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明日にかける橋ー未公開スチール 明日橋のナイター(夜間撮影)風景 [ロビーカード紹介]

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明日にかける橋ー未公開スチール 明日橋のナイター(夜間撮影)風景

映画観てくれた方なら、もうどこのシーンか?すぐに分かるね。あの場面はこんなふうにして撮影されたんです。あの大きな明日橋を照らすのは本当に大変。巨大なライトを東京から運んでくると機材費も輸送費も凄い値段になる。それでもう予算オーバー。

それを照明部さんがいろいろ考えてくれて、撮影することができたシーン。本当に感謝。スタッフの知恵と努力に支えられて成立する。それが映画作り。地元ららぽーと磐田の上映はいよいよ金曜日までか? お見逃しなきよう!



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なぜ、自分たちの街で映画を作りながら、街の人たちは宣伝しようとしなかったのか?=後輩監督からの相談 [地方映画の力!]

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なぜ、自分たちの街で映画を作りながら、街の人たちは宣伝しようとしなかったのか?=後輩監督からの相談

僕と同じように地方映画をよく撮る後輩監督がいる。先日、電話をくれた。

ー「凄いですね。太田さんの映画。『明日』の宣伝、FacebookやTwitterでいっぱい出てますね?」

そう。地元実行委員の方々が毎日発信してくれている。これはとても大事。というのも地元の人は「あの映画。その内に見に行こう!」と思いながら、忙しくて忘れてしまう。いざ、時間ができたときに「さて、今日はどうするかな?」と完全に忘れている。そんなときFacebookやTwitterで情報が流れてくれば「あーこれこれ、観たかったんだよな。今日、行くか?」ということになる。

ー「そうなんですよね〜。なのに僕が映画を撮った街では委員会メンバーは何もしないんですよ...」

よく聞く話だ。映画を作った市民たちが完成したら「終わった。終わった!と、日常に戻ってしまい、宣伝もせず、観客気分で映画の公開を待っている。

ー「まさにそれですよ!市民はみんな映画のことを知っているから映画館に来るよ!とあっけらかんというんです。でも、蓋を開けたらガラガラ。観客が1桁。だって宣伝してないんだから客が来るわけないんですよ」

理由はこう。自分たちは映画がいつ、どこで上映されるか?を知っているー委員会メンバーなんだから当然ーが、一般の人は知らない。その知らないことに気づかない。同じ街に住む自分たちが知っているから、当然知っていると思い込む。だから、何もしない。

ー「その上、映画に関係していない人たちが、客が入らないのは映画が詰まらないからだ。なんていい触れまわるんですよ。ムカつく〜」

その意見はおかしい。彼の映画は試写会をしていない。やって評判が悪いのならとにかく、いきなり映画館で公開して客入り悪いのは映画が詰まらないからにはならない。そのケースは明らかに宣伝不足。映画の存在は多くの市民が認知しているのだから、どこの映画館、いつから?が伝わっていないだけだ。

ー「そうなんですよ。なのに委員会メンバーは『何で客来ないんだろうね?おかしいなあ』とか言って、やっぱ映画が詰まらないのかな〜なんて批判を信じたり。自分たちが宣伝していないことに気づかないんですよ!」

ただ、一般の人。これだけ宣伝が渦巻く時代に生きているのに、宣伝の意味や効果を理解していないことが多い。(だからこそ、大手広告代理に乗せられ、誘導されてしまうのだろう。今の時代でも)逆にいうと、あまりに宣伝が多すぎて、その中で暮らしているので、宣伝は当たり前、誰かがやってくれるものだと無意識に思い込んでいるのだろう。

ー「あーそんなところはありますね。皆、その重要性に気づいていない。宣伝しましょうよというと、皆、今忙しくて時間ない...というんです。宣伝活動が嫌でいう感じじゃない。もう映画できたし、まだ何かするの?って感じなんです」

これも一般の人たちにありがちなんだけど、最初は「映画作るぞ!」と、がんばる。完成したら「できたー」と思って終了。本当はそれからが勝負なんだけど「終わり!」と思ってしまう。別の例でいえば、村で新種の米を育てた。とてもおいしい!で終わり。それを出荷して地元の人。他県の人に食べてもらうことが大事。それこそが目的。なのに、米できた~で完結するのと同じ。

ー「まさにそれですよ。説明したんですけど、皆、よく分からないーという顔で、何なんでしょう?」

これはどこの街というより、日本人全体がそうなんだけど、そして僕がいつも言うことなんだけど、上から与えられたことしかしない。日本の教育はそれ。与えられたことをするだけ。できたら、次はどうするか?を考えない。また上から「次はこれをしてください」と指示が来る。そうしたら動く。

会社に入っても指示されたことをすればいい。その次、そのまた次。それによって何が達成されるか?そんなことを考えなくてもいい教育。上から言われたことをするだけ。だから、優秀な人でも次を考える人が少ない。そんな教育が影響していると思える。

ー「そうなんですかね? 委員会の人は街ニューリーダーと呼ばれて地元アピールに力を入れているのに、映画完成してそれを活用できていないんです」

もうひとつ言えること。その手の地方映画はよく作られるが、映画製作をしっかり勉強せずにやっていないことが多い。また、安易な発想でかかる。以前にも書いたが『市民に協力してもらったから、市民には無料で見せよう』と無料上映会をする。収入はゼロ。その後、県外の映画館で上映ーそれこそが地元アピールの場ーするときになり宣伝費がない。入場料を取れば宣伝費ができたのに....で、地元上映だけで終わることがよくある。市民協力=>無料上映。これでは地元で全て完結してしまう。

ー「ああ、僕の映画も近いことありましたね。委員会メンバーは地元企業の二代目とか、市会議員とか、会議所のメンバーとか、凄い人ばかりなんですよ。映画を勉強しなくても商売として考えれば宣伝が必要なことは分かりそうなもんなんだけどなあ」

でも、その手の人は勉強せず。何かというと市だ、県だ、東京の企業だ。マスコミだとそういうものに頼りたがる。自分たちで考えて行動しない。プライドは高いのに、大きな力に頼りたがる。補助金だ。緩和だ。特別会計だ。そして恩恵をほしがる。楽して利を得たがるところがあるように思える。

その典型が原発誘致。過疎化が進む。村の収入が減る。どーする。国に何とかしてもらおう!原発? 補助金が出る? いいねー。原発を引き受ける。そのリスクには目をつぶる。数年後にはまた財政困難になり2号機申請となる。

ー「そうなんですよ〜。ほんと愚かだなあ。なのに太田さんが映画撮った街。特に今回は凄いですね? 多くの人たちがFacebookやTwitterで情報発信している。僕も地元の人たちに頼んだんですが、皆、なかなかやってくれない。何度も頼んで、ようやく1回ツイート。1回じゃダメなんですよ宣伝は!毎日しないと....」

