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悲しみを表現するにはどうするか?俳優、作家、音楽家、映画監督、それぞれに模索する。才能ではない。努力? [映画業界物語]

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悲しみを表現するにはどうするか?俳優、作家、音楽家、映画監督、それぞれに模索する。才能ではない。努力?

表現者はどの分野でも共通するものがあること。ときどき感じる。作家が文章で悲しみを伝えるにはどうすればいいか?考える。俳優がどうすれば悲しさを表現できるか?思案する。映画監督がどうすれば悲しみを理解してもらえるか? 葛藤する。

表現法が違えど、皆、同じだ。例えば俳優が悲しみを表現するとき、涙を流す。観客は「ああ、悲しいんだろうなあ」と思う。でも、画面で俳優が号泣していても、観客には全然伝わらないことも多い。逆に一緒になって泣いてしまうこともある。その違いこそ、俳優の力量なのだ。

「明日にかける橋」DVDに収録してあるメイキングで、藤田朋子さんが新人の越後はる香さんにアドバイスする場面があるが、葬儀で涙する越後。我慢して我慢して最後に泣く。という助言している。いきなり泣くより、その方が気持ちが伝わるというのだ。実際、映画館でその場面を見ると、藤田さんの指摘通り。越後と一緒に観客は涙していた。

藤田さんが日頃から、悲しみをどう表現すれば観客に伝わるか? 登場人物の気持ちが伝わるか?を考えているのだ。同じ手法でもダメなこともある。状況や設定も関係する。その中でベストな手は?と俳優は常に考えている。実践する。また、同じ手法でもこの俳優ならいいが、あの俳優なら違うということもある。

つまり、自分を知らないといけない。容姿、声質、技量、自分の能力を知る。それには何度も演じることが大事。何度も繰り返すことで、この演技は受けた。でも、この芝居はダメだった。と分かってくる。
その繰り返しで俳優は演技力を養っていく。

その意味では劇団をやっている人は、公演中に10回20回と同じ役を演じる。客の反応を知ることができる。「昨日は受けたのに。今日はダメだった」そうやって問題点は何か?を考える。それが勉強になる。これでいつもいう「才能なんてない」という意味も分かってもらえるだろう。

いきなり舞台に立ち。「素晴らしい!演技だ」と言われることなんてない。先に書いたようなプロセスで、自分の特徴を知り、表現力を磨いてこそ、観客を感動させる俳優に成長するのだ。ときどき「俺はいきなり主役ができる力がある」とか超勘違いしている新人がいるが、演技は楽器を弾くのと同じ。どんな天才でもいきなりピアノは弾けない。演技も同じだ。

監督業も同じ。どんな演出をすれば、その役者の魅力が引き出せるか? どんな編集をすれば観客が退屈せずに見てくれるか? それらも才能ではなく、技術。でも、その技術も、誰が使っても同じ結果が出るとは限らない。基本的な手法はあるが、それを応用し、組み合わせて悲しみや感動を生み出すのが監督業。真似できない表現を見つけ出し、実践することが大事。

それも俳優業と同じ。その昔、若い俳優で松田優作の真似をした芝居をする者がそこそこいたが、誰もブレイクしていない。あれば松田優作だからいいのであって、それを真似てもモノマネでしかない。ただ、最初は真似ることでいい。松田優作も実は原田芳雄のスタイルを真似るところからスタートしたらしい。そこから自分らしさを見つけたのだ。そうやって表現法を探す。どの分野も共通する。


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お客様は神様です!ーでは済まない時代。矢沢永吉の決断は正しい。 [映画業界物語]

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お客様は神様です!ーでは済まない時代。矢沢永吉の決断を考える?

矢沢永吉が特定のファンをコンサート出入り禁止措置を発表した。でも、昔から「お客様は神様」と言われる。そんなことしていいの?と思う人もいるだろう。でも、映画製作をしていると、矢沢の気持ちが、とてもよく分かる。まず、そのニュースを紹介しょう。 (J-CASTニュース、ORICON NEWSより)

矢沢永吉さん(69)の公式サイトが、迷惑なファンの一人を「コンサートへの一切の出入り禁止やファンクラブの強制脱会等の措置を取らせていただきました」と発表。その理由を「私設応援団を名乗る一部の集団が威圧や強要、一部のファンの飲酒による周囲への迷惑行為」が後を絶たないためと説明

矢沢永吉の目指す『どなたでも来場しやすいコンサート』への長きに渡る取り組みに対する妨害行為と判断せざるを得ない内容」といい、「これを看過することは、矢沢永吉の方針を自ら否定することにもなりかねません」

今後、A氏は「コンサートへの一切の出入り禁止やファンクラブの強制脱会等の措置を取らせていただきました」と報告。2019年1月21日の発表によれば、この人物は私設応援団の総会長をつとめている。だが、公式では私設応援団の結成は認めていない。(ニュース記事より)

上の記事を読めば「当然だよ!」と思えるかもしれない。が、芸能界では「お客様は神様です」という思いもあり、なかなかファンに厳しく言えない。逆恨みしてデマを言い触れ回る人もいる。こんなツイート見たことはないだろうか?

「今、人気の若手女優A子。この間、街で見かけたので手を振ったら、無視された。いい子だと思ったのに幻滅。二度と応援しない。ドラマも見ない!」

この手の人は本当によくいる。そもそもなぜ、道で知らない人が手を振ったら、それに応えなければならないのか? 「サイン頼んだら断られた」とかいう話もよく聞く。それもイベントでもないのに、道で頼まれてサインする必要はない。それにサインすることで、他の人が気づき、多数の人が集まって混乱ということもある。サインしてはいけない場合もある。

しかし、ファンの多くは「あの人は絶対に応えてくれる」「いい人だし、ファンを大切にしている」という思い込みがある。手を振らないだけで幻滅され、その後、ツイッターであれこれ悪口を書きまくる人もいる。人気商売。それは困るので、手を振り返す。嫌でもサインするという芸能人も多い。そこに矢沢が一石を投じる。

記事を読むと確かに酷い話と思え、矢沢の決断は支持できる。実際、僕もコンサートには何度も行っている。昔は本当に凄かった。暴走族の集会か!と思うような客が多かった。それが最近ではその手は激減しているように感じていたのだが、主催者側から見ると、まだまだ問題ある客がいるということだ。昨年のコンサートが矢沢の誕生日に当たった。ファンの一人が

