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メイキング編集は続く④ 大切なのは反省と分析。前向きに考えるのはそのあとだ。 [映画業界物語]

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本日も朝から作業。現在は撮影の順にメイキング素材を確認。使えそうなものを選んで行く。6日目の病院ロケを作業中。何度も書いている通り、メイキングは予算の都合で映画学校の学生君に頼んだのだが、上がりはかなり酷い。でも、そこから現代の若者像が見えてくるので、記事にしている。

以前はこんな記事を書くと、業界の先輩が「おい!太田。内輪の恥をネットで晒すようなことをするな!」とか怒られたが、先輩も今は行方知れず。注意がくることもなくなった。彼は記事を読むと「愚痴を語るな」「恥を晒すな」「個人攻撃をするな」などとよく言ってきた。

が、全て当て外れ、愚痴ではなく反省。恥ではなく、トラブルをいかに克服したか?を綴っているのだし、個人攻撃ではない。固有名詞をあげていないし、彼がダメなやつだと指摘するのではなく、その背景にある教育を問題視しているのだ。

先輩は非常に日本人的というか、古いというか? 内輪の問題は隠すべき。外部に漏らすべきではない。という観念があったのだろう。ま、60代だし、古い価値観に縛られており、後輩がバカなことを書いている。注意してやらねば恥をかくぞ。という思いで連絡をくれたのだと思える。後輩思いではあるが、やはり彼の価値観は古いと考える。

映画監督を目指す若い人が数多く、僕のFacebook記事を読んでくれている。後輩のディレクターや監督たちも注目してくれている。その人たちに対して、華やかな映画界の部分だけを伝えていいのか? 特に今は予算削減。信じられないような製作費で映画を作る会社が多い。その中で、どうやって質を落とさずに安く上げるか? 学生や一般の人の力を借りてがんばるか? その際の問題。プラスやマイナスをあげて分析。伝えることこそ、学校では教えてくれない勉強になりはしないか?

内輪の恥を晒すとか、個人攻撃と考えて闇に葬ってしまうことに意味があるのか? それは時代と逆行している。問題が続発しているのに、いいことしか伝えないのは大本営発表であり、どこかの政権がまさに今、行っていること。それでは新しい時代を乗り切ることはできない。問題や事件を正面から見据えて、その背景や原因を追求する。そして解決策を考えることこそが映画の仕事だけでなく、大切なことなのだ。

だから、先輩の苦言を聞くたびに日本の企業や役所の隠蔽体質を思い出してしまう。その先輩も今どこにいるか?分からない。業界でも噂を聞かない。悪い人ではない。お世話にもなったし、感謝感謝の方だ。でも、古い価値観を振り回す人たちは、やがて淘汰されていくことも感じる。「いつまでも悩んでいても始まらない。今度のことは忘れて前向きに考えろ」とよく言っていた友人もいるが、過去に向き合わず、同じ失敗を繰り返していたことを思い出す。

大切なのは失敗から学ぶこと。事件を分析すること。予算がなかったから.....で済ませてはいけない。まず反省。分析。そしてどうすべきだったか?を考えること。そしてなぜ、彼があんな映像を撮ってしまったか?を検証することだ。それが次の仕事に生きるはずだ。


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メイキングから考える③ 日本の教育。 [映画業界物語]

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メイキングを撮った学生君のことを考えていて、自分のことを振り返ってみた。僕も長らくメイキングをやっていた。自分でいうのも何だが、かなり評判がよく。次々に依頼が来た。「本編よりメイキングの方が面白い!」といってくれる人までいた。が、僕はドラマを監督したかった。なのに、依頼はメイキングばかり。

先輩などは「ここまで来たらメイキング極めろ。ドラマはその次だ!」とまで言いだす。メイキングを極めることに何の意味があるのか? でも、その内に目のあるプロデュサーが「このメイキングは面白い。こいつにドラマを撮らせてみよう!」という展開があるかもしれない。と思い、メイキングを続けた。

が、そんな展開はなく。やがて僕は「メイキングしない宣言」をする。惰性でメイキングを撮るのは嫌だし、生活のためだと我慢してやるのも嫌。何より、毎回違ったアプローチをしていくと、それ以上に新しい展開はもうメイキングではできないというところまで行った気がしたからだ。そこに先に先輩から「極めろ!」と言われたのが、それを極めることに意味はない。それよりドラマで新しい挑戦をしたかった。

それだけに僕はメイキングにはうるさい。1時間ものの編集に半年かけたこともあるし(完全に赤字!)複数のカメラでメイキングを撮ったり、ドラマ仕立てのメイキング(?)、バラエティ風のメイキング。メイキングというより熱血ドキュメンタリー。泣ける感動もの。といろんなパターンを作っていた。その方法論でのちにテレビ・ドキュメントも担当した。