その通りだ。毎日しないと意味がない。それこそ朝昼晩と1日3回以上しないとダメだ。なぜ、たった1回のツイートをしただけで「宣伝。もうしたよ!」と言えるのか? これも先と同じ。マスコミ関係でない仕事をしている多くの日本人は宣伝というものを把握、活用できていない。だから後輩監督がいくら頼んでも「宣伝。必要あんの?心配性だな。客は来るよ...」と思い動こうとしないのだ。

ー「だから、せめて僕だけでもと1日に10回くらいFacebookとTwitterで情報発信しているんですけど、地元の方はそれをシェアしたり、リツイートすることもしない。そのくせ『監督。がんばってるなあ!応援してるよ』なんていう。あんたらの街をアピールする映画でしょう?お前らががんれよ!と言いたくなる。それに比べて太田さんがロケした街の人たち。凄いなあと思うんですよ。それもメンバーはおばさんばかりでしょう?」

いえいえ、おじさんもおりますが...

ー「大したもんですよ。だから5週間も上映が続く(注・この段ではまだ5週でした。今は7週目)なんてありえないですよ。地元映画なんて普通は1日ですよ。その上、全国でも公開されてるでしょう? 東京はスバル座だし。やっぱ、そのおばちゃんたちが優秀なんですよ!」

おじちゃんもいます...。

ー「ちゃんと映画製作を勉強して、完成が終わりじゃない。そこからスタートなんだと分かっていたですね?」

はい。皆さん。撮影前に勉強会からスタート、がんばってました。

ー「こちらの街はおじさんばかりだからダメだったのかな? 議員さんとか、組合の会長とか、***協会理事とか、偉い人がいっぱいいたのに....やっぱ、おばちゃんの時代かな?」

こちらにもおじちゃん。いますよ...。

ー「とにかく、凄い! 僕も、もう少しがんばってみます」

と後輩は電話を切った。そんな彼の映画。結局、地元の映画館で1週間上映しただけで終了。全国公開もできなかった。「誰かがしてくれるだろう」「国が、県が、東京の企業が」そんなことを言っていると結局、苦しくなるのは自分たち。どの街にもそんなことしか言わない人たちがいる。原発誘致も同じ。

自分たちの街のことは自分たちで考え、行動する。それを静岡のおばちゃんたちは実践したのだ。考えて行動すれば未来は変えられる.....あれ、どこかで聞いたセリフ。それをおばちゃんたちは証明したこと。改めて感じた。(もちろん、おじちゃんたちも)

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それでも俳優になりたい!という人たちへ。表現の仕事を目指すことの意味?=腐ったはらわたを掲げて拍手される仕事? [映画業界物語]

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それでも俳優になりたい!という人たちへ。表現の仕事を目指すことの意味?=腐ったはらわたを掲げて拍手される仕事?

いろんな角度からいろんな視点で「表現の仕事」=俳優や歌手、作家や映画監督等になるための話を書いてきた。「鋭い感受性」「長期に渡る練習」「打たれ強さ」「有名になりたいーだけではダメ」

でも、鋭すぎる感受性があると日常生活が送り辛いし、打たれ弱い。アルコールやドラッグ。新興宗教に走ることにもなる。有名になることを夢見る若者は多いが、有名になることがどれだけ不自由で大変なことか?も伝えた。

つまり、俳優になり有名になることは今の生活プラス「有名人の生活」ではなく、マイナスになるということ。今まで当たり前のように持っていたもの。習慣。行動。友人を失うことになる。この辺はまだ詳しく書いていないが、表現の仕事に就くには茨の道が続く。

それでも俳優になりたい。作家になりたいという人もいるだろう。「私は鋭い感受性はないけど俳優になりたい」「俺は子供の頃から芝居をしている訳ではないけど、舞台に立ちたい」そう願う人もいるだろう。そんな人たちに向けて、もう少し書いてみる。

夢を追いかける。夢を掴むというと素晴らしいことのように聞こえる。「彼は努力の末にデビュー。歌手として活躍している」というとサクセス・ストーリーだ。お金も名誉も手に入った。皆がキャーキャー言ってくれる。テレビや雑誌に写真や記事が載る。芸能人として認められる。そんなことを目指している人が多い。

なぜ、そんな立場になりたいのか? 前回も書いたが、今、学校で、職場で自分のことを評価し、賞賛してくれる人がいない。街を歩いても誰も振り返らない。アイデンティティの確認ができない。それが積もり積もって、芸能人になれば…..ということで欲求を満たそうとしているのだ。

だが、今の若い人たちは「与えられる教育」で育って来たので自分から何かをするのではなく、会社や学校が導いてくれると思い込んでいる。大手芸能事務所に入ればデビューできる。デビューさせてくれると考えてしまう。

それでは無理だという話も書いたが、まず、そんなタイプの人たちがいる。映画監督になりたければ専門学校。漫画家になりたければ、最近はその種の学校もある。そんなところに行こうとする人たちだ。

次に、「役者になりたい」といい、そこそこやっているが、パッとしない人たち。そんな人たちがよくワークショツプに来てくれる。が、会場に入ってきて一目見て分かることがある。今年も一度だけ頼まれて、ある俳優事務所のワークショップをした。

皆、そこそこはできる。でも、芝居以前に彼ら彼女らがするべきことがある。というより、それが俳優を目指す裏の理由でもあるだろう。彼らは演技をしたいというより、自分探しをしているように思える。

少し前によく言われた「本当の自分探し」ー何をすべきかなのか? ー自分は何者なのか? ー自分には何ができるのか? そんな不安や疑問を感じている。その答えを探すために無意識に選んだのが俳優への道だと感じる。

これは作家や音楽家でも同じなのだが、作品を作る、表現する。その過程で自分を発見していく。表現は自分との対峙なのだ。それを無意識に感じて、「俳優になりたい」「芝居をしたい」と考える若い人が多い。

いろんな役を演じる。悪人。善人。サラリーマン。父親。母親。侍。ギャング。他人を演じることで自分が見えて来る。どんな役が似合うか? それが自分が持つ本質なのだ。悪女役を楽しむ女性がいる。その背景にはいつも自分を抑え、いい妻。かわいい女性を人生の中で演じている。

わがままを言えない。いい子でいなければならない。そんな抑圧から解き放たれた喜び。怒りや嫉妬を隠さなくていい。つまり、演劇によって精神を解放している。演技をしたいと思ってはいるが、実はそちらが無意識に目的となっていることがある。

だから、ワークショップをしていると、演技レッスンではなく、啓発セミナーをしている気持ちになる。演技をしてもらえば、その人が何で悩み、何に縛れているか? 何を求めているか?がよく分かる。が、本人はそれに気づいていない。心療内科のような気がする。

