞くと「はい。結構、見ています」と答えている。それなら見よう見まねで同じように撮ればいいのに、それができず、現場であたふた、スタッフから何度も邪魔だと注意され逃げ回りながら撮影したことで、画面はブレブレ。ピントはボケボケになったのだ。

実際、メイキング映像にも記録されているが、彼は何度もスタッフから注意されている。「動くときにチャラチャラ音のするもの(キーホルダー等)を外せ」「本編カメラの前に出るな(これは当然のこと)」「お借りしている民家の壁を傷つけるな(学生君はなぜか?大きなリュックを背負って撮影に来る。メイキング班は身軽が基本。彼が動き回るたびにリュックが壁や障子を傷つける)」

そんなふうに撮影当初は何度も注意された。これらは現場経験がないとわからないこともある。が、ちょっと考えればわかることもたくさんある。ただ、注意されることで学び、勉強することもできる。大学の教科書には書かれていないことを現場ではたくさん学べる。にも関わらず、最近の若いスタッフは注意されると、極端に落ち込み、撮影中にも関わらず、帰ってしまい。二度と撮影に出て来ないということがよくある。

しかし、今回の学生君は何度叱られても、「勉強になります」「注意されるのは僕のためを思って」といい、帰ってしまうことはなかった。が、実は学生君、あることを考えていたのだ。現場では気づかなかったが、その答えは彼が撮った映像にあった.....。そこには現代社会、そして教育の歪みが秘められていたのである。(続く)


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メイキング編集中⑦ 学生君はプロを目指すといいながら、なぜ酷すぎる映像を撮影したのか? [映画業界物語]

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学生君が撮ったメイキング映像を全て確認した。はっきり.....言って酷すぎる。が、そういうと「素人を使うからだよ!」という人もいるだろう。そんな話ではない。彼の映像を見ていると彼が撮影現場で何を考え、どんな思いで、仕事をしていたか?がよく分かる。そこから今時の若者の姿がはっきりしてきた。

学生君は20〜22歳位。大学の映像科で勉強している。将来は映画のカメラマンになりたい。その後は監督もやりたいとのこと。かなり高級な一眼レフを持っており、動画も撮れるので今回の撮影ではそれを使用。途中で必要と分かった一脚をAmazonで購入するなど、プロを目指していることを感じた。

が、初期の撮影ではカメラはブレブレ。ピントはボケボケの映像が多発。全く使えないものばかり。それならオートフォーカスのカメラを使えよ!といいたいが、一眼レフなので手動でピント。間抜けだが、こだわりを見せていた。撮影位置がまちがっていることが多く。いや、初期から中期まではほとんど不正解。何でそんなところから撮影するの?ということを連発。

シナリオを読み、現場を見て、本編のカメラが置かれればどこで何が進行するか?は想像ができる。その場合、本編カメラに映らず、他のスタッフの邪魔にはならず、そのシーンを撮影できる場所を見つけ、そこから撮影する。それがメイキングの基本。だが、彼が選ぶ場所は間違いだらけ。「そんなところから撮ったら俳優が映らないだろ?」「そこからじゃ全体が見れないだろ?」という場所ばかり選ぶ。

学生君が撮った映像を見ていて笑ったのは、監督がメイキングカメラに向かって「そんな遠くから撮るんじゃない。もっとこっちに来て!」と叫んでいる場面が何回かあること。学生君は渋々、近づいてくるのだが、その辺から分かることがあった。彼はまた、撮影部等からも「そこは邪魔なんだよ」「音出さないで」と何度か注意を受けている。

2日目の撮影では大きなリュックを背負ったまま、現場である居酒屋の中をウロウロ。美術部さんに叱られていた。前日も彼が振り返るたびに、そのリュックが部屋の壁や障子にあたり傷とつけていたというのだ。そもそも、なぜ、狭い撮影現場にリュックを背負ってくる必要があるのか?メイキングは機動力だ。身軽でいることが基本なのに?