最終的には大林宣彦監督から映画「理由」のメイキングに指名してもらった。これは「監督デビュー前に大林組で勉強しなさい」という大先輩からのエールでもあったのだけど。2ヶ月ほどの撮影に参加させてもらった。昔々は助監督経験を積んでから監督になったが、僕の場合はメイキングをすることで、いろんな現場を体験し、監督デビューしている。

本当にメイキングというのはギャラをもらって勉強するインターンのようなもので、邪魔にさえならなければ、撮影現場のどこで、どんなふうに撮影してもいいし、俳優やスタッフにもインタビューして、疑問を聞くことができる。ものすごく勉強になる。本当に素敵な仕事だ。ただ、メイキングにも限界があり、あれこれ挑戦すると、それ以上のことは撮影現場ではできないことが多くなり、やはり本来からの目的でありドラマを監督したくなった。

話が逸れたが、それだけに僕はメイキングにうるさい。ちょっとだけ自慢すると、大林監督の現場ではいつもメイキングが注意され、ときにはクビになることあるという。巨匠の現場はとても厳しい。監督がメイキングカメラの位置を指定することもあるそうだ。が、それはその通りなのだ。現場で、そのシーンをメイキング撮影するなら。

本編のカメラが例えばここ、そうするとメイキングカメラはここ!と決まってくる。「どこで撮ろうかなあ? ここだと本編のカメラに映ってしまうし。ここだと... 」と考える必要はない。シナリオを読み、ロケ現場を見れば、メイキングはここから撮ると場所は決まる。

撮影しながら編集も考える。だったら、こんなカットも撮っていこう。この人もアップで撮っておこう。もしかしたら、新人の**さんメインのメイキングはできないか?とあとになって言われることもある。あるいはスタッフ中心のメイキングってできないか?と聞かれるかも? だから、いろんなパターンで編集できるように素材をあれこれ撮っておく。実際、「理由」のときはメイキングで予告編を!との話になり、それも担当させてもらった。

「太田さんはいつも大林組でメイキングをやっているんですか?」とスタッフさんから言われた。監督からほとんど怒られずにいたからだ(一度だけ怒られたけど)。いつもは大変らしい。でも、僕はそのときが初めて。「へー」と言われた。ベテランのスタッフさんから頂いた最高の褒め言葉だった。でも、ちょっと考えれば、メイキングのカメラ位置はすぐに決まる。邪魔にならない場所。方法論。それらは自然決まってくる。考えずに撮影するからまわりに迷惑をかけ、クオリティの低いものになるのだ。

だから「なぜ僕ができたことができない!」と思ってしまう。決して僕が優秀なのではなく、考えればわかることなのだ。が、前回も書いたが若い人は考えない。言われたことしかしない。メイキングは誰も何も言ってくれない。自分で考えて行動するパート。前作「向日葵の丘」のメイキング素材も酷かった。撮るべきところは撮っていたが、カメラが下手過ぎ。おまけに撮影したその若いディレクターに編集させたら、本当に酷く。結局、僕が編集した。

才能とか、実力ではない。考えるか? 考えないか? 人が撮ったメイキングを見て学ぶ。周防正行監督のメイキング「マルサの女をマルサする」は名作だ。「レイダース」のメイキングも面白い。ドキュメンタリーを見て、その方法論をメイキングに持ち込めないか?考える。何にフォーカスし、どんなスタイルで編集するか? 考えた上で撮影する。撮影しながらも考える。さらに、こんな、あんな形にもできるかな?と考えて、あれこれ撮影しておく。

才能ではない。実力でもない。考えれば誰でもできることだ。だが、10年に渡る日本の教育で若い人は考える力を失う。正確にいうと考える力を育てる教育をされていない。暗記ばかり。言われたことをするだけ。それが今回の学生君の背景ではないか?

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メイキングの編集を続ける② 考える力を持たない若い人たち? [映画業界物語]

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学生君が撮ったメイキング映像を編集している。が、あまりに酷いので、怒り心頭。おまけのこの暑さ。「今日はもう止めじゃー!」と日暮れと共にビールを飲みだしたら、頭ぐるぐる。寝てしまい、起きたら夜中。そこからまた編集機に向かい、編集を再開した....。

何が酷いのか?説明する。その学生君はカメラが下手。手ぶれが激しい。現場で何を撮るべきか?分かっていない。カメラを振り回し、あれこれと無意味に撮影している。ピントが合っていないショットも多数。それならオートフォーカスのビデオカメラを使えばいいのに、一眼のかなり高級なカメラを自前で用意してきた。動画も撮れるものだ。が、それが使いこなせていない。

最悪なのはヒロインのアップがひとつもない。アップどころかフレームに入って来ない。引き絵で撮影風景を撮るばかり。たまにズームしたか?と思うと、スチールさんが肩から下げたカメラをアップで撮っていたり。「おー、いいカメラ持っているなあ。俺のより高級機だ〜!」そんなことを考えて撮ったのだろう。撮影中に撮るべきは俳優。そして少しばかりスタッフ。スチールさんのカメラをアップで撮る必要はまったくない。