と書くと、サラリーマンが酒を飲んで、カラオケを歌い憂さを晴らしているのと同じだと思うかもしれない。同じなのだ。しかし、酒とカラオケでは癒せない苦しみや悩み。単にお金に困っているとかではない。どうすることもできない呪縛のようなもの。それを探し、解決しようとするのが、実は芸術。つまり表現なのだ。

その意味で、より深い悲しみや心の傷を持っている人が表現の仕事には相応しい。その闇を紐解く。見つめることは苦しい。できれば見ずに過ごしたい。自分は普通の人だと思い生活したい。なのに、引っかかる。心が渇望する。そんな人たちが選ぶのが「表現」なのだ。

だから、俳優を目指す多くの若者は悲しみを抱え、心に大きな傷を負っている。何もない顔をして日常生活を送っているが、本当は苦しくて仕方がない。それを気にせずに生きているレベルなら、俳優にならなくても生きて行ける。逆にいうと、そんな傷を負っている人が俳優になる素質がある。

ハリウッド俳優を考えみよう。アル・パチーノ、ジョン・トラボルタ、シルベスター・スタローン、皆イタリア系だ。バーブラ・ストライザンド、マイケル・ダグラス、ウッディ・アレン、ダスティン・ホフマン、皆ユダヤ系。監督でもスピルバーグはユダヤ系。コッポラはイタリア系。

皆、移民の子たちなのだ。様々な苦労をし差別を受け、理不尽な生活をして来た民族。その2世3世なのである。日本も同じ。芸能界には在日の人が多い。しかし、表現の世界ではそれが武器。悲しみを感動に変える仕事なのだ。

その意味では先の心療内科のようなワークショップに来た若い人たちは可能性ありということ。人種や国籍の問題だけでなく、様々な問題が心を傷つける。ビートルズのジョンとポールは子どもの頃に母親を亡くしているという。スティーブ・マックイーンは子どもの頃に両親が離婚。新しい父と反りが合わず、毎日殴られえていて、不良少年になったという。

チャップリンは子ども頃に母が精神病になり、子どもだったチャップリンが街で芸をして金を稼ぎパンを買い、母親に食べさせたという。そんな悲しみや苦しみを見つめることで、表現が生まれてくる。それが俳優の仕事なのだ。

他人を演じる仕事のように思うが、他人を演じることで本当の自分を探すのが俳優業なのである。だから、僕は演技とは心理学であると思える。それに気づかなくても、無意識にそれを感じて俳優を目指す若い人たちも多い。その心の闇が、心の傷が深く、ただれた人ほど、俳優として成功する可能性が高い。社会とは反対だ。

会社や学校ではそれらを隠して、普通であることを見せないと排除され、敬遠され、虐げられる。高校を出て、大学を出て、就職。普通のサラリーマンです。という顔をしないと、日本という国では生きて行きにくいところがある。でも、それに耐えられない人たちが目指すのが表現の世界。俳優であり、歌手であり、作家などなどである。

ある意味で俳優を目指すことは心の治療だ。しかし、難しいのは完治すればそこで終わってしまうこと。傷が深いほどに治療には時間がかかり、長い年月活動できるということもある。が、俳優として成功するしないは大きな問題ではない。

俳優を目指すことで、自分自身を知ることができれば。心の傷が癒されるなら意味がある。「芸能界は厳しい。俳優になんて簡単になれない」と人はいうが、そんなことはどうでもいい。俳優業は自分探しの旅。その旅に出ることは大きな意味がある。

前者の「有名になりたい」症候群の若い人たちも。日常生活の中で注目されない。異性にキャーキャー言われたいというだけの理由なら、俳優を目指してもすぐに諦めてしまうので問題ない。技術を磨く練習を何年も続けることの苦しさに比べれば、キャーキャー言われなくてもいいか?と思えるはずだ。

もし、それでもキャーキャー言われたいというのであれば、スポットライトを浴びて有名になりたい!と思うなら、それは後者だ。心の傷を踏みつけられたプライドを取り戻すための戦い。そんな子たちは可能性がある。

信頼できる友達がいて、理解ある両親がいて、普通に生活できる仕事があり、多少の不満があっても生きていける。そこに愛ある異性がいれば、表現の世界に行こうとは思わない。そんな安心できる環境がない。

苦しくて仕方がない。そんな人たちが自分を探す世界が「表現の世界」なのだ。もちろん、そうでない人たちも芸能界にはいる。でも、お笑いでも、歌でも、小説でも、映画でも、そして演技でも、それは自分を探す旅だ。

成功するしないは関係ない。有名なる。食えるも関係ない。まずは本当の自分を探すこと。自分は何に苦しみ、何に嫉妬し、どんな葛藤をしているのか? 見たくない醜い自分を見つめることが演劇である。

そこで腐った腸を引き出し、両手で掲げて「私の内臓はこんなに腐っています!」と叫んで、大きな拍手を受けるのが演劇なのだ。美しい衣裳を着て、魅惑的なヒロインを演じることではない。諦めずに挑戦してほしい。例えゴールできなくても、必ず、あなたの人生のプラスになるはずだ。


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明日にかける橋=感想「見終わって爽やかになれる感動を求める人には、お勧めの作品」 [再掲載]

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明日にかける橋=感想「見終わって爽やかになれる感動を求める人には、お勧めの作品」

過去を変える!映画では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が有名ですが、この「明日にかける橋」は本編中でそのタイトルが出てくるように「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をリスペクトしつつ、全く違うテイストで見せるお話です。

太田隆文脚本・監督の映画はいつもキャストがどんぴしゃ!で、必ず泣ける箇所がありますが、今回も例外ではありません。クライマックスはもちろん、その他のシーンでも、適役のキャストの名演が涙を絞り取ってくれます。

今回は特に宝田明氏が、登場シーンが少ないのに強烈な印象を残します。含蓄のあるセリフが、主人公たちの行動に繋がっていくのは納得です。

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ここで語られる、太田監督が常に意識しているであろう「教育」の問題は、昨今の財務省の文書改ざん等といった、社会の腐敗につながっているように思えてなりません。その意味で、この問題が全く古びていないことに愕然とさせられます。

とはいえいつもの太田監督映画の通り、テーマが前面に出しゃばることはなく、見やすいエンタメストーリーで、不快になるようなシーンも無く、お子さまからお年寄りまで全ての世代に見やすい映画です。

映画の主な舞台は静岡県の袋井、磐田、森町。冒頭に出てくる、ひな人形の大群が凄い可睡斎があったり、マドレーヌが激ウマの店や、法多山の厄除け団子などスイーツの美味いとこがあったりして、訪れて損のない町です。(映画を観てからロケ地めぐりに行きました!)