もしかして叱られたら、そのままリュックを背負って帰京するための準備?とも考えたが、彼は怒られつつも最後まで撮影をし、3日目からはリュックを持たずに現場にきている。それらから分かること。機材のことから考えると、彼は真剣にプロを目指している。大学の映像科でも学んでいる。ただ、現場は初めてで冷静さをなくし、どこから撮ればいいか?分からず、現場をウロウロ。音を立て、リュックを背負い、撮影部の邪魔になる。何度も注意される。

そんな彼が後半戦で多少、落ち着いた撮影を見せるようになった。が、広角で撮影現場全体を撮り、俳優にズームすることもなく延々と撮るようになる。なんとか観れる絵にはなったが、これでは防犯カメラの映像だ。俳優が本番前にどんな緊張を見せるか? カット!の声でどんな安心した顔をするか? そんなとこがメイキングの面白さ。なのに、引き絵で延々と撮るだけ。俳優の表情は分からない。

バカ過ぎる!!と思えてきたが、先の件から学生君の心理が分かってきた。彼の行動、行為、様々な出来事から、彼の思いが明されて行く....。(つづく)


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メイキング編集はつづく⑥ 日本映画界のメイキング現場とは? [映画業界物語]

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今はどの映画も予算削減で苦しんでいる。テレビ局が製作する超大作は別にして、特に小品と呼ばれる作品は様々な形で製作費を抑える。メイキングはDVD化するときに「売り」となる重要アイテム。その映画がどのようにして撮影されたか?を見ることができるドキュメンタリー。DVDを購入する映画ファンにとっては楽しみのひとつ。

だが、製作サイドはそのメイキング費用もなるべく抑える。例えば、現場にホームビデオ用のビデオカメラを置いておき。手の空いたスタッフがまわすという作品もある。ただ、手が空くのはそれなりのシーンで、ここぞ!という見せ場は皆、忙しくて誰もカメラをまわせず。「え? 何であのシーンないの?」ということになる。

ある映画ではプロデュサーがメイキングカメラをまわしていた。なので、映るスタッフは誰も嫌な顔をしない。本来、メイキングはお邪魔虫でスタッフに嫌われる存在。本編撮影の現場をウロウロされてはたまらない。だが、プロデュサーが撮影しているので、皆、除けて撮影しやすいように協力する。

が、多くはカメラが下手。ただ、撮っているだけのものが多い。ドラマティックがない。撮影現場の中継のようなもの。プロデュサーは人扱いや金を扱いが仕事。カメラがうまい人はなかなかいない。やはり、メイキングはディレクターの仕事だ。

そんなふうに毒にも薬にもならないメイキング映像はプロデュサーが撮っていることが多い。でも、Pや手の空いたスタッフが撮影すればメイキングの人件費がいらない。感心でることではないが、そうやって節約するのである。

それで良質のメイキングは絶対にできない。単なる人件費節約だ。が、批判ばかりしていられない。今回の作品は予算削減に厳しく見舞われ、本編の予算を減らして映画自体のクオリティを下げるより、メイキング等の付加的なものの予算を下げることにしたもの。そのために安価なギャラで頼める映画学校の学生君を雇うことになる。

というか、そのギャラで手を挙げるプロがいなかったのだ。それでもメイキングはカメラがまわせ、映画撮影というものを理解していれば出来る仕事。僕も18歳の映画学校時代にプロの現場でメイキングをまわしたことがある。のちにあるイベントでも上映された。今の学生にだって出来るはずだ。
情熱のないプロより、やる気のある若者の方が期待できる。

が、その期待は大いに外れ、その学生君が撮った映像を殺意(?)を感じつつ現在、編集している。カメラが下手とかいうことだけではない。彼がなぜ、「考える」という行為をしていないか?に怒りを覚える。ただ、それが現代教育を受け育ったよくいる若者だということも分かってきた・・・・。


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メイキング編集は続く⑤ 誰も教えてくれない。学校では学べない。どうする若者? [映画業界物語]