映画撮影に興味がないように思える。いや、そうではないだろう。何を撮るべきか?理解していないのだ。学校のシーンなら、多くの生徒の中にいいるヒロインを中心に、いかに撮影が進むか?を記録する。が、引き絵ばかり。ヒロインが誰か?分かっていないようだ。もし、セリフがたくさんあれば「ああ、この子が主人公なんだ!」と気づくのだろうが、このシーンでヒロインにセリフはない。だから、気づかない。他の俳優でセリフをいう人は多少、ズームしている。やはり、誰が主人公か?理解していなかったのだ。

テレビや映画で大活躍している俳優ならわかったのだろうが、新人なので気づかなかったこともある。だとしても、メイキングをやるならシナリオを読み込み。俳優たちの名前をピックアップ。ネット等で調べて顔を覚えることくらいはすべき。ただ、呼ばれて現場にきて、無難に引き絵で撮影しているだけ。

こちらとしては予算がなく安いギャラで学生を頼むしかなかったという事情はあるが、彼にしてはせっかくのチャンス。映画科の学生なのに、なぜ、事前に準備をしないのか? イヤイヤ来た? でも、本人はやる気がないわけではない。撮影中に僕がなんども注意した。最近の若い子は怒られるとすぐに帰ってしまったりする。プロの現場でも今時はよく聞く話。撮影を放棄していなくなる。

だが、その学生君は叱っても反省し、また次の日も笑顔で現場にくる。「怒ってくれるのは、勉強になります」という。今時の若い奴にはめずらしい....そう思えた。決していい加減なやつではない。年齢も20歳少々だったかな? なのに上がった映像を見ると、努力のあとが見えない。誰が主人公か? 把握してない。延々と引き絵しか撮っていない。撮影とは関係のないものをアップで撮ったり。映画撮影に興味がないように見える。

また、高級なカメラを持っているくせに、使いこなせていない。子供が初めてビデオカメラをまわしたときのように、手ぶれ、ピンボケが多く。やたらとカメラをふりまわしている(そんな映像を見ていると船酔い状態になる)。全て初心者が必ずやる失敗パターン。そして、カメラポジションが悪い。その場所から撮ると、そのシーンで演じている俳優が機材の影になり見えない。という場所から平気で撮影している。ちょっと、左右のどちらかに移動すればいいのに、その場所から無神経に撮る。

その場面で活躍する俳優が誰か? 理解していないためか? あるいは、場所を移動するのが面倒なので、立っていたその場所から安易に、何も考えずに撮影したか?そのどちらかだろう。撮影されたものを見れば、その人が何を考えていたか?わかる。そこから推理すると、彼は映画撮影とはどのようなもので、誰が芝居をし、どの人が主人公なのか?を理解していないと思える。ただ、不思議なのは、撮影現場にまったく興味がない?イヤイヤ参加していたのか?というと、そうでない。

現場では結構、楽しそうにしていたし。「勉強になります!」となんども言っていた。どうも彼は自分で考えて行動するということができない....。あるいはそんな経験がない。メイキング=撮影現場を記録すると思い込み。ひたすら引き絵で撮っていた。誰かに言われれば「どの役が誰で?」と勉強したのだろうが、誰も言わないから予習せずに現場に来た。

実はそんな若い人は多い。言われたことしかしない。言われたことも100%はできない。言われないことは絶対にしない。自分で考えない。「これでいいのか?」「もっといい方法はないか?」と考えない。言われたことを、それなりにするだけ。映画学校や演劇学校で教えることが多いが、そんなタイプの若者がとても多い。高校や大学ではそれでいいだろう。だが、言われたことだけやっていて、監督や俳優にはなれない。でも、それに気づいていない若者が結構いる。

ただ、それは本人の問題というより、教育によってそんな人間が作られてしまったという一面がある。与えられたことしかしない。努力しない。その学生君もそんな1人なのかもしれない。と思うと、哀れに思えてくる。そんなことを考えながら深夜の編集を続ける。が、いずれにしても、あまりにもひどい素材。学校のシーンでは一度も主人公のアップ。いや、寄り絵すらなかった。これをどうすればいいというのか? クオリティ以前に作品になり得るのか?



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メイキングを編集中① 悪戦苦闘中ーいい加減にせーよー! [映画業界物語]

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昨年の夏。「明日」の現場で学生くんが撮ったメイキング映像を編集中。

もう、怒りがこみ上げる。

いくら学生であり、プロではないとはいえ、(それでも映画科の学生)ここまで酷い映像を撮るか!?

という感じ。わずかでもギャラ払ってんだぞ!!

考えればできることをしていないだけでなく、言われたこともできていない。

メイキング担当するなら、ツタヤでメイキング映像が収録されたDVD何本か見ろよ!