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そのことを知らなくても十分楽しめる内容ですが、地元からたくさんの人々の出演がなかなかの大作映画感を出していて、「市民映画」というのも納得です。

「明日にかける橋」の東京での劇場公開時=2018年7月頭の劇場上映作品と比較すると。

「ハン・ソロ」よりオリジナリティがあり。
「万引き家族」より分かりやすく。
「デッドプール2」みたいな残酷さはなく。
「アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー」みたいな後味の悪さはない。

見終わって爽やかになれる感動を求める人には、お勧めの作品です。

涙腺が緩んだ個所はいろいろありますが、特に感心したところは、健太の葬式のシーン。涙をこらえていたであろうみゆきが、里美先生の前で泣き出すとこでした。涙流しながら、このタメ上手いなあ、と演出に関心。タメて感情を溢れさせる越後はる香と、受け止める藤田朋子には賞をあげたくなります。

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脇のキャラも、宝田明氏の部下や静岡県警の女性警察官など、印象に残る人がいました。

その中でもピカイチなのが「NEW STATION」のキャスター。某ニュース番組の映像を使えなかったゆえの設定だと想像しますが、このキャスターの表情や話し方が某K氏を彷彿させ、似せ具合が見ていて楽しいところでした。

予算面での苦肉の策でしょうが、かえってオリジナリティが感じられます。こういう、予算の制約(たぶん)を面白さに変えるのも太田監督作品の巧さです(相当頭悩ませるでしょうが)。


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「明日にかける橋 1989年の想い出」 東京完成披露試写会〜舞台挨拶 鈴木杏x越後はる香 [再掲載]





2018年06月05日(火) 澁谷ユーロライブ

鈴木杏x越後はる香=Wみゆき! 

登壇者:鈴木杏、越後はる香、太田隆文監督


尾崎豊さん好きの役者が集まった!?
撮影秘話など、貴重なトーク内容、要チェック!




主人公のみゆき(鈴木杏)は30代のOL。とある田舎町で
暮らしている。弟・健太(田崎伶弥)が交通事故で死んで
から家族は崩壊。母(田中美里)は病気で入院。父
(板尾創路)は会社が倒産、酒に溺れる。みゆきが両親
を支え働く日々。そんな2010年の夏のある日、夢がかなう
という明日橋を渡ったことでなんとタイムスリップ!
弟が死んだ1989年に戻ってしまう。バブル全盛の時代。
そこで出会う若き日の両親と元気な弟と若き日の自分
(越後はる香)。みゆきは、もし、この時代で健太を救う
ことができれば、家族を救うことができるかもしれないと
希望を見出すが、その先には、様々な困難が待ち構えていた。

出演:鈴木杏、板尾創路、田中美里、
越後はる香、藤田朋子、宝田明 ほか

監督・脚本・編集・プロデューサー:太田隆文


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「有名なりたい」という若い人たち。それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない=何がいけないのか?説明する。 [映画業界物語]

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ここしばらく俳優等、表現の仕事をしたい人。あるいはどんな人がそんな仕事に向いているのか? 等をいろんな角度から書いてきた。それらを読み「私は向いている!」と思った人。「俺は無理だな….」と感じた人。「無理かもしれないけど、俳優になりたい」「作家になりたい。歌手になりたい!」という人。いろいろいるだろう。

そんな人たちに向けて、もう一度書いてみる。基本、表現の仕事=俳優とか、歌手とか、作家、映画監督、他、それらの仕事をしたい人は多い。でも、多くが

「かっこいいから」「有名になりたいから」

ということが動機。その背景を考てみる。人にはいろんな欲がある。「金持ちになりたい」「****の車が欲しい」「モテたい」「おいしいものを食べたい」そんな中で「人に認められたい」という欲求がある。

戦後、日本人は貧しく、食べることにさえ事欠いた時代があった。が、食えるようになり、生活ができるようなったら、それで満足か?というと、今度は「人に認められたい」という思いが出てきた。それはもともと人が持っている欲求。貧しい時代はそれより「食べる」「寝る」が優先されただけだ。それなりに生活できる時代になると、多くの人が感じるようになる。

「褒められたり」「評価されたい」「チヤホヤされたい」

なぜ、それを求めるか? というと、自己証明=アイデンティティの確立ができるからだ。自分の存在が認められる。必要とされることで「自分は生きて行く意味のある存在」と喜びとなる。逆に「俺なんか誰も必要としない」「私なんかいなくていいの」と思うと辛く、苦しい。だが、現代はそんなふうに必要とされたり、賞賛されたりし辛い時代だ。

学校生活では成績がよくないといけない。評価されるのは一部の生徒だけ。そんな彼らよりも、もっと優秀で彼らの行けない一流大学に行く連中がいることを知っているので満足できない。あとは運動会や体育祭で活躍するくらいしか注目されない。

会社員になっても代わりが効く仕事がほとんど。1人の活躍で大きな事業を成し遂げることは少ない。集団の仕事。個人は評価されにくい。特に女性は会社で認められ、褒められることは少ない。日本社会はまだまだ女性に厳しい。主婦になっても褒められることは少ない。夫を懸命に支えても次第に当然のような顔をするようになる。

となると小学校時代に運動会で一等賞になるとか、学力テストで1番になるとか、そんなことでしか評価され、褒められることがない。子供が「ロボットの絵を上手に描けた!」といっても

「あら、上手ね。でも、勉強もしっかりするのよ」

と大人たちに言われてしまう。今の日本。結局、褒められ評価されるのは一流大学に入学したとか、一流企業に就職したということくらい。ま、オリンピックで金メダルというのは評価されるが、それはさらに手の届かない世界なので置いておく。つまり、日常を暮らしていて褒められたり、評価されることが極めて少ない。そのために多くの若者が自己確認=アイデンティティの確認がし辛い。

分かりやすくいうと、「自分なんかいなくてもいい。必要とされていない。ダメな人間だ。何の役にも立たない」というコンプレックスに苛まれ、悩み、苦しむ。生きている実感がない。「私なんか死んで方がいいんだ」という感覚。最近の「エヴァンゲリオン症候群」も近い。喪失感とも言える。勉強もできない。運動もできない。そんな若い人たち。でも、そんな彼ら、彼女らが一気に挽回できるものがある。何か?