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撮影6日目の素材を見ている。メイキング担当の学生君が撮ったものだ。最初に比べて映像が落ち着いてきた。ということは初めての撮影現場で動揺してミスを連発していたと思える。ピンボケ。手ぶれも少なくなった。が、確か、この辺で僕が彼の撮影振りを見て注意したのも思い出す。

あと、6日にして彼はとうとう革新する。誰が主人公か?を把握したようでカメラの中心でその俳優を捉えていたのだ!!!!そしてついに、6日目にして初めて、その俳優の寄り絵を撮影した!!! よしーーー!というか?遅すぎるのだが、、、、

それでも弁護的にいえば、撮影1週目は何を撮っていいか?全く分からない映像の連続。ロケ地近所の家の犬を延々撮影していたりする。それが少しすると引き絵ばかりだが、撮影の全体を撮るうようになる。それだけではダメなのだが、一時は彼は「メイキングとは引き絵で撮影風景を撮ること?」と考えているのかとさえ思えた。が、6日になると、途中でズームして俳優の寄り絵を撮るうようになった。凄い。進化している!

ただ、それは当たり前のことで、そのくらいのことは撮影初日からできることなのだが、まったくやる気のない学生というわけではないようだ。そして、いかに映画学校で何も学んでいないか?を痛感する。ただ、現場は学びの場ではない。実習でもない。真剣勝負の場だ。学生の勉強のために呼んだわけではない。でも、彼だけに関わらず、多くの若い人はその辺が分からないようで、「ギャラはいくらですか?」とまず口にする。とても金を払える腕でもないに関わらずだ。

バイト感覚。1時間働いたらいくら?ということなのだろう。だから、プロの現場でそんなレベルの学生を使うことは危険。本当は彼にとってとても勉強になるのだけど。それがあちこちで低予算映画が作られる中、学生であっても現場に呼ばれるチャンスが出てきた。真剣勝負の場というのは、ものすごく勉強になる。俳優でも100回レッスンを受けるより、1回撮影現場に出る方が100万倍勉強になる。スタッフも同じだ。

予算削減と不況のせいなのだが、それが学生には大きなチャンスとなっている。にも関わらず、それを生かせず、バイト感覚。言われたこともできない。言われたことしかしない。メイキングが何たるか?を勉強して来ない。主人公が誰なのか?も把握しない。ため息が出るが、以前のメイキング担当は編集を投げ出して逃げしまった。それに比べて今回の学生君は怒られながら叱られながら最後まで現場を務めた。映像を見ると少しずつだが進歩している。

今回は彼の学習の場を作ったわけではなく、プロの仕事としてお願いしたので、それはまったく果たせてはいないが、その背景にあるもの。いろいろと感じる。僕は思う。学校システムが、特に映画学校や演劇学校はその役割を果たしていない。彼らは高い授業料を払うだけで、役に立つことを学べず。学ぼうとせず。現場では使い物にならない。昔の映画界はそんな若者を育てる場でもあったが、今は違う。即戦力が必要とされ、育てる余裕はない。

学校でも学べず、現場でも教えてくれない。これは映画界に限ったことではないだろう。原石を磨くとかいうが、誰も磨いてはくれないのだ。自分で考えるしかない。DVDを見る。自分でやってみる。自分で腕を磨くしかない。そして、いつまでも無意味なレッスンをしていないで、現場に出ること。それが大切なこと。学生君の奮闘からも感じる。


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メイキング編集は続く④ 大切なのは反省と分析。前向きに考えるのはそのあとだ。 [映画業界物語]

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本日も朝から作業。現在は撮影の順にメイキング素材を確認。使えそうなものを選んで行く。6日目の病院ロケを作業中。何度も書いている通り、この作品は予算の都合で映画学校の学生君に頼んだもの。上がりはかなり酷い。でも、そこから現代の若者像が見えてくるので、記事にしている。