なんでこんな撮影になるんだ? 

明らかにメイキングとは何か?知らないで撮っている。

近所の犬を延々と撮影してどうするぅ!!

俳優を撮れよぉ!俳優を!

いい加減うんざりしてくる....。

つづく

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映画にしか出ない俳優が増えている? バラエティや歌をやらない訳 [映画業界物語]

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俳優とタレントは違う。両方をやっている人もいるが、近年は明確に線引きがされている。昔は歌手でレコードを出し、ドラマに主演し、映画に出て、CMの出演という人が多かった。が、次第に俳優は俳優。歌手は歌手という風に専門職(?)が主流になってきた。

これは近年のレストランと同じ。昔はデパートの最上階にある食堂とか、洋食、和食、中華なんでもあり。便利だけど、味はそこそこというのが人気だった。その後、洋食専門どころか、イタリア料理専門とか、さらに分業され。今では、オムライス専門というところまで来ている。でも、そんな店の方が人気で単に洋食というだけのレストランは人気がない。

歌手の世界も同じ。歌手なら歌手。歌が専門。映画やドラマには出ない。バラエティにも出ない。そのことでアイドルとは違い、本格派であることをアピールする。現在のアーティストの多くはこのタイプだ。元祖的なのは松任谷由実とか、矢沢永吉、山下達郎。最近のアーティストも皆、このタイプ。

俳優も同じだ。ドラマや映画を専門とし歌は歌わない。それがさらに線引きされて、映画しか出ない俳優というのも出て来た。というのもテレビドラマには出ないことで、特別感を持たせるためだ。ドラマだけではない。バラエティ番組にも出ない。ただ、主演映画が公開されるときは、宣伝としてトーク番組等に例外的に出る。

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今、人気の俳優はそんな路線で売る人が多い。いい映画を選んで出演。テレビドラマは極力出ない。映画で特別感を出して、イメージを売り、CMで稼ぐ。本来、テレビに出ることが売れるための近道だったのだが、あえてそれを避けることが主流になっている。それに対してタレントという人の多くは、以前からのパターン。テレビに出まくることで「売れている」感を与えて人気を得るという方法を続けているが、どこか俳優に比べると軽さを感じてしまう。

それらは事務所の方針である。違いは仕事をすると分かる。俳優専門で売る事務所だと、出演依頼をすれば撮影期間中のスケジュールを全て押さえてくれる。俳優が役に専念できるようにバックアップ。が、タレントあるいはモデル専門からスタートして俳優も扱うようになった事務所は、撮影休みがあると、すぐ別の仕事を入れてしまう。少しでも多くの仕事をさせて稼ぐ。

商売であることは分かるが、問題がある。そもそもタレントやモデルは基本、1本の番組。その日1日の仕事であるので、毎日違う現場に行くのは当たり前。1日でなく、数時間空けば別の仕事をするのは当然なのだが、映画というのは集中力であり、同じ役を1ヶ月に渡って演じ続けるのに、途中で別のドラマに出たり、バラエティに出たりしていると、役から離れてしまい、現場に戻ってもまた1からとなることが多い。いい芝居が出来なくなる。

そんな映画現場をタレントやモデルが中心の事務所は理解できない。なので、俳優の気持ちを考えずに別の仕事をさせてしまう。結果、いい俳優が育たない。ルックスはいいが、演技力のないタレントが役者を兼ねているという存在しか育たない。ある事務所はまさにそれ。大手で力があるが、そこの俳優はずば抜けた役者がいない。スケジュールもねじ込んで来る。だから、僕はそこからは絶対に選ばない。


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長くなって来たのでまとめるが、お笑い芸人でもいい役者はいる。が、やはり彼らはお笑いに命を賭けている人が多く、俳優業はアルバイトと考えている人が多い。タレントと言われる人たちもそう。人気はあるが、彼ら彼女らと素晴らしい作品を作るのはむずかしい。「映画も多くの仕事のひとつ」としか考えていないからだ。全力で演じない。台詞を間違わなければいいかな?という姿勢。命がけで演じることはなく。「この現場のあとテレビがあるから、体力を温存!」という感じ。

それらは個々の俳優というより事務所の方針が大きい。毎回、キャスティングをするときは、そこを重用視する。演技に命を賭けている人。人生を賭けている奴。低予算でも、大作でも、同じエネルギーで挑む役者。そんな人たちとでないと、いい作品はできない。1人でも軽い気持ちで、アルバイト感覚で俳優をする奴がいると、現場の空気が悪くなる。「早く終わってよー次があるんだからさー」みたいなタレントやマネージャーがいると、スタッフの怒りが込み上げる。