芸能人になること。

俳優や歌手や作家。そんなものになれば多くの人に愛され、賞賛され、尊敬され、チヤホヤしてくれる。そう、若い人たちがよくいう「有名になりたい」というのは、そういう状態。だから「芸能人になりたい」となるのだ。アイドルになり、男の子にキャーキャー言われたい。テレビに出られる。コンサートでステージに立つ。そんなことでアイデンティティを確認できて、生きている実感を持てる。芸能人志望の多くは無意識にそれを求めているのである。芸能事務所のマネージャーはいう。

「事務所に入れてほしいという若い子がよく訪ねてくる。何をしたいの?と聞くと、有名になりたいという。歌手だ。俳優だ。タレントだ。いう前に有名になりたいって…..」

その言葉に全てが現れている。しかし、大きな間違いも分かる。その子たちは芝居をしたい。歌を歌いたいではなく、有名になることが目的。そこに現代の病巣を感じる。自己肯定されない社会。学校。家庭。その中でアイデンティティーを確認できない子たち。芸能人になることで、圧倒的な肯定をされたい。近所や学校レベルでない評価を受けたいーそこまで病んでいるということだ。

ただ、そんな子たちは与えらえるだけの教育しか受けておらず、そんな苦しみを癒そうとするときも、同じことを繰り返す。こう考える。事務所に入れば、いろいろしてもらえて、レッスンがあり、売り込みをしてくれて、テレビや映画にすぐ出られる。学校と同じように、与えてくれると考える。

つまり、自分が努力して何かになるのではなく、事務所が全てしてくれると考える。そして「自分なんか大したことない。誰も必要としていない」という寂しさを払拭して、バラ色の日々が掴めると思っているのだ。社会が産み出した自己否定に悩む子たちが、教育によって努力することさえ学んでいないのだろう。

そしてこのシリーズを最初から読んでくれている人はもうお気づきだろう。俳優や歌手。作家やミュージシャン。それらの仕事はそんな動機で、そんな過程でできるものではない。しかし、以前にも書いたようにテレビを見ていて

「この子ブス。私の方がまだ可愛い...」

「この俳優下手だなあ。俺の方がまだ演技力あるよ!」

てな勘違いで「私は出来る!」と思い込んでしまう若い人が多い。が、それで通用するものではない。何度も、何度も書いて来たが、「表現」という仕事はインプットだけではなく、アウトプットが大切。その訓練の繰り返しを何年も何年も続け磨いて実力を付ける。

さらに鋭い感受性が必要。他人の悲しみを自分のこととして受け止めてしまうような、日常生活が送りづらいほどの感性を持つ人が「表現」の仕事に向いている。みんなにキャーキャー言われたい。何でもいいからテレビに出たいということではないのだ。

しかし、そんな動機で芸能事務所に押しかけてもまず、入れてもらえない。万が一、コネで入っても続かない。全てを事務所がやってくれてデビューさせてくれるーなんてことはない。当然、テレビ局だって、多少可愛いだけで何もできない子を番組に出すことも出来ない。優れた技術がある。ずば抜けた表現力があるからこそドラマや歌番組に出演させるのだ。が、その手の若い子たちは

「大手事務所に入れば番組に出るのは簡単!」「一流の講師のレッスンを受ければ、すぐにうまくなる!」

とか、安易に考えている。それも月日が答えを出す。そう簡単にデビューはできず。1年やそこらレッスンをしただけではものにはならない。少しばかり可愛いだけでデビューできる時代でもない。こうして夢多き「有名になりたい」子たちは挫折していく。そしてこういう

「世の中、甘くない。芸能界は厳しい....」

違う。全て事務所がやってくるとか思い込み、自分でも通用すると勘違い。実力を伸ばそうとか、これをやりたい!ということもなく、「有名になりたい!」ということだけでは、最初から無理なことは分かりそうなものだ。

大切なことは「芝居がしたい」「歌が歌いたい」「物語を書きたい」そんな思いだ。「有名になりたい」ではダメ。「CMタレントになりたい」という子もいるが、本来CMは有名な俳優が出るもの。あるいは売り出し中の若手を出すもの。これも「CMタレントになりたい」ではなく、「CMに出て有名になりたい」というのが本当のところだろう。いずれにしても大切なのは何をしたいか?である。それ以前に時代が専門化(?)している。

70年代。山口百恵の時代は歌歌って、ドラマやって、映画に出て、CMに出るということがあった(百恵ちゃんはテレビでは「赤い」シリーズが高視聴率。映画では友和コンビ作品がヒット。歌は毎回ベストテン入り。CMでも活躍した)が、その後、80年代。松田聖子は歌とCMでは活躍したが、ドラマと映画はイマイチだった。

さらに90年代。宮沢りえの時代になると、CMにはたくさん出ていたが、ドラマ、映画、歌では大ヒットが出ていない。同世代の子たちも皆同じ。つまり、歌手は歌手。俳優は俳優というふうに仕事が分業されて来たのだ。歌は下手でも可愛いから!とレコードが売れた時代ではすでにない。

そんな中、歌でも、俳優でも、何でもいいから有名なりたいでは通用しない。もう少しいえば俳優業。演技というのは誰にでもできると思われがちなので、そんなふうに勘違いする若い人がいるのだろう。でも、演技はスポーツと同じ。アイススケートと同じ。技術を磨き、センスも必要。

絶え間ない練習と挑戦。それによってなし得る表現なのだ。ま、野球でも、ボクシングでも、レスリングでも同じだが、熟練された技術なのだ。それを有名になりたい!という動機でスタートすること自体。無理がある。が、絶対に無理か?というとそうでもない。

「有名になりたい!」「女にモテたい!」「男の子に騒がれた〜い」

という理由でスタートした人たちがいる。が、そのために努力した。練習し、腕を磨いた。若い頃からステージに立ち演奏。自分たちで歌詞を書き、曲を作った。それがビートルズだ。ま、天才たちの話をしても…と思うかもしれないし、ジョン・レノンはバンドのきっかけを「モテたかったから」と言いながら、そうではない理由もあったとは思う。が、動機のひとつだったのではないか?

バカにした奴らを見返してやろう。そんなコンプレックスがエネルギーになったはずだ。実際、ジョンは父親と仲が悪く、母は早くに死んでいる。家庭も貧しかった。日本の矢沢永吉もこういう

「金持ちになりたかったから!」

自伝「成りあがり」を読むと彼も少年時代貧しい生活。不満と怒りの少年時代。それらがバネになっているのだろう。先の子たちと何が違うか? ハングリーさではないか? 