以前はこんな記事を書くと、業界の先輩が「内輪の恥をネットで晒すようなことをするな!」とか怒られたが、先輩も今は行方知れず。注意がくることもなくなった。彼は記事を読むと「愚痴を語るな」「恥を晒すな」「個人攻撃をするな」などとよく言ってきた。

が、全て当て外れ、愚痴ではなく反省。恥ではなく、トラブルをいかに克服したか?を綴っているのだし、個人攻撃ではない。固有名詞をあげていないし、彼がダメなやつだと指摘するのではなく、その背景にある教育を問題視しているのだ。

先輩は非常に日本人的というか、古いというか? 内輪の問題は隠すべき。外部に漏らすべきではない。という観念があったのだろう。ま、60代だし、古い価値観に縛られており、後輩がバカなことを書いている。注意してやらねば恥をかくぞ。という思いで連絡をくれたのだと思える。後輩思いではあるが、やはり彼の価値観は古いと考える。

映画監督を目指す若い人が数多く、僕のFacebook記事を読んでくれている。後輩のディレクターや監督たちも注目してくれている。その人たちに対して、華やかな映画界の部分だけを伝えていいのか? 特に今は予算削減。信じられないような製作費で映画を作る会社が多い。その中で、どうやって質を落とさずに安く上げるか? 学生や一般の人の力を借りてがんばるか? その際の問題。プラスやマイナスをあげて分析。伝えることこそ、学校では教えてくれない勉強になりはしないか?

内輪の恥を晒すとか、個人攻撃と考えて闇に葬ってしまうことに意味があるのか? それは時代と逆行している。問題が続発しているのに、いいことしか伝えないのは大本営発表であり、どこかの政権がまさに今、行っていること。それでは新しい時代を乗り切ることはできない。問題や事件を正面から見据えて、その背景や原因を追求する。そして解決策を考えることこそが映画の仕事だけでなく、大切なことなのだ。

だから、先輩の苦言を聞くたびに日本の企業や役所の隠蔽体質を思い出してしまう。その先輩も今どこにいるか?分からない。業界でも噂を聞かない。悪い人ではない。お世話にもなったし、感謝感謝の方だ。でも、古い価値観を振り回す人たちは、やがて淘汰されていくことも感じる。「いつまでも悩んでいても始まらない。今度のことは忘れて前向きに考えろ」とよく言っていた友人もいるが、過去に向き合わず、同じ失敗を繰り返していたことを思い出す。

大切なのは失敗から学ぶこと。事件を分析すること。予算がなかったから.....で済ませてはいけない。まず反省。分析。そしてどうすべきだったか?を考えること。そしてなぜ、彼があんな映像を撮ってしまったか?を検証することだ。それが次の仕事に生きるはずだ。


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メイキング編集は続く(3) 日本の教育??? [映画業界物語]

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メイキングを撮った学生君のことを考えていて、自分のことを振り返ってみた。僕も長らくメイキングをやっていた。自分でいうのも何だが、かなり評判がよく。次々に依頼が来た。「本編よりメイキングの方が面白い!」といってくれる人までいた。が、僕はドラマを監督したかった。なのに、依頼はメイキングばかり。

先輩などは「ここまで来たらメイキング極めろ。ドラマはその次だ!」とまで言いだす。メイキングを極めることに何の意味があるのか? でも、その内に目のあるプロデュサーが「このメイキングは面白い。こいつにドラマを撮らせてみよう!」という展開があるかもしれない。と思い、メイキングを続けた。

が、そんな展開はなく。やがて僕は「メイキングしない宣言」をする。惰性でメイキングを撮るのは嫌だし、生活のためだと我慢してやるのも嫌。何より、毎回違ったアプローチをしていくと、それ以上に新しい展開はもうメイキングではできないというところまで行った気がしたからだ。そこに先に先輩から「極めろ!」と言われたのが、それを極めることに意味はない。それよりドラマで新しい挑戦をしたかった。