その俳優を魅力的に撮影しよう!という気持ちになれない。当然、作品のレベルが下がる。そんなふうに俳優を1人選ぶことはとても大切なのだ。その意味で僕はモデルクラブ系の事務所やバラエティタレントが多い事務所から俳優は選ばない。逆にいうと、近年、増えている「基本は映画」「歌手やタレント業はやらせない」「テレビは出さない」という事務所にはいい俳優が揃っており、映画製作に対する理解もある。そんな事務所と仕事をすることが多い。

レストランも俳優も同じ。専門店が今の時代に支持を集め、生き残っていくと思えている。

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映画用語は間違いやすい!?をもう一度。「公開」と「上映」はこんなに違う? [映画業界物語]

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以前にも書いたが、東京先行公開がどんどん近づき、また、間違った表現を使っている方を何人か見たのでその辺を書かせてもらう。

「公開」と「上映」は何が違うがご存知だろうか? 例えば「6月30日、有楽町スバル座公開」と「6月30日 有楽町スバル座上映」は何が違うのか? 多くの方が「同じじゃない?」と思うだろう。でも、この2つは大きな違いがあり、間違うと大変なことになる。

「6月30日公開」というのは、その日から映画の上映が始まり、基本2週間はその映画館で上映されるということ。「6月30日上映」というのは、その日限り、1日だけ上映されるという意味なのだ。これを勘違い、以前にFacebookやTwitterで「6月30日上映」と書いていた方が数人いた。情報発信をしてくれるのはありがたいが、意味が違ってしまう。それを見た人は「30日のみか? 7月1日なら行けたのになあ」と映画に行くことを諦めてしまう。表現を間違うとお客を減らすことになる。

では、これはどうか?「6月30日 先行公開」「6月30日 先行上映」ーこれも同じじゃない?と思う人いるかな? これらも大きく違う。「先行公開」というのは、他の地区、他の県に先駆けて上映がスタートとするという意味。今回の「明日にかける橋」で言えば、東京が先行公開。他の街は秋公開という形。これは先行公開。

「6月30日 先行上映」というのは、例えばその映画館で7月1日から公開される映画。人気があるので早く観たい人たちのために前日の6月30日に先行で上映ーその日1日限りーという意味である。特に先行上映は公開日前日、或は1週前にオールナイトで上映されることが多い。「ダークナイト」もその形。だから、「明日にかける橋 6月30日先行上映」と書くと、30日の夜にオールナイトで1日だけ上映されると解釈されるだろう。

実際はオールナイトなど行なわれないので、フェイクニュースを発信しているのと同じ。「公開」と「上映」はそれほど大きな違いがあるので、応援してくれる方。関係者の方は十分に注意して発信して頂きたい。面倒くさいなあーとー思われるかもしれないが、とてもとても大事なところ。ぜひ、よろしくお願いします。

確認のために書くと「明日にかける橋」は東京先行公開。6月30日から有楽町スバル座で公開。1日限りではなく、この日から2週間ほど上映されます。

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「明日にかける橋」予告篇作りで苦戦中! 名作映画の予告篇を思い出してみる? [映画業界物語]

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映画は2時間ほどで物語や感動を伝えるが、予告篇は90秒で内容を伝えなければならない。クラシック音楽なら1時間というのがあるが、歌謡曲なら基本3分ほど。映画は2時間だが、連続テレビドラマは1時間。というのと同じ。

2時間かけてテーマを描くのも難しいが、すでにある物語を90秒にまとめて伝えるのもかなりむずかしく、毎回苦戦する。例えれば120分かけて講演会をするのと、同じ内容は3分にまとめて話すのようなもので、大切な部分だけを抜き出し語るのだが、それで「面白い!」になるとは限らない。内容を要約するだけではなく、90秒を観客に楽しんでもらわなければ失格だ。

もうひとつ難しいのは、監督が予告篇を作る場合。客観性に欠けやすいということがある。2時間必要なテーマを語るから2時間の映画を作った訳で、それを90秒で語ると、あれもこれも!と思い時間オーバーしがち。なかなか、難しい。で、巨匠たちの予告篇作りを思い出してみる。

黒澤明監督も若い頃から自分で編集していた。印象的なものが多い。「天国と地獄」は誘拐事件の話だが、何と予告篇(公開当時の版、リバイバルは別版)では事件が解決したあと。犯人が拘置されている刑務所を権藤(三船敏郎)が訪ねたあと、帰るシーンから始まる。このカットは映画本編では使われていない。そんな場面から回想で誘拐事件を紹介していくという形。

「影武者」では夕陽を背にして引き上げる武田軍団のシーンから始まり、そこで兵士たちが噂話。「親方様(武田信玄)が死んだそうだ」別の兵士が立ち上がり「やいやい、ねぼけ眼(まなこ)を開いてしかと見ろ。親方様はあそこにござるわ!」と答える。彼らが振り返ると、武田信玄が軍勢を率いて馬に乗って現れ「影武者登場」とテロップがでる。

それぞれに短い時間の中で物語があり「何?」と思わせて引き込む演出、それでいて物語を説明する。なかなか旨い。まあ、大先輩に対して「旨い」もないが、予告篇というのはなかなか難しい。1970年代後半から一大ブームを起こした角川映画の予告も力が入っていて、センスがあり「おー」と思う旨いものが多かった。ただ、その多くは本編を見ると「ん〜」なものが多かったが、予告篇はどれも見事だった。

「人間の証明」の予告は「絶対に感動作だ〜」と思えるし「野生の証明」は「何が起こるんだろう?」と期待するし「戦国自衛隊」は「おー凄そうー」と感じる。「セーラー服と機関銃」も本編がまさか、あーとは思わなかったが、テンポのいい、青春ドラマ、これまでにない新しい感覚だと思えた。「スローなブギにしてくれも」も良かった。これまでの古くさい日本映画と違い現代的な感覚を感じた。まあ、両者とも本編は全然そうじゃないのだけど。

「キャバレー」もうまかった。角川映画の予告篇のうまさは音楽の使い方だ。マリーンが歌う「レフト・アローン」と凝った夜間撮影のライティング。フィルムノワールのような暗い雰囲気。これも「今までの日本映画と違う!」と期待させた。さて、偉そうにあれこれ批評してきたが、自分で作るとなかなか難しい。「これ観たい!!」と思ってもらえる予告篇。作らなくては、明日が〆切なのにまだアイディアがまとまらない。焦る。


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「明日にかける橋」東京宣伝ーロビーカード作戦? [映画業界物語]

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映画のスチール写真は、物語の一場面、そこから「どんな物語だろう?」と想像を膨らます。昔はそんなスチール写真が映画館のロビーに貼られていて「ロビーカード」と呼ばれた。「次回上映」と書かれたウインドウの中に飾られたスチール写真を見ながら「どんな映画かなあ」と「あーこの俳優さんが出てるんだ」「何か悲しいストーリーみたい?」とかいろんなことが想像し、映画の公開を楽しみに待ったものだ。

それがシネコンになり、その手のロビーカードは貼られなくなった。それどころか上映中のポスターを貼らないシネコンも多い。映画館にフラッとやってきてポスターや看板を見て「おー健さんが出てる映画だ。見よう!」と映画を選んだりもしたが、今はテレビやネットで知った映画がどこで上映されているかを調べた上で映画館に向かう。だからポスターも貼らないのだが、少し寂しい。

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そこで僕は毎回、ロビーカードを作りFacebookやブログで紹介している。ポスターを繰り返し何度もアップするのも大事だが、スチール写真を見ることで「この子可愛い」「何か感動もんだね」と感じて映画館に足を運んでくれることもある。なのに、この手の宣伝をする配給会社はほとんどない。スチール写真は公式HPにアップしているから!みたいなことで、スチール写真を宣伝に使う社は本当に少ない。

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そこで今回もスチールをロビーカード風に加工。東京公開の6月30日まで、毎週1枚ずつ公開していく。昨年末の完成披露試写会のときは、劇中の一場面でなく、撮影風景をロビーカードにしたものを試写当日まで2ヶ月間。毎週1枚公開して行ったが、今回は12枚を順次公開して行く。応援頂ける方はぜひ「シェア」してもらえるとありがたい。

上写真は以前に紹介した主人公みゆき役の越後はる香さんのスチール。携帯ではなく公衆電話の受話器を持つみゆき。ここにサブタイトル「1989年の想い出」がダブるよね? さあ、どんな物語なのか? 東京先行。6月30日(土)〜スバル座で公開だ。

予告篇はこちら=>https://youtu.be/i25nExjEbws

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久々に余裕ある日。と書くとヤバい!という話 [映画業界物語]

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本日は久々に余裕がある日。いや、また怒濤のように頼み事が来るといけないので正確に書くと、明日は宣伝会議。そこから夏に向かってまた戦いが始まる。

なので本日は久々に洗濯。そして少しばかり部屋の片付け。昨年秋から「明日」の編集をスタートしてから掃除等は一切できていない。シンクにも皿とコップが山積み。夏物と冬物の衣類が散乱。掃除機も半年以上かけていない。また、ここしばらくも、連絡をくれる方々に毎度、詫びてばかりだが、電話やメールをくれてもなかなか返事ができない。

ひとつは忙しくて時間がなかったこともあるが、編集等の集中した作業をしているときは外部を遮断する。現実に引き戻されてしまい、作業が再開できなくなる。若い頃はそれでも大切な電話のときは無理して出ていたが、そのために精神状態がガタガタになり作業ができなくなることが何度もあってから、もう何があってもすぐに返事はしないことにした。

秘書かマネージャーでもいてくれればいいが、とても給与を払う余裕がないので無理。そんな状態なので、ときどき関係者から「監督、部屋で死んでんじゃないかな?」と思われることがある。「生きてます」と連絡するのも変。なので最近はFacebookかブログの更新でそれを伝える。1週間以上更新がなければ死んでいると思ってほしい。その記事に近況を書くので「あーまだ生きているなあ」「仕事してるな〜」と思ってほしい。

また、難しいのは「明日」制作発表以降は「編集中」と言えば「明日」の作業をしていると伝わるが、映画は制作発表をするまでは内緒!ということが多い。あまりに早く発表するといろいろ大変なのだ。内容をあれこれ尋ねられたり、俳優たちから売り込みがあったり、別の会社に物語をパクられることもある。

また、撮影にも入っていないのに「どこの映画館で上映しますか?」「大阪はどこですか?」「舞台挨拶はしますか?」という問い合わせが来る。おまけに間違った情報を発信されたりして、本当に大変。だから、マスコミ発表まではなるべく極秘で進める。少なくてもFacebookで記事にはしない。

問題なのはその間。シナハンをしてても、そのことを記事には書けない。以前も打ち合わせで京都に行っただけなのに「次回作は京都ですか!?」とコメントが来た。それを真に受けて「時代劇ですか?」とか別の人がコメントしてくる。友人までが「京都で映画撮るんだって?」と言い出したことがある。

だから、下手に記事を書いたり、写真を載せたりできない。でも、何も書かないと「監督、寝込んでるのかな?」「死んでるかも?」と心配されてしまう。いろいろ難しい。といって、本当に1週間くらい寝込んでいると「これは密かにロケハンでどこかに行ってるな?」とか想像されたりもする。いずれにしても困る。

また「余裕がある」と書くと頼み事をして来る人が出る。「シナリオを読んでください」「自主映画を見てください」でも、本当に僅かな余裕であり、久々にほっとできる時間だったりするのだが、「だったら!」とその余裕も奪われかねない。なかなか、難しい。とりあえず本日は洗濯ができた。早く掃除機をかけたいが、もう疲れたので明日以降。あ、明日は打ち合わせか。。。


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映画監督業はつらいよ!ーー応援と誤解と失望の中で仕事する難しさ。 [映画業界物語]

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「映画監督」というと一般の人は「偉い人」とか「凄い人」と思ってくれる。もちろん、巨匠にはそんな方がいっぱいいるが、僕のような無名監督は「偉い人」でも「凄い人」でもなく、単なる労働者だ。ただ、やはり映画という特殊な世界なので「スゲなー」「大変だなー」と思われることはある。

有名俳優さんとも仕事するし、そんな俳優さんたちは監督というと一目置いてくれる。それを見た人は「おー有名俳優の**さんに指示しているよ。映画監督って凄いな」と思ってしまうのだろう。でも、それは運転手さんが巨大なトラックを運転したり、ライオンの面倒を見る動物園の職員さんと同じで、人が簡単にできないことをするので「スゲー」になるのだと思える。また、僕の場合は感動作ばかり作っているので

「あんな泣ける映画を撮る監督は情の厚い、いい人に違いない!」

と思われることがある。だから、Facebook友達になると「あの監督ならいろいろ質問しても答えてくれるはずだ!」と友達承認をしたとたんに質問の嵐!ということがある。或は「承認ありがとうございます」とメッセージが来たので「こちらこそ、よろしくお願いします」と返事すると「ところで監督の新作はどのようなテーマでしょうか?」とか質問になる。

急に返事を止めるのも変なので、質問に答える。と、「俳優とかもう決まっているんですか?」と質問が続く。その段階でそんなことは言えない。が、「選考中です」と答える。と、さらに「最近売り出し中の**さんがいいんじゃないですか?」と来る。その内に「監督の前作に出た女優の**さん。不倫していると聞きますが、本当にアイドルの***さんと付き合っているんでしょうか?」とかいう質問が出て来る。


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会ったこともないFacebook友達に、いや、昔からの友達だとしても、仕事仲間である俳優のプライベートを話すことはできない。それ以前に会ったこともない人が、Facebook友達にそんなことを訊くことは常識的でないことになぜ気付かないか? また、そんなことを監督業の人間が答える訳ないと考えないのか?

だが、多くは「だって、監督はあんな素敵な映画を作るのだから、優しい人だ。私の質問にも丁寧に答えてくれるはず」と思っている。常識もある。礼儀もわきまえている。「でも、監督はいい人だから答えてくれる」という勝手な期待を持ってしまうのだ。これが不良が喧嘩する映画ばかり撮っていると「あの監督は怖そう。詰まらないこと訊いたら怒鳴られるかも?」と畏怖。近づいて来ないのだが、、。

俳優も同じで「いい人」「献身的なキャラ」を演じる俳優は「この人はプライベートでもいい人のはずだ!」と思われて、街角で見つけると、すぐサインをねだられる。これがヤクザな役が多い俳優だと「怖そう。殴られるかも?」と思い、町中で気付かれても声をかけて来ないと言う。そんな「いい人」をよく演じる俳優はこういう。

「勝手にいい人だと思い込んで、絶対にサインしてもらえる。記念写真もOKと声をかけてくるんで溜まらないですよ。急いでいるので断ると、失望した。裏切られた。もう応援しないなんて、ネットで拡散されたことありますよ」

僕も経験ある。勝手に「監督はいい人だ」と思い込み、連絡してくる。「監督の映画を今日、観に行きます。どこで上映していますか? 何時からですか?」と訊いて来た人がいる。そのときは仕事の返事もできないくらい忙しいときだったので、頭に来て「そんなこと自分で調べてください!」と返事したら「監督は優しいから絶対に調べてくれると思ったのに....悲しい....」と言われ、その日の内にFacebook友達から削除された。


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矢沢永吉の武道館公演に行くのに、矢沢と知り合いだからと本人に「武道館はどこですか? 何時からスタートですか?」なんて訊くか? まあ、あちらは超有名だけど、そんなことに関わらず、普通はYahoo!とか公式HPで調べるだろ? この背景も同じ。「監督はいい人だから、親切に教えてくれるはず」という思い込み。でも、そんな非常識な頼み事を断ると、先の俳優のファンと同じで「裏切られた。失望した。そんな人だと思わなかった。許せない。二度と応援しない」とあちこちにいい触れ回られることが多い。

こんなこともある。撮影でお世話になった方、それぞれ担当者がお礼に伺う。僕もご挨拶に行く。映画というのは本当に多くの人の強力で成り立つ仕事なのだ。ただ、監督業は撮影が終わっても編集という仕事が待っている。応援してくれた人一人一人にお礼すると膨大な時間を取られプロジェクトがストップ。いろんな支障が出て来るので、本当に一部の方だけにご挨拶させてもらう。なのに

「応援したのに礼にも来なかった」

と言われたことがある。担当者がすでにお礼に伺っているのだが「監督が礼に来なかった」と怒っているのだ。このケースも難しい。家を建てれば建設会社の担当者はお礼に来るが、社長はお礼に来ない。それと同じなのだが、その人は「あの監督だから応援したのに....」という。だから「挨拶に来るのが当然だ!」と怒っていたらしい。

では「あの俳優だから応援した」といえば、その俳優は挨拶に行かねばならないのか? 応援してくれるのはありがたいが、そのために交通費を出し、もう一泊現地に泊まり、すでにスタッフが感謝を伝えた方に、監督が改めて挨拶をするのはどうなのか? 気持ち的にはお訪ねしたい。が、製作費、時間、そのあとの作業を考えると難しい。


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そんなことが何度もあった。しかし、そんな人たちは決して悪意があるとか、魂胆があるではなく、多くは僕の映画を観て純粋に感動してくれた人たち。本気で応援してくれていた。が、相手が映画監督とか俳優となると、一般の友達以上の期待をしてしまうことがある。ちょっと考えれば、長年の友達にだってそんなこと訊かない、頼まないでしょう?と分かることをつい訊いてしまう。ささやかな応援なのに、礼に来ないと腹を立てる。課題な期待をし、そして拒否されると失望し、怒る。

これはその人たちが悪いというより、俳優や映画監督という職業の宿命なのだと思える。いい言い方をすれば夢を売る商売。だから、期待される、憧れが生まれる、多くの人が近寄って来る。感動作に出ている、作っているー素敵な人だと思われてしまう。しかし、Facebookでも何千人と「友達」ができ、毎日、何十人からも質問を受ければ、それが答えられる質問でも対応することで多くの時間を取られてしまう。本来の仕事ができなくなる。例え5分で返事ができても、10人から質問がくれば50分。それを質問する側は想像しない。

でも、その想像はなかなかできない。ならば、こちらが努力するしかない。数年前からFacebookでは質問されても平等に誰にも返事をしないと決めた。友達申請をして、わざわざ「承認ありがとうございます」とお礼のメッセージをくれた方にも、御返事はしない。一般論では良くないことだが、以前のように返事をしたことで、俳優のプライベートまで訊かれて、答えないと「裏切られた! 失望した」と嫌な思いをさせてしまうこともあるからだ。それは本人がどうこうより、期待させる側に責任がある。

そんなことで、Facebook上では交流しないことを一ヶ月に1回くらい告知。多くの方が理解してくれて助けられているが、一ヶ月に数十人の新しい「友達」ができるので、告知を続けている。これが有名監督なら「有名税」なのだろうが、無名でも、こんなふうになることを痛感。監督業というのは因果な商売である。だからこそ一線を引き、応援は感謝するが、個々に訪ねたり、礼状を送ったりはしない。プライベートな交流もしない。感謝は素敵な映画を作ることで伝える。という形を続けること大事だと思えている。


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