「てめえ。今に見てろよ!」

という気持ち。先の若い子たちは、有名になることで喪失感から逃れようと考えたが、そのための努力を事務所任せにした。ジョンや矢沢は貧しや怒りをエネルギーにして楽器を買い、練習し、ステージに立つ努力をした。時代の差かもしれない。与えられたことをすればいいだけの教育で育った若い人たち。まだ、混濁と喧騒が続いていた時代の彼ら。

でも、時代のせいだけではない。ジョンや矢沢は音楽が好きだった。先の子たちは「有名になりたい」だけが理由だったことが大きいと思える。大事なのは演技がしたい! 歌が歌いたい! 小説が書きたい! という熱い思いだ。もし、本当にそうなら

「バイトあるんで、オーディションには行けません....」

と絶対に言わない。「時間がないのでまだ小説は書いてないんだ。余裕ができたら書きたい物語があるんだけど」とか言わない。歌いたいなら毎日カラオケルームに行く。「まだ、本気だしてないですから...」なんて言い訳はしない。

本当に自分が好きなことを、寝る時間も惜しんで続けてしまうことだから、上達する、うまくなる。磨かれる。それをまず考えてほしい。「有名になりたい」という思いもあり。エネルギーになる。でも、次に

「だったら本当に芝居が好きか?」

と考える。そしてすでに実践しているか? まだ何もせずに「俳優になりたい...」と言っているのなら、それは憧れでしかないのかもしれない。考えてみてほしい。いや、自分はダメかもしれない.....でも、俳優になりたい!という人もいるだろう。次回はそんな人たちへの助言をさせてもらう。

(つづく)

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「明日にかける橋」LAの映画祭ー映像を配信! [再掲載]



「明日にかける橋」LAの映画祭ー映像を配信!2018年8月に監督が渡米。

LAの映画祭で特別賞を受賞した「明日にかける橋」そのときの記録映像。

静岡のおばちゃんたちが作った映画がアメリカでどのように観られたのか? 

現地の魅力ーサンタモニカビーチ、ハリウッド等を紹介しながら伝えます。


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「明日にかける橋」パンフレットが他の映画と違う理由? [映画宣伝入門]

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「明日にかける橋」パンフレットが他の映画と違う理由?

地方ではときどきチラシのことをパンフレットと呼ぶ人がいる。が、チラシは1枚ペラの広告の紙。パンフレットは何ページもある。文章や写真の載った有料のあれである。なぜ、そういうのか?わからない。地方によるのか? でも、正解はチラシはチラシ。パンフレット(あるいはプログラム)はパンフレットである。

さて、「明日にかける橋」パンフレットは非常に評判がいい。これは嬉しい。いつもパンフは僕が企画する。どんなページが必要か? どんな写真を載せるか? 全て決めた上でライターさんを呼んでページ割をして、デザイナーさんに写真と文章の配置、大きさを決めてもらう。毎回、同じお2人。センスも趣味もいい、できる方々なのだ。いつも素敵なパンフができる。

パンフの基本内容はこうだ。「解説」「あらすじ」「俳優インタビュー」「ロケ地マップ」「撮影エピソード」「スチール写真」「撮影風景」「監督からのメッセージ」今回は特に「時代背景解説」1989年が舞台なので、当時何があったか?を説明。

というのも、最近の映画のパンフレット。本当に中身がない。スチール写真を何ページも載せて、映画評論家にどっちでもいい批評かかせて、あらすじと解説だけ。みたいな。これ完全に手抜き。スチールが多いと簡単なのだ。それも雑誌やネットで見たような写真ばかり。俳優や監督のインタビューもなし。単なる薄っぺらい写真集。その割に高い。

パンフを作るのは配給会社。そこが手抜きしている。そもそも、作品に対する愛情がない。楽して、はい。出来上がりー次の映画ー。って感じ。だから、もう30年以上。僕は映画館でパンフを買わない。超感動した映画で背景を知りたいときだけ。30年で10冊買ってないだろう。買う価値ないから。映画雑誌読んだ方がまだ俳優のインタビューとか読めるし。

だから、太田組作品はそうしない。まず、メインキャストのインタビュー。毎回、全員載せる。今回は鈴木杏さん。板尾創路さん。田中美里さん。越後はる香さん。藤田朋子さん。宝田明さん。5人全員のインタビュー。それも見開き2P。やはり、観客は俳優がどんな思いで演じたか?撮影現場はどうだったか? 知りたいはずだ。でも、インタビューは大変だ。それぞれに俳優が都合のいい日に都合のいい場所にライターさんに行ってもらい、取材。その音声を書き出し、それを構成。もの凄く手間がかかる。

時間もかかる。何日もかかる。当然、ライターさんにはそれなりのギャラを払わなければならない。だから、配給会社は面倒だし、費用がかかるのでメイン全員インタビューなんてしない。でも、これは手抜きでしょう? 観客に対する裏切り。スチール載せるなんて簡単だから。でも、太田組はやる。また、そのライターさんがすごい人で、かならず事前に撮影現場に来てくれる。現場の空気を把握する。その俳優の撮影も見る。その上でインタビュー。

これが現場を知らないライターがありきたりな質問で「今回の撮影はどうでしたか?」「はあ、そうですか。大変でしたね〜」というのと、現場を知っている。撮影を見ていた。そのときに挨拶も受けた人がインタビューに来るのと俳優の気持ちも違う。「この人は真剣だ。ちゃんと現場も見ている。いい加減なことはいえない」と熱く語ってくれる。それが現場も知らない。映画についてもよく分かってないライターが来たら、差し障りのないことしか話さない。

だから、太田組作品のパンフ。インタビューが他とは違い、俳優がかなり踏み込んで語ってくれている。観客が知りたい話をしてくれる。でも、そのためにかなりな労力と、時間と、費用がかかっている。ライターさんの情熱と努力にはいつも頭が下がるが、毎回、そこまでやってくれる。だから、他の違うものができる。(なのにギャラいつも安くてすみません)

原稿についても、全て僕も確認する。勘違いはないか? 事実誤認はないか? 名前は間違っていないか? そしてスチール写真もスナップも徹底して選ぶ。もちろん、全て俳優の事務所から承認を得たもの。その中からいかに現場や物語を伝えるか?を考える。完成までには何ヶ月もかかる。1冊の雑誌を作るのと同じだけの労力をかけている。そして監督自身がここまで関わるパンフレットも他にないだろう。なぜ、そこまでやる? 

映画というのは形のないもの。DVDにはなるが(ならないこともある)それでもプレイヤーを通さないと画像は見れない。何か形のあるものを映画を観てくれた人たちだけでなく、関係者、俳優、スタッフ、そして地元の方々の手に残るものを作りたい。それがパンフレットだ。

言い換えれば思い出のアルバム。学生時代の卒業アルバムなのだ。だから、手抜きできないし、思い出を詰め込みたい。関係者は一生捨てないで取っておいてくれる。「青い青い空」のときのパンフも未だに大切にしてくれている人もいる。もう、10年だ。だから、想い出を残せる素敵なパンフレットにせねばならない。

また、パンフレットは劇場でしか買えない。あとでAmazonで注文できない。古本屋を探せばどこかにあるかもしれないが、それも大変。だから貴重。そんな「明日にかける橋」パンフレット。上映中の映画館で発売中なのでぜひ、お買い求め頂きたい。この売り上げも実行委員会は、今後の宣伝費にまわすとのこと。映画を全国に発信する意味でも買って頂けるとありがたい!