それだけに僕はメイキングにはうるさい。1時間ものの編集に半年かけたこともあるし(完全に赤字!)複数のカメラでメイキングを撮ったり、ドラマ仕立てのメイキング(?)、バラエティ風のメイキング。メイキングというより熱血ドキュメンタリー。泣ける感動もの。といろんなパターンを作っていた。その方法論でのちにテレビ・ドキュメントも担当した。

最終的には大林宣彦監督から映画「理由」のメイキングに指名してもらった。これは「監督デビュー前に大林組で勉強しなさい」という大先輩からのエールでもあったのだけど。2ヶ月ほどの撮影に参加させてもらった。昔々は助監督経験を積んでから監督になったが、僕の場合はメイキングをすることで、いろんな現場を体験し、監督デビューしている。

本当にメイキングというのはギャラをもらって勉強するインターンのようなもので、邪魔にさえならなければ、撮影現場のどこで、どんなふうに撮影してもいいし、俳優やスタッフにもインタビューして、疑問を聞くことができる。ものすごく勉強になる。本当に素敵な仕事だ。ただ、メイキングにも限界があり、あれこれ挑戦すると、それ以上のことは撮影現場ではできないことが多くなり、やはり本来からの目的でありドラマを監督したくなった。

話が逸れたが、それだけに僕はメイキングにうるさい。ちょっとだけ自慢すると、大林監督の現場ではいつもメイキングが注意され、ときにはクビになることあるという。巨匠の現場はとても厳しい。監督がメイキングカメラの位置を指定することもあるそうだ。が、それはその通りなのだ。現場で、そのシーンをメイキング撮影するなら。

本編のカメラが例えばここ、そうするとメイキングカメラはここ!と決まってくる。「どこで撮ろうかなあ? ここだと本編のカメラに映ってしまうし。ここだと... 」と考える必要はない。シナリオを読み、ロケ現場を見れば、メイキングはここから撮ると場所は決まる。

撮影しながら編集も考える。だったら、こんなカットも撮っていこう。この人もアップで撮っておこう。もしかしたら、新人の**さんメインのメイキングはできないか?とあとになって言われることもある。あるいはスタッフ中心のメイキングってできないか?と聞かれるかも? だから、いろんなパターンで編集できるように素材をあれこれ撮っておく。実際、「理由」のときはメイキングで予告編を!との話になり、それも担当させてもらった。

「いつも大林組でメイキングをやっているんですか?」とスタッフさんから言われた。監督からほとんど怒られずにいたからだ(一度だけ怒られたけど)。いつもは大変らしい。でも、僕はそのときが初めて。「へー」と言われた。ベテランのスタッフさんから頂いた最高の褒め言葉だった。でも、ちょっと考えれば、メイキングのカメラ位置はすぐに決まる。邪魔にならない場所。方法論。それらは自然決まってくる。考えずに撮影するからまわりに迷惑をかけ、クオリティの低いものになるのだ。

だから「なぜ僕ができたことができない!」と思ってしまう。決して僕が優秀なのではなく、考えればわかることなのだ。が、前回も書いたが若い人は考えない。言われたことしかしない。メイキングは誰も何も言ってくれない。自分で考えて行動するパート。以前のメイキング素材も酷かった。撮るべきところは撮っていたが、カメラが下手過ぎ。おまけに撮影したその若いディレクターに編集させたら、本当に酷く。結局、僕が編集した。

才能とか、実力ではない。考えるか? 考えないか? 人が撮ったメイキングを見て学ぶ。周防正行監督のメイキング「マルサの女をマルサする」は名作だ。「レイダース」のメイキングも面白い。ドキュメンタリーを見て、その方法論をメイキングに持ち込めないか?考える。何にフォーカスし、どんなスタイルで編集するか? 考えた上で撮影する。撮影しながらも考える。さらに、こんな、あんな形にもできるかな?と考えて、あれこれ撮影しておく。

才能ではない。実力でもない。考えれば誰でもできることだ。だが、10年に渡る日本の教育で若い人は考える力を失う。正確にいうと考える力を育てる教育をされていない。暗記ばかり。言われたことをするだけ。それが今回の学生君の背景ではないか?

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