「会場で『ハッピーバースデー』をみんなで歌い、クラッカーを鳴らして永ちゃんのお祝いしよう!」

とツイートした。それに賛同したファンが次々にリツート。それを読み「ファンに愛されているんだなあ」会場でファンから「ハッピーバースデー」を歌われると矢沢も嬉しいだろうなあと考えた人もいるだろう。そのあと、主催者側からやめてほしいとの発表。コンサート演出に支障が出て、他のお客に迷惑というのだ。

「えー、せっかくのファンの思いをー」

と思う人もいるだろう。が、違う。コンサートは矢沢の歌を聴く場であり、そのために演出があり、構成がある。それを客が勝手に途中で歌い出す。コンサートが中断してしまう。この曲が来て、あの曲が来て、トークなしで、ヒット曲!と続くから盛り上がる。それを突然に客が歌い出すのはどう?

ファンの集いではなく、コンサートだ。矢沢のファンだけでなく、音楽を聞きに来る客もいる。それを一部のファンが「おめでとう」の場にするのはおかしな話。でも、ファンからすると「永ちゃんにお祝いを伝えたい!」という熱い思い。「みんなで祝福したい」と思うのも分かる。が、それがコンサートの妨害行為になっている。

そんな背景もあり、迷惑ファン出入り禁止ということにも繋がってのだろう。とても、よく分かる話だ。映画を作っていても、応援してくれる人が多い。本当にありがたい。でも、中には暴走して、やってはいけないことをやってしまう人もいる。例えば、

「監督の映画に感動したので歌を作りました! それを毎週、喫茶店で歌っています。***のイメージソングと説明して歌います。応援になると嬉しいです」

これも先に「ハッピバースデー」と同じ。応援してくれる気持ちは嬉しいが、違法行為だ。便乗商法になってしまう。映画という商品を無断で使い、そのイメージソングだと言って歌う。著作権法違反でもある。「これはトトロのイメージソングです」と勝手に歌を作るのと同じ。ジブリに告訴されても仕方ない。

悪意はない。それでも、その歌に感動がないと「きっと映画もそんな感じなのね!」と思う人もいるだろう。素人の歌だと、「映画も素人の作品」と思うかも。応援にならない。それをスポンサーや関係者が聞けば

「え? イメージソングなんてあったの?」「誰が許可したの?」

と揉めるだろう。一部の矢沢ファンと同じ。応援のつもりで、いろんな人に迷惑をかけている。悪意がないので厳しく注意はできない。やんわり言っても分かってもらえない。厳しくいうと逆ギレして

「じゃあ、もう応援しない!」

になり、熱い想いがある人ほど傷ついてしまう。応援が迷惑になっていること伝えるのは難しい。慎重に対応する必要がある。

と言って、映画製作の場合。スタッフにそんな係がいる訳でもなく、時間も余裕もない。何より好意で応援してくれているので、あれこれ言わずにおきたい。矢沢にもそんな思いがあったはずだ。でも、そんな暴走ファンのために新しいファンがコンサートに来れない。迷惑する。と考えた時、長くライブをやるには、決断をせねば!と考えたのだ。

芸能人ばかりではない。政治家も同じ。自分を支持してくれる人。でも、その人が他の支援者に迷惑をかける。出入り禁止にしたい。けど、その人が激昂して、あることないこと言い触れ回るかもしれない。アーティストも同じ。皆、それによる反動。批判。ファン離れを心配してしまう。本当に難しい。

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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理? [映画業界物語]

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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理?

地方映画を作ると、完成してからこう言われることがある。

「監督。ギャラを取るんですか? 失望しました!そんな人だったんですね....」

そう、なじられたことがある。どの街でも数人はいる。???と思う人が多いだろう。僕は映画監督という仕事をしている。映画を作ることでお金を頂き、生活をしている。職業だ。当然、監督料を戴く。と言っても、その額をいうと多くが驚くだろう。もちろん安すぎて!でも仕事なので貰う。それより無事に映画を完成させ、地元の人に喜んでもらえることが嬉しい。でも、そんなことを言う人がいた。

そんなお1人。彼は50代男性。会社経営者。地域活動をしている。顔も広い。性別に関わらず、そんなことを言うのは年配の人。年若い経験が少ない人ではない。地方映画というのはその街をアピールするための映画。町おこし映画だ。

街で寄付を集め、時には自治体が資金を出し、プロの映画スタッフを雇って製作する。が、企業映画のような十分な予算は集まらないので、街の人たちがボランティアでお手伝いすることが多い。雇ったプロには当然人件費を出す。

それを先の人たちは「なぜ、監督はギャラを取るのか?」と怒る。が、「カメラマンはギャラを取るのか?」「俳優には金を払うのか?」という声は出ない。監督だけなのだ。一般的に映画製作では「監督が一番大変」と言われる(本当は皆大変!)その一番大変な仕事をした人がギャラを取ることを批判するのはなぜか?

その話を第三者にすると「理解できない!」「おかしいんじゃない?その人たち」と言われる。僕は何度も経験しているので空気として、背景は分かるが、いい大人がなぜ、そんなことを言い出すのか? そのメカニズムが分らなかったが、長年考えてピッタリな例を思い出した。

アメリカ留学時代。僕はLAに6年住んでいた。最初に渡米したとき、お世話になった日本人がいた。英語も全くできなかったので日本人が現地にいたことありがたかった。ある方の友人で僕は面識がない。渡米初日に訪ねた。が、その人はあまりフレンドリーではなかった。アメリカに長く住むのでそうなのか? 最低限のことはやってくれたが、それ以上はしない。それでもありがたかったが、何か引っかかるものがあった。

その後、僕は大学の映画科に合格。英語もある程度できるようになり、中古車も買った。そんな頃から僕を頼って遊びに来た友人が何人もいる。当時、彼らは大学生。友人たちの希望でユニバーサル・スタジオやディズニーランドに行く。有名なレストランで食事する。僕が運転。街を案内し、通訳もする。彼らは喜んで帰ったが、僕は出血赤字サービスでその月は金欠。

アミューズメント・パークの入場料はかなり高く、彼らが行きたがった有名レストランも高価。ガソリン代もいる。何日も彼らに付き合うとかなりの出費。通常生活費の3倍4倍。貧乏な大学生生活。おまけに当時はまだ円が安かった。それでも友人が来てくれたことは嬉しく、いちいち文句は言わなかった。それが長年の友人が来た時、こう言った。

「大学生活で大変だろうから、食事代や入場料は僕が出すから!運転もしてもらうし、通訳や案内もしてもらう。ガイド料にしては安いけど、そのくらいはしないと!」

え?と思った。考えると、なぜ、何度も行ったディズニーランドやユニバーサルスタジオに自腹で行かねばならなかったのか? なぜ、行きたくもない高級レストランで食事せねばならなかったのか? 運転して案内して通訳して、友達だからと思ったが、多くの友人は「じゃあ、また!」と行って帰って行った。その話を先のお世話になった日本人に話すと、こう言われた。

「そうなんだ。彼らはアメリカに来ているのに友人と会うと日本にいる時と同じ気分になってしまう。一緒に旅行していると勘違いする。こちらが付き合いでディズニーランドに行っていることを忘れる。その内に友達の友達というのが訪ねてくる。同じことの繰り返し。何度も自腹でディズニーランドに行った。それを指摘すると揉める。ある時に一線を引いた。それ以上はしないと」

僕の友人たちも同じ。一緒に旅行していると思い込んでいた。「だから割り勘が当然」と思う。東京ならそれでいい。でも、LA。おまけにDランドも、Uスタジオも僕はすでに何度も行っている。なのに高い入場料を払って同行。気遣いをしてくれたのは数人だけ。ほとんどが友達と旅行しているモードになっていた。

地方映画も同じなのだ。監督は撮影前から、それこそ1年前から地元に通う。その内に仲良くなる。友達モードが育つ。一生懸命やるほどに「この人は地元愛があるんだな」と思われる。僕のモットーは「まず、地元を好きになること」そうやって、誤解が始まる。

「この監督は金のためではなく、地元を愛してくれている。だからこの街で映画を作るんだ。俺たちと思いは同じだ!」

映画は完成。ギャラを請求する。

「なんで? 金を欲しがるんだ? 街を愛しているのは嘘だったんだ。騙された!」

先の観光旅行の友人たちと同じ。「友人とLA旅行をしている」=「だから割り勘」「地元のために映画を作っている」=「だから、双方ギャラなし」と認識してしまったのだ。どちらも考えれば分かることなのだが、気づかない。その地元の人は特別ではない。同じことを友人たちがLA時代にしている。そこで以前にも書いたが、先輩に言われたこと。

「お前は一生懸命やりすぎるんだよ。だから、誤解される。金のためじゃないと思われる。少しは面倒臭そうな態度を取るとか、距離を置くとか、仲良くしちゃいけないんだよ。結局、バカを見るのはお前なんだからな!」

先輩の言うことは正解な部分もあり、明らかに間違っている部分もある。でも、考えねばならないことだ。悪意はないのに人は勘違いし、人を非難し、自らを貶めてしまう。人とは一体どういう生き物なのか? 考えてしまう。



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ドラマの「太閤記」で豊臣秀吉の後半人生が描かれない理由と、尊敬する人が変わってしまう悲しみ? [映画業界物語]

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ドラマの「太閤記」で豊臣秀吉の後半人生が描かれない理由と、尊敬する人が変わってしまう悲しみ?

小学生の頃。大河ドラマ等の戦国時代ものを見ていて感じていたのは、なぜ、豊臣秀吉の人生後半が描かれることが少ないのか? 「国盗物語」(秀吉は火野正平)では本能寺の変、山崎の戦い辺りまで。「新書太閤記」(山口崇主演)でも「青春太閤記」(なべおさみ)でも、本能寺の変以前で終わる。不満で司馬遼太郎の小説や漫画の歴史ものを読み漁った。

ドラマで終わったあとの秀吉は、明智光秀を山崎で倒し、柴田勝家にも賤が岳で勝利。順調に勝ち進み、天下統一してからは何とも、おかしな人になっていくことを知る。利休を殺したり、秀頼を溺愛したり、朝鮮出兵、と、農民出身で庶民の気持ちが分かるはずの人が、庶民を苦しめる制度を進める。

もう、立身出世物語ではなくなり、悪の大王のような人生。前半とはかなり違う。それだけにドラマでは後半が描かれることがなかったのだろう。「スターウォーズ」で言えば、アナキンがダースベーダーになるような感じ? 

また、ドラマでは爽やかな二枚目俳優が秀吉演じていたが、後半の人生を同じ俳優が演じるには無理がある。あまりにも別人なのだ。その後半人生を描いたのが大河なら「独眼竜政宗」。秀吉は勝新太郎。怪物のような秀吉を演じ、新人だった渡辺謙の政宗を脅かす強烈な存在。実際の秀吉もこうだったのだろう。

なぜ、彼が変わってしまったのか? 富も名誉も手にすると人はあんな風になってしまうのか? いろいろ考えたが、人はあそこまで変わるものなのだろうか? そんなことを実感する経験がある。

もう20年ほど前の話だが、お世話になっていた方がいる。豪快というのがピッタリな男性で、。年齢は60代。僕は21歳。留学前からお世話になっていた。当時僕が「映画監督になりたい!」というと誰もが反対、批判した。

「無理だ。不可能だ。簡単なことではない。夢見ている歳か? お前才能あるのか?」

でも、その人はいう。

「やってみろ! ハリウッドで映画を撮ればいい!」

そう言ってくれた。留学後もお世話になり、ずっと応援してくれていた。鋭い人で、普通の人が言わないアドバイスをくれた。叱られもしたが、納得できるものだった。既成概念に囚われない。下らない風潮や世間に惑わされない。仕事でも高く評価されている人だった。

僕が帰国してから、その人は癌になり入院。手術した。かなり進行していたが、手術は成功。何度も見舞いに伺った。いつも強気なのに、流石に病室では元気が無かったが、とても喜んでくれた。経過は良く、日常生活には支障はないが、再発の恐れはあるとのこと。以前のような元気な姿は見られなくなった。

それからも何かあるたびにお訪ねしたが、次第に彼は変わって行った。以前のような鋭さが無くなる。いつも「なるほど!」という意見を言っていたのに、「それ違うんじゃないかな?」と思えることが増えた。やはり大きな病気をしたので、精神的にもダメージが大きく、感覚的にも鈍ってしまったのか?

その後、僕に対しても批判めいたことを言うようになる。当時まだ僕は監督デビューはできておらず、アルバイトをしながらシナリオを書き続けていた。そんな中、アドバイスをもらおうと訪ねたのだが、以前のような「なるほど!」と思える発言がなくなった。それどころかこんなことを言われた。

「ちょっと、やってみてダメだったら、諦めて田舎に帰って来ようと思ってんだろう?」

耳を疑った。もう、10年近い付き合い。僕が「ちょっとやってダメだったら諦める」そんな奴だと思っていたのか? アメリカで6年。帰国して2年。すでに8年。監督を目指して奮闘。それ以前の横浜時代を入れれば12年だ。そのことを知っているはずなのに、「ちょっとやってダメなら」と言うか? 同じ批判をする人は当時、多かった。でも、彼からそんな言葉を聞くのは辛かった。

しかし、なぜ「田舎に帰ってくる」になるのか? 実家は商売をしているわけでも無く、戻っても何もない。金持ちでもない。まして親は映画監督になるのを反対している。帰れば「やっぱりダメだったろう!」と言われるのは分かっている。そんな話も何度もしている。もし、万が一、監督になれなくても、東京で何か映像の仕事をするつもりだった。それも話している。なのになぜ「ダメなら田舎に帰る」と決めつけるのか?

病気でボケて誰かと勘違いしているのだろうか? でも、他でおかしな発言はない。体調が悪いのか? 別の時に訪ねても、おかしな批判をする。皮肉を言う。尊敬している人が、理解し、応援してくれていた人がそんな風になってしまい悲しい。僕が何かいけないことを言ったのか?何度も考えた。

そんな時、ある年配の女性に聞いた。その人の夫は豪快なビジネスマンだった。が、やはり大きな病で入院。命の危険を宣告されてから、変わったと言う。嫉妬深く、怒りっぽくなり、以前の頼もしさはなくなった。病気のせいだと思ったが、悲しく、やりきれなかったと言う。同じなのかもしれない。

その後、彼を訪ねることはなくなった。お会いする意味がなくなった。せめて訪ねたことを以前のように喜んでくれるのならいいが、迷惑そうに見えた。

数年後、亡くなったと聞いた。ガンが再発したと言う。やはり、変わってしまったのは病気のせいだったのだろう。命を脅かす病と闘うのは大変なことだ。そのせいで正確に物事を捉えられなくなり、おかしな意見を言ったり、ありもしないことで人を批判していたのだろう。

彼が死んで数年後、僕は監督デビューした。実家に帰ることもなかった。帰国してから16年経っていた。「ちょっとやってみてダメだったら」と言われたが、16年。それから14年、監督業を続けている。尊敬していた彼には理解も、期待もされてなかったということか?

人はなぜ変わるのだろう? 人はなぜズレて行くのだろう? 病気のせい? 加齢のせい? いろいろ理由や背景はあるだろう。でも、尊敬する人が、かつては応援し、理解してくれた人が、批判を始め、皮肉をいい、当て外れな意見を言うのを見るのは辛く、悲しい。秀吉の晩年も同じだったのだろうか? そんなことを考えてしまう...。



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明日にかける橋」で挑戦した新しい技法? 音楽と効果音について [映画業界物語]

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明日にかける橋」で挑戦した新しい技法? 音楽と効果音について

「太田監督作品は毎回、感動し泣ける!」と多くの人が言ってくれる。が、同じことをしていては次第に「また、同じパターン?」と言われる。スタイルは同じでいい。黒澤明監督でも、小津安二郎監督でも、大林宣彦監督でも、どれを見てもその監督だと分かる。それはスタイル。それとは別にスタイルの中で新たな挑戦が大切。僕の場合。

「ストロベリーフィールズ」は青春ファンタジー。

「青い青い空」は青春書道映画。

「朝日のあたる家」は原発事故に巻き込まれた家族の悲劇。

「向日葵の丘」は映画研究会の女子高生たちと30年後の再会物語。

「明日にかける橋」は久々のファンタジー。でも、今回は幽霊ものではなく、タイムスリップもの。

さらに詳しく見ると「朝日のあたる家」は原発事故が題材だが、原発の怖さを描きながら「家族の絆」の物語。「向日葵の丘」も映画研究部を舞台にした「青春もの」だが、大人の再会ドラマでもある。今回は

「ファンタジー」でありながら、家族物語であり、「刑事ドラマ」も取り込んでいる。

これが初挑戦。家族ドラマ。青春ものはやっているが刑事ドラマはかつてない。これがなかなか難しい。10代の頃に見ていた「太陽にほえろ」のようにはしたくない。と言って「踊る!大捜査線」ではない。あれこれ考えて一番好きな「特捜最前線」を参考にした。

あのドラマの特徴は「西部警察」「あぶない刑事」「トミーとマツ」「俺たちの勲章」等と違い、非常にリアリティが強かった。日本の刑事ものは「太陽に」を代表として「青春もの」の要素が強い(「西部警察」はアクションものだけど)でも、10代の僕はひねくれ者で、それらが好きではなく。「新宿警察」が好きだった。(誰も知らないだろう?)

20代でも「特捜最前線」だ。なので社会性の強い刑事ものにしたかった。そんな「特捜」に誘拐のエピソードがあり、それを参考に、あと「天国と地獄」(黒澤明)を見直す。それからアメリカ映画では「フレンチコネクション」と「ダーティーハリー」。この2本は10代から何度も繰り返し見ていた。

が、いざ、自分で刑事ものをやるとなると、見方が変わり発見があった。映画ファン。映画スタッフ。映画ライターといろんな人に聞いたが意外に皆、気づいていなくて、それにも驚いた。この2本。アクション場面とか、見せ場では音楽を使っていないのだ。逆に効果音がとても効果的に使われている。そして音楽も効果音のような曲になっている。

ポパイ刑事が犯人を追って地下鉄を車で追うシーンも、音楽なし。最後の最後に犯人が階段を降りて来て、ポパイに気づくシーンで初めて音楽がかかる。それも効果音のような曲。ハリーがクライマックスでスコルピオと対決するまでの下りも音楽なし。それで気づいた。この2本の特徴は他の刑事映画と違い、リアルであること。見ていて「爽快感」より痛みや苦しみが伝わる。

で、気づいたのだが、音楽はドラマを盛り上げる効果がある。感情を高ぶらせる力。感動を呼び起こすこともできる。が、同時にリアリティをなくすという反動もある。もし「ダーティハリー」のアクションシーンで音楽が流れたら、爽快感は出るし、活劇らしくなる。でも、現実感が失われる。それをやっているのが「007」シリーズ。ボンドの活躍する場面では「ジェームズボンドのテーマ」が流れる。

「スターウォーズ」はジョンウイリアムスの音楽で盛り上がり、それによって「銀河の果ての遠い遠い場所」での物語になっている。僕もそれが好きで毎回、音楽を多用した。が、今回は少し違った表現を試みた。刑事ドラマの部分と、あと、健太が交通事故に遭うシーン。音楽で盛り上げると、現実味がなくなり、物語がファンタジーでもあるので、弟が簡単に助かるのではないか?と思われたくなかった。

リアリティを強めて、ファンタジーというより家族ドラマを見ている気分にしたかった。通常の家族ドラマで死んだ家族は生き返らない。つまり、ファンタジーなのに、ファンタジーではない現実感がある物語にしたかったのだ。「007」でいくら人が殺されても観客が悲しんだり、涙したりしないのは、フェンタジー的な演出でリアリティをなくしているから。その逆をしたかった。

そこで映画のオープニングテーマが流れてから30分ほどは音楽なし。これは初めての試しみ。交通事故のシーンでも曲は流れない。そして脅迫電話の場面。犯人が健太を殺すのか?というシーンも曲なし。身代金を運ぶシーンは音楽。ここもサンスペンスを盛り上げるのではなく、悲しい曲。犯人逮捕も曲なし。

それでいて、その後はまたいつものようにバンバン曲を使ってクライマックスを盛り上げた。ここはいつもパターンだが、刑事ドラマパートは音楽を抑え、効果音。例えば電話のベル。砂利を踏む音。蝉の声。などで見せる。現実感が漂い。「健太は助かるのかな〜」と感じる。ここでバンバン音楽が流れると安心感を持ってしまう。無意識にファンタジーだから、子供が死んだりしないよね〜と感じてしまうのだ。

それがあるので主人公が健太を背負って歩くところで、えーーこんな結末なの〜。酷い〜。と観客は感じる。これが健太でなく、宇宙人の子供。ETなら音楽を使ってファンタジーの世界に観客を連れ込んだ方が感情移入できる。でも、健太は人間なのでファンタジーにすると「助かるよね!」と思えてしまうのだ。

そんな訳で今回は音楽少なめな場面も多い。全部合わせるといつもと変わらない数の音楽を使っているのだが、そんな演出をしてみた。映画はシナリオだけではない。そんな手法によってドラマに引き込まれたり、ハラハラしたり、泣けたりもする。DVDをお持ちの方。ぜひ、その点を注意して見てもらうと別の楽しみ方ができるはずだ。


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映画の宣伝は9億円かけて10億儲けるのが王道。なのにわずかな予算であれこれ高望みする監督? [映画業界物語]

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映画の宣伝は9億円かけて10億儲けるのが王道。なのにわずかな予算であれこれ高望みする監督?

映画ファンの友人と話をしていて、映画の宣伝費は東京だけで最低の最低で500万はかかると話すと驚かれた。映画ファンでも驚くのだから一般の人はもっと分からないことだろう。テレビで当たり前のように流れているCM。ある期間流してもらうだけで、数千万から数億円かかること。意外に知られていない。

テレビだけではない新聞広告でも、全面広告だと*千万円。小さなものでも数百万する。でも、あまりにも当たり前に広告は出ているので「いくらするか?」なんて考えたこともない人が多いはず。映画を宣伝するにも当然、かなりの費用が必要だ。トムクルーズ主演のあのスパイ映画。9億円の宣伝費。

テレビ、新聞、雑誌、看板、と、公開前にはどこへ行っても宣伝を見かけた。その額9億円。それくらいしないと、多くの人に映画の存在を知ってもらうことはできない。そうやって大ヒットさせて収入は10億円。儲けは1億。少ないように思えるが1億円の収入は凄いこと。でも、その1億を稼ぐために9億掛ける。

映画の宣伝費。最低の最低は都内公開だけで500万ほど。もっと安いのもあるが、それだと最初から投げているのと同じ。やる気がないとしか言えない。500万でもほとんど何もできない。具体的に紹介しよう。チラシ、ポスター、前売り券の印刷。その前にデザイナーを雇いデザインをしてもらう。パンフレットもデザイナーに頼む。記事やインタビューも必要なのでライターさんを雇う。

まず、それらの印刷経費と人件費。次にマスコミ試写会。テレビ、ラジオ、雑誌等、100社を超える会社に試写状を出す。住所書き、発送、連絡には人員が必要。その他にもいろんな仕事があるので、人を雇う。その人件費。そして試写会。最低でも10回。それなりの作品は20回以上やる。会場もピンキリだが、高いところは1回10万以上。20回やれば200万!

完成披露試写会。俳優を呼ぶ。衣裳、メイク、等のスタッフが必要。衣裳のレンタルも大事。全部、費用がかかる。俳優さんはお気に入りのメイクさんがいる。売れっ子なら1日5万円。俳優の数だけメイクさんが必要。あと、メイクをする場所。待機する場所もいる。劇場にあればいいが、シネコンにはその用意がないところもある。近くのホテルに部屋を取る。

1部屋2万? 広めの会議室なら数万? 昼を挟めば弁当も必要。そして公開初日にまた舞台挨拶。同じだけの費用がかかる。ここでもう500万は完全に超えている。全国公開ではない都内だけの費用だ。

以上のプラン?はもちろんテレビ、雑誌、ラジオの広告はなし!という価格。これで映画の存在をアピールするのはかなり厳しい。だからこそ、大手企業は莫大な費用を使ってCMを打ち、新製品を売ろうとするのだ。映画も同じ。大手は億単位で宣伝。だから、大した作品でなくてもヒットする。ネットという手もあるが、やはりテレビ、新聞に比べると拡散力が極めて小さい。

そんな中、今回の「明日にかける橋」の宣伝会社はかなり厳しい予算の中で、本当によくやってくれた。血を見る努力をしなければ、あの予算であそこまでは出来なかったこと。宣伝を知っている人には分かる。

だのに監督にはそれが分からない人がいる。撮影では張り切るが、宣伝には無頓着。それでは努力して作った作品をドブに捨てるようなもの。観客に見てもらってこそ映画!なのに監督には最低額の宣伝費しかないのを知りながら

「100館くらいで上映するんだよね?」「五大都市で舞台挨拶かな」「テレビスポットとか当然やらないとね〜!」

できるわけ無いだろう! 言い換えれば

「3万円も出せば渋谷でマンション住まいできるよね? 2DKくらいがいいなあ」

というようなもの。もう少し勉強してほしい。宣伝費が1000万あっても大したことはできない。宣伝は本当に金がかかる。なのに多くの監督は自ら宣伝活動をしない。でも、これからの時代。それでは済まない。宣伝は大事。まず、宣伝はいくらで何ができるか?知ることからスタート。




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悪意がなくても、トラブルを起こす人たち。映画製作はいろんなことがある? ==映画製作の難しさ③ [映画業界物語]

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悪意がなくても、トラブルを起こす人たち。映画製作はいろんなことがある?

地方で映画を作るときに難しいこと。2回書かせてもらった。「感謝」の気持ちを伝えることは良いことだと子供時代から思っていたが、そのことで誤解を生み悲しい思いをさせてしまうことがあるなんて想像もせず(前回の記事)。映画作りは常識的な判断だけでは行かないことも痛感した。

もう一つ、そんなケースを紹介しよう。地方映画は地元から多くの人が支援、応援してくれる。地元のみならず以前のロケ地。全国の街からも市民俳優として出演してくれたり、ボランティアで来てくれる人もいる。毎回、多くの人が参加してくれるので本当にありがたい。が、あるときスタッフにこう言われた。

「監督はよく一般の方のお手伝いを受け入れますが、それを嫌う監督も多いんですよ。良かれと思って参加してくれても、プロではないのでお願いした仕事ができず。余計に手間がかかったり。トラブルを起こしたりするからなんですけど...」

確かにそれはある。だが、ボランティアで来てくれる人に悪意のある人はなく、その人が出来る仕事を考えてお願いする。プロでなくてもできることを手伝ってもらう。それだけでも低予算映画の場合は多いに助かる。が、あるとき、僕の想像を超える事件が起こった。

「監督の映画、素晴らしいです。応援させてください!」

と近づいてきた女性がいた。撮影の手伝いだけでなく、映画イベント等にも現れ、周りの人たちにも接触。その後、次々にトラブルを起こした。これは慎重に説明せねばならないが、その人は病気。体は健康だが、心が病んでいて物事を歪めて捉えてしまう。だから、トラブルが起きる。

僕がこれまでに書いた「その種の記事」を読んでくれた方は分かると思うが、その病気の実情を多くの人は知らない。それどころか間違った認識を持っている。急に叫び出すとか、暴れるとか、非常識な行動を取るとか、そんな症状の人もいるが、そうではない患者の方が多い。それを見分けるのは一般の人にはまず不可能。「ちょっと変な人?」と思うか?あるいは病気だと全く気づかないのだ。

患者も自分が病気だと気づいていないことがある。そして、事実でないことを事実だと思い込んだり。妄想を信じてしまう。そして

「***さんにいじめられた....」

「酷いことをされた....」「騙された....」「辛い。もう死にたい.....」

と騒ぎ、泣き、言い触れ回る。周りの人はそれが事実だと思う。

「可愛そうだ」「酷い話だ」「許せない」

と思って酷いことをした相手を攻撃する。が、相手には覚えがない、患者の思い込みとか妄想だからだ。なのに周りから批判、攻撃される。事実ではないので反論。結果、病気でない人同士が争い、トラブルになる。ありもしないことで揉める。でも、原因がその患者にあることに気づかない。そんな病気があること自体、多くの人は知らない。

自身が被害者であるかのように演じて、皆の注目を集め、妄想を語り、周りを巻き込んでしまう。さらに患者はネットを使い、自分は被害者だとアピール。いろんな人にありもしないことを伝えて周り、同情を得ようとする。それに引っかかり応援する人まで出てくる。

周りから見る健気な頑張り屋に見えてしまう。そして患者は若い女性に多いので、攻撃された男性の方が悪者だと思われる。僕は以前から精神病は勉強していたが、その病気は全く知らなかった。そんな患者が撮影のお手伝いに来たことがあり、トラブルが起こった。

最初は理由が分からず、あれこれ考えていたら知り合いの精神科医さんが教えてくれた。早目に気づいたので大事にはならなかった。が、迷惑がかかった人もいた。患者に悪意はない。「映画のお手伝いをしたい」と真剣に思っている。が、思い込みが強く、妄想があるので

「私は騙された〜」

と騒いでしまう。患者ではないが、出演者のファンがボランティアを装って参加。その俳優に近づこうとしたり、私物を盗んだりすると言う話を聞いたこともがある。隠れて写真を撮る。アイドルグループのイベントで刃物で斬りつけるという事件が少し前にあったが、悪意を持った人たちもいる。

それを最初に見極めるのは難しい。特に患者の場合は悪意がなく、トラブルを予期するのは困難。なので、多くの監督たちは一般のお手伝いを敬遠しがちなのだ。僕は基本、やる気のある人は受け入れる!という姿勢だった。そして悪意のある人間を見抜くのは得意で、金目当て、映画を利用しようと近づいてくる輩は、これまで何人も見抜いてブロック、追放している。

が、病気であることは専門医でないと分からない。そんなことがあってから「やる気がある」「好意的だ」というだけで信頼してはいけないと思うようになった。悲しい話だ。また、最初は好意的で応援してくれても、映画の世界は一般的の人に難しいところがある。が、知らない人には、当たり前のことでも「それは許せない!」と思うこともある。価値観や方法論が違う。

「ボランティアで手伝ったのにギャラがなかった」

と文句を言う人もいる。(ボランティアは無償行為)「だったら、お金でなく記念品をくれればいいのに」と言う。それが出せるくらいならボランティを受け入れたりはしない。悪意はなくても、筋違いの不満を持ち、腹いせのために

「利用された〜酷い〜」

と言い触れ回る人も時にはいる。そしてデマや嘘を信じて、一緒になって批判を始める人もいる。そのために他のボランティアの皆さんが巻き込まれたり、迷惑をかけたりもする。それ以来、対策を講じている。応援してくれる人を疑わなければならないのは悲しいことだが、そんなことも考えていかねばならない。



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感謝を伝えたことで、逆に恨まれてしまうこと=映画製作の難しさ② [映画業界物語]

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感謝を伝えたことで、逆に恨まれてしまうこと=映画製作の難しさ②

昨日書いた記事が好評だった。映画を応援してくれた人が「今度はワシらの言うこと聞いてもらわないとな?」とあれこれ頼みごとをするという話。

政治家でも「この町を良くするために!」と立候補したのに、当選すると応援してくれた人が「俺の会社に自治体の仕事を回して欲しい」とか、「息子を有名大学に合格させて欲しい」とか、個人の要求をしてくるのは良く聞く話。人はなぜ、勘違いをするのか? 

その候補を応援したのは「町をよくしてくれる」と信じたからだ。それを「応援したから」=>「俺の会社に自治体の仕事を回せ」と言うのは筋が違う。要求するのは「この町を良くしろ。だから応援したんだ」と言うべきなのだ。

映画も同じで「故郷をアピールする映画を作るから応援した」はずなのに、映画を応援したのだから、監督、ワシらの頼みを聞いてください」も政治家と同じ構図。最近はそんな筋違いな頼みごとをしてくる人はいないが、以前は映画を作るたびに、その種の人が何人も連絡して来た。

その種の話をもう一つ。毎回、いろんな方の応援で映画は完成する。感謝感謝。応援してくれた方々ーお1人お1人に、その気持ちを伝えたい。が、主要な方々だけでもかなりの数。一度に全員を訪ねることはできない。

撮影後にお礼に伺うが時間に限りがある。監督は本来、撮影終了と同時に帰京し編集を始めなければならない。が、1週間ほど帰京を伸ばして挨拶回りをしていた。それでも全員は無理なので、次に地元を訪ねた時、お礼を言えなかった人たちを訪ねる。すると前回、お訪ねした人がこう言っていたらしい。

「今回、俺は無視ですか? 撮影後だけ挨拶に来て、今回は来ないんだな....監督は酷い…」

悪い人ではない。熱烈応援してくれた方。ありがたかった。が、毎回、ご挨拶には伺えない。他の何十人も訪ねなけれならない。先輩はこう言う。

「その人は監督がわざわざお礼を言いに来てくれて、嬉しかったんだよ。それで親しい友人になったと思った。次に地元に来た時も、きっと訪ねてくれると思った。でも、来なかった。行けないよな? 他の人にお礼言って回るんだから。でも、その人は友人だと思っている。なのに来ない。寂しい。それが怒りに変わる。恩知らずだ!になるんだよ」

そんな人は極々僅か。でも、分かる部分もある。例えば、僕が飲み会で意気投合した。飲み代を奢った人がいたとする。メルアド交換して、あとで連絡したが返事はない。「何なんだ?」と思う。

「あの時、盛り上がって、酒代奢ったのにー。失礼な奴だな….」

それと同じ感覚なのだ。ただ、違うのは、飲み会なら1人VS1人。お礼ができる。が、映画の場合は1人VS100人。1人が100人にお礼するのはかなり大変。それが分かってもらえない。何人かが飲み会の構図で考えしまう。

「失礼な奴だ…結局、俺は利用されんただな…」

それを聞いた別の人が言う。

「そういえばウチにも監督はお礼は来なかった。ほんと失礼ね...」

でも、その人は近所で行われた撮影を見に行っただけ。俳優に「頑張ってくださいね!」と声をかけただけ。でも、いつしか応援したつもりになっていたので話を聞き「うちにも挨拶に来なあったわ。失礼ね...」と思えたらしい。

本来、映画撮影のお礼参りは制作担当がする。監督は編集があるので、いち早く帰る。挨拶回りで編集が遅れて完成が間に合わないと、多くの人に迷惑がかかる。が、僕はそれでも感謝の気持ちを伝えようと地元に残りお礼を伝えていたが、そのことが結果として誤解させて傷つけることになっていた。先輩は言う。

「そもそも、町の映画だ。本来は地元の人が監督に映画を作ってくれてありがとうーとお礼を言うべき。それを逆に、監督が感謝して回った。1週間も居残りしてだ。そんなことをするから、何人かは町の映画ではなく、監督の映画だと思ってしまう。

映画の応援ではなく、監督の応援をしたと思い込む。だから、次に来た時に挨拶がないと、拗ねてしまう。裏切られたと思う。お前にも問題があるんだよ」

もちろん、2度も3度もお礼に行かなくても理解してくれている人がほとんどだ。が、どこの町でも必ず誤解する人がいる。そんな人は非常に純粋で真面目な人が多い。だから心が痛む。そしてお礼に伺うことで、そんな結果になるなら考えねばならない。すでに担当者が挨拶回りはしっかりしているのだ。そんなことが以前はよくあった。

最近はこう考える。1人1人を訪ねて感謝を伝えるより、少しでも素敵な映画を作り、多くの人に喜んでもらうこと。そのために仕上げに全力を尽くすのが監督の責務だと。お礼は言葉ではなく作品で伝えることが大事。そう考えるようにしている。


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「映画を応援しました。だから今度はワシらのために***して下さい」と頼んでくる人たち。それってどうなの?=映画製作の難しさ① [映画業界物語]

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「映画を応援しました。だから今度はワシらのために***して下さい」と頼んでくる人たち。それってどうなの?=映画製作の難しさ①

地方映画を作ると、いろんなことがある。最近ではなくなったが、以前は撮影時にお世話になった方から頼みごとをされることがあった。

「撮影中に車を無料でお貸ししました。前売券も10枚売りました。今度は私のために一肌脱いでもらえますか? 監督さん」

そう言われた。今考えればおかしな話。前売り券を何枚売ってもらっても、監督に歩合は入らない。車を貸してもらったことで、レンタカー代が浮いて、助かったのはプロダクション。その見返りを監督に求めてくるのは本来、筋が違う。

が、相手は悪い人ではない。力を貸してほしいという。他にも「イベントに来てほしい」「文章を書いてほしい」「審査員をしてほしい」「トークをしてほしい」と頼んでくる人もいた。ただ、皆、1〜2度会っただけの人だ。そして、こう思っているようだった。

「だって、映画の応援したんだから、そのくらいやってくれるよね〜」

そのために自腹でロケ地まで行く。宿泊費も出ない。

「監督は地元によく来るから交通費いらないよね〜。タダで泊めてくれる人もいるんじゃない?」

という感覚。皆さん。悪意はない。深く考えない。基本はいい人たち。ただ、いつしか僕は「地元によく来る人」にされていた。それは映画準備で通ったのであって、映画公開後に行くことはない。でも、「よく来る人」になっていた。

「映画監督は金持ちだしな」

「俺の売ったチケット。料金の50%は監督の懐に入っているはず!」

ありもしないことを想像する人もいた。監督料が安いという現実を知ると仰天するだろう。でも、応援してくれたのは事実。感謝の気持ちもあって、頼みに応えていた。が、交通費も出ない。1日がかり。そんなタダ働きが何度も続いた。

田舎の選挙で、応援した。当選したら、あれこれ議員先生に頼みごとをしに行く。「だって、選挙で応援したでしょう?」というのと同じ構図だと分かってきた。

「今度はワシらの言うこと聞いてもらいますよ! 映画の応援したんですから!」

と言われたこともある。そもそも、映画は街のために作っている。街を全国にアピールするため。それでなぜ、僕が特定の人にお礼をせねばならないのか?  そして本当に応援してくれた人は、頼みごとをしてくることは少ない。小さな応援をした人に限って大きな見返りを求める。頼みを断ると言われた。

「あんなに応援したのに......俺は利用されたということだ....」

そう言い触れ回る人もいた。「いい人だと思っていたのに。裏切れた!」と。今はもうそんな人はいないが、最初の頃はよくあった。先輩はいう。

「それはお前が悪い。いくら無名でも映画監督だと聞けば皆、興味持って近づいてくるもの。2度会えば、もう友達感覚。頼みごともしたくなる。利用しようという輩も出てくる。

その上、お前は頑張り屋だから、それが裏目に出る。田舎で映画撮る時も張り切るから、地元の人はいつしか、町のための映画ではなく、この監督が撮りたい映画!になってしまう。だから、町興し映画ではなく、この監督のお手伝いをしているという気持ちになる。それで見返りを求めてくるのさ」

一時期のFacebookでもそうだったが、何度かコメントをやり取りすると、急激に親近感を持たれ、説教されたり、注意されたり、それだけならいいが、スピーチをして下さい。会に来て下さい。もちろん、交通費自腹でギャラはなし。さらに寄付を下さい。デモに参加してください。とあれこれ頼まれた困ったこともある。先輩はいう。

「それも同じ。この監督は金のためでなく、頑張っている。だから、私たちの街でも自腹で来てくれるはず!と勘違いするのさ。何事も適当にやらないと、バカを見ることになる。一般の人に映画人がどれだけ経済的に苦労しているか分からない。そのくせ忙しいか知らない。彼らにとって映画はお祭りなんだ。だから、俺たちが注意して接することが大事なんだよ」

最近ではその手の頼みごとはなくなった。ロケ地の人たちも理解してくれている。ただ、相変わらず一生懸命やると勘違いされることがある。先輩のいう「俺たちが注意しなきゃいけない」というのは正解。映画という仕事は理解されにくい。誤解や想像で批判してくる人もいる。

最近はこう考える。僕が応援してくれた人たちにすべきは、個人的なお礼をすることではなく、感動作を作ること。それが最大のお返し。そう考えている。



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若き表現者たちへ。俳優や作家たちへの伝言 [映画業界物語]

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若き表現者たちへ。俳優や作家たちへの伝言

映画監督業だけでなく、俳優でも、脚本家でも、音楽家でも、作家でも、画家でも、歌手でも、そうだが本当に凄い人は「お金のため」でなく仕事する。「名誉のため」でない仕事をする。ただ、その種の仕事と巡り会うことはなかなかできない。

「誰のために作るのか分からない作品」「やる気のない人たちとの作業」「楽して金儲けを企む会社」「愛情のない作品作りをするところ」業界には本当に魑魅魍魎、人間のクズが多い。

この程度のギャラで? 長時間働かされ! こんなで食っていけねよ!と言う仕事も多い。足元を見て、決めた賃金をあとで値切ってくる人たちもいる。自分たちはそれなりの月給をもらっているのに。

最初は屈辱的でも、続けていれば、足掻いていれば、やがて本当に自分が命懸けでやりたい仕事と出会える。その時に、自分の仕事が「お金のため」「名誉のため」でないことを知る。いや、仕事でさえない。自分が生きていることの証明というべきものであることが分かる。

でも、それは人に自慢できる仕事とは限らない。華やかなものでないかもしれない。ギャラは安いかも。作業時間からすると合わないもの。注目もされず、褒められもしないかもしれない。でも、「これはやらねばならない!」と言うものがある。

若い内は「金持ちになりたい!」「有名になりたい!」ということにこだわる。ジョン・レノンだって「バンドをやれば女にモテる」とギターを始めた。でも、ビートルズとして成功し、金も、名誉も手に入ったら、それはさほど重要ではなく、もっと大切なことがあることに気づいたという。

松田優作が「ブラックレイン」で役が決まった時、彼は癌で体が蝕まれていた。医者に言われる。「映画に出たら手術が遅れ、もう助からない。手術をしたら、一生車椅子生活だが、生きていける」彼は前者を選び、撮影に臨む。そして、映画は完成。この世を去る。車椅子で生き続けることより、憧れのハリウッド映画に出演すること。演じることを選んだのだ。

バカだと思えるかもしれない。が、それが俳優であり、表現者というもの。お金より、名誉より、そして命より大切なものがある。自分が生まれてきたこと。生きていること。存在することの意味を探す戦い。それが「表現」なのだ。

だが、最初はそんな仕事となかなか出会えない。「まだ、本気出してないから」と手抜きをする若い人たち。大切なのは毎回、全力でかかること。そうすれば環境は変わっていく。評価され、ふさわしい依頼が来る。毎回、命懸けで、人生を賭けてかかれば、必ず道は開ける。それが「表現」という世界なのだ。



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