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「妖怪と人間は仲良くしてはいけない」という鬼太郎の言葉に共感 [10月ー2018]

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 Facebookを見ていると、ちょうど数年前に自分が書いた記事が出てくる。本日は3年前の記事が出てきた。それを読むと僕はめっちゃ怒っている。再録してみよう。

 *************************

基本的にこのFBは僕の映画を応援してくれる人たちへの進展報告。或いは、その映画を知らない人たちに「見たいなあ!」と思ってもらうための告知活動と考える。

だが、「友達」承認をすると、「野菜が足りませんよ!」「そんな薬は飲んでは駄目!」とか、プライベートについてコメントしてくる人がいる。また、記事の意図とは違う勘違いな批判をしたり、上から目線で「分かってないなあ〜」「考え過ぎなんじゃないのぉ〜」という無神経な書き込みもある。

アドバイスのつもりなのだろうが、ほぼ全てが当て外れ。会った事もなく、経歴も知らない人たちからの説教は必要としていない。そしてFacebook上の議論をするつもりはない。その種の無神経なコメント、批判は警告なしに削除。これまでは我慢していたが、酷いものは「友達」からも削除させておらう。

その種の説教は身近な方々にして上げてほしい。ここでは「Facebook友達」であることをご理解の上でコメントしてほしい。すでに「お友達」になっている方は良識ある方が多く感謝しているが、新たにお友達になる方。了解の上でお読み頂けるとありがたい。(2015年10月)


*****************************

 あれから三年かあ。この頃は本当に大変だった。毎日のようにあれこれ説教コメント。健康について、言葉使いについて、考え方について。上から目線で、それじゃダメだ。反省した方が、注意しなさい。

「お前は俺の何だーーー!」

と怒鳴りたくなるコメントの連続。もちろん、会ったこともない人。プロフィール写真さえ動物の写真。生年月日も記していない。住居もどこか不明。そんな奴にあれこれ言われたくない。頭に来てブロックまでした。本人は親切のつもりなのだが....。そうしたら、また別の人が

「そんなに狭い心では、一流監督にはなれませんよ」

とコメント。その人の基本データを見る。映画界とは無関係。普通の主婦だった。「あんたに映画監督の何が分かるのぉ!!」でまたブロック。そんなことが多発。それから三年。最近はその手がなくなり、本当に感謝。しかし、その構図は今も変わっていない気がする。

 三年前に書いたことは、マナーの悪い人がいて迷惑したという話ではない。映画監督がFacebookやってる「おもしろそー」と近寄ってきた。ら、当時の僕は垣根を作らず、誰とでも普通に接した。相手は思う。

「監督って怖い人かと思ったけど、いい人じゃない?」

親しみを持つ。毎日の記事を読んでいると、意外にしっかりしておらず、心配になる。何か無茶なことを記事に書いたりする。大丈夫かな? 気づいていないんじゃないかな? 健康にも無頓着だし、一言注意して上げよう。とコメントする。まったく悪意はなく、善意だけでの助言である。僕も大きなお世話とは思うが、最初は怒らずに感謝する。「じゃあ、これからも応援して上げよう」とその人たちは思い、助言コメントを繰り返す。その人たちは近所のおばちゃんのように、あれこれ言いたくなる。いろんなことを言い出す。

細かなことまで注意。自分の知らない映画の世界のことまで、あれこれ指示するようになる。僕の方はいい加減うんざり。あれこれ言われるのが一番嫌い。まして、その人たちが映画の世界の人間ではないことは分かっている。明らかに何も知らない。にも関わらず、間違ったことも言ってくる。押し付ける。プライベートまで口を挟む。食べ物。言葉使い。考え方。上に書いた通りだ。

多少でも頷けるところがあればいいが、全く当て外れ。想像でものをいう。最初は返事をしていたが、数が増えて行く。そのために毎日数時間。僕は爆発し、その人をブロック。あるいは「友達」から削除。特にシナリオを書いているとき、編集中は普通の状態ではない。そんなときにあれこれ言われると、いや、注意でなくても、連絡してくる自体が許せない状態だ。ただ、異常心理状態であることは、その人たちにはわからない。こうして僕は

「コメントはいりません」「交流が目的ではありません」

と繰り返し告知することとなる。多くの人はそれを理解。あれこれ言わずに記事を読んでくれるようになった。「偉そうによう〜」と思われ「友達」が減るかと思ったが、もの凄く増えている。要は

「映画監督。おもしろそうだな。コメントしてみよう!」

というタイプや、先にも書いた「この監督さん。頼りないわね〜。気づいてないこと多いから注意して上げよう」という親切タイプだったのだ。でも、その人は正しいことを言っているつもりでコメントしても、映画界の価値観からすると、間違っている場合。

また、世代によって違う価値感もある。コメントする側は悪い人ではないが、長年生きてきた人生を省みても「これは正しい」ということを書き込んでいる。でも、こちらから見ると間違ったことを押し付けてくるばかり。まして、会ったこともなく、プロフィール写真は動物。覆面をかぶった人に説教されているようなもの。素直に聞けるわけがない。不気味でさえある。で、「てめー俺の何なんだ!」となり「友達削除」。

最近はFacebookでそんな手の事件はほとんどない。あ、最近も一度あったが、かなり減った。が、これはネット上だけのことではない。現実社会でも同じなのだ。撮影時、舞台挨拶時に1、2度会った方からメールをもらう。電話をもらう。手紙を頂く。

「***会に参加してください」「****に賛同してください」「寄付をお願いします」「芝居を見に来てください」「シナリオを読んでください」

彼ら彼女らとはFacebook友達と違い面識はある。相手の住居も分かる(名刺をもらうので)といって、上記のような連絡。たくさん来るので、1つ1つにお返事できない。でなくても、いつも仕事で忙殺。やるべきこともやれない日々。過労で倒れて、何週間も寝込む。そんな事情は僕のFacebookやブログを読んでもらえば分かる。にも関わらず、時間やお金を使うことを平気で要求してくる。こちらの事情を知ることができるのに、あるいは知ろうとせずに、あれこれ要求してくるのはどうか? でも、それらの多くはお構いなしに頼みごとをしてくる。でも、手紙を出しても返事なし。電話をしても留守電。メールも反応なし。

「失礼な人だ。馬鹿にしている!」「駄目なら駄目で返事をするべきだ!」

と思うだろう。それは正しい。しかし、その前にこちらの事情を知り、考えてほしい。それをせずに、

「あんな素敵な映画を作った人だから、いい人だと思ったのに裏切られた! 返事もない。無視された」

と思う。あるいは

「撮影であれこれ、お手伝いしたのに、一度の現場で挨拶されただけだ。せめてお歳暮とか、礼状くらい出すべきだ」

と考える人もいる。結果、

「私は利用されたんだ・・・」

こうして恨まれることになり「え? なんで、この人。撮影時にお世話になったよな」という人が僕の悪口を言っていたりする。映画製作では多くの人にお世話になる。が、その1人1人全員に僕個人はお礼はできない。それを真剣にやると、膨大な時間と費用が必要だ。

監督業はそれより、撮影を終えたら早くより良い作品にするために編集作業に入ることが重要。編集を止めてお礼状を書いたり、お歳暮を贈ったりするのは違う。それ以前にお世話になったところは、製作担当が挨拶に行く。だが、こんな人もいる。

「それでは十分ではない。監督や俳優もお礼にくるべきだ」

これって、ホンダの車を買ったときにディーラーの担当者が「ありがとうございました」というだけでは不足。ホンダの社長が来ておお礼をいうべきだ。というのに等しい。

また、会って挨拶するだけで十分という人もいれば、家まで訪ねてきて礼をいうべきという人もいる。その上で、ハガキで礼状を出すべきという人もいる。撮影終了の1ヶ月後に訪ねて。感謝を伝えるのが大切という人もいる。年齢、地域、業種によって、いろんな形がある。だから、ある人は「十分です」といい、ある人は「感謝が足りない!」という。こうして、自分の思う形の礼がなかった場合に

「失礼だ!」「見損なった!」「裏切られた!」「踏みつけられた!」

と怒り出す人たちもいる。映画製作なのに、自分たちの業界の慣例を持ち込み批判したり。近所付き合いと同様の対応を求めたりする。でも、そうは行かないことが多い。例えば、連絡をもらったら返事する。お誘いを受けて行けなければ断る。というのは常識だ。が、芸能界や映画界。俳優やタレント。そして映画監督もそうだが、そんな連絡が山ほどくる。対応できない。やることは山済み。それよりも、よりよい映画を完成させることが、応援、協力してくれた人への感謝。なのだが「返事をしないのは失礼だ」と怒り出したりする人がいる訳だ。

この構図と先のFacebook事件は非常に似ている。そもそも、映画の世界と、一般社会のルールや価値観。慣習はかけ離れている。国が違うほど違う。国と国との交渉で揉めるように、あるいは海外へ行くと日本人が戸惑うように映画界と一般社会は別。かならず摩擦や軋轢が生まれる。国が違うならそのことを皆、理解するが、同じ日本人同士。日本という国なので、それに気づかず。自分たちの価値観を押し付けてしまうのだ。どちらが正しいではない。一般社会と映画界は違うのだ。

そんなとき。「ゲゲゲの鬼太郎」というアニメを見ていて気になるセリフがあった。鬼太郎ー妖怪ですーがこういう

「妖怪と人間は仲良くしてはいけないんだよ」

妖怪は特別な力を持っている。時には人間を助けたりするが、決して仲良くできない。必ずもめてしまう。だから、距離を置くべきなんだという鬼太郎の言葉だ。

映画人って、妖怪に近いのかもしれない。いや、映画人でも技術スタッフなら一般的な付き合い方ができるだろう。俳優とか芸能人。そして映画監督とか作家が妖怪とイーコールなのだろう。

それはそうかもしれない。僕はすでに俳優やスタッフとは一線を引いている。仕事以外では会わない。馴れ合いになり、互いに甘えないためだ。これはかなり前から実践している。が、一般の人には、特に距離は置かないで来た。

それこそ一度、感謝を伝えて終わりではなく、機会あれば、街の近くに行けばご挨拶に伺う。が、それもいけないことだったのかもしれない。A市に行くと近所のB市の人に

「なぜ、こちらには来てくれない....」

と恨まれる。B市に行くと「C市もお礼に行くべきだ」行けないというと「感謝が足りないなあ」と言われる。お礼に行くことでトラブルが起こるのだ。前にも書いたが、デビッド・ボウイやウッディ・アレンというアーティストは人嫌いと言われ、インタビューもなかなか受けない。

それは人と関わることで、いろんな軋轢が生まれてしまうのを避けているのかもしれない。もちろん、有名人や芸能人ならそうだが、僕のようなしがない映画監督でも同じなのかも...。

「無名の監督でやんす〜」

と思っていても、向こうから見ると「おー映画監督。有名俳優と仕事してるんだ〜」と興味を持ってくれる。有名女優の裏話を聞かれる。多くがワイドショーのノリで、プライベートにどんどん踏み込む。そんな風にFacebookでも、現実の世界でもトラブルが起こる。興味を持つ人たちは罪がない。が、その人たちの要求に応えていると、こちらも大変。鬼太郎の言うことが正しいのかもしれない...。

矢沢永吉は芸能界での交流は少ないと言われている。家族と、バンド、会社、それだけ。歌手仲間と交流したり。そんな話はほとんど聞かない。ある人はいう

「あれだけ有名で、金持ちなのに、彼は孤独。友達呼んで飲みに行ったりとかしないと聞くよ」

そうかもしれない。あるベストセラー作家も、こういう。

「友達とは数年に1回しか会わない。何度もあっていると嫌いになるから、大切な友人とはなるべく会わない」

ま、アーティストがわがままというのもあるだろう。が、一般の人には理解されない部分が多い。結局、トラブルになる。悲しい思いをする。相手も自分も傷つく。何だか、そういうことなのかもしれない。僕のような無名監督レベルでも、そうなのだから、国民的アーティストとか、有名俳優とかになると、すごいことになるんだろう。若い子はいう。

「有名になりたい!」

が、有名ということがいかに大変で、孤独なものか?想像できないのだろう。1人でコンビニにも行けない。変装せずに街も歩けない(高倉健さんなど、変装してもバレるだろう)、自分を利用しようと、もみ手でやってくる人ばかり。誰が信頼できるか? わからない。昔の友達も信頼できない。あーそういえば、友人で大ブレイクした奴がいて、しばらく変だった。「もう誰が味方で敵か?わからない」といっていた。

それが有名になるということ。その代償。まあ、僕なんか全然そこまで行かないので平気で街を歩ける。とはいえ、ロケ地を歩くと、すぐに「監督!」と声をかけられるので、本屋でエロ本の立ち読みもできないことがあったが、ま、その程度。でも、

「あの監督。あんな素敵な映画を作るから、人としても、素晴らしいはず!」

とか勘違いされて「頼みごとは絶対に断らないよ〜優しい人だから!」と思い込まれていたのに、断ると

「裏切れた〜酷い....あんな冷たい人とは思わなかった....」

と言われたことになる。誰も悪くないのに、好意や感謝からスタートしているのにトラブルになり。傷つけ合う。相手を怒らせてしまう。やはり、僕らは妖怪に近いのだろう。映画作りを続けていくということは、まわりとは距離を置き、孤独に耐える.....ということが大切なのかもしれない...。

映画監督や俳優を目指す若いみなさん。これが「有名になりたい」と、あなたたちが思う職業の現実。それでもがんばる!という人。がんばってほしい。



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