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映画宣伝の極意。SNSで拡散。やるとやらないで大違い! [地方映画の力!]

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映画宣伝の極意。SNSで拡散。やるとやらないで大違い!

映画の宣伝というとテレビのスポットや新聞広告を思うかもしれない。が、それらは莫大な費用がかかる。インディペンデント映画ではとて出来ない。が、Facebook、Twitterを使えば無料で宣伝ができる。

例えば独立系で大ヒットした映画「野火」(塚本晋也監督)は公開前だけではなく、上映中も毎日、何度もツイートを発信していた。そのことで今、どこで上映しているか伝わる。「今時の客はHPを観て時間調べる人は少数派。上映時間や場所までツイートして上げないと映画館に来てくれない」と「野火」の宣伝担当の方から教えてもらった。

だが、これがなかなか出来ない。無料で発信できても、1日に何度もとなると手間がかかる。その手間を惜しむ人が多い。宣伝会社でも公開前日に1通くらい。社員なので他にも宣伝する作品を数多く抱えているからだ。地方映画の場合も地元実行委員会の人たちは堅気なので朝から晩まで仕事。無料で宣伝できるのにSNS発信をしないことが多い。忙しいだけでなく、宣伝の重要性を理解していないケースもあるからだ。

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だから、毎回、僕自身が率先して毎日、10回以上のFacebook記事とTwitterを発信している。下手な宣伝会社のアカウントより僕の「友達」や「フォロワー」の方が多いので効果あり。でも、地元にはあまり浸透しない。地元市民で「友達」「フォロワー」は製作委員会メンバーが中心。その人たちはすでに情報を知っている。それ以外の人に伝えることができない。

が、今回は地元メンバーの多くが僕の記事をシェア、リツイートしてくれる。これなら地元でも情報拡散。3倍4倍の効果がある。さらに、地元メンバー自身も記事を書きツイートをしてくれる。それも毎日だ。その繰り返しが今回の「明日」大ヒットに繋がっていると思える。

これがなかなかできない。先日紹介した後輩監督の地元でも、委員会メンバーがなかなかそれをしてくれないと嘆いていた。Facebookの「シェア」なんてボタンをクリックするだけなのに関係者は「いいね」ばかり押すという。それで応援しているつもりになるのだが、ほとんど意味がない。

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「いいね」は「陰ながら応援しています。いつも記事読んでますよ」というのと同じ。何かそこに日本人の体質も見えてたりする。「消費税値上げは嫌だ!」「戦争法案ダメだ!」と思いながらも口には出さず、デモにも参加しない。具体的なアクションは起こさない日本人。行動するのは一部の人だけ。

デモに行けというのではない。自分たちが作った映画。自分が感動した映画。多くの人に伝えたいという気持ちがあるなら「いいね」ではなく「シェア」をしてほしい。でも、今回の「明日」地元メンバーはそれをしてくれている。とても大きい。それは単に地元市民に上映情報を伝えるだけではない。

上映していない街。すでに上映が終了した街の人たちにも「明日にかける橋」は「まだ上映していますよ」「8週間のロングランですよ〜」と伝えることができる。もちろん、その人たちは近所で「明日」を見られる訳ではなく「へーー凄いなあ」と思うだけだが、のちのち、DVDが発売されたとして、衛星放送で放映されたとき「あ、あの映画だ。観てみよう」と思ってくれる。

また、そこから興味を持ち、検索する。「へーー明日にかける橋って市民が作った映画なんだ。それもおばちゃんたちが中心。静岡県かあ、ふ、く、ろい...って街が舞台? あと、磐田、森町?へー初めて聞く地名だなあ」ということで、街もアピールできる。単に映画情報を発信する以上の効果があるのだ

だから、Facebook、Twitterで情報発信は、とても意味がある。関係者の皆さん。ガンガンお願いします。これは地元で「明日」を上映している間が有効。その間に全国に映画とわが町を伝えよう。おーー。



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なぜ、自分たちの街で映画を作りながら、街の人たちは宣伝しようとしなかったのか?=後輩監督からの相談 [地方映画の力!]

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なぜ、自分たちの街で映画を作りながら、街の人たちは宣伝しようとしなかったのか?=後輩監督からの相談

僕と同じように地方映画をよく撮る後輩監督がいる。先日、電話をくれた。

ー「凄いですね。太田さんの映画。『明日』の宣伝、FacebookやTwitterでいっぱい出てますね?」

そう。地元実行委員の方々が毎日発信してくれている。これはとても大事。というのも地元の人は「あの映画。その内に見に行こう!」と思いながら、忙しくて忘れてしまう。いざ、時間ができたときに「さて、今日はどうするかな?」と完全に忘れている。そんなときFacebookやTwitterで情報が流れてくれば「あーこれこれ、観たかったんだよな。今日、行くか?」ということになる。

ー「そうなんですよね〜。なのに僕が映画を撮った街では委員会メンバーは何もしないんですよ...」

よく聞く話だ。映画を作った市民たちが完成したら「終わった。終わった!と、日常に戻ってしまい、宣伝もせず、観客気分で映画の公開を待っている。

ー「まさにそれですよ!市民はみんな映画のことを知っているから映画館に来るよ!とあっけらかんというんです。でも、蓋を開けたらガラガラ。観客が1桁。だって宣伝してないんだから客が来るわけないんですよ」

理由はこう。自分たちは映画がいつ、どこで上映されるか?を知っているー委員会メンバーなんだから当然ーが、一般の人は知らない。その知らないことに気づかない。同じ街に住む自分たちが知っているから、当然知っていると思い込む。だから、何もしない。

ー「その上、映画に関係していない人たちが、客が入らないのは映画が詰まらないからだ。なんていい触れまわるんですよ。ムカつく〜」

その意見はおかしい。彼の映画は試写会をしていない。やって評判が悪いのならとにかく、いきなり映画館で公開して客入り悪いのは映画が詰まらないからにはならない。そのケースは明らかに宣伝不足。映画の存在は多くの市民が認知しているのだから、どこの映画館、いつから?が伝わっていないだけだ。

ー「そうなんですよ。なのに委員会メンバーは『何で客来ないんだろうね?おかしいなあ』とか言って、やっぱ映画が詰まらないのかな〜なんて批判を信じたり。自分たちが宣伝していないことに気づかないんですよ!」

ただ、一般の人。これだけ宣伝が渦巻く時代に生きているのに、宣伝の意味や効果を理解していないことが多い。(だからこそ、大手広告代理に乗せられ、誘導されてしまうのだろう。今の時代でも)逆にいうと、あまりに宣伝が多すぎて、その中で暮らしているので、宣伝は当たり前、誰かがやってくれるものだと無意識に思い込んでいるのだろう。

ー「あーそんなところはありますね。皆、その重要性に気づいていない。宣伝しましょうよというと、皆、今忙しくて時間ない...というんです。宣伝活動が嫌でいう感じじゃない。もう映画できたし、まだ何かするの?って感じなんです」

これも一般の人たちにありがちなんだけど、最初は「映画作るぞ!」と、がんばる。完成したら「できたー」と思って終了。本当はそれからが勝負なんだけど「終わり!」と思ってしまう。別の例でいえば、村で新種の米を育てた。とてもおいしい!で終わり。それを出荷して地元の人。他県の人に食べてもらうことが大事。それこそが目的。なのに、米できた~で完結するのと同じ。

ー「まさにそれですよ。説明したんですけど、皆、よく分からないーという顔で、何なんでしょう?」

これはどこの街というより、日本人全体がそうなんだけど、そして僕がいつも言うことなんだけど、上から与えられたことしかしない。日本の教育はそれ。与えられたことをするだけ。できたら、次はどうするか?を考えない。また上から「次はこれをしてください」と指示が来る。そうしたら動く。

会社に入っても指示されたことをすればいい。その次、そのまた次。それによって何が達成されるか?そんなことを考えなくてもいい教育。上から言われたことをするだけ。だから、優秀な人でも次を考える人が少ない。そんな教育が影響していると思える。

ー「そうなんですかね? 委員会の人は街ニューリーダーと呼ばれて地元アピールに力を入れているのに、映画完成してそれを活用できていないんです」

もうひとつ言えること。その手の地方映画はよく作られるが、映画製作をしっかり勉強せずにやっていないことが多い。また、安易な発想でかかる。以前にも書いたが『市民に協力してもらったから、市民には無料で見せよう』と無料上映会をする。収入はゼロ。その後、県外の映画館で上映ーそれこそが地元アピールの場ーするときになり宣伝費がない。入場料を取れば宣伝費ができたのに....で、地元上映だけで終わることがよくある。市民協力=>無料上映。これでは地元で全て完結してしまう。

ー「ああ、僕の映画も近いことありましたね。委員会メンバーは地元企業の二代目とか、市会議員とか、会議所のメンバーとか、凄い人ばかりなんですよ。映画を勉強しなくても商売として考えれば宣伝が必要なことは分かりそうなもんなんだけどなあ」

でも、その手の人は勉強せず。何かというと市だ、県だ、東京の企業だ。マスコミだとそういうものに頼りたがる。自分たちで考えて行動しない。プライドは高いのに、大きな力に頼りたがる。補助金だ。緩和だ。特別会計だ。そして恩恵をほしがる。楽して利を得たがるところがあるように思える。

その典型が原発誘致。過疎化が進む。村の収入が減る。どーする。国に何とかしてもらおう!原発? 補助金が出る? いいねー。原発を引き受ける。そのリスクには目をつぶる。数年後にはまた財政困難になり2号機申請となる。

ー「そうなんですよ〜。ほんと愚かだなあ。なのに太田さんが映画撮った街。特に今回は凄いですね? 多くの人たちがFacebookやTwitterで情報発信している。僕も地元の人たちに頼んだんですが、皆、なかなかやってくれない。何度も頼んで、ようやく1回ツイート。1回じゃダメなんですよ宣伝は!毎日しないと....」

その通りだ。毎日しないと意味がない。それこそ朝昼晩と1日3回以上しないとダメだ。なぜ、たった1回のツイートをしただけで「宣伝。もうしたよ!」と言えるのか? これも先と同じ。マスコミ関係でない仕事をしている多くの日本人は宣伝というものを把握、活用できていない。だから後輩監督がいくら頼んでも「宣伝。必要あんの?心配性だな。客は来るよ...」と思い動こうとしないのだ。

ー「だから、せめて僕だけでもと1日に10回くらいFacebookとTwitterで情報発信しているんですけど、地元の方はそれをシェアしたり、リツイートすることもしない。そのくせ『監督。がんばってるなあ!応援してるよ』なんていう。あんたらの街をアピールする映画でしょう?お前らががんれよ!と言いたくなる。それに比べて太田さんがロケした街の人たち。凄いなあと思うんですよ。それもメンバーはおばさんばかりでしょう?」

いえいえ、おじさんもおりますが...

ー「大したもんですよ。だから5週間も上映が続く(注・この段ではまだ5週でした。今は7週目)なんてありえないですよ。地元映画なんて普通は1日ですよ。その上、全国でも公開されてるでしょう? 東京はスバル座だし。やっぱ、そのおばちゃんたちが優秀なんですよ!」

おじちゃんもいます...。

ー「ちゃんと映画製作を勉強して、完成が終わりじゃない。そこからスタートなんだと分かっていたですね?」

はい。皆さん。撮影前に勉強会からスタート、がんばってました。

ー「こちらの街はおじさんばかりだからダメだったのかな? 議員さんとか、組合の会長とか、***協会理事とか、偉い人がいっぱいいたのに....やっぱ、おばちゃんの時代かな?」

こちらにもおじちゃん。いますよ...。

ー「とにかく、凄い! 僕も、もう少しがんばってみます」

と後輩は電話を切った。そんな彼の映画。結局、地元の映画館で1週間上映しただけで終了。全国公開もできなかった。「誰かがしてくれるだろう」「国が、県が、東京の企業が」そんなことを言っていると結局、苦しくなるのは自分たち。どの街にもそんなことしか言わない人たちがいる。原発誘致も同じ。

自分たちの街のことは自分たちで考え、行動する。それを静岡のおばちゃんたちは実践したのだ。考えて行動すれば未来は変えられる.....あれ、どこかで聞いたセリフ。それをおばちゃんたちは証明したこと。改めて感じた。(もちろん、おじちゃんたちも)

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「明日にかける橋」おばちゃんたちが成し遂げたこととは?=未来を変えた主婦チームの功績 [地方映画の力!]

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「明日にかける橋」おばちゃんたちが成し遂げたこととは?=未来を変えた主婦チームの功績

何をいっても文句をつける友人がいる。古くからの付き合いだが、かなり捻くれている。今回の「明日にかける橋」の製作をスタートさせるときにも、こう言われた。

「地元のおばちゃんたちが映画作るぅ〜? 寄付を集めて? 政治家や企業の社長はメンバーにいない? それじゃ無理だな。金は簡単に集まるもんじゃない。現実は厳しいんだよ」

しかし、おばちゃんたちは製作費を集めた!

「どーせ、ロクでもない映画しかできないよ! いくらプロを雇っても素人は素人だ…」

完成した映画を観て多くの人が感動。完成披露試写会には3000人が訪れた。

「けど、地元で上映するだけだろ? 地方映画ってそれで終わるんだよ。自己満足だよ...」

東京で公開が決まる。

「でも、どーせ、小さな映画館だろ。客の来ない町の。それもレイトショーだな?」

有楽町スバル座で公開決定。1日3回上映。スバル座は昔の壱番館。名画を選び上映する老舗映画館である。

「ま、運がよかっただけさ。そこで終わり。全国公開はメジャー会社の作品でなければ無理だよ」

次々に全国の上映館が決まり、最終的には20館くらいになりそう。地元でも公開が決まった。

「どーせ、地元では1日2日だろ? 市民会館だな」

ららぽーと磐田ーTOHOシネマズで公開決定!日本最大の映画館グループ東宝の直営館である。

「せいぜい1週間の上映しかできないよ。それが映画界の基本。甘くないよ」

初日、2日目はチケット完売。現在。6週目の上映。大ヒットだ。

「地元だからウケているだけだよ。映画自体が評価された訳じゃない」

ロスアンゼルスの映画祭で特別賞を受賞。

「……………….でも、俺は……興味ないね…….」

彼と話すたびに笑いをこらえるのに必死だった。「どーせ無理」「世の中甘くない」口癖のいうようにいう人がいる。人の努力を否定ばかりしている奴がいる。友人はまさにそんなタイプ。なぜ、そんなことばかりいうのか?

彼は努力をしない、挑戦もしない。自分からは何もしない。だから自分が何もしないことに対する言い訳なのだ。「どうせダメだ」「無駄だ」「絶対に無理」だから自分は努力しない。行動しない。「だって無理なんだから!俺は現実を知っている。甘い考え方をしない。シビアな大人なんだ。夢見る甘ちゃんとは違うんだぜー」という意味なのだ。

何て寂しい人生なんだ。実は、真剣にかかれば、努力すれば、諦めなければ、できることはたくさんある。それを「明日」のおばちゃんたちは証明した。おばちゃんたちだけで製作費を集め、プロのスタッフと俳優を雇い、地元の映画館に交渉し、みんなで宣伝して、大ヒットさせた。多くの人が感動の声を上げた。多くの市民がおばちゃんたちに感謝した。

「私たちの町はこんな素敵なところなんだね...」

おばちゃんたちも途中で辞めよう、無理だ….と思うことがあっただろう。でも、諦めずにがんばった。「明日にかける橋」のテーマを思い出す。

「未来は変えられる...」

おばちゃんたちはそれを実践したのだ。友人はそんな凄い人たちと接したことがなかったのだろう。壁にぶつかるとすぐに投げ出す人たちしか知らなかったのだ。同じ意味で、今回、おばちゃんたちを見ていた町の子供たちは感じただろう。

「大人は無理だ、可能性が低い、やめた方がいいーすぐにそういうけど、おばちゃんたちは夢を実現した。私たちもやればできるのかも?」

おばちゃんたちは町をアピールする映画を作っただけでなく、子供たちに夢と希望も与えたはずだ。

ちなみに、先の友人も密かに映画を観たようだ。「意外によかったよ..…」と言っていた。そういう言い方をするときは感動したときだ。

日本各地で映画の上映は続く。おばちゃんたちの奮闘も続く。劇場公開が終わっても、まだ終わりではない。自主上映、レンタル上映、学校等での上映。DVD化、テレビ放送。まだまだ、多くの人たちに映画を観てもらうことが大事。がんばれ、おばちゃんたち!


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地元の人は「明日にかける橋」を3度目で感動する理由? [地方映画の力!]

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地元で作られた映画。地元の方は興味津々で観てくれる。「どこで撮影しているんだろう?」ワクワクしながら観るが、「全然、感動できなかった〜」という人がときどきいる。或は「ストーリーがよく分からなかった〜」という方もいる。映画が詰まらなかったのか? 難解だったのか? 

そうではなく、地元の人は通常の映画とは違った見方をしてしまうからだ。本来は「ストーリー」を追う。「結末はどうなるのか?」想像する。主人公に共感。応援したくなる。ところが、地元映画の場合。地元の方の多くは「どこで撮影されているか?」をまず観てしまう。「え?ここ、どこ。あ、三丁目の公園だ! 映画で観ると立派ねえ〜」「あ、ここ知ってる。市役所の裏のお店。行ったことある!」と考えてしまう。

次に「あ、この人。鈴木さんだ! あーエキストラで出たんだ〜」「えー、川田君だー。台詞までしゃべってる〜」「山田さんまで、主人公と一緒の場面じゃん!」とか、友人に目が行く。さらに、出演をしている人は「あー私のシーン。カットされてないかな? 芝居が下手だから切られても仕方ないけど。次のシーンだよね。。。。どーかな??? あー出てる!!あーーアップになった〜ウソ〜」と思いながら観る。もう、お分かりだと思うが、

①町のどこで撮影されたか?気になる 
②友人が出ているのを探す 
③自分のシーンを確認する。 

この3つに集中してしまうので、ストーリーが眼中にないことが多い。物語が把握できなければ感動もできない。こうして地元の人には「感動できなかった」「ストーリー」が分からなかったという人が出てしまう。

では、もう1回観る。でも、出演している人は自分のシーンがカットされていなことを確認しているので、次は友人のシーンを確認する。他にも誰か知り合いが出ていないか探してしまう。結局、2回目もそれに集中してしまい、ストーリーが分からない。よし、もう一度観よう! こうして、やっとストーリーが分かり、感動した。泣けた!と思える。

まあ、大変だが、これも地元映画でしか味わえない体験だ。さらに!今回の「明日にかける橋」は昨年末の地元・完成披露試写会から再編集!2分長くなり、音響効果も全てリニューアルした。というのも、試写会を開いたホールと、今後上映される映画館では音響設備が全く違う。映画館のスピーカーシステムは非常に優秀。段違いなので、音と音楽は全て5.1chステレオで録音し直した。音楽もさらに2曲追加。オーケストラで録音してある。

シネコンのシステムで上映すれば、素晴らしい音と映像が体験できる。ラストの花火大会など、まるで会場にいるかのような臨場感。音が客席を取り囲むように流れる。先日も試写会と東京の映画館の両方で観てくれた方がこう言っていた。

「音が違うとこんなに違うとは思わなかった。10倍感動して、10倍泣けました。本当に凄かったです!」

なので、ぜひ、地元の方は地元のシネコンでご覧下さい。10倍感動します。そして、試写会を観てない方はぜひ、2度3度観てくださいね。3度目に超感動するはずですから。


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ボランティアで働いたから見返りをくれという人々。はあ? [地方映画の力!]

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地方映画の現場。市民が一生懸命に働いている。ほとんどがボランティア。映画によって故郷が全国にアピールされるのを願って、様々な形でプロのお手伝いをする。市民スタッフは交通費も食費も自腹。ギャラは当然なし。なのに朝から晩までお手伝い。仕事を休んで参加する人もいる。僕の映画もそんな方々が多いので、その熱い思いに、いつも頭が下がる。

だが、完成してから問題が起こることがある。後輩が監督した市民映画ではこんなことがあった。エキストラとして参加した人たちがこういう。

「俺たちはボランティアで映画出演したのだから、映画の招待券くらい配るべきだ!」

ギャラなしだから、せめて映画を無料で見せてくれというのだ。ある意味で、そのくらいのお礼をしてもいいかな?と思う人もいるだろう。だが、考えてほしい。映画館で映画を見ると1800円。つまり、その人たちは「1800円くれ!」と言っているのと同じ。ボランティアというのはギャラをもらわない。金品をもらわないという奉仕だ。それなのに1800円ほしいというのはおかしい。

ただ、彼らの意識としては現金ではなく、招待券という紙をくれと言っているだけだから、ボランティアだと思っている。が、現金だけでなく、一切のお礼をもらわないのがボランティア。最初に「ギャラはないけど、招待券をプレゼント」という約束があるなら別だが、ボランティアで!と言って参加しておいて、あとになって何かを要求するのは筋違いだ。また、撮影を手伝って招待券は出せない理由もある。

別の形で説明しよう。農家の手伝いで田植えをボランティアで手伝った。それを米が出来たとき「手伝ったんだからスーパーで売っている米をタダでくれ!」というのと同じ。入場券=米。物を要求するのもボランティアではない。そもそも、映画を作るのは制作会社=米を作るのが農家と同じ立ち位置。映画を上映するのは映画館=米を売るのはスーパー。作る側と売る側は別組織なのだ。

先のボランティの方は制作会社仕切りの現場でボランティアのお手伝いしながら、別会社である映画館の招待券をくれといっているのだ。米でいえばスーパーで売る米をタダでくれというのと同じ。流通は複雑。その辺の構図。一般の方に分かりにくく、撮影を手伝ったから映画館でタダで見せろという流通を超えた要求をすることがある。ま、そもそも、最初に約束がないのに、そんなことを言い出すこと自体が非常識である。


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また、映画の場合は故郷をアピールするためであり、市民であればすでに恩恵を受けている。言い換えれば自身が労働した賃金を町のアピールのために寄付するのと同じ。その上で「何か、くれ!」はやはりおかしい。赤十字に募金して、「何かくれ!寄付しただろう?」という人はいない。なぜ、そんな勘違いをする人が出て来るのだろう?

これはまず、アルバイトと混同している場合が多い。アルバイトをすればバイト料がもらえる。「それがもらえないなら何か別のもものを寄越せ」と。現金がもらえないのがボランティアだと思い込んでいる場合。物も現金ももらわないのがボランティアだ。でも、中にはこんな人もいる。

「以前にエキストラ参加した映画ではボランティアだけどTシャツをくれたよー。なぜ、今回は何もくれないのー!酷いー」

シャツは制作サイドのご好意。企業映画なので製作費に余裕がありシャツがもらえた。というより、本来はギャラをはらえる余裕があるにシャツで済ませたということが多い。でも、その人が次に参加した映画は市民映画。だから本来の意味でボランティア。企業映画と市民映画を一緒にして「酷い!」「ずるい!」「利用された!」と騒いでいたのである。

最初にエキストラを募集するときに、ボランティアであることは明示されていても「前の映画でシャツもらったのによ」と言い出す人が必ずいる。その背景にも何かすれば何かもらえるというバイト感覚があるのだと思える。市民映画は祭りに近い。祭りに参加したからとギャラ寄越せとは言わない。それは町の様々なことを祝う行事だからだ。神輿を担いだからとバイト料はもらえない。市民映画も同じ。町を全国にアピールするために、神輿の一端を担ぐのがボランティアなのだ。バイト感覚と、それに加えてこんな発想を持つ人が多い。


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「町をアピールするのは役所の仕事だろー! 俺たちは税金払っているんだからさあ」

そんな思いが背景にある。「何で市民の俺たちが?」という発想が町をアピールする市民映画というのが理解できないのだ。この発想は多くの日本人に根付いていて、何かあると「国がやるべき」「県に頼もう」「市が解決すべき」と自分たちは何もしない。

原発立地地区も同じ。町の過疎化が問題なのに自分たちで解決せず、「原発を誘致すれば莫大な交付金が出る!」と飛びつくことが多い。何でも政府頼み、県頼み。しかし、自治体も限界があり、税収も減っている。大きな組織は小回りが聞かない。企画して、実行するまでに何年もかかる。その間に時代や価値観が変わる。また、市民が陳情しても「出来ない理由」を探すことに、もの凄い労力を費やす職員も多い。その時間を解決に使えばいいのにと思うが、どこの自治体にもいる。

政府を見ても、役所を見ても、市民のためにスペシャルな何かできるというところは少ない。ただ、彼らを批判するだけでは何も変わらない。市民が自らの手で故郷のために出来る何か?をすることが早道であり、有効なのだ。そんなひとつが市民映画作り。その一端を担いボランティアでお手伝いして「金をくれ」「招待券をくれ」というのが、どういう意識なのか? もう分かってもらえたと思う。視野が狭く、自分のことで精一杯。何をやってもバイト感覚。故郷のことを顧みる余裕をなくしている人たちなのだ。

そんな方々にも「いかに意味ある活動であるか?」を理解してもらうことも、市民映画作りでは重要となる。ある意味で日本人の「お上頼み」の意識を変えること。自分たちの力で変えて行く活動でもある。どの町の市民メンバーもそんな問題と対峙しながらがんばっている。ただ、声を上げ変えようとする市民がいる町は、大きな希望がある。大きな翼を持つ街だ。がんばってほしい。


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「市がやるべきだ。それは国の仕事だ!」と何もしない市民。でも、小さな力は大企業を超える! [地方映画の力!]

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近年、注目されているのが町興し映画。聖地巡礼といって映画のロケ地を訪ねることがブームになっており、ヒット作の舞台となった町が注目されている。

「だったら、わが町でも映画を撮ろう!」

そんな動きが各地で起こっている。が、映画作りが大変ということだけでなく、同じ町の人たちの理解が得られないことが多く、苦労している方々がいる。

故郷のアピールがテーマであり、実行委員となった人たちのほとんどはボランティアで製作費を集める。交通費も食費も自腹。もちろんギャラも取らない。それらを経費にしていると、いつまで経っても十分な製作費が集らないからだ。そうして寄付を集めてまわるのだが、最初はなかなか理解が得られない。

「映画撮影?おもしろそう! 有名な俳優さんも来るの?」

多くの人は興味を示すが、寄付をお願いすると渋る人がどの町でもかなりいると聞く。これは花火大会と同じ構図。ある町の役所で働く友人に聞いたが、その町の花火大会は近隣の町の人たちを呼ぶことが目的だった。花火を見に来たときに食事をしてくれる。町の魅力が伝わる。宿泊してくれる。お土産を買う。何より経済効果が上がる。


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役所が主導で花火大会は行なうが、税金を使う訳ではない。全て市民からの寄付。3千万円くらいが必要。しかし、それが毎年なかなか集らない。花火大会というと皆「楽しみです」というが、寄付というと渋る。そもそもが町をアピールし、近隣の人たちを呼んでお金を落としてもらう。つまり、町の人たちが儲かるイベントなのに多くの市民が協力しない。役所の友人は言う。

「そもそも市民のための花火。皆、喜んでいる。だから続けているのに寄付しない。ほんとやり切れないすよ!」

同じことが映画作りにも言える。町をアピールし、観光客を呼ぼう。知名度の低いわが町をPRしよう!とボランティアで頑張っている人たちがいても「映画、面白そう!撮影見に行くね」というけど、寄付というと嫌がる人たちと多い。これは特定の町に限ったことではなく同じ話をあちこちで聞く。映画であろうと花火大会であろうと、故郷をアピールする。観光客を呼ぶためのイベント。なのに多くの市民はこう考える。

「市が観光客を呼べばいい」「映画は面白そうだが、寄付はしたくない」「町の財政が大変なのは知っているが、自分たちには何もできない」「税金を払っているんだから、市が映画をやるべきだ」

でも、考えてほしい。行政が本当に意味で市民のために何かをやってくれたことがあるだろうか? 今の政府を見ていればよく分かるが、総理の友達なら大学を作るのに200億円がポンと出る。犯罪まがいなことをやった官僚でも莫大な退職金をもらう。震災後の福島の復興より、オリンピックに力を入れる。ある町の市民はいう。「役所はできない理由を探すことに努力している!」そんな現状を見ていたらとても期待はできない。

そもそも、映画作りも花火大会も町のため市民のためのイベントだ。観光客が来れば儲かるのは食堂であり、商店であり、ホテルだ。今、日本の地方は本当に大変。農業も、林業も、漁業も不振。だからこそ町興し映画というのが注目されている。それをボランティアでがんばる人たちがいる。なのに「撮影は見たいが、寄付はしたくない」というのは、意識がとても低いのだと思える。


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市や国が何もしない理由のひとつは、組織が大きいとなかなか動けないこと。或は新しいことに取り組むのがむずかしいこと。その辺は多くの人が理解しているだろう。なのに「市がやるべき」「国の仕事だ」というのは責任転嫁をしているだけ、目の前にある町の状況を見ないで済ませているだけ。現実逃避。だから、楽しそうな撮影は行きたい。でも、僅かな額でも寄付は嫌だといってしまう。

もし、本当に映画が効果がないと思うなら寄付をしなくてもいい。しかし、町をアピールしたい、観光客に来てほしいという思いがあれば、市民の1人1人が考えて行動しなければ、町はどんどん錆びれてしまう。子供たちが故郷に誇りを持てなくなってしまう。観光誘致だけではなく、映画を作ることで、故郷をスクリーンで見つめることで、どれだけ自分の故郷が素晴らしい場所であるか?にも気付く。

なのに、多くの人は千円、1万円くらいを寄付する余裕があっても何か理由をつけて断り、現実を見ないようにしていることが多い。以前にも書いたが、そこに日本人特有の思いがある。「誰かがやってくれるはずだ....」「自分には力がない。何もできない......」そんな考え方が自身を封じ込めている。だから個人も、町も変わることができない。

でも、多くの人は気付いていないが、小さな力を集めることで、どれだけ大きなことができるか? 市や国では出来ない大きなイベントだって可能なのだ。僕が映画撮影をした町の人たちというのは、まさにそれを証明している。その気になれば出来る。毎回、ご一緒する地元の皆さんと映画作りをしていると、本当にそれを実感する。今回はたった3人のおばちゃんたちの思いからスタートした。それが大企業並みのプロジェクトとなった。諦めてはいけない。小さな力を集めれば巨大な力になり町をも変えて行くのだ。



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友人が「明日にかける橋」のロケ地・袋井市を旅行したとの連絡! [地方映画の力!]

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旅行が趣味というサラリーマンの友人。男性40代。彼から以下のメールが来た。嬉しいものだ。ご紹介する。

『お久しぶりです。太田さんが「明日に架ける橋」を撮ったということで、ロケ地の袋井て何があるのかなぁ、と思い、web見てみたら、可睡斎のひな人形展示のページが出まして。このひな人形軍団見てえなあ、と思って行ってきました。

おひな様のあまりの数の多さとディスプレイのインパクトに、笑ってしまいましたが…。可睡斎は他にも見所が多くて、3時間くらいいました。あとはだんごやマドレーヌで美味いのがあって、袋井すげーっ!て感じを受けました。

太田さんが映画撮ってなかったら、全く知らなかった町です。素敵な街を教えてくれて感謝!でございます』

可睡斎とおひな様は映画の中でも登場。お楽しみに。6月30日(土)〜有楽町スバル座で東京先行公開。特報=>https://youtu.be/GQvGqBhNHaY


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映画の宣伝。応援といい間違った情報を発信する人たち。注意すると激怒。そんなケースを紹介。 [地方映画の力!]

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「明日にかける橋」東京先行ロードショーが6月30日スバル座と決り、多くの方がツイートしたり、Facebookで告知してくれている。本当にありがたい。「明日」は大企業資本の映画ではないので、テレビでCMを流したり、大きな新聞広告を出したりする余裕がない。多くの皆さんの力を借りて情報を拡散することで、映画の存在を知ってもらう方法しかない。

ただ、毎回のことだが、間違った情報を発信する人もいる。ご本人は映画の応援と思って多くのツイートしてくれるのだが、それらの情報が間違っていることがある。注意すると「細かいことで、うるせえなあ。応援してやってるんだから感謝しろ。もう応援するのは止め!」と激怒される方もいる。

しかし、間違った情報を流すと好意だったとしてもネガティブキャンペーン。映画の足を引っ張ることになる。事実ではない情報を別の人が拡散したりする。結果、多くの人が迷惑する。実はすでにこの数日も、そんなツイートを見ている。なので、その辺のことを今回は説明する。

「6月30日公開」が正解。公開というのはその日から最低2週間は上映するという意味。あとは観客動員次第。それを「6月30日に上映」と書くと、30日だけ。1日だけ上映するということ意味になる。それを見て「7月1日なら行けたのに30人だけか?残念」と映画を見るのを諦める人も出て来る。「公開」と「上映」は意味が違うのでご注意。

「全国公開は9月」と書いている人も見かけるが、「全国公開は秋」が正解。一度も9月という話は出ていない。「秋」=「9月」と思われたのだろう。決まっていないことを情報発信して、それを知らない人が読むと「9月ね!楽しみ」と思い込み。実際は10月とか11月になった場合。「9月になったのに公開しない?オクラ入り? 上映中止か?」と思う人も出てくる。

一時は「6月全国公開」と書いている人もいた。が、6月30日東京公開。全国は秋以降というのが正解。これも「東京は6月に上映しているのにウチの町はやってない。東京以外の上映は中止になったんだな」と興味を失うことがある。そんなふうに映画を応援してくれる人。或は関係者が間違った情報を流すことで、映画を楽しみにしている人たちが映画を見るチャンスを失うことがある。

厳しく言えばデスインフォメーションであり、偽情報の拡散である。悪意があるならとにかく、応援してくれる人がそれをするのは本当に悲しい。また、ネット社会なので、その間違った情報を信じてさらに拡散してしまう人もいる。映画館で上映が続いていても、「もう終わった」と発信されたり、6月公開なのに「9月公開」と発信されたら、やはり多くの人が映画を見るチャンスを失う。

ただ、そのご本人に間違いを伝えると素直に「あーそうですか?すみません」という場合と「細かいことでうるさいなあ。もう応援しない!」と激怒。その後、本当にネガティブキャンペーンを始める人もいる。なので、もし、その種の間違った情報を流している方がいたら、親しい友人や関係者から優しく注意して上げてほしい。よろしくお願いします。


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町おこしのための地域映画が成功しない理由ー映画が完成すると撮影に参加した人が、単なるお客様になってしまう現象? [地方映画の力!]

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映画は本当にお金がかかる。製作費だけでは十分でなく、地元の方が数多くボランティアで参加してくれる。或は市民俳優として出演。物を借りたり、建物を貸してもらったり、差し入れを頂いたり、情報を提供してもらったり。何百人もの応援を得て映画は完成する。

「私たちの街を舞台とした映画が出来た!」

と、皆、喜んでくれる。が、不思議なことに、撮影が終わると参加者の多くが、単なる観客になってしまう。「公開が楽しみだな〜」といって待つばかりとなる。「それでいいんじゃないの?」と思う人もいるだろう。

が、撮影のあとは「宣伝」という大事な仕事がある。なのに、多くの人は「撮影終了」=「完成」。自分たちが作った映画なのに「あとは、観るだけ〜」とお客様になってしまうのだ。

映画は宣伝し、多くの人に伝えないと映画を観に来てはもらえない。だから、ポスターを貼ったり。チラシを配ったり。前売り券を売ったりするのだが、地元の人は何もしなくなる。なぜか? 一般の人はこう思いがち。

「映画を作ればテレビが勝手に宣伝しくれて、新聞にも広告が載るだろ。だから、放っておいてもお客が来るんじゃないの?」

と無意識に思い込んでいるからだ。けど、テレビや新聞に広告が出るのは広告料を払うから。それには何千万も何億も必要。そんな余裕がないから、製作費を寄付で集め、ボランティで多くの市民に参加してもらった。巨額の宣伝費がないこと、分かりそうなのに........誰も、気付かない。説明してもピンと来ないようで、「今、忙しいから...」と言われる。撮影のときはあれほど、がんばってくれた人たちがそんな返事。そして以下のような会話となる。

「だって、広告会社がやってくれてるんだろー?(予算ないから雇えない!)」

「映画館が宣伝してくれるんだろー?(しません)」

「テレビが宣伝してくれるよね〜?(金を払わないとしてくれません)」

なのに最後は「映画の公開。楽しみにしています〜」で終わる。結局、お客様。動こうとする人はなかなかいない。最近はテレビ&映画業界については詳しい人が多いのに、なぜか「宣伝」に関して多くの人が「誰かが宣伝してくれるんじゃないの〜」と思い込んでいることが多い。だから、毎回、そこから説明して、宣伝活動に参加してもらうのだが、こんな人もいる。

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「映画ってのはいいものを作れば、口コミで広がってヒットすんだよ。宣伝するのは作品に自信がないからだ!」

だが、それも違う。映画館上映は最低2週間。事前に前売り券が売れてこそ、3週4週と伸びる。そのためには公開前から宣伝が必要。それを映画が公開されてからの口こみを待っていたら、客が来る前に上映は終了。口コミが広がるには、かなりの時間がかかる。

僕の友人が古里で撮影した映画も同様だった。その街の映画館で上映されるのに「いつから公開されるか?」をほとんどの人が知らない。地元の人が前売り券を売ってない。その結果、初日の映画館がガラガラ。数週間で上映打ち切り!

地元でヒットしない映画が東京で公開される訳もなく。あれほど、みんなががんばって、一致団結して作った映画が、一部の人だけが見ただけで終わる。参加者でさえこういう人が多い。

「え?いつ上映したの?知らなかった...」

宣伝しないから皆、上映を知らなかったのだ。あの大変な撮影は何だったのか? あの努力と奮闘は無意味だったのか? そんなことが地方映画ではよくある。何より自分たちの街の良さを全国にアピールするための映画なのに撮影だけ参加して「あとはよろしく〜」みたいな人が多い。だが、彼らが、いい加減ということではない。一般の人の多くは「宣伝」という認識がないからだ。

「誰かがやってくれるだろう。テレビで宣伝してくれるはず。映画館が告知してくれる」

と思い込んでいるのだ。自分たちが作った映画は自分たちで宣伝しなければ、誰も宣伝しないことが分からない。なのに実行委員や関係者が「映画公開、楽しみ〜」とネットで「いいね」を押するだけになってしまう。せっかく、みんなで作った映画が、そのために惨敗して2週間で終わり。他の街では上映されない映画もよくある。

宣伝というのは、撮影と同じくらいのエネルギーと労力が必要。そこで何もしなかったら、せっかくの映画が無駄になる。なのに地方ではそんなふうに宣伝の大切さを分かってもらえないことが多い。上映が終了し、何ヶ月かして「そーいえば、あの映画どうなったんですか?」といわれることもよくある。本当に悔しい....。

映画だけではない。日本人って大変な状況になっても、自分たちがとんでもない目に遭っても「誰かが何としてくれるだろう?」と思いがち。しかし、誰も何もしてくれない。自分たちが動かなければ何も変わらない。それに気付いていない人、多いのだ。悲しい...。


2015-05-20


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明日にかける橋ー地方映画が陥る問題を超え、東京公開は射程距離に! [地方映画の力!]

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近年、地方映画は数多く作られている。

市や県が予算を出したり、市民が寄付を集めて町をアピールするために映画を作る。そうやって地元の魅力を全国に紹介。観光誘致する。ただ、何度も書いたがそのほとんどが失敗している。

完成したものは映画ではなく、長めの地元紹介映像になっているからだ。映画は物語がありドキドキハラハラして笑ったり泣いたりする内容だからこそ、人は映画館に行く。なのに物語はおまけのようなもので、ほとんどが地元の観光地や歴史紹介ばかり。そんな映画を人は観たいとは思わない。

地元の人たちはそこを勘違い。

映画の中で地元を宣伝することがPRだと考えてしまう。それは映画ではなくPR映画。アンテナショップで上映すべきもの。それを映画館で入場料を取って見せようというのだから、映画館側も上映を断る。地元の人たちが劇場側に頼み込み、お金を払いレイトショーされることもあるが、観に来るのは地元関係者ばかり。結果、地元PRにはならない。

「我が故郷は素晴らしい」

「***が名産品だ」と映画の中で地元愛を歌うほどに、他県の観客。特に東京の人たちは冷めてしまい、映画を観てくれない。分かりやすくいうと、テレビドラマを観るのはドラマを観るのだ。間に入るコマーシャルを観るためではない。それを地方映画の多くはドラマを少しにして、コマーシャルを長くして「みなさん。観てください!」といっているのである。それでは多くの人が観てくれないのは当然。

そんなことが多い中、今回の「明日にかける橋」は陥りがちな問題を乗り越えて、東京公開が決まりそうだ。昨年末の完成披露試写会でもロケ地以外の人たちが多く訪れ「感動した」「泣けた」「ドキドキした」とかなり評価が高い。「どーせ、地元のPR映画だろ?」と思っていた近隣のある方も「全然違って、凄くよかった」と評価してくれた。

通常の商業映画と同じで、

物語を楽しむことができる作品だかこそ、東京の映画館も上映することを同意してくれた。ここまで来れたのはやはり、地元実行委員会の方々が映画作りをイチから勉強。「PR映画にしてはいけない」「観光地や歴史の紹介。地元名産物のアピールを映画の中ですることが実はマイナス!」と感じて、製作サイドにそれを押し付けず、本来の映画のあり方を理解してくれたことが大きい。

今回はそれを超えて商業映画と肩を並べて戦える作品となっている。さて、地方映画が犯す第二の失敗。それがこれからの課題だ。いかに宣伝して映画の存在をアピールするか?だ。多くの地元関係者は映画が完成すると「終わった!終わった!」と何もしなくなり、観客になってしまう。だが、本当の戦いはこれから。映画を他県の人たちに観てもらってこそ、地元アピールになるのに、日常に戻ってしまう。

多くが無意識に映画館が上映して、宣伝してくれるだろうと考えるのだ。しかし、映画館は上映するだけ。宣伝はしない。配給会社が宣伝をするが、通常の商業映画は宣伝に数千万から1億単位をかける。地方映画にそんな予算はない。では、どうするか?それが大きな壁となる。次回はその辺の方法論も紹介して行きたい